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2007-01-31(Wed)

名作の継承…永島慎二『黄色い涙』のこと

黄色い涙

マガジンハウス

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きょう、永島慎二先生のお嬢さんである史さんから小包が届いた。先日俺が出した寒中見舞いへの返信と、お見舞い(?)にチョコレート、そして映画化にあわせて復刻されたマガジンハウス版の『黄色い涙』と、サウンドトラックCDを同梱していただきました。ありがとうございます。ご母堂とお二人ともお元気だと聞き、嬉しいです。史さん…というか「フミちゃん」はもう20年以上前に俺が青林堂に入った直後に、アルバイトでやはり入ってきた「同僚」として一時期一緒に働いていた。フミちゃんは当時まだ16歳だったかと思う。俺もフミちゃんも若いくせにヘビースモーカーで(未成年の喫煙は時効だから…)、やはりヘビースモーカーだった長井さんの奥さんの香田さんと3人でスパスパやっていると、長井さんに「お前ら一斉にタバコ吸うなよ、煙いじゃねえかよお。俺肺片一方しか無いんだからよお」と言われたっけ。
もう「ガロ」「青林堂」「長井勝一」などと言っても注釈が必要な時代だと思う。
「ガロ」はよく言われる形容をすれば非メジャーで表現重視の伝説の漫画雑誌であり、「長井勝一」はその版元である「青林堂」創設者・社長にして「ガロ」編集長である。そういえばもう長井さんが亡くなって11年が経つ。そして永島先生が亡くなって、1年半…。

永島慎二先生、67歳の早すぎる旅立ち でも書いたように、永島先生は俺にとっても大恩人だった。もともと俺は長井さんが漫画を専門学校で教えるというのを知り、講師陣に永島先生のお名前を発見し、漫画家になるために上京したようなものだ。『漫画家残酷物語』『フーテン』そして『黄色い涙』などの代表作は言うまでもなく、短編『かかしがきいたかえるのはなし』など、今でも大好きな作品がたくさんありすぎる。そして、思い出もたくさんありすぎる。
永島先生は若い人が大好きで、昔から先生の周りには先生を慕う若者がたくさん取り巻いていた。先生を慕うのは何も若い人だけではなく、老若男女、みな先生の気取らぬ、優しい人柄を慕っていた。永島先生のニックネームは“ダンさん”だったけど、俺なんかとてもそう呼ぶことは出来なかった。だがそんな当時弱冠二十歳の若造であった自分にも、永島先生は最初「シラトリさん」と敬称をつけ、丁寧語で接してくれた。俺は恐縮した。自分から見たら大大大先輩であり大先生である。憧れの人である。なぜ自分が60年代後半に新宿や阿佐ヶ谷高円寺近辺で青春を送れなかったかを本気で悔しがった人間で、今でもその気持ちがあるほどだ。
阿佐ヶ谷の学校へ通っていたころ、永島先生は歩いて数分のご自宅にいらしたので、時折教室へふらりと遊びに来られたりもした。長井さんとは元々飲み友達だったが、長井さんは永島先生に大恩があり、いつも必ず「永島先生」と呼んでいた。そんな先生からデスマス調で返されても、こちらはではそれ以上の敬意をどう伝えればいいのかが解らなかった。ともかく、その後自分は青林堂へ勤めるようになり、フミちゃんが入ったこともあって、永島先生と接する機会は格段に増えていった。先生のご自宅の離れにある、「紙飛行機部屋」にも何度もお邪魔させていただいたし、酒席にご一緒させていただいたこともたびたびあった。
先生が俺と話す際、いつしか「シラトリさん」から「シラトリ君」になり、丁寧語が取れていった頃は本当に嬉しかった。一度だけ、お酒の席で「シラトリは」と言われたことがある。先生かなりご機嫌で、なんか周囲で俺のことを年寄りくさいとかいう話で盛り上がった時だったか、永島先生が「シラトリはさあ、年寄り臭いんじゃないんだよ、背伸びしてるんだよ。な!」と言われた。決して年長者がデカいツラをしての物言いではない、達観した者が慈愛をもって若者に接する、優しい笑顔での発言だった。もちろん、図星だった。
当時俺は年齢が若いということだけで能力がない、モノを知らないと決め付けられることを何よりも嫌い、反発し、それをバネに意地になって本を読み漁り、それこそ寝る間を惜しんで知識を頭に詰め込んでいた。広辞苑を最初から1ページずつ熟読し、気になった言葉や表現があると「ボキャブラリー日記」というノートに抜き出して自分なりの解釈や用例を足していたくらいの「詰め込みバカ」だった。そのノート数冊(もちろん、途中で挫折している)は今はどっかへ行ってしまったが、もし出てきたらきっと恥ずかしさのあまり発狂するだろう。ともかく、そんな突っ張った状態を永島先生はお見通しだった。阿佐ヶ谷ガード下にあった飲み屋「木菟(みみずく)」で、狭い店内で何かの二次会あたりでワイワイひしめき合って飲んでいた時だったと思う。
それから十年近くたった後、「もっと肩の力を抜いた方がいいよ。楽になるよ。」とニコニコ微笑みながら言われたこともある(すでに書いた通り)。永島先生のことを思い出すと、その煌く作品群と共に、個人的なこうしたお付き合いの思い出がとめどもなく溢れ出す。

漫画家・永島慎二と聞いて、今の若い人たちは今ひとつピンと来ないだろう。それは、本書に収録されている解説で夏目房之助氏が述べているように、「漫画家」としての永島先生は貸本マンガでデビューし、70年代以降はほとんど漫画作品を描いていないからだ、と言われるからである。確かに、『フーテン』シリーズが完結した後は極めて寡作となり、80年代以降は絵本に力を入れ…なんてことが通り一遍によく記述されているようだが、実は「ガロ」に「旅人くん」シリーズを不定期ながら連載していただいたり、我々にとっては「現役の漫画家」でもあった。発表媒体が「ガロ」だったので、世間的には「作品をほとんど発表せず」となるわけで、そのあたりが漫画における「マス偏重」を物語っていると思う。

マンガって元々漫画ってだけでサブカル呼ばわりされていたようだけど、手塚漫画やトキワ荘の作家さんたちとは言わぬが、数百万部の売り上げを誇るコミック誌のどこが「サブ」なんだよ。俺ら「ガロ者」からすりゃあ同じ漫画って表現手段を使ってるだけで、そういった漫画はマスコミと同じだよ。テレビで芸人たちで「ちょっと漫画に詳しい=サブカル路線・オタク方面に色気あり」みたいなスタンスを見せる連中がいるけど、みんなたいていガンダムガンダムとうるさいか、せいぜいキン肉マンだドラゴンボールだと言うレベルだ。決して駕籠真太郎や津野裕子やマディ上原やキクチヒロノリとかは出てこないし、出るはずもないだろう。
そういえばリリー・フランキーや浅草キッドらがスカパー!と組んで東京サブカルサミット 2007とやらを開催したと話題になったが、あのなあ、ここに出てる人ら、全員ドメジャーだよ。メジャーだからサブカルとは言わぬというようなガキみたいな理屈を言ってるんじゃないよ、そもそもサブカルって言った時点でもう今は意味が違ってきてるんだから。ともかくこの中でリリー・フランキーが「今年注目のサブカル人は杉作J太郎」と述べたそうだが、杉作さん(ちなみに「ガロ」時代の担当編集者が俺であった)を出すあたりがいかにも…という感じである。このサジ加減が、マスコミ業界でサブカルを「売り物」にする極意、であろうか。

…話が逸れた。永島先生は俺が「ガロ」時代には、現役漫画家として以外に、油絵であの独特の暖かいタッチで描かれたピエロの絵が知られていると思うが、実は「趣味人」としても知られていた。鉄道模型や紙飛行機などにハマっていた時期があって、ちょうど俺がよく先生とお付き合いさせていただいていた頃は、紙飛行機に夢中でいらした。近くの広い公園へ行き、紙飛行機を飛ばすのを見せていただいたこともある。これまでの漫画家としての永島先生を慕う人たちとは明らかに別の人種=紙飛行機仲間が「ナガシマさん」と声をかけてきたりした。
『黄色い涙』は先生の「青春漫画」の代表的な作品の一つである。60年代の青春漫画というと、夏目氏の言う通り、少女漫画の少年版ではなく青年版的な流れにある…という一面もあると思う。商業誌では漫画は子ども向けにわかり易い「勧善懲悪」とか「スポ根」とか「ヒーローもの」とかが主流だったいっぽう、女の子たちは自分たちの卑近な世界で、自分たちの内面と向き合い、恋に恋するという世界に浸っていた。もちろん少年漫画も少女漫画もそれだけであったわけではなく、劇画だってあったのだが、ともかく、漫画といえばまだまだ大人が読むものではなかった時代である。
そんな中、少年がスタンダードな少年漫画誌を卒業するということはすなわち漫画からの卒業を意味していた。世の中が勧善懲悪ではなく、スポーツは根性だけでは勝てず、ヒーローなんか存在しないと解れば、現実と向き合うしかなかろう。だが永島漫画はそういったマスの、子ども向け漫画の世界とは違う、青春期の「若者たち」を真正面から描いて、その世代の読者の心をつかんでいった。いった、というのはそう聞いているからであり、自分は後追い体験をしたに過ぎないが。
そういった漫画史的なことは評論家に任せておくとして、ともかく、自分は追体験とはいえ、永島作品にのめりこんだのは事実である。思えば思春期〜青年期、18歳くらいまでに永島作品に出会えたことは幸福であった。リアルタイムで熱中した世代の人たちは、永島作品を「文学における太宰治のような、マンガの青春期的ハシカ」(夏目房之助)と捉え、大人になるにつれ離れていったという。俺の場合はご本人と知遇を得ることが出来たので、俺の中での「若者たち」は、永島先生からじかに発言を聞き、同時進行していたも同じだった。あの素晴らしい宝石のような輝ける日々をもっともっと大切にすべきであったと、42になんなんとする今、猛烈に後悔している。

黄色い涙』映画化と聞いて素晴らしいと喜んだが、「嵐」主演と聞いて怒りで目がくらんだ。拙文「 双方向性とは 」に思わずフザケンナ的なことを書いてしまったのだが、もうこうなったからには素晴らしい作品にしてもらうしかない。いい映画にしないとほんと、ぶっ飛ばすよ。なぜなら、原作が名作だから、もし駄作になったのなら映画を作った人間か、演じた人間が悪いということになるからだ。とにかく、映画化が契機であっても名作がちゃんと復刊され、今の世代に継承されるということは喜ばしいことだ。ジャニタレ=嵐のファンだというミーハーな子らの中から、本気でこの作品の素晴らしさに気付く人たちが出れば、映画化の意義もある。
残念なのは出版不況と言われて久しい状況の中、こうした名作はそれこそジャニーズのタレントを起用して映画化…みたいな「エポック」すなわち「再版する理由」がなければ、どんどん「品切れ&重版未定」という生殺し状態になっていくことだ。
もう何回も主張しているけれども、いい本を、長く、キチンと後世に残そうという気骨のある版元は、ねえのか。電子化は確かに本を作るよりは低リスク・低コストかも知れないが、名作こそ、かたちに残して手元に置きたいというものではないだろうか。永島先生の箱入り限定版の「漫画のおべんとう箱」とか、手前味噌ながら自分が担当させていただいた津野裕子の処女作品集『デリシャス』のあの四六判上製で布張りに黄色いパインの型押し、二度と再現できないんだろうな。やまだ紫『性悪猫』青林堂初版の布クロス版も。
もう一度言うが、日本の出版界をよぉぉく監視して欲しい。新刊は別にいい、問題は旧作の扱いだ。力が無くて再版できぬまま放置している版元はまだマシだ。問題はちゃんと再版する余裕があるクセに、名作を放置し下らぬ作品を律儀に再版している版元だ。お前らはこの本を切らしているのか、つまりそれはお前らがこの作品は残さなくてもいいやと判断しているのか、つまりその版元としての見識を疑うというヤツである。マスのコミックの世界では、大手版元がそれなりに大御所の作品はキチンと後世に継承していくようだが、漫画全体で見ればそういったメジャーな作家やその作品に匹敵する、あるいは凌駕するような名作が、非大手やマイナーな作家によって生み出されてきた。それらを大局的な視点から残そうと、漫画に関わる人たちは連帯するべきだと思うが、どうせ鼻で笑われるんだろうな、と思う。
昨年、京都市と京都精華大学が中心となって、京都市中で廃校となった龍池小学校を「京都国際マンガミュージアム」としてオープンさせた。精華大は言わずと知れたマンガ学部を設置した世界初の大学である。今後、「いやあいい作品を残せって言われてもウチらは商売だからさあ、ヘラヘラ」みたいなフヌケの版元に頼ることが出来ないなら、こうした教育機関に期待してはどうだろう。
大学で出版部を持つところはたくさんある。もちろん学術的な研究書や論文の書籍化、テキストなどが多いのだけど、精華大はマンガ学部があるのだから、マンガを出版してもいいわけである。ここで後世に残すべき名作を審議し、復刊を定期的に予算の許す範囲で行っていくということは不可能なことではないと思う。
例えば「復刊ドットコム」ではユーザーから復刊希望が寄せられ、一定数に達するとオンデマンド式に復刊される…というシステムがあるのだが、これはもちろん営利目的つまり「商売」である。「一定数」すなわち「数」の論理で復刊が決まる。これでは後世に残すべき名作、という視点が満たせない。数で売った媒体に掲載されていた作品は、名作であろうとなかろうと、多数の人の目に触れてきた。なので必然的に思い出として刷り込まれ、単純に「懐かしいから」という矮小な理由で復刊が望まれていたりすることが多い。そういうことではなく、カンタンに言うと「自分は嫌いだけどこの作品は後世に残すべき作品である」という視点は、商売の論理とか個人の趣味趣向(好き嫌い)という感情論とは全く別の話だということだ。…ま、鼻で笑われるのは解ってるんだけどね。
それでは「名作」をどう定義するのか、は問題が多々あれど、そこが大学という機関の腕の見せ所だろう。マンガに関する「有識者」(笑)を集めて審議し、ジャンル別に分けて残すべき作品を年代順に挙げていき、それを第一〜第三くらいまでの優先度に分けて、第一からジャンルごとにオンデマンドで再版していくとか……無理か? オンデマンド機械って高いもんなあ。それこそ「復刊ドットコム」と提携するとかねえ。何か方法はあるはずだと思うが。竹宮惠子教授、やまだ紫教授、真剣に考えてくださいよ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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