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2007-02-07(Wed)

渡辺和博さん死去

渡辺和博さん死去=「マル金、マルビ」で流行語大賞
2月6日18時32分配信 時事通信
 ベストセラー「金魂巻」などで知られるイラストレーターでエッセイストの渡辺和博(わたなべ・かずひろ)さんが6日午前1時46分、肝臓がんのため東京都新宿区の病院で死去した。56歳だった。広島市出身。雑誌「ガロ」の編集長を経てフリーに。独特のヘタウマ風のイラストと軽妙な文章で人気を博す。「金魂巻」(1984年)は職業ごとに「マル金(金持ち)」と「マルビ(貧乏人)」に分けて解説。この言葉は第1回流行語大賞となった。ほかに「金魂巻の謎」など。

朝、当ブログへのアクセスがまた急上昇しているので、アクセス元を調べて驚いた。渡辺和博さんが亡くなったという。渡辺さん、昔からの友人や長井さんは「ナベゾ」と呼んでいたが、俺たち「ガロ」の後輩はせいぜいが「ナベさん」で、ご本人の前ではもちろん「ワタナベさん」であった。
画風や著作などに関しては皆さんもご存知だろうし、見ることも出来る。人柄というと、実はぶっきらぼうで生意気な印象を与えるようなモノ言いで、誤解を受けることも多かった人だ。それをうまく伝えるのは難しいのだけど、例えばつまらぬことで「あーもう死んじゃいたいよ!」なんて言うと「じゃあ死ねばぁ?」と即座に真顔で返されるというような感じか。
俺も「ガロ」に入ったばかりのころ、電話を受けるとぶっきらぼうな男の声で「渡辺だけどぉ、ヤタベいる?」と言うので「は?」と聞き返すと「アンタ誰ぇ?」と言われて「新しく入ったシラトリですが」というと「ふぅん。でヤタベは?」みたいなやりとりがあった。そのとき先輩のヤタベさんは留守で、そう伝えて切った後長井さんにそのやりとりを報告すると、長井さんは笑いながら「ナベゾらしいや、あいつはいつもあんな調子だからよ、気にすんな」と言われた。
当時は渡辺さんが「ガロ」編集部をやめて独立し、「金魂巻」が空前のヒットをした直後だった。(ちなみに今各種メディアで活躍されている神足さんとほぼ組んで作られた本だが、当時は100%「ナベゾの本」としか認識されていなかった)渡辺さんはイラストレーターとして「ヘタウマ系」では当時すでに人気だった。
先に「ガロ」編集長からフリーの「イラストライター」として人気になっていた「おにぎり顔」で有名な南伸坊さんと共に、よく他社の人から「「ガロ」って作ってる側も凄いんですねえ」と変な感心をされるとうか、評判を高めた人である。

南さんが「ガロ」系の集まりによく来てくださったのに比べると、渡辺さんはあまり顔を出さなかったという印象がある。理由はよく解らないが、酒を飲まないから、というのがヤタベさんの説明だった。
また先輩の漫画家の誰かにお聞きしたのは、「ナベゾは基本的にみんなとワイワイやるのが嫌いなタイプなんだよ」ということだったが、それが本当なのかどうかは知らない。ともかく、俺の場合は後輩ではあったが、あまり交流はなかった。

ずいぶん経って、何かの撮影で神保町の材木屋の二階にあった青林堂が使われた際、渡辺さんも来られたことがあった。こちらはくるくると集まった皆さんのお世話をしたりしていたのだが、谷間に渡辺さんとちょっと話したことがある。
「シラトリ君はさあ、どこ出身?」と言われ「あ、北海道の函館です」というと「ふうん、イナカなんだあ。イナカから出てきてこんなとこで苦労してんだあ。」と全く表情を変えずに言われた。そして「早いとこ卒業してビンボーやめないとねー」と言われた。ああ、懐かしい。今思い出すと、無表情に見えて、丸いメガネの奥で細い目が笑っていた。
その場はこちらは笑いながら「そうですね、頑張ります〜」みたいな答えを返したような気がするが、すぐ傍には社長である長井さんもいたので「こんなとこで苦労」へ反応しないかヒヤヒヤしたものだった。もちろん聞こえたところで長井さんは笑うに決まっているが。

以前当ブログ内の渡辺和博「ホーケー文明のあけぼの」でも述べたように、渡辺さんは鋭い観察眼と批評眼で世間をじっと見つめ、ズバっと爽快に斬ってみせてくれた。その鋭い指摘は今の俺にも多大な影響を与えてくれている。
その後、もっとうまい形で後追い・パクリをやった人はたくさん、いる。というより影響を受けて、「こういうのもアリなんだ」ということに気付かされた「後輩」は数多いだろう。ご本人はああいう性格というか人当たりの人なので、誤解を受けることも多かったろうし、その後順調に業界でそれなりの地位を固めた…かというと、必ずしも正当な評価を受けていたようには、少なくとも俺からは、見えなかった。
何年か前、業界志望の学生が渡辺さんに密着し、そこから何かを学ぶ…みたいな番組がNHKかどこかで放映されたことがある。たまたま偶然それを見たのだけど、その時の渡辺さんはロケで「ガロ」青林堂ゆかりの神保町近辺、材木屋の二階へも行ったりした。若者にもぶっきらぼうながら、ずいぶんと暖かく接していた。丸くなったのかなあ、なんて勝手に思っていたが、もっともっと仲の良かった人たちの話では、「ナベゾはあったかい、いい奴だった」ということだから、俺が知らないだけだったのだ。
今ごろは天国で長井さんに会って、「遅かったじゃねえかよ、飲め!」なんて言われて、飲めない酒を無理矢理飲まされているのかも知れない。合掌。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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