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2007-03-19(Mon)

骨髄穿刺の日

3月19日(月)
病院の日は朝早いので、夕べは俺だけ先に早く休んだ。寝室へ入ると同時にシマがててて、と入ってきて当然のように脇のあたりに丸くなって一緒に寝る。朝は7時半に目覚ましで起きて、久々の早起きなのでゆっくり支度してるとアッという間に8時になってしまい、慌てて出る。朝の時間が経つのは本当に早い。サラリーマン時代はイヤというほど体感していたが、このところ忘れていたかも知れない。
外に出ると天気は晴れながら気温が低く、寒い。一度は一気に春かと思ったのにこれは紛れも無く冬の感覚である。いつものように17号に出て戸田橋から吹き降ろす風に「寒いなあああ」と思いつつタクシーを待ってると、幸い5分と待たずに空車が来た。しかし17号は朝の渋滞、志村坂下あたりから板橋本町環七合流までノロノロ運転が続いた。おかげで病院到着は8時50分すぎ。採血予約は8時半だったが、結局内科受付で連絡表を貰って地下の採血受付へ行くと9時くらいで、番号札は29番だった。そこでけっこう待たされて、試験管3本血を抜かれる。今度は内科受付でマルク(骨髄穿刺)がある旨告げると、処置室前の待合で待てと言われる。マルクは9時予約だったが、この時点ももう9時15分。そこから延々と待たされ、マルク用のベッドに呼ばれて横たわったのが10時過ぎだった。まあ俺が遅れたので今日はしゃあないな、と思いつつ看護婦さんに「ちょっと遅れたもので、U先生の予約時間が来ちゃったらアレなんですが」と言うと、ちゃんと伝えておくと言ってくれる。
5分ほど寝ているとカーテンがあいて、Mドクターがニコッと首を入れてきて「白取さん、どうも」と会釈をしてくれる。入院時の医師団の一人で、抗癌剤治療についてなど良く説明してくれた若い医師だ。Mさんは「えーと、腸骨から…でいいんですよね」と確認した後、「じゃあお尻出して寝ていてください」と言われる。脾臓が腫れてからは完全なうつぶせにはなれないので、左側、脾臓側を下にして横臥位で、ズボンとパンツを尻のワレメぎりぎりくらいまで下ろす、いわゆる半ケツ状態で待つ。とてつもなくマヌケな格好だが仕方がない。前に胸の骨から取ろうとした際、何度かやっていたせいもあるのかなかなか取れなかったので、ここ数回はいつも腸骨からだ。
Mさんは横になった俺の腹を見て「うわ凄いですね、もう治療に入ろうという話はまだないんですか?」と聞くので「ええ、検査では変化もないので…」と応えたが、よく考えたら俺の胴回りはかなりメタボリックな感じになっている。これが全部脾臓が腫れているせいだとMさんは勘違いしたのだろう、実を言うと物凄くバリバリに食欲があるし、タバコをスッパリやめてから、つまり一年半前に入院して以来間食も増えた。おまけに運動不足ときてるから、体重はあれから7〜8kg増えている。そのほとんどが下腹部のような気がする。しかし幸いCTやレントゲン所見では脾臓の腫れそのものは著しく大きく変化してはいないので、これは「太った」ということになるのだろう。Mさんにすれば脾臓の腫脹がこれほど進んだのか、「こりゃ大変だ」と思ったのかも知れないが、ふ、太ったんです俺…と申し訳ないような気持ちになる。
Mさんはベッド脇でテキパキと支度を整え、いよいよ麻酔を腰の骨に打たれる。この麻酔ばかりは痛みが軽減されないのでかなり痛みがあったが、それもすぐになくなり、何度か「これはどうですか?」という確認の後、麻酔が効いたと判断されるといよいよ骨髄穿刺である。極太の針…それはそれは太い針がぶすりと刺されて、骨髄を吸い上げる準備が整う。「じゃあ、行きますよ、1・2の・3!」でぐうううと抜かれる嫌〜な感覚が来る。体験した人じゃないと解らないと思うが、とにかく形容しがたい痛みというより不快感だ。だが今回は実を言うと今までのMARKで一番不快感が少なかった。今回は覚悟していたよりあっさりと済んだ感じで、助かった。なぜだろう、ちゃんと取れたのかと不安になるが、Mドクターはプレパラートに俺の骨髄液をテキパキと分けたり作業をしているから大丈夫だったのだろう。消毒をされ、傷口を塞がれて、小座布団みたいなクッションを下にあてて仰向けになって体重で止血をする格好になり、布団をかけてもらう。Mさんは「じゃあ、お疲れ様でした」とさわやかに去って行った。
30分じっとしていなければならないので、カーテンを閉められたベッドの上で目を瞑る。隣のベッドのババアの話し声、行き交う看護婦と医師の話し声などがわーんと聞こえる中、15分ほどでうつらうつらするが、30分のタイマーが鳴る寸前にはっきり目を覚ます。直後にタイマーが鳴り響き、俺の体内時計って正確だなあと妙な感心をする。看護婦さんが傷痕を確認して「うん、大丈夫ですね」と言ってまた塞いでくれる。その後「じゃあ診察券と連絡表はU先生へ廻しておきますからね」と言ってくれたのでひと安心。11時くらいになっていたので、相当飛ばされたなあと思いつつ、4番診察室前へ移動、ソファで待つ。
予想に反して15分ほどすると呼ばれたので診察室に入ると、U先生に「MARKお疲れ様でしたあ」と言われたので、「あ、でもM先生だったんですけど、今までで一番痛くなかったですよ」と言うと「そうですか、良かったですねえ」と笑われる。白血病や悪性リンパ腫で骨髄細胞の状態が悪いと実は取りにくいということがあるそうで、取りやすかったということは悪いことではないという。今日の採血の結果も変わりなく、WBC(白血球数)は2100と久々に2000を越え、好中球数も49.8%と免疫力的にはアップしている。貧血の度合いもいつも通り低いながらも正常値の下限に近いところだし、今回はLDH(乳酸脱水素化酵素)が久々に正常範囲に戻った。これらは当然誤差範囲内ではあるものの、誤差の振幅を考えれば前回の数値より下がることも考えられるが、数字上好転しているということは、少なくとも横ばいで悪くなってはいないということは確かだそうだ。ホッと一安心。
今回は座ったまま、喉の奥の扁桃腺を見てもらい、クビ廻り、腋下のリンパ節を触診してもらう。これもまた大きさに変化はなく、今日のマルクによる骨髄細胞の分析結果は来週には出ているはずなので、その結果を来週の月曜に聞きに行くことになった。そこで進行がそれほどなければ、また診察はいつも通り間を空けてもいいでしょうとのこと。抹消血、触診、先日のCTやレントゲンなどの所見からも、極端に悪化しているとは思えないが、前のマルクから時間も経っているし確認のためです、と言われる。癌は癌ゆえ、劇的に好転していることはなかろう。だが進行が穏やかであるならば、その分長く生きられる。来週いい結果が聞けるといいのだけど。
U先生にお礼を言って診察室を出て、会計へ向かう。順番が来て精算機に診察券を入れると、何と16000円ちょいと表示される。た、高い。関係ないが俺の前のオッサンというか爺さんは肩越しに見えたのだが「精算はありません」という声と「0円」の表示だった。

病院の外に出て赤羽行きのバス停へ行くとちょうど出たばかりだったので、しょうがなくてくてく歩いて大山ハッピーロードへ向かう。先日退屈しのぎに任天堂Wiiを連れ合いと二人で買った。「はじめてのWii」「Wiiスポーツ」「縁日の達人」を買って操作に慣れたあとは大山でこの前「エレビッツ」と「ボンバーマンランド」などを立て続けに買ってプレイしている。そのソフトを買った店で今度はヌンチャクを1つ、連れ合い用に買った。本体には1個しかついてなかったので、買い足し。
こうやって普通に街を歩いていると自分が病気であることを時々忘れることもある。一年前ほど前は一日じゅう自分は癌であり、こうしている間にも癌細胞が自分の体の中で増殖し、自分の命を奪おうとしている…ということが頭から離れなかった。心から笑ったり、何かを楽しんだりすることが出来なかった。今それが出来るかというと必ずしもそうではないし、もちろん夜中にフと目が覚めて「死にたくない」と痛切に思うことが度々ある、しかし「慣れ」というものは確かにあるのだ。癌・余命宣告まで一時は受けて死というものが目の前に恐ろしいほどのリアリティを持って差し迫ってきた経験は、これまた経験した人じゃないと解ってもらえないと思う。それから一年半経って、幸い状態があまり変わらず、つまり癌の進行が極めて緩慢であるという状態に慣れが出てきたのも事実だ。脾臓がかなり腫れて腹部が膨満していたり、慢性的な軽い貧血でちょっと目眩があったり、免疫力が落ちているので外出時にはマスク、帰宅時には手洗いやうがいが欠かせない…というような不便も、いつの間にか「慣れ」た。
慣れてしまうと、他人から見たら極限状態でも「日常」になる。
自分が癌であること、いつ容態が急変するか、あるいはこのまま何年も生きられるのかも全く解らない、それが俺の今の「日常」だ。確かに癌であるということ以外いつ死ぬのか解らないということは、普通の人と同じと考えられなくもない。なのでいつの間にか普通の人のような気分になっていたりすることも出てきたというわけである。
普通の人には普通に暮らしていることのありがたみというのはあまり実感がないかも知れないが、今の俺にとってはかけがえのない宝石のような宝物だ。健康な体と生活に比べたら、ブランド物も大金も地位や名誉なんかも全く輝いて見えない。健康は嬉しく、有難く、尊い…と思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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