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2007-04-11(Wed)

女子学生が「留年」告げられ自殺

先日発覚した、高崎経済大学の女子学生が准教授から「留年」を告げられ自殺したという事件。報道などによれば概要は、同大の准教授が昨年6月、ゼミ生に夏季の宿題として高度な課題を課した。12月になって准教授が未提出の学生3人に「提出しなければ留年」という旨のメールを送信する。提出期限である1月15日の夕方、未提出だった2人のうち、今回自殺をした女子学生だけに催促のメールを送ったという。女子学生はそれに対して「留年すると分かっています。人生もやめます」と返信し、夜、橋の上から渡良瀬川に投身自殺をした…ということだ。
この事件が公になり、大学側で設置した「調査委員会」はゼミ生や他の教員から事情聴取を行ったそうで、准教授の課した課題が2年生としては非常に難解であり、結果的に准教授による「留年通告」メールがこの女子学生を自殺に追いやったと結論に達したそうだ。准教授は「間違ったことはしていない」と反論しているというが、報道によるとこの准教授は他の学生にこれまでセクハラ発言など暴言があったというし、日常学生たちからその態度・人間性において疑問視されていたことも、ニュース映像などで解る。
自分で自分の命を、絶つな。
それもたかが大学の留年くらいで。
もちろん、この女子学生には相当の理由があったのだろう。この准教授の「指導」により「留年」するということが、命に比しても受け入れられないほどの重大事だったのだろう。俺には理解できないが、彼女には彼女なりに命を絶つしかもう方法がないほど、追い込まれたのだろう。
だとしたら、この准教授は文字通り「殺人者」と言っていい。「間違ったことはしていない」と臆面もなく語っているこの「鈍感さ」が、日常自分の発言や態度でどれだけの人間が傷づいているかに気付かせない「指導」を生んでいるのか。昨今どこかのバカが流行らせている「鈍感力」とかではあるまいに、自分の鈍感さ、愚鈍さを言い訳に繊細な他者を脅かす。そんな鈍感さなど金輪際必要ない、そんなことを提唱する奴らはそいつらだけでどっかの島で暮らせ。
その女子学生がガラスのような繊細な心を持っていたとしよう。准教授がそれに気付かずに、強い指導を行ってしまった、結果として不幸な事件になった…としよう。それでもやはり、この准教授の罪は軽減されない。一人一人の学生のパーソナリティを把握し、指導するという基本が守られていない。俺の連れ合いも勤務する大学でゼミを受け持っているが、端で見ていても数人の学生を連れて美術館へ行ったり、メールを廻したりしていて、人ごとではない。だがゼミ生は50人も100人も受け持つわけではないだろう、一人一人の顔が見えただろうに。

実は俺も専門学校で教えている時に、担任を受け持った一年生クラスの女子学生が一人、自殺をした。学生たちにはなるべく平静を装ってはいたが、内心は忸怩たる思いだった。まだ受け持ってあまり時間も経たない頃だったのと、自殺した原因が学校と関係のない人間関係のことであったことで、もちろん学校側では誰も責任を取るようなこともなかった。けれども、まだ人間関係がそこまで形成されてはいなかったとはいえ、彼女に身近に死を選ぶ前に一言でも相談できる人間が、できれば年長の大人がいてやれなかったということが悔やまれるのだ。それが、自分でなかったということにも。
以前、別な女子学生から教室でリストカットをすることをどう思うか、と聞かれたことがある。俺は確かリストカットは周りへのSOSだから、周囲にその子のことを愛していると言って抱きしめてやれる人間がいてあげればいいのだ、と言った。同じ教室にいた子らは覚えていてくれているかも知れない。

今回の事件で、准教授はちょっと高度な課題を出した、他の子は提出している、提出がなければ留年だと当り前のことを告げただけで自分は悪いことはしていない…そういうのだろう。その子がどんな子であるか、そういう強いプレッシャーに耐えられるのか、どう反応するのか、を考えずに強者が弱者をいたぶるようなことを結果的にしてはいなかったか。
敢えて言うが、今の学生たちは、驚くほど子供だ。もちろん偏差値的なお勉強は我々が同年齢の頃よりもそれこそ「頭がいい」と言われるほど向上しているのかも知れない。だがその自我は非常にもろく、脆弱で、人として「弱い」と感じる。テレビなどで見られる上っ面だけの「雑学」や「情報」を、知識や教養、哲学であるかのように振舞う。だがそんなものはちょっと斜めからつつかれればぺらっぺらに薄っぺらな、しょせんは「他者」のものを借りてきているにすぎない。素っ裸の自分を試されるような場にはそもそも出ないし、立たされればそれこそ自我が崩壊しかねないほど、もろい。ネットでの付き合いやブログなども、見ているとニュース記事を引っ張って全文を引用して終わりか、あるいはホンのちょっと短いコメントを書き加えて自分の「意見」だと言っている。ニュース記事からのアクセス向上だけが目的らしいが、万事がそんな調子だ。顔をあわせての議論や討論を敬遠し、意見が否定されるとすぐ全人格の否定であるかのような過剰反応をしたり、それこそ簡単に逆ギレする。社会全体的に幼児化が進んでいると思う。関係ないが、テレビで影響力の大きいタレント、例えばダウンタウンや木村拓哉の年齢をちょっと冷静に思い出してみたらわかる。
教えられる子らが「子供」であることはいい、だが教える側まで幼児化してどうする?

齢四十を超えた俺が言うけれども、受験勉強など、実社会で役に立った経験は、ほぼゼロだ。
俺は今自分の命がどれくらい持つのか、毎日とにかく「生きていること」すなわち「生かされていること」に感謝し、素直にこんな当り前のことが嬉しいと思える日々を送っている。大学の成績ごときを自分の命を比べることなど、全く理解できないし、自分が二十歳の頃を考えても同じだったろう。だが、現実に死んだ女子学生は「死」を選択した。自分がこれから生きていくことと、死を秤にかけて、命を絶つことを選択させた周囲の、何と言っても准教授に強い怒りを覚える。

学生に死を選択させる「指導」って何なんだ? それは間違ってはいないのか?
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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