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2007-04-14(Sat)

一澤帆布VS信三郎帆布

一昨日、連れ合いが京都出勤から戻った。今回は4泊といつもより長かったのだが、それは連れの母と姉が一緒だったからで、お二人は連れ合いが出勤している間は観光したり、夜は合流して一緒にご飯を食べたりなど、母娘三人での「観光旅行」は考えたら生涯で初めてだったという。いい思い出になっただろうなと、こちらも何となく嬉しい。
さて家にいた俺にはおみやげに信三郎帆布製のショルダーバッグを買ってきてくれた。一澤帆布時代から定評のある、しっかりした作り、頑丈でかつおしゃれな帆布製のショルダーだ。一澤帆布といえばもちろん、職人手作りで店舗拡大も通販も(ほとんど)せず、「京都に行かねば買えない・大量生産もしない」が逆に人気となって久しい「国産ブランド」である。いや、京都ブランドと言った方がいいか。この一澤帆布の「お家騒動」は、昨年ワイドショーなどでも盛んに取り上げられたのでご存知の方も多いと思う。
実を言うと自分は昔からカバン・バッグフェチで(笑)、といっても高級ブランドには全く興味がなく、自分が使いやすく気に入ったものがあるとどうしても欲しくなってしまう性分である。今お気に入りのバッグを持っているのに、いいなと思うバッグがあるとどうしても欲しくなって買ったりするから、連れにはよく呆れられていた。でもそのほとんどは安いけれども馴染むもの、気に入った作り・デザインのものであり、高級ブランドのものは皆無だ。あの没個性でどう見ても俺には上品とは思えぬヴィトンのモノグラムとか、成金趣味にしか見えないゴテゴテの「高級ブランド」バッグ類には、たとえ買える金があっても、一銭も払う気にはなれない。というか高級ブランド品であっても値段相応の魅力、欲しいと思わせる何かがあれば別なのだが、それが感じられないというだけかも知れない。
手作りであることは解る、それなりに素材もいいのだろう、だが値段のケタが違うと思うだけだ。不当に高いとさえ思う。だから同じ品質・性能で、その「ブランド」であることだけでケタが一つ違うものなら、俺はそのブランドにそれだけの価値を見出せないというだけの話。ブランド物を持つ人は「私はこれだけのモノを買うだけの財力があるのよオホホホ」「機能性とか対価格性能なんか関係のないところで大金払うのがお金持ちの証ざます」という人がそうしたいからそうするだけのことだから、ありがたがる人たちに何にも文句を言う筋合いは、ない。

ブランドといえば唯一、ビンボな青林堂時代から「おカネを溜めてでも欲しい」と思い、実際いくつか持っているものが「吉田カバン」だった。吉田のカバンは一澤帆布を知らない頃から、ぜいたくだけど長く使いたいというものとしていくつか持っていた。機能性とデザインに申し分がないことに加え、比較的デパートなどでも買えること、また価格も安いとは言えないが法外に高価ではなく相応だと思えることから、信頼できるブランドだと思っている。

一澤帆布のカバンやバッグ類は、青林堂に入って間もない頃、先輩だったYさん(あのメガネで痩せ型、俺がよく着流し姿の似顔絵を描いていた…と言えばオールドファンにはお判りか)が持っていて教えてくれて、初めて知った。だから二十年ちょい前…という感じだろうか。頑丈な黒の帆布で出来たがっちりした今でいう「トートバッグ」である。そして右下の隅にはあの「一澤帆布製」というタグが縫い付けられていた。その和風テイストと、柔道着の帯みたいながっちりした持ち手や本体の帆布の手触りが珍しかった。Yさんは当時、江戸・和テイスト好きの作家さんから教えてもらって知り、京都に旅行した折に買ったのだと言っていた。その時はふうん、と思い自分の好みではないなと思い、食指も特に動かなかった。当時の俺の場合はたくさん収納できて、中は小物が分類できたり仕切りが割りと多い機能性重視のバッグが好きだったから、ああいうガバリと開いて仕切りも何もないだけ、というバッグにはあまり興味がなかったと思う。

それから二十年余経って、けっこう東京でも一澤帆布のバッグを電車の中や都心を歩いている人を見かけることが普通になっていた。そういう中で起きた「お家騒動」であるが、一澤帆布という質実剛健、職人気質、みたいなイメージと、このドロドロした、骨肉の争いとかゼニ金の匂いがする醜聞はイメージが合わないわけで、またそこが人びとの興味をますます煽った感もある。
ことの成り行きはまあアチコチで既報なので詳しいことはこういうところで見てください…一澤帆布工業 - Wikipedia。いちおう概要を再確認すると、もともと一澤帆布(1905年創業)は代々帆布による頑丈なカバンを作って定評があった店だったのだが、今回のお家騒動の発端は、3代目社長である信夫氏が亡くなったことにある。ワイドショーや週刊誌などで面白おかしく報道されたものを見ると、単に「相続問題」による家庭内紛争のように思われているかも知れないが、ことはそういう単純な問題ではないようだ。

一澤家は男4人兄弟で、その父親であった信夫氏が社長であった時代は営業も先細りになり始め、三男の信三郎氏が一般の会社(大新聞社)に勤務していたのを辞めて戻り、四男の喜久夫氏と共に父親の元で家業を継いでいた。その当時長男である信太郎氏は東海銀行に勤務しており、(信三郎氏側によれば)経営が苦しいという時期にも実家を助けようとはせず、銀行勤務に執着したばかりか、金の無心までしてきたというから、父親の故・信夫氏にすれば不肖の息子という感じだったのかも知れない。83年に信太郎氏が正式に4代目として社長に就任したあと、四男の喜久夫氏は96年に「好きなことをしたい」と退社してしまったという。それからは信三郎氏が先代、職人さんたちと共に一澤帆布のブランドを守り、発展させてきた。このことは「長年勤務してきた職人さんたち、取引先、そして何よりお客さん」が皆知っている「衆知の事実」として知られている。

さて2001年3月、先代社長である信夫氏が亡くなった。当然店は4代目社長として20年近く切り盛りしていた信三郎氏がこのまま続けて…と思っていたら、突然その年の7月になって、長男の信太郎氏が「自分宛の遺言書がある」といって乗り込んできたから、さあ大変。
この遺言書というものが、テレビなどでも報道されたように、信夫氏が書いたというには内容が無茶苦茶であった。これまで二十年も店を切り盛りしてきた信三郎氏をクソミソに言い、逆に店に見向きもせず苦しい時期に助けもしなかった、また全くの畑違いの銀行マンであった長男を名指しで時期社長にするというのだから、他人が見ても首を傾げる内容だ。当然、信三郎氏はこの「新しい遺言書」はニセモノだから無効であると、9月になって裁判所に提訴する。誰もがいくら何でも長男はデタラメなことするぜ、と思っていたら何と! 裁判所は2004年12月に、新しい遺言書つまり長男の信太郎氏側の遺言書が有効であると認め、即ち信三郎氏は信太郎氏によって代表取締役を解雇されてしまう。ちなみに新たに代表取締役社長になったのはもちろん長男の信太郎氏、役員は他に「辞めたい」と言って店を出たはずの四男・喜久夫氏と、信太郎氏の実娘であった。

(この新しい遺言書の真偽については、裁判所は「真」と認めたわけだけど、我々素人の野次馬の99%は「ニセモノ」だと思っていると思う。筆跡が違うとか印鑑も生前の信夫氏のものと違うとかいうことは我々にはわからぬことだけど、突然先代の信夫氏がそれまでずっと一緒にやってきた三男の信三郎氏を罵倒し追い出し、逆にそれまでミシンに触ったこともなければ店に寄り付きもしなかったという長男の信太郎氏に全てを譲る…ということ、そのこと自体が、先に書いた「長年勤務してきた職人さんたち、取引先、そして何よりお客さん」全員にとって明らかにおかしなこと、筋が通らぬことだからである。)

裁判所の決定なのでどうしようもない、三男の信三郎氏は失意のうちに店を長男信太郎氏に明け渡し、出て行くことになった。しかし長年一緒に苦楽を共にした職人さんたち、つまり「一澤帆布」のブランドを担い、守ってきた人間は全て信三郎氏について行くことになった。当然だろう。果たして、長男の信太郎氏父娘と四男の喜久夫氏は、「一澤帆布」のブランドと店をこうして見事手中に収めたのはいいが、肝心のブランドを守る職人も、機械も、材料を卸してくれる取引先も全て自分についてくる者がいないという状態に陥った。店はもぬけの殻、である。この模様もワイドショーなんかが逐一報道していたのでよく見たものだが、信太郎氏はまるで自分が被害者のように装っていたのが、逆に滑稽でさえあった。

信三郎氏側は、一澤帆布の職人さんたちと一緒に、2006年4月にようやく新しい自分の店である「一澤信三郎帆布」をオープン。場所は何と、かつての一澤帆布の店の斜め向かいという挑戦的な場所であった。信太郎氏側は、哀れな経営者を自己演出し、一澤の名を守ってくれる職人さんを募集するというフレコミで、何とか全国から職人を集めて同年10月に店を再開させることが出来た。

…さて現在双方の店はどうなっているのであろうか。
連れ合いに聞くと、信三郎帆布の店の前には開店前からお客がいつも行列しており、商品もすぐに売り切れてしまうのでいつも品薄、それが逆にまた人気を生んでいる…というかつての一澤全盛時代を彷彿させる賑わいだという。対して「乗っ取り屋」の謗りを受けて四面楚歌に陥った長男・信太郎氏の「一澤帆布」側には、お客はチラホラ…。京都のガイドブックを見ると、かつての一澤と同様の扱いを受けているのは信三郎帆布側で、現在の一澤帆布の店舗紹介はされていないものも多い。

長男の信太郎氏はいったい、何を考えていたのだろう。遺言状が裁判所で正式なものと認められた、だから俺が社長だと言っても、「長年勤務してきた職人さんたち、取引先、そして何よりお客さん」はことの成り行きを全て見ている。もっと言えば、一澤帆布が先代の信夫氏と三男の信三郎氏によって守られてきたことは、遺言状一枚の真偽がどうこう、裁判の結果がどうこうではない、「事実」として知られていることだろう。
最近になって長男側は、信三郎氏側を商標権の侵害、持ってったミシンを返せなどということで訴えを起こしている。信三郎氏側はもう争いはやめていいカバンを作っていくことに専念したい、と言っている。どっちが正しいのか、こういう成り行きを見ても証明されている気がするね。
連れが買ってきてくれた「信三郎帆布」のショルダーバッグは、しっかりした、無骨だけれども丈夫で長持ちしそうな、あのかつての一澤帆布製バッグを彷彿させるものだ。今の自分には「丈夫で長持ち」がひどく魅力的で羨ましいものに見える。ギラギラした金と欲望の匂いがする高級ブランドには、やっぱり用はない。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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