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2007-05-25(Fri)

「間違った行為」を正当化させるな!

またまた朝青龍。安美錦に一気に土俵の外へもってかれ、土俵際で逆転を狙ったうっちゃりを打つと両者宙を飛んだ格好になり、軍配は追い込んだ安美錦に上がった。朝青龍は自分の体(たい)が宙を飛んでおり、相手の手が速く土俵外に落ちるのをしっかりと見ていたから、自分に有利と自信を持っていたようだ。差し違えか最悪でも取り直しだろうと。しかし物言いはつかず、朝青龍は審判長(元大関の増位山)を睨みつけ、怒りの表情で礼もせずに土俵を降りた。さらに花道では座布団が舞う中、悔し紛れに座布団を思い切り蹴り上げた。小さい頃からそれこそ40年近く相撲を見続けているが、こんな光景…というか力士の振る舞いを初めて見た。もちろんこんな粗野粗暴な力士も初めてだが。
もっとも我々も中継を生で見ていて、「あれ?」と思ったのは事実。スローで再現するまでもなく、明らかに朝青龍の体は土俵外とはいえ宙にあり、安美錦の方が先に地面に落ちたのが見えたからだ。しかしすぐに連れ合いと「死に体、だな」と納得したものだ。負けた本人とすれば悔しいだろうし何より相手が落ちるのを見ているわけだから納得もいくまい。しかし横綱たる者、いや力士というのはそこで負けは負け、キチンと礼をしてグッと堪えて去っていくべきなのは言うまでもない。もっと言えば横綱ならば圧倒的な力量差をもって誰もが納得するような勝負をつけられなかったことを瞬時に恥じて、潔く礼を尽くした上で去るべきなのだ。横綱というのはそういう地位(というか本来は尊称であり、現在は力士の最高の地位となっている)である。大関のように陥落もなく、番付の上下はもうない。なので勝って当り前、負けが混めば引退…という厳しい立場でもあるのだ。
この光景をスポーツ番組だったか何かの番組でやっていて、スタジオのコメンテイターに感想を求めていた。求められたうちの一人が「さくらパパ」であったが、このオッサンは「いいんですよ、スポーツなんだから負けて悔しいのは当り前!」と相変わらずゴルフ以外には門外漢のくせに知ったようなことを言い、さらに「朝青龍関はさくらの(明徳高校)先輩ですから、応援してます!」とそのへんのオバハンのようなコメントをしていた。バカはすっこんでろと思うが、テレビってまあそういうところではある。問題は何度も言ってるように、こういうコメントを見て「そうだ」「あ、それでいいのか」と思う人間が増える「バカの拡大再生産」だと思う。
以前拙記事「朝青龍注射疑惑と最近の大相撲」で述べたように、相撲というのは「スポーツ」ではない。柔道や剣道、合気道、茶道や書道などもそうだが相撲にも相撲道という「道」がつくように、これらには作法があり礼があり、道がある。もちろんその他のスポーツにもルールがあり最低限のマナーやモラルがあるのは言うまでもないことだが、そういう一般論としてのスポーツに対する言説を、とくに元々が神事として始まっている相撲(鹿嶋神宮と諏訪大社の「神様」同志の対戦が最初だった、と伝説にある)の場合に当て嵌めることは間違っているのだ。なので、土俵上に女性が上がれないのも一般的な感覚からすれば「差別」であろうとも、伝統競技、伝統芸能、あるいは神事であり見世物としての行事、何でもいいがとにかくこと「相撲」にそれを持ち込むことはナンセンスなのである。
この「さくらパパ」こと横峯良郎はそういうことも知らずに軽々しくコメントをしているわけだ。まあ今に始まったことではないが。彼がプロ経験もないのに娘にゴルフをやらせるために全てを注ぎこみ、見事にプロに育てあげたことは賞賛に値する、それは認める。そのこと自体の是非(娘の人生を親が規定するとか、子供に親が勝手に夢を託すとか、まあいろいろ)はともかく、あそこまで娘に物心ともに全精力を傾けられるってのは凄いなあ、とも思う。だがデタラメなことを公器を使って吹聴したり、間違った情報や価値観を喧伝されるのは困る。とくにテレビというメディアは格段に影響力が大きいし、直裁であるがゆえに子供らに浸透するのも容易で、速い。
子供が偉くなると、勘違いした親が「ワタシが育てました、だからワタシも偉いんです」と露出してくる連中も多い。昔はあんまりこういうことは無かったと記憶しているが、最近では当り前すぎてよく解らん。ハンカチ王子は今どき珍しい好青年(のように見える)だが、もう親が本を出したらしい。「ワタシが育てました」ってか、ハイハイようございましたね、と。最近はお笑いブームだがその親までタレントとしてノコノコ露出するようになったりしてきたから、もうテレビに対してモラルとかそういうものを求めるのは犬猫に「話せば解る」と説くよりも愚かなことと理解はしているのだが。(あ、犬や猫は真剣に話せばちゃんと理解してくれることがある)
それにしても、相撲が全くつまらなくなった。外国人力士が増えたから、ではない。外国人力士が増えることに何ら問題はない…とは言わないが、まあ仕方のないことだと思う。だが他のスポーツとは違う相撲「道」を、日本人にさえ教えることが難しくなってきている昨今、異国から来てさらに何もかもが異文化である社会に適合しなければいけない外国人が、とにかくまず相撲という「競技」を覚えることを第一とし、他がなおざりになることで、本来の「道」が乱れ、神事としての意味が失われていくことは大問題だ。一つ一つの所作にも根拠があり、作法があり、それを連綿と守り伝承することで美しさも守られてきたのに、それらが瓦解していっているのが年々見るに耐えられなくなってきている。そしてトドメをさしたのが、あの粗野で乱暴で傲慢なモンゴル人横綱なのだ。
今場所前には、常々問題視されてきた「過激な稽古」によって豊ノ島という力士に怪我をさせている。その後もこのバカ横綱の横暴は止められず、プロレスまがいの技をかけてみたり、気に入らない力士がいればボコボコにするなど、実社会でやったら即逮捕されるような狼藉ぶりはとどまるところを知らないようだ。
そもそも稽古は力量や番付が上の者が下の者に「胸を貸す」という表現を使うように、もちろん厳しく時には虐待に見えるような「ぶつかり稽古」などはあるものの、基本的にはあくまでも指導である。ぶつかり稽古にだってちゃんとした根拠と理由がある。そういった荒稽古をこなしていくことで、力士はスタミナを養い、強靭な足腰を作り、あらゆる勝負の場面に対応できる力を学ぶ。その中で、上下関係や礼儀作法、相撲界のしきたりなども同時に学んでいく。これらを指導するのはもちろん先輩や親方である。
とにかく外国人力士を入れることはいいが、それを指導できない周囲の人間に問題がありすぎる。とくに朝青龍の師匠は元大関の朝潮であるが、心技体のうち心を全く指導できていない。恐らく横綱経験がないということで、朝青龍からもナメられているのがヒシヒシとわかる。ともかくそんな段階で昇進させねばならなかった相撲界の現状にも問題があるが、それはそれとして、とにかく番付が上なら年長者だろうが先輩だろうが関係ねえ、強ければ何をしてもいい、何か文句あるか、文句のある奴ぁかかってこい…ってお前はジャイアンか。
彼を庇う勢力側の言い分として、「格闘技に怪我はツキモノであり、稽古場とはいえ怪我をするのはする方が悪い」というものがある。まあ相撲をその他の格闘技やスポーツと同一視するオツムもどうかと思うけれども、一見まっとうな言説のようにも思える。だが、「稽古」に名を借りた「理不尽な暴力」によって怪我をさせられることを正当化する精神構造が理解できない。例えば豊ノ島事件の場合は、報道などによると朝青龍は「勝負が決まったあともエビ反り状態にになっている豊ノ島を容赦なくひねりながら寄り倒し」、結果「不自然な形で背中から落ちた豊ノ島はうずくまると自力では立てずに若い力士に両脇を抱えられて病院へ直行、X線検査の結果右のひざと足首の内側じん帯損傷と診断された」という。普通ならついつい気合が入りすぎたことはあっても、その後相手をいたわり気遣うだろう。「格闘技なんだから怪我はつきもの」という連中は「怪我をさせてもいい」「怪我をしたらした方が悪い」と言っている。じゃあお前が同じことをされても文句言うな。
さらに、こうして稽古相手に怪我をさせた後も朝青龍の「興奮は収まらず」、次の相手に豊真将を選び、いじめのような稽古を繰り返したという。一人の力士に怪我をさせたあと、病院送りにさせた後、だよ。繰り返すが、まっとうな稽古で気合が入りすぎ、ダメを押すようなことになっても、まあ仕方のないことだろう。かつての千代の富士の稽古もそれはそれは厳しかったそうだし、我が家の数十本に及ぶ25年前からの相撲モノのビデオでも、鬼の形相で弟弟子の北勝海(のちの横綱)に稽古をつけ、スタミナ切れで土俵に転がった北勝海に竹刀で気合を入れている様子が見られる。だがこういう「荒稽古」と、面白がって相手をただいたぶること=反撃できない立場の人間にプロレス技をかけたり、相手が力を抜いているのに壁や土俵にたたき付けたり、やりたい放題をやるのとは全くもって意味が、次元が違うことだ。
また別の勢力は「朝青龍に品格を求めるのは欺瞞である」といっている。確かに先にチラと述べたように、相撲業界自体に、外国人力士を受け入れなければ相撲そのものが興行として成立しない、品格ウンヌンよりまず強い力士に育ててとっとと上位へ進出してもらわないことには、盛り上がらない…などという側面がある。つまり朝青龍という若者を粗野粗暴なモンスターにしたて上げたのは、他ならぬ相撲業界である、という考え方だ。それはその通りで、興行として、ビジネスとしての相撲というものを考えると、ヒールとしての朝青龍の存在は今や欠かせないことも事実だろう。だが、「だからといって、大相撲である以上(あるいは人としても)、間違っていることを、間違っていると言うこと」を非難するというのはなにごとか? いいことと悪いこと、正しいことと間違っていることの区別がつかんか? 逆説的に朝青龍を認め礼賛すると一件カッコいいかのように思えるオツム構造ってどうなってんだ? じゃあ犯罪がなければ警察が成り立たないか? 脳みそ取り出してよぉく洗濯しろ。ひだひだの間に汚れ溜まってっから、そこんとこよぉくもみ洗いしとけ馬鹿。

今場所後、おそらくもう一人のモンゴル人力士が誕生する。白鵬であるが、こちらの若者の方がまだマシ…と思ってたら、場所前に朝青龍ばりの稽古という名の暴行を働いたそうだ。場所は大島部屋だったそうだが、大島親方(元大関の旭国)が注意しても、その後「全然気にしない」と平気の平左だったらしい。旭国はかつて小兵ながら元祖「技のデパート」と言われた名大関だった。真摯に学べばさまざまなことを教えてもらえるはずである。だがこのモンゴル人の若者は、相手が「元大関」ということでナメてるのか、耳を貸そうとしないようだ。白鵬の父親はかつてモンゴル相撲の大横綱で、今も国民の尊敬を集めている存在だそうだ。ならば親から学べ。いや、ダメか、モンゴル相撲と日本の相撲は「道」が違う。
今後の相撲界、あと何場所我慢して見続けていられるだろうか。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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