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2007-06-28(Thu)

能登へ行く 2

6月28日(木)
朝7時過ぎに起床。ホテルのバイキングで朝食。チェックアウトして、タクシーで二条烏丸の「松栄堂」へ行く。
松栄堂は有名なお香の老舗だが、連れ合いが前に訪れた際に買ったのと同じ、黒檀の香入れと袋入りの香を買う。これは今月誕生日を迎える俺の母親へのプレゼント。
俺も連れ合いも、昔からオバハンの、最近だと若い人が量をわきまえずに大量につける「ド香水の悪臭」が嫌いでしょうがない。黒檀の香入れは3,4cmの手のひらにすっぽり入る小さなもので、中央のフタを開けて中に香を入れ、横についている小さなフタを開けて、少量の香をぱっと自分にふりかけたり、匂いを嗅いだりするのだ。上品で繊細な香りが心地よく、道具としても使い込むうちに味が出る逸品なのだが、全部で3600円ほどと非常にリーズナブルでもある。
連れも友人へのおみやげに別な香袋をいくつか買い、外に出る。外はうす曇で汗がじんわりにじむくらい暑くなってきた。

京都国際マンガミュージアム烏丸通りのはす向かいには、連れの勤務する京都精華大学が設立から全面協力した、「京都国際マンガミュージアム」がある。俺は初めてなので、ちょっとだけ覗いてみることにする。
連れ合い(やまだ紫先生)は精華大の職員証があるのでタダだが、俺は500円の入場券を買って入った。この建物は歴史のある旧・龍池小学校を改築して作った、趣のあるものだ。都会の若い人にはピンと来ないだろうが、俺らくらいの年齢、あるいは田舎の古い学校を経験した人ならかなり懐かしい建物だろう。外観や中を改装してミュージアムにしてあるのだが、基本的にペンキを塗り替えたり展示用に若干手が加えられたりしてはいるが、学校そのものという風情は変わっていない。

展示の方はというと、どちらかというとコミックそのものを「読む」ということに主眼を置いてある感じで、展示という側面から見るとやや薄い感じがした。またメジャーな少年・少女漫画の品揃えは圧巻ながら、サブカル系、ガロ系はほとんど見られないのも残念といえば残念。
しかし訪れる客は五十音順の作家別にズラリとマンガが揃えられた本棚を見るだけで圧倒されている様子だ。実際「読む」ことには非常に寛容で、その辺の椅子に座ってお目当てのコミックを読んだり、校庭だった(?)庭には綺麗に芝生が植えられていて、そこへ転がって読んでもいいという。芝生は「入るな」ではなく、座ったり転がったりするものだと思っていたので、これは非常にいい試みだと思った。もっともこの日は陽射しが強烈だったので、誰も芝生の上にはいなかったが。

日本のマンガに興味があるのか、白人の若い女の子二人も入場していた。ちょうど俺たちと同じ順路で歩いていたので何とはなしについていく形になったのだが、今ひとつピンと来ていない感じの様子である。結局彼女らは足早に俺たちより先に出て、売店を見ていた。
そこにあるフィギュアやグッズを見て明らかにテンションが変わっていたので、どうも日本のアニメやゲーム、オタク的なものに興味があったらしく、ここでは期待したものは得られなかったようすだ。秋葉原の方がこういう子らには楽しいだろうな、と思う。

そんなこんなで外に出て、ミュージアムに併設されているカフェで一休みすると、壁には訪れた漫画家たちのイラストとサインが直筆で描かれている。ちばてつや先生のものがひときわ大きく目を引き、モンキー・パンチ先生のものもあった。連れ合いの大学で同僚になるさそうあきらさんのもあったので、俺は連れ合いに「あなたも描きなよ」と促す。記念になるしずっと残るから、と再三言うのだが、連れ合いは「いいよ」と遠慮している。
まあ自分で「私漫画家なので描かせてください」というのも変というかトホホ感がしないでもない。じゃあ名刺見せて俺が「あの人精華大の教授で漫画家なんです」といえばいいじゃんと言うが、連れ合いは自分の名刺すら持ち歩いていない、じゃあ、ええと…と言っているうちに連れの目が「もういいから」になったので、結局こういうことを画策すること自体が馬鹿馬鹿しくなってやめる。

東寺の五重塔その後烏丸通りでタクシーを拾い、和倉温泉行きの特急までは時間があるから東寺へ行こうということにした。実は東寺は前回俺が京都へ来た際に行く予定だったのだけど、体調を崩し急遽帰ることになったので、見られなかったのだ。

タクシーで東寺の正門前に12時前に乗りつけ、入園料を払って中に入る。「不二桜」というしだれ桜のある庭園を歩き、重要文化財・国宝・五重塔へ向かう。
修学旅行とおぼしき男女数人の中学生がチラホラいるが、数が少ないので静かなものだ。京都を歩くならシーズンオフに限る、かも知れない。写真を撮ったりしつつ、境内を歩く。うす曇りながら気温は高く、汗がにじんでくる。若い修行僧が五人連れで各建物を巡ってはお経を読んで去って行く。きっちりと列をなし、直角に角を曲がったりするのが面白い。
俺たちは名刹とか名所というところも行くけれど、普段東京でも小さな神社や寺巡りも好きなので、京都という街はあちこちにそういうものがあって楽しい。

一通りゆっくり廻って、駅まで歩くかと思ったが、暑いし俺の足のこともあるのでタクシーで八条口まで行ってもらう。運ちゃんも「近いように見えるんですけど、歩くとけっこうあるんですよね」と言っていた。
京都駅八条口からエレベータで上へ上がり、売店で連れ合いがキューピーやらを、俺は茶や週刊誌などを買って、0番ホームのベンチに座って電車を待つ。電車は大阪から来る特急サンダーバード21号、13時10分発。まだ30分以上あるのでホームで週刊誌を読む。やがて来た電車に乗り込み、和倉温泉まで3時間半近い旅だ。電車は比較的空いており、特に金沢あたりではかなりの客が降りた。なので座席を回転させて、二人で前の席に足を乗せるとこの上なく気持ちがいい。足を畳んで座っているのと、延ばしているのとでは全く快適度が違う。まあマナー上いいとはいえないが、客もほとんどいないのでよかろう、ということにする。

和倉温泉には4時半ころ到着。曇り空で、予報では夜半から大雨だそうだ。日ごろの行いか…。マイクロバスでホテルの人が宿泊先である「多田屋」と書いた垂れ幕を持って待っていたので、乗せてもらう。俺たちのほかにこの電車で着いたのは老人の男1女2という客一組だけだった。
旅館は5,6分で和倉温泉の温泉街を割りと奥の方まで進み、目指す多田屋に到着。お出迎えに接待さんたちが並んでお辞儀をしてくれるが、女将、若女将のような人は出てこなかった。チェックインして、さっそく部屋まで案内してもらって茶菓子と茶を出してもらい、接待さんにいろいろ説明していただく。
あの、今年3月に能登地方を襲った能登半島沖地震のダメージは、もちろん人や建物、インフラなどへの実害も大きかったそうだが、和倉温泉の場合は実際の被害に加えて「風評による被害」も大きかったという。とにかく宿泊予定のキャンセルが相次ぎ、一時は温泉街の存亡の危機さえ感じたという。

実はこの多田屋さんのことは、フジテレビ系で6月10日に放送された、「ザ・ノンフィクション」という番組の「花嫁のれん物語 〜地震に負けるな能登半島〜」を見て知った。首都圏で看護婦さんをしていたという女性が結ばれたのは能登半島の老舗旅館の若旦那。嫁いだ先が今回宿泊した多田屋というわけである。この女性は現在「若女将」として元気に若旦那を助け、旅館経営に奔走しているが、こういった顛末は若女将のブログ「能登ノート」なんかにも書かれていて面白いが、やはりブログというあたり「今時」の若女将だなあと思う。
ちなみに多田屋さんのWEBサイトは非常によく出来ていて、旅館への営業効果も上々らしいが、いきなりフラッシュで音楽が流れるので要注意。仕事中に職場からアクセスとかすると慌てますぜ旦那。

部屋より能登湾を望むさて我々が泊まる部屋はフンパツしたので広くて立派で、ベランダには専用ジャグジー付きという豪勢な部屋である。何せ500円玉貯金箱を一杯にして、30万円を貯めたのだ! 一生に一度の贅沢をとフンパツしたので、もちろん人生で初めてのことだ。いや一生に一度と言わず、また来れるように頑張ろうよと話しつつ、着替えて夕飯前に風呂へ行く。
旅館は能登湾に面していて、ホテルはフロント前の道路から入ったところが3階になり、大浴場は1階、つまり海の際に建てられているから、湯船に漬かると海が目の前に広がるという素晴らしいロケーション。大浴場で体を洗って漬かったあと、さらにそこから露天風呂へ出る。すると能登湾に向かって一人用の甕(かめ)のお風呂が3つあって、その先端の甕に漬かって海を眺める。曇り空だが、能登湾に日が沈んで行く前、なんと素晴らしい景色、何という心地よさだろうか。思わず「生きてて良かった〜」とコトバが漏れる。
俺が入ったときに入れ違いで、さっき駅から一緒に来た年寄り3人組の爺さんが出て行ったのだが、その後は広い風呂全部が俺一人の貸切である。実に快適だった。

風呂を終えて部屋で連れ合いとしばらく「風呂、良かったねえ」と話していると、夕飯は6時半からとお願いしていたので、接待さんが支度を始めてくれる。何せ料理が多くしかも豪華で、食べきれないほど。肉料理がなかったのが意外だったが、やはり海の幸が豊富で新鮮、実に美味。連れ合いは酒を少々、俺も瓶ビールを数本飲んでしまった。尿酸値が…と言いつつビール飲んでうまいもん食っていいのかと思うが、こんな贅沢は一生に一度だと思い、堪能することにした。

思えば若い頃からずっと貧乏暮らしであった。ずいぶん周りの人にも助けていただいた。連れも不安定な職業であるし、とにかく頑張ってきたから病気の連続だった。さらに今ではお互いに病を得た体となった。
そんな「自分の人生の終わり」がぼんやりと見えてきたこの時期に、ようやくささやかな贅沢が体験できた。命の洗濯というが、ほんとうに寿命が延びる思いがした。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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