--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2007-07-23(Mon)

「変化なし」という奇跡

7月23日(月)
夕べは2時過ぎに寝たがなかなか寝付けず、朝は6時前から目が覚めてうとうと。7時に一度起きかけたが再び寝てしまい、目覚しの音で7時20分に完全に起床。連れ合いはまだ寝ていたので起こさぬよう支度をして、7時40分くらいに出る。外はどんより曇り空だが、携帯の「お天気アイコン」は<曇り後雨>なので傘は持たずに出る。何か忘れているような気がして階段で2階へ降りたあたりで立ち止まり、(マスクだ!)と思い出して戻って鍵を開け、玄関に下げてあるマスク入れからマスクを取り出し、ポケットへ入れて再び施錠して出る。
17号でタクシーを待つと5分ほどで空車が来たので乗り込み、病院へ向かってもらう。今日の渋滞はそれほどキツくなく、スムースに小豆沢まで出られた。そこから環七までがノロノロ…なのだがもう慣れたもの。運転手さんが気を使って「すみませんね、渋滞みたいで…」と恐縮するが運ちゃんのせいではないし「いえ、いつもここはこうですからねえ」と話す。
病院へは8時30分ちょい過ぎたあたりに到着、内科受付で連絡表を貰って地下の採血受付へ。14番。5分ほどですぐ呼ばれて3本採血。針が刺されて試験管にターッと血が流れ込んでいくのをいつものようにぢっと見る。診察予約時間は10時45分なので、1時間半以上ある。その後いったん外へ出るが、湿度が高く蒸し暑いので引き返し、地下のスタバでソーセージパイとアイスラテのトールで朝食がわり。外の椅子に座ってゆっくり食べるが、そこはタクシー乗り場。アイドリングの排気ガスが充満しているので、パンを食べ終わるとすぐ中へ入り、しばらく携帯ゲームで時間を潰す。それも飽きて上のロビーの椅子へ移動。テレビを見るがイヤホンを忘れたので画面のみ。さっぱり内容が解らないのでやめて、売店へ。京都の寺社めぐりの新書があったが、ブ厚くて上下2冊あるので、またにしようと他を物色、何もなくそのまままた引き返す。結局内科の受付前の椅子に座ってウトウト。毎回採血〜診察時間まで最低でも1時間はあるので、ここの過ごし方を考えないと…と思うが朝はバタバタして忘れるのだ。
ウトウトとはいっても、目の前はひっきりなしに患者やナースが行き交い、「○○さん、○科○番へお入りくださ〜い」というアナウンスが流れてるので浅〜い眠り寸前という感じ。すぐ近くに大口開けて寝ている爺さんがいたが、あれは耳が遠いせいだろうか。病院というところはそれにしても、老若男女、深刻な人もいれば軽い人もいるし、人生の縮図のようなところだなあと思う。健康な時には全く縁のないところで、若い頃は存在さえ意識せずに過ごしていたことさえあった。それが今では…と思うと溜息が出る。
10時40分になり、診察室前に移動して待つと、時間きっかりに名前が呼ばれたので入る。U先生「どうですか、変化ありましたか?」と言うのでまた「いえ、全然…」と話す。前回高かった尿酸値(UA)は4.2mg/dℓと正常値に戻っていた。なので薬が効いたわけなのだが、これは薬のせいで下がったと考えられるので、もうしばらく続けてみて様子を見ましょう、ということ。つまり病気のせいで高くなっていたのなら問題、というわけなのだ。白血球数(WBC)は相変わらず低く、今回も1200。好中球数が51%あるので重篤な感染の危険まではいかないが、これが下がる傾向に向かっているとまずい。血小板数(PLT)は88と過去最低レベル。血が止まりにくい…はずだが今のところ採血の痕もすぐ止まったし、歯茎や鼻粘膜からの出血も幸いなし。
で、「実はですね…」と京都行きの話を切り出す。これこれこういう理由で、秋からでも京都へ引っ越すようになると思う。だが自分としては、こちらさえ許してもらえれば、今の月に一度という診察を例えば一ヶ月半に一度あるいは二ヶ月というスパンにして、引き続いて見てもらいたい。ずっと経過を見ていただいており、細かい変化や体質も含め、数字だけではない自分の状態をよく把握していただいているわけだから、新しいところに通うよりは、新幹線を使ってでもこちらへ通う方が自分としてはいいのだが…という話をする。
U先生は新幹線で通うとなると大変だし、体に負担もかかる。京都へ移るというのであれば、向こうの病院へかかった方がいいだろうし、そのために必要なカルテや治療経過の情報は全て渡せる、また細胞の標本もあるので、必要とあれば貸与も出来る…ということ。確かにこの2年、俺の状態はほぼ横ばいで推移してきた。幸いにして癌の進行は「極めて緩やか」というレベルではある。だがそれはあくまで「幸いにして」であり、この1年が横ばいだったから、次の1年もそうだという保証はできない。なので1年前の状態が今にして思えば「2ヶ月に1度でも良かったかも知れない」が、だからといって今後そうしましょう、にはならないのだ。

ともかく、3月にやって以来MARK(骨髄穿刺)もやっていないので、とりあえず向こうへ行く前に一通り検査はやっておきましょう、ということになる。13日にMARK、レントゲン、CTをやって、27日にその結果も含めてその後のことを改めて相談しましょう、ということ。
実はU先生は俺の採血の結果を毎回「けっこうドキドキしながら見てるんですよ」とのこと。この病気つまり癌というのは、大人しくしていること自体が異常なことだ。いや、奇跡的と言いかえたい。進行があるのが当り前で、くすぶり、落ち着いている今の状態がどれだけありがたいことか、を改めて思い知った。そうか、そうだよなあ。このまま何となく1年、3年、5年…なんて行くかも知れないと思っていたが、それは奇跡の上に奇跡がずっと続く、ということなのかも知れない。
口腔を見てもらい、首周辺のリンパ節も診ていただくが、相変わらず変化はなく、腫脹はむしろ小さくなっているほどだという。問題は親玉である脾臓の腫大だ。「巨脾」というレベルに達している肥大化した脾臓だが、これが前回と比べどれくらい大きくなっているか、あるいは変化なくあるのか、それも含めて検査でわかる。

自分の状態がいつ悪化してもおかしくなく、悪化がすなわち入院と抗癌剤投与を意味し、その治療が回復には直結しない、という「現実」を思い知った。

帰りは薬局で処方されたサロベール錠100mgを35日分受け取り、バスで赤羽まで出る。パンとヨーグルトなどを買い、タクシーで12時半ころ帰宅。連れ合いは京都へ行く前に歯医者の総仕上げをやってもらうので、2時に出かける支度をしていた。早いな、と思ったら1時間間違えていたという。今日の経過を話し合うが、今の「無治療・様子見」という状態がいつまでも継続するという楽観的な考えは、とりあえず非常に楽観的であるということを再確認。しかし悲観的になってもしょうがない。今まで、不思議な流れでここまで来ている。きっとこのまま流れに任せていれば、悪い方向へは行くまい。少なくとも、この空気が悪く騒音粉塵悪臭さまざまなストレスだらけの住環境より、京都の一乗寺が悪いわけがない。いい環境に変われば、気持ちも変わるし、それは免疫にもいい。悲観的より楽観的の方が体にも精神にもいいことなのだ。
せっかく京都なんて、人も羨むいいところへ引っ越すことになった。この流れを素直に喜び、全てを前向きに考えよう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。