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2007-08-13(Mon)

骨髄穿刺、レントゲン、CT。

前の晩は2時過ぎに床に就いたが、検査のことや病気の進行のことなどを考えると眠れなくなり、ようやくうとうと出来たのは4時過ぎ。すぐに朝になり、7時前には目が覚めて朦朧としたまま布団に横たわる。いつものことだが、体の下側は汗でぐっしょりだ。季節がら…ではなく、この病気の典型的な症状の一つでもある。

先々週の週末から、実は右の下腹部に原因不明の痛みが生じて困った。普通に座ったりソファに仰向けになっていたりする分には痛みはほとんどないのだが、腹筋に力を入れたり、体を起こそうとしたり立ち上がったりする際に右足に力が入ると、足の付け根のやや上がズキン! と痛んだ。この日は朝連れ合いが発熱したり、こちらは腹が痛いのだけど前もって約束していた仕事の打ち合わせに出なくてはならなかったりと往生した。
この日(8/3・金)はその後、夜になるにつれて痛みが強くなってきた。横になってると普通で痛みさえないものの、やはり起き上がり、特に右足や腹筋に力を入れるとズドン、という感じで強い痛みがある。俺の場合脾臓が巨大化して他の臓器を圧迫しているから、胃や腸の機能が衰えているということは考えられるし、単に便がつかえていて、大腸の上行結腸あたりにその痛みがあるのならいいのだが、ちょっとこんな感じは初めてだ。連れ合いが心配して病院へ連絡しようと言うが、「明日になれば治るよ」と、とりあえず残っていたボルタレン(強い鎮痛剤)を飲んで横になっていた。その後横になっていると痛みがないので、ついついヨイショと起き上がろうとすると、激痛が一瞬走る。そのため起きるのが怖いほどだった。そろりそろりと体制を変えたりして過ごしたが、上腹部には異常も痛みもないので、普通に腹が減る。なので寝る前に冷凍のうどんを温めて食べた。翌日は荒川の板橋花火大会で、連れの次女Yちゃんが子供のM・S姉妹を連れて見に来たが、俺はソファに転がったままだった。

…この痛みは翌週7日まで、3日の夜をピークに徐々に薄れていき、今に至っている。今回の痛みの原因は不明だが、恐らく今日のマルクやCT、レントゲンの所見で何かが判るのだろう。先日の原因不明の下腹部痛の前と後で何が違うかというと、圧倒的に腹の張りが変わった。その前は端から見ればメタボった中年太りの太鼓腹に見えるだろうが、本人は時間をかけて徐々に脾臓が腫れてきたので慣れてしまい、別段それほど苦痛を感じずに日常を送ることが出来ていた。だが先日の痛みの後は、腹の、脾臓の存在感が全然違う。グッと増した感がある。つまり、これは進行……と考えると背筋が寒くなる。いずれにしても今日の検査結果で、何かが、判るだろう。

今朝はそのまま8時前に起きた後、朝食も昼食も抜くように言われていたので、水だけをガブガブと飲んだ。汗をかくので水分補給は大事だし、空腹を紛らわす意味もある。テレビのワイドショーをつけて転がって見ていると、しばらくして連れ合いも起きてくる。一緒に行くと行っていたが、何せ暑いし俺の予定は午前中MARK(骨髄穿刺検査)をやったあと、午後1時40分からレントゲンと造影剤を使ったCT撮影だ。その間の待ち時間などを考えると、二人で行っても結局大部分は一人で待ってることになるからと、俺一人で行くことにする。
MARKは11時までに入ればいいのだが、とにかく痛い痛〜い検査なのでとっとと済ませたくて気が急く。10時前には着替えて家を出た。外は曇天ながら気温が高く、すでに30度を超えたかという暑さ。幸いタクシーがすぐに通りかかったので、日大病院まで行ってもらう。今日はお盆なので都内はスイスイだろう…と思ったが、通常よりやや空いているという感じ。
病院に着くと、外来受付周辺は意外に大混雑。お盆休み中だから病院も空いてると思ったのだが、逆にここぞとばかりに押し寄せているのだろうか。ここぞと、って何だかよく解らんが。内科受付へ着くと10時20分くらい。5分ほどして処置室前で待てと言われて処置室前へ移動。10分ちょっと待たされて、呼ばれて処置室の中に入る。MARKをやるベッドは決まってるのか、いつも同じ場所だ。ベルトを外し、財布と携帯電話をカゴに置いて、ズボンをちょっと下げ気味にして仰向けになって待つ。そのうち眠くなってきたので目を閉じるが、周りは「点滴終わりましたぁ」という老人の叫び声や看護婦さん、医師の慌しい動きで野戦病院みたい。そうこうしていると、10時45分頃に血液膠原病内科の男性医師が来て、MARKを開始。
今回は骨髄生検もあるので、通常の吸引に比べて物凄く痛い「2回目」があるので憂鬱だ。半ケツ状態で左横臥位となり、いつもは右側の腸骨から取っているので、今回は左、つまり横臥している下側の腸骨を穿(うが)つことになった。念入りに消毒されたあと、「麻酔しますね」という声と共にブスリと麻酔の針が刺さる。この痛みだけは避けようがない。何箇所かに麻酔をされ、患部をよく揉んで麻酔が効くまで待ち、いよいよ極太針が突き立てられるというわけだ。
ブツリ、という感じで針が皮膚を貫くのがわかる。痛いですか、大丈夫です、を繰り返しつつ、グリグリと今度は骨の内部に針が入っていく。このねじり入れられるような感覚は一般の「痛み」というよりは鈍く嫌ぁ〜な不快感。つまりはまさしく骨が穿たれる感覚だから、普通の人には解るまい。もう6,7回目になると思うが、何回やっても不快なものである。
まず通常の検査のための吸引が行われ、これは「1,2,3」でグイィィンと骨の中が引っ張られるような感覚。ベッドのパイプをグイと握って耐える。うまく取れたようでホッとしたのもつかの間、次は「今度は骨を取ります、ちょっと痛いですが頑張ってください」と言われ、いよいよ骨髄が抜き取られる。これがまた痛いのなんの。一度グリグリとやられたところからはうまく取れなかったということで、別な場所にもう一度麻酔の上、吸引される。「あぅうううぐぐぐ!」と声にならないうめき声が出る。何とかうまく取れたようで、止血され、小さなクッションを下に敷き、仰向けになって血が止まるまで30分の安静。看護婦さんがタイマーをかけて去っていき、ホッと一息。
30分後、タイマーが鳴って看護婦さんが傷を見に来るが、「まだちょっとじわじわ出てますねえ」と言い、あと15分追加。前までは30分の止血で止まってたんだがなあ。やっぱり血小板が足らないのだろうか。15分後には止まっていたので安心、身なりを整えて礼を言って12時10分ころ処置室を出る。相変わらず病院内は混雑。さすがにいつもの月曜ほどではないにしても、お盆の最中とは思えぬ盛況ぶりだ。売店で週刊誌を買い、地下の放射線科の受付前のソファに座る。レントゲンとCTは1時40分からで、まだ1時間以上ある。ひたすら週刊誌を熟読。
俺の左手横に座っていたオッサンが前を横切る若い女の子を露骨に目で、いや首ごと追うのが視界の端に入ったので顔を上げると、「ホットパンツ」(笑)を履いて太ももも露わ、かかとの高いミュールを履いたねーちゃんがてっくてっくと目の前を横切っていった。左手のおっさんはそれを、俺の方へ90度首を曲げて見続けているのがおかしかった。しかしそのねーちゃん、俺の右手で立ち止まると、やおら携帯電話でどこかに電話し、大声で話し出した。どうやら検査待ちで時間がかかりそうでまったくウザいったらねーよ、みたいな話を誰かにしているのだが、こっちは唖然。周りの年寄り連中も呆然。受付の若い事務員の人たちは最初はチラと見ただけで自分の仕事に忙しいらしく放置していたが、別の窓口にいた病院の職員の女性が見かねて走りよってきて、「病院内は携帯電話禁止ですから!」と注意すると、「わかってるよ!」みたいな感じで空いてる方の手をひらひらとそっちへ向け、電話をそのまましばらく続けると、その後悠然と去って行った。「ごめん、ここ携帯禁止だから」とか言う言葉は最後まで無かった。ごく普通に会話を済ませただけ。ここまで無法というかバカというかどうしようもない人間を見ると、何だかモラルとかマナーとかいう言葉もどっかへフッ飛んでしまうような感じですな。
そんなこんなで1時半になったので、目の前の放射線科受付に連絡票と診察券を出す。まず目の前の1番でレントゲン、その後裏の処置室へ行き、造影剤を入れる静注のルートをあけてもらい、それからCT3番で撮影、と言われる。1番前で待っているとすぐに呼ばれ、上半身裸になって腹部を前、横の2枚撮影。その後裏へ廻り、処置室でパンツ一丁になり、術衣を着て、ルート確保をしてくれる医師の到着を待つ。隣には俺が来たとき既にルート開通待ちのオッサンが所在なげに術衣を着て座っていたが、俺も同じような格好で横に並んで待つ。10分ほどしてこちらの先生が先に到着。さっきMARKをやってくれた先生だった。右の手首にルート確保、生理食塩水の注射器とチューブをつけられ、テープで手首に固定され、CT室前の廊下で待つ。
すぐに呼ばれてCTの撮影。最初に通常の撮影、次は造影剤を入れての撮影。今回は造影剤が入るとノドの奥、ケツの穴のあたりがカーッと熱くなった。撮影もつつがなく終わり、処置室で着替えて、会計をして終わり。会計はナンと2万4千いくら、であった。左の腸骨、穿たれた腰のあたりに鈍痛がする。なのでバスはやめてタクシーに乗り、そのまま舟渡へ。あとは2週間後に東京での最後の診察となる。重篤な進行が見られなければ良いのだが…、不安はぬぐえない。
まだ死にたくない。
死ぬわけには、行かないのだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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