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2007-08-29(Wed)

入院3日目

8月29日(水)
夕べは9時消灯の後、携帯のワンセグでテレビを見ていたが、睡眠不足もあって急速に眠くなり、結局11時ころ寝た。途中点滴交換などで何度も起こされたが、まあ断続的ではあるが6時のバイタルまで比較的よく寝られた。夕べの雷雨のあとも雨が続いたようで、外はどんよりと曇っている。ニュースによると東京は11日ぶりに熱帯夜から解放されたという。それにしても東京の暑さというのは尋常ではない。異常な人口集中、クーラーの排熱、車の多さ、川をふさいでアスファルトで塗り固めた地面…いろいろな理由があるのだろうが、去年だか東京湾周辺にやれウオーターフロントだかベイエリアだかと騒いでビルをにょきにょき建てた結果、海からの風が遮られていることも都心部の気温が下がらない一つの要因である…という検証を何かの番組で見た。年配の人に聞くと、昔は夜になると涼しい風が東京湾の方からかなり内陸の方まで吹いてきて、夕方に打ち水でもすればじゅうぶんクーラー無しでも寝られたという。ていうかクーラーがないから排熱もないわけで、今はその逆なわけで、つまりは全てが悪い方へ悪い方へと循環しているのだろう。

ナースがきて今日の日中「朝9時から明日の朝9時まで、尿をトイレに置く大瓶に溜めるように」とのこと。「24時間クレアチニンクリアランス(24CCR)」だそう。今まではトイレの隅の壁にある、自分の名前を押すと蓋が開く機械に尿をカップで入れていたが、明日まではその大瓶に溜めることになる。蓄尿って何か嫌なんだよなあ。
その後昼前に、空いていたドア側のベッドに60代くらいのおじさんが入ることになり、夫婦で挨拶をされた。大人しそうな人だが、所作を観察しているとけっこう無神経そうでもある。案の定、安静時間の静寂をパリパリと新聞をめくる音で切り裂き、ベッドの上でピッピピッピと音をたてて携帯を操作している。ああ、また気にし出すと気になってしょうがないんだよなあ…と思う、しかし相部屋なのでしょうがない。
あの年代の人たちは悪気があるわけではもちろんなく、単に耳が遠いだけだったりする。さらに、カーテンでベッドの周囲をぐるりと囲んであるから、何となく個室ぽい意識になっていたりするのだろう。カーテンで遮蔽といっても、実はタオルよりも薄い布地一枚を吊り下げているだけなので、実際は10畳くらいの部屋にベッドが3つあって、男たちが同居しているわけだ。狭い部屋に3人とはいえ、集団で生活しているという意識をそれこそ「意識的に」持たぬ限り、自分が他の人の安寧を乱しているのではないか、という配慮は生まれないわけである。
よく闘病記の類を癌宣告の直後は見たものだったが、「話し相手のいる相部屋の方が精神的に楽だ」とか「気が紛れていい」という人がけっこう多いので驚いた。
俺は細胞検査のためにリンパ節を切除する際、その後の抗癌治療の際(結果的にやらなかったが)に続いて3度目の入院だが、連れ合いは一緒になった20年以上前から、それこそ数え切れないほど入院を経験している。その都度訴えられたのは、同室の患者の無神経な振る舞いや騒音であった。もちろん医師や看護婦の心ない言動に対する不満もあったけれど、ほとんどが「望んだわけでもなく、見ず知らずの、それも健康で社会におれば絶対に付き合いたくもない人たちとの24時間強制同居」という状態への不満だった。当り前だと思う。そういう状態を「楽しむ」ということは、一件ズ太く逞しいと映るかも知れないし、自分もそうありたいと思ったこともある。だがそれは単に無神経・鈍感に共感しているだけではないか、とも思うのだ。
いずれにしても、俺には無理だ。
なぜかというと、俺が世の中で最も嫌いな人種が「無神経で大雑把で鈍感な人間」だからである。

さてどうせ同室の患者さんたちが昼飯を食う時間というのは、食欲があれど禁止されている状態には苦痛である。どうせ飯も出ないし…というか禁止されているので、12時の点滴交換時にシャワーを申し込んでおいた。点滴が終わったらいったん外してもらって…と思ってたら、MRIに呼ばれてしまう。地下のMRI室の前へ行き呼び鈴を押すと、男の技師が来たので腕時計と診察券を預けて、あとは前の人の終了待ち。10分以上待っているうちに点滴が切れそうなので技師に「大丈夫ですかね」と聞くと「大丈夫でしょう」なんて軽く言われる。だが残り少ない点滴の輸液はみるみる減ってきている。ハラハラしながら見ているとようやく俺の番になったので入り、マスクとメガネを預け、台に仰向けに。「息を吸って、止めて〜」の無呼吸状態が20秒間とかなり長く、それが十数回セットあって、けっこう大変な検査だった。そういえばMRIは初めてだ。それに機械の中に入ると、その1セットの間は無音で、ついついウトウトしかかるのだが、すると突然ブザー音のようなものがかなりデカく鳴る。まるでドッキリのような大音声で鳴るので、これがまた心臓に悪い。ビクリとして体を起こしそうになったり、大変だった。
それやこれやで病室に戻ると1時。ちょうど昼飯の時間が終わっていたが、廊下には食べ残しのいい匂いが漂っている。畜生さすがに腹減ったなあと思いつつ看護婦さんに腕の点滴ルートをラップで巻いてもらい、連れが買っておいてくれたバスタオルと着替えを持ってシャワー室へ…と思ったらシャンプーもボディソープも何も持ってなかった。また着替えて売店へ下りるのも面倒だったので、引き返して手洗いの泡ソープを持ち、小走りでシャワーへ。その泡で頭や体を洗う。あとは湯には漬からずシャワーだけだったが、気持ち良かった。
その後はテレビ見ながらウトウトしたりしてるうちにアッという間に夕方になる。コワモテOさんの奥さんが来てご飯になりそうだったので、談話室へ退散。もうこの頃には腹が減って腹が減って辛いので、他人のご飯の音や匂いが耐えられないのだ。談話室のテレビを見てると連れ合いのお姉さんからメール。今日は義姉が連れを誘って買い物に出て、そのまま家で二人で晩御飯を食べたそうだが、ケーキみたいなパンの画像が添付で送られてくる。こ、この空腹の極限に! と思い俺の方は不機嫌な顔を自画撮りして送り返す。向こうは爆笑したらしい。クソ。
義姉は連れが俺の入院で疲れたり落ち込んでないか、心配して様子を見に来てくれたのだろう。いつも心配かけて申し訳ないです。談話室でそんなやり取りをメールしていると、左のわき腹がボコ、ボコという感じで動き、痛みが出てきた。何だろう、こっちは脾臓なのに…と思い立ち上がると便意だった。そうか、久しぶりなので忘れてた。部屋へ戻ると片足が義肢で車椅子のOさんに奥さんが付き添いでトイレに入っており、慌てて引き返してエレベータ手前の一般用トイレに入って用を足す。久しぶりの便も黄色かった。明るい蛍光灯の下で見ると、なるほど自分の肌は黄色いように見える。ビリルビンの色なのだなあ。
その後部屋に戻ると7時過ぎにA先生が来て、今日のMRIの結果がまだ届いてないので、明日になるということと、もし胆道に石があれば内視鏡で取る、なくても検査だけやる・やらないなど、どのみち相談する内視鏡担当の医師が明日いないので、明日に結論は出せないという。俺の場合まだ黄疸もあるし肝機能障害も残ってるから、石がなかったからといって即退院というわけにはいかないということである。それは俺も覚悟していた、何せまだ尿はかなり黄色いし、皮膚の質感もひどいのが自分でわかる。引越が迫り気は焦るが、焦ったところでどうしようもないのだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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