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2007-09-01(Sat)

入院6日目・一時外出

9月1日(土)
夕べはいったん寝ようとするが、なぜか眠れずに12時頃まで悶々とした。ようやくウトウトしかけると隣のKさんがやかましい。点滴のせいか40分置きくらいにトイレに立ち、そのたびに歩く音はバタバタ、トイレのドアは惰性で閉めるのでバターンガターン! 手洗いの水さえ乱暴に出すという本当に大雑把かつ無神経ぶり。人が寝ている時間だから…という配慮もヘチマも全くない、これだけ粗雑な人間がしかも60過ぎと思える年齢でいるとは、腹が立つよりも呆れてしまう。叩き起こされるたびに何度か本気で怒鳴りたくなったが、「このオヤジは抗癌剤使ってんだし、可哀想なんだ」と言い聞かせて寝ようとする。そういや俺も癌なんだが。ベッドに戻ってからも咳払いや寝返りをうつたびに低音の「うん」とか「ああ」とか自分の家のように大声を出すので、そのたびに寝かけているこちらはドキッとして目が覚める。耳栓なんか何の役にも立たないことが解った。それでも向こうがようやく眠ったらしく静かになったのでこちらもようやく寝られると思ったら今度はイビキである。落語か、と思いベッドの上で思わず笑ってしまった。
2時ころにまた隣のKさんがトイレに立つ騒音で叩き起こされるに至り、こちらもトイレに立ち、同じような音をたててやろうかとも思ったが、向かいのOさんは寝ているし、俺にそもそも夜中に迷惑な騒音を立てるという行為が出来る回路そのものがない。毎回そうしているようにそっとドアを開閉して機械へ尿を入れ、再びそっとドアを開閉して、手洗いも水の下にあらかじめ手を添えて音を少なくして済ませる。そうして忍足でベッドに戻る。こういうごく普通の、「配慮」とも言えない常識的な行動をなぜいい大人、ジジィが出来ねえんだ?
【ここからは10月29日記】
…とまあこう書くといつも俺がカンカンの怒ってばかりいると思われるかも知れないが、そんなわけはない。世の中には表層的にしかモノを見れない薄っぺらい人間が多くて、中には
「そんなに怒ってばかりいるから病気になるのだ」
と真顔で言ったり書いてくる知能の人間が本当に存在するので、困ってしまう(本当の話である)。むしろそういう浅薄な人間の無神経な言動にこそ、俺は本気で腹を立てるのだ。だいたい病室で同室のオッサンがうるさいとか、そんな程度で発狂寸前まで日常腹立ててたらキ○ガイだよ。間違ってることに「それは違うだろう」という自分の意見なり感情を表すことで、俺という人間の存在する意味がある。何も意見も主張もせず、ただ漫然と暮らし、与えられるものだけを受け取り、何の疑問もなく生きているだけならば、それはそれはさぞかしストレスも何も感じないだろう。そう、ストレスは多くの病気の根源でもあるから、病気にもならんだろう。だからある一面、「お前は怒ってばかりいるから病気=癌になるのだ」という指摘もその意味では正しい。
だが俺は俺のこれまでの生き様、何をしてきたか、そうして本当は何に怒っているのかを知りもせずに、知ろうともせずに、薄っぺらいアタマに知性のかけらもない死んだ目をし、優れた表現に触れようともせず、無根拠に自分を高いところへ置き、ノホホ〜ンと生きているような馬鹿者から、そんな指摘を受けたくはないだけだ。だいたいそのデフォルトでの「上から目線」って、その論拠は何なのかが理解不能だ。お前はどういう人生を送り、俺の何を知っているのだ? お前は何をなしたのだ? これまで何を読み、何に感動し、触れ、何に怒り、感謝し、悲しみ、生きてきたのか? 俺に「説教」を垂れる前に、己の人生を振り返り、真摯に、そして謙虚に反省をしろこの大馬鹿者。(このことにはマジで怒っている)【ここまで】



そんなこんなで目が冴えてしまい、寝ようとするが、またもや隣のKさんがとにかくやかましい。こないだなんか俺たちがいるのに小声とはいえベッドで歌を歌いやがったからなあ…。とにかく耳栓を突き抜けて聞こえてくるので、そのたびにウトウトが妨げられて心臓に悪い。とても寝られず、ワンセグをつけてやってた朝まで生テレビの音声を片方の耳に突っ込んで、騒音を消す。しかし聞いてるうちにますます頭が冴えてしまう、当り前だ、騒音が消されるくらいの音量で聴いてるわけだからである。で結局3時過ぎまで寝られずに悶々としていた。次に目が覚めると4時、次は5時、そして最後は6時だった。
6時だなあと思うと間もなく看護婦がバイタル測定と採血に来る。「よく寝られました?」と聞かれたので血圧を測られながら思わず笑ってしまった。その間、Kさんは隣で高いびき。よほどベッドを蹴飛ばしてやろうかと思ったが、看護婦さんが小声で「今日退院ですから」とのこと。もうコイツの騒音からは解放されるんだな、と思い最後の我慢をする。その後は洗顔して、ナースステーション前の体重計で計量すると、この一週間で3kg減っていた。
その後はちょっとウトウトしかかるが、とにかく隣のオヤジのうるさいこと。向かいのコワモテOさんがよくキレないなと思うが、あの人はマイペースだと自分でも言ってたので平気なのだろう。朝食の後で、A先生が来る。まだ朝の採血の結果が出てないが、俺の腹などを触診し、全然痛みもないというと「黄疸もだいぶ無くなってきたし、恐らく大丈夫でしょう」と言ってくれる。念のため採血の数値を見てからだが、外出は大丈夫だろう。その後はMLB、SEA-TOR、シアトルが惜しい試合を落とし今季ワーストタイの7連敗を喫したのを見る。一時期は調子良かったのに、もろいチームだなあ。
その後昼飯になったのと、隣のK夫婦が退院支度をしているので談話室へ行くが、間もなくA先生がナースステーションに入ってったのがガラスに映ったので、慌てて部屋に戻る。途中廊下で件のK夫婦と鉢合わせ。しかし屈託ない笑顔で「今日いったん退院することになりました、13日にまた戻ってきますがお世話になりました」と言われる。こちらも「良かったですね、こちらこそお世話になりました」と飛び切りの笑顔で応える。13日って俺はそん時ゃいねえ、つーの。
病室に戻るとすぐA先生が来て、朝看護婦さんにお願いしてあった採血の結果のプリントアウトをくれた。「朝の採血の結果はかなり改善されてきているから、外出は問題ないでしょう」ということ。ただ肝機能の数値が改善されているとはいえ依然かなり悪いレベルなので、飲食はくれぐれもしないようにというお達し。ハイ解りましたとお礼を言って、先生が去った後すぐにこちらは残ってたクッキーをドリンクヨーグルトで流し込む。うう、欲望に弱い不良患者。
ただ自分の実感として、胆石発作は奇跡的に石が詰まることなく腸へ流れてくれ、そうして回復しているのだと解る。尿も毎回毎回、少しずつではあるが薄くなってきていて、今は普通の時にちょっと風邪でもひいたかな、という黄色レベルだ。肝臓とビリルビンの数値は確かにまだまだ平常とは呼べないレベルだが、京都から一週間ほどまともに食べていないので3kgほど痩せたせいもあるのか、腹廻りが楽になった。というか、ここ数ヵ月どうも右のわき腹から背中にかけて張りがあり、時折鈍痛がしていたのが張れが引いた感じがする。これは肝臓が張れてたのが引いてきたのか、あるいは単に太ってたのが胴回りが痩せたために楽になったのか、あるいは脾臓で普段から押されて圧迫されていたのが痩せたために圧迫の度合いが弱まって楽になったのか。いずれにせよ、胆石を抱えていた時より、今回の入院がきっかけで体の調子が良くなったのは確か。とはいえ、俺の場合はそれで健康になるわけではなく依然大変な持病があるので、これでもう心配なしとは言えないのが辛いのだが…。

12時半ころ、少し早いが着替えてノートPCなど仕事道具と着ていたパジャマを旅行カバンに詰めて、ナースステーションに声をかけて外出許可証を貰って、下に降りる。タクシーで舟渡へ向かう。外はすっかり涼しく、秋の空気だ。入院している間に季節がはっきり夏から秋へ移ってしまったように感じる。川越街道・環七・ときわ台・スパディオ付近・見次公園下・坂を上がって大原から中山道、というルートで運ちゃん裏道をクネクネ行ってくれて、1時前には家に着いた。ひさびさに猫たちをなでくりまわして、連れが買っておいてくれたドリンクヨーグルトとイチゴのジョアをゴクゴクと立て続けにイッキ飲み。
一息ついて、先に仕事を済ませてしまう。データのftp、やはり光ファイバーって素敵。速い速い。家にいた時は慣れていたからありがたみが解らなくなっていたが、ネット環境から切り離されていると、このスピードって夢のようである。ていうか、つながるだけでもありがたいのだが。本当にいい加減、病院でも無線LANスポットなどを設けてもらえないものだろうか。ftp後に取引先のKさんに電話して、一時外出したので何かあったら今のうちに電話くれと伝える。その後30分ほどして大丈夫とのこと、一安心。
それからはテレビを見ながら連れ合いと二週間後に迫った引越の段取りの話をしたり、各種連絡や手配。それやこれやでいろいろやってたらアッという間に3時半になってしまう。しょうがないねと支度をし、連れが買っておいてくれたヨーグルトとお菓子を紙袋の下に忍ばせ、その上に着替えとバスタオルを被せて、PCはバッグに戻す。ご先祖様にお線香とお水をあげて、手を合わせてから出る。
道路で空車を待つが10分ほど全然来ず往生した。どうやらここ数日のベッド暮らしで足腰がちょっと萎えてるんだろうかと思ってたらようやく空車が来て、病院まで戻る。道は空いていた。まず売店へ行って水のボトルや連れ合いの夕飯までのつなぎのパンなどを買って7階へ。ナースステーションに戻った報告をして、病室へ戻る。今日は俺が夕方まで帰ってこないと思ったのか、Oさんの奥さんがすでに病室に来ていた。夫婦二人でしっぽりやってたところへ俺らが乱入…という格好で申し訳ない感じ。俺はベッドで荷物を置くとすぐ着替え、着替え終了と同時に点滴がまたつながれて、病人へ戻る。すると看護婦が「いいお知らせがありますよ、明日の朝からご飯開始です」とのこと。思わず「やった!」と言うが、最初は重湯のような汁物からだんだんに粥になってくという。まあそれでもないよりはマシだ。その後は連れ合いとテレビを見ながらゴロゴロして、時折俺はお菓子をむさぼり食う。連れは夕飯までのつなぎに売店で買ったハムサンドパンとパック牛乳。糖尿なので、空腹期間が長くなると低血糖を起こすので危険なのである。
その後、6時を過ぎて魔の刻=夕飯になり、Oさん夫婦が仲良く食べ始めたので、連れに「もういいよ」と帰すことにし、エレベータまで一緒に行って見送った。俺はこの日記と、貰った入院してからの採血のデータを入力し、終わったら今7時13分。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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