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2007-09-02(Sun)

入院7日目・食事解禁

やっときた「食事」=流動食
9月2日(日)
夕べは隣のKさんが退院したせいか、本当に久々によく寝られた。夜10時ころには眠くなってきたので耳栓して寝たのだが、途中目が覚めたのは点滴チェックの看護婦さんが来た時くらいで、記憶にあるのは朦朧としてた4時、そしてほぼ目が覚めたのが5時。その後は6時過ぎの点滴交換までとろとろ。一人の無神経な患者がいなくなっただけで、これだけ快適に熟睡できるとは。
今日も外は曇天。俺のベッド脇のクーラーはもう数日消したままで、病室の入り口にあるクーラーは暑がりのOさんが常時「M(中)」にしているようで、体重を測って部屋に帰ってきたら寒いくらい。なのでこっそり「L(低)」に下げておいた。Oさんは6時過ぎにトイレ洗顔を済ませた後は車椅子でいつものようにどこかへ、恐らく朝の一服に降りて行ったのだろう。30分ほどすると戻ってきて、これまたいつものように缶コーヒーをプシュッとあけて飲むのが日課だが、缶コーヒーじゃタバコのにおい消えないんだけどなあ。ご本人はコーヒーでタバコの臭いを消していると思っておられるご様子で、医師やナースに言われるたびに「吸ってないよォ」なんてとぼけているが、バレバレである。
その後テレビを見てとろとろしてると8時前に看護婦のCさんが食事を持ってきてくれる。重湯、コーンスープみたいなちょっと塩味の汁に、カルピスみたいな飲料と茶という見事に「オール汁」の流動食である。これから段階を踏んで粥から常食になっていくらしい。重湯はちょっと薄く甘いだけでほぼ味がないので、ふりかけの「のりたま」をかけてスプーンで食べる。他はもうひたすら飲むだけでアッという間に完食。う〜んこれを食事と呼んでいいものだろうか?
その後10時過ぎに下の売店へ行くと、日曜ゆえか11時からとあり、そのまま引き返し、11時過ぎてからもう一度行く。重湯対策に「ごはんですよ」と髭剃り用のカミソリ、スポーツ新聞を買って戻る。外は曇り空から青空に雲が浮かぶ天気に変わり、のどかな様子だ。11時半ころうとうとしていると突然Oさんのところへ娘さんが旦那と赤ん坊を連れて見舞いに来た気配。かなりやかましかったが、Oさんが俺に配慮してくれ、すぐどこかへ出て行った。
その後12時を過ぎて昼飯が来るが、これまた流動食。ごはんですよ、のりたまで食べる。味噌汁らしきものもあるが、具も溶けているので不明。もう一つは杏仁豆腐のような固さのヨーグルトみたいなのに薄くイチゴソースみたいなのがかかったやつで、これはうまかった。あとは茶。5分かからずに完食。食、というか飲み下すだけだもんなあ。歯ごたえが欲しくて、食後はサブレなどを食う。
午後はテレビ見ていてうっかりしてたら点滴が終わっており、かなりの血が逆流。慌ててナースコール、その際看護婦のIさんに「このままシャワー浴びるから」と、いったん外してラップにくるんでもらった。今度はシャンプーもボディソープもあるので、ゆっくり髪も頭も座って洗う。パンツとタオルは一応洗ったが、考えてみりゃ干すところがない。そこは何とか出てから枕元のもの入れのタオルかけにパンツ、ベッド脇の手すりにタオルを干した。
その後はひたすらソリティアやったりテレビ見たり時間つぶし。4時ころOさんの姐さんが早くに来て、また大きな声で自分ちのように話している。さて夕飯は粥かと思ったら、またも流動食。3食汁づくしって…いじめか? 重湯、味噌汁のような汁、何か豆乳みたいな汁、そしてデザートはプリン(笑)、そして茶。あまりに汁ばかりなので、完食の後のドリンクヨーグルトさえ飲む気がしなくなった。それでも重湯はのりたま、ごはんですよでしっかり味付けして食べると、それはそれで空腹にはご馳走である。ああ、でも白米が食いたい。その後はテレビ。大学出勤のため京都に着いた連れ合い、埼玉の義姉、函館のお袋から交互にメールが来て、それぞれへの返信に忙しかった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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