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2007-09-23(Sun)

比叡山延暦寺〜釘抜地蔵〜即成院

9月23日(日)

今日は義母と義姉と比叡山延暦寺へ行く予定。連れの家の菩提寺の総本山が延暦寺だそうで、お参りしたいということだそうだ。こちらのマンションまでタクシーで10時過ぎに迎えに来るということになっているので、10時半すぎ、二人でマンション下に降りて、連れがひょいと道路へ出るとドンピシャでタクシーが来たところ。俺が前に乗り込み、母子3人が後ろに乗って、比叡山へ向かってもらう。貸切のタクシーの運転手さんは、白川通りを下りながらおもむろに「…つもる話もおありでしょうが、お話させてもらってよろしいでしょうか」ということで、下鴨・上加茂神社のいわれ、北白川あたりの住宅の様子などから始まり、いろいろと京都の寺社の話や延暦寺の歴史などを道々話してくれる。俺はもちろん延暦寺ははじめてだ。
延暦寺入口曇っていた天気も途中から晴れてきて暑そうだったが、山頂のお寺に着くと、空気は綺麗でちょっと涼しいくらい。山の空気がいい気持ちだ。

この階段は無理なので迂回


階段の上から根本中堂を見下ろす延暦寺とひとことで言っても、敷地は京都市とお隣の大津市(滋賀県)にまたがる広さで、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つの地区に分けられている。我々が歩いたのは延暦寺の総本堂にあたる「根本中堂」のある、東塔地区。観光客はシーズン外れのせいかそれほど多くはないが、それでも外人含めけっこうな数が歩いているし、修学旅行の中学生のグループもチラホラ見受けられた。さすがは天台宗の総本山である。

見事な大木、幹には雷避けの針金が巻かれている
大きな根本中堂などに感心しつつ、運転手さんのガイドを聞きながらぐるりと見る。俺は根本中堂の中で黒檀の数珠と当病平癒のお札のセットを買い、護摩木に病気平癒のご祈祷をお願いした。根本中堂の伽藍をぐるりと回って出てくるころには晴天のせいでムシっと暑くなって、汗ばむほどだった。その後周辺の見事な大木を見上げたりしつつ、車に戻る。

それから車で白川通り方面へ下りて、お昼にソバでもということになり、運転手さんが「有名ではありませんが、おいしいと思います」という白川通り手前の民家の中にある店へ連れてってくれる。確かに何ということはない店構えだ。一緒にと言ったが、運転手さんは愛妻弁当があるから外に停めて食べるというので、俺たちだけで入った。義母と義姉はせいろ、俺たち夫婦はとろろそばにした。コシがあるしっかりしたそばで、美味しかった。
食べ終わった後、二人が漬物を親戚の家へ送るのを忘れたというと、運転手さんがやはり美味しいところがあるというので、北大路を西へ走った、建勲神社(正式には「たけいさおじんじゃ」)の近くにある漬物店へ連れてってくれる。そこで漬物を試食しつつお茶をいただき、俺等もいくつか頼んだら軽く5000円オーバー、うまいけど高いわ…。

その後義母が「大徳寺の高桐院がいつ行っても素晴らしい」という話になり、俺が見たことがないというと、運ちゃんも「ぜひ見たほうがよろし」というので、行ってもらうことになった。あのJRの「そうだ、京都行こう」の素晴らしい紅葉のCMにもなった有名なお寺で、細川家の墓、出雲阿国の墓などもある、のだそうだ。

高桐院へ入る

車を停めてもらって中へ入るのだが、途中観光客とすれ違いながら歩く小路も、まだまだ青々と紅葉にはほど遠い。しかしけっこうな混雑で、紅葉の時期には身動きが出来ないほど観光客で埋まるのだという。とにかく何といってもお庭が素晴らしいので有名なのであるが、その庭を見ながら座って抹茶とお菓子をいただくことが出来た。

紅葉はまだまだ…
紅葉にはまだ全然早く、ホンの1割弱が色づいているという程度だったが、この庭はそれでもじゅうぶんに風情があって美しい。雪も、夏も、紅葉ももちろん四季それぞれに美しい顔を見せるという、なるほど素晴らしい庭だ。これは一生に一度は見ておくべきだというのが解る。その後も運転手さんの案内でほかの庭なども案内してもらう。


次は人びとの「苦を抜く」という釘抜地蔵へ行ってもらうことになる。ここで病苦を抜いてもらおうということで、中へ入ってお参りをした。
石像寺(釘抜地蔵)
この釘抜地蔵は正しくは光明遍照院石像寺(しゃくぞうじ)という浄土宗のお寺で、地元の人たちからは「くぎぬきさん」として親しまれている。浄土宗ということだが弘仁10(819)年弘法大師(空海)の開基と伝えられており、元は真言宗だったそうだ。地蔵堂に安置されている石造の地蔵菩薩立像も空海作と伝えられており、諸々の苦を抜き取るという進行から「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれていたが、それが転訛して釘抜、となったらしい。一説には手の病気に苦しむ商人の夢に地蔵菩薩が現れ、手に刺さっていた二本の恨みの釘を抜いて救ったことからそう呼ばれるようになった、ともある。境内には弘法大師三井の一つと言われる加持水もあり、またこの地は鎌倉時代初期の家人・藤原定家、家隆が住んだともいわれており、定家の墓と伝わるものもあるという。
我々が線香を買って供え、手をあわせていると、お地蔵様の手元につながる縄をつかんだり、鐘を鳴らして手を合わせてながら本堂の廻りをぐるぐる回っている人が2人ほどいる。一人は中年の女性で、もう一人は俺と同年輩か少し下くらいの男性だ。願掛けのようだがと思っていると、檀家の人か、おばちゃんが一人話しかけてきて、自分の年の数だけお堂の前にある木札を取って持ち、本堂の廻りを年齢の数だけ廻りながら、お地蔵様の両手から伸びた紐につながっている法具を触ったり鐘を鳴らしたりし、悪いところを治してもらうのだという。俺たちもやらねばと思ったが、年の数だけ廻るのは大変だし、俺たちはもう京都にいるので時間のある時に来ようということにして、車に戻った。

即成院
それから泉湧寺にある那須与一ゆかりの即成院へ向かってもらう。ここも正暦3年(992)開山というから、釘抜さんといい、京都はさすがに物凄く古いお寺がごく普通にあるところである。ここはお参りをして境内のトイレで用を足すと、体の悪いものが流れるというちょっと珍しい伝承があるところだ。俺たちも本堂にお参りをして那須与一の墓に参り、戻ってきてトイレへ入る。俺は運ちゃんと並んで小用を足してから再び本堂に戻った。悪い病気が流れ出ますように。
その後は義母と義姉は京都駅の伊勢丹地下にお弁当を頼んであるというので、駅へ向かってもらい、そこで運ちゃんと別れると、もう4時過ぎ。二人は4時半の新幹線で帰るというのをここで初めて聞いてびっくり。弁当取ってくる時間などないので、弁当は俺らが食べなさいということになり、改札で手を振って別れた。いろいろご馳走になってお世話になって、申し訳ありませんでした。
俺たちはそのまま伊勢丹の地下2階へ降りて、老舗弁当というところで注文したという紙を見せると、二段重ねの弁当2つをくれた。1つ4500円もする高級弁当!である。それを下げてフレッシュジュースのコーナーで俺はぶどう、連れはスイカジュースを頼んで一服。地上へ出ると物凄い豪雨、それもバケツをひっくり返したような、という形容そのものの物凄い雨だ。タクシー乗り場までは何とか濡れずにいけるので、そのままタクシーに乗ってマンションへ帰宅。5時半近くだった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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