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2007-09-25(Tue)

京都大学医学部付属病院受診

9月25日(火)

朝方から布団の足元にシマがいたので寝苦しく、何度も目が覚めて朦朧としたまま、9時前に起こされる。シナモンパンを食べてテレビを見つつ支度をして、9時半過ぎに出る。こちらへ来る前に通っていた日大板橋病院から送ってもらった、U先生(血液・膠原病内科)の紹介状と、CT、レントゲンのフィルムの大袋と、こないだの胆石発作の入院時に作ってもらったA先生(消化器内科)の紹介状を持っているので、自転車はやめてタクシーにしようと思い、北大路に立つ。連れ合いは最初「一緒に行く」と言っていたが、昨日カナートで買ったラグや椅子、ランドリーボックスなどの配達が午前中に来るから出られないので、俺一人で京大病院へ向かった。
百万遍を過ぎたあたりから京大医学部の敷地が見えるのだが、近衛通りから丸太町通りにかけての大きな病院を右手に見つつ正面入口から入って玄関につけてもらって、病院へ着いたのは10時ちょい前くらいで、料金は810円也。舟渡に居た頃は病院まで2000円〜3000円台だったから、ずいぶん近くなって楽になった。
病院の広いエントランスから相談カウンタへ行き、これこれこうで紹介状とフィルムを持っているというと、新患受付の用紙を渡され、2番の新来受付カウンタへ行くように指示を受ける。新患受付で言われた通りまず順番待ちの紙をひくと66番、待ち人数は13人とあった。その間に書類に記入して、あとはひたすら座って待つ。15〜20分ほど待って、ようやく3番窓口で診察券が発券され、クリアファイルに病院内の地図や説明の紙、「呼出機」という昔のポケベルを大きくしたようなPHS端末を渡された。この端末に、これから情報が表示されるという。
11時15分ころ2階の「2-G」という一角にある血液・腫瘍内科受付へ行く。そこで受付を済ませると体温計を渡されて、体温測りつつ身長体重血圧を測るよう言われる。体温計を脇に挟み、身長&体重計に靴を脱いで乗ると、ウイィンと上から抑えが下がってきて頭頂部にコツンと当たって止まり、全部自動で測定された結果がチチチチと小さな紙に印字されて出てきた。169.8cm、69.85kg。服を着ていて70kg弱か、体重は戻ったようだな、でも身長は若い頃から比べるとなぜか縮んだな、と思いつつ台から降りて、次は血圧測定。上が99、下が72で、これも印字されたレシートのような紙を切り取り、それらをもう一度受付へ出す。体温は36.6℃だった。
それからは呼ばれるまでこれまたひたすら待つのみ。端末の液晶画面には受診科の名前と診察室番号261、病院内でお待ち下さいと表示されている。予約している患者だと、これが「外待合で待て」「中待合で待て」「診察室へ入れ」と刻々と変化するらしい。受付の椅子でただひたすらに座って待っているが、時々眠くなるのでうとうとしたりしつつ、延々と待つ。12時40分くらいか、突然電子音と共に端末がバイブ振動し、液晶には「診察室へお入り下さい」と表示されたのを見て、すぐに診察室へ向かう。
血液・腫瘍内科のI先生には、ここへ至る前に東京から病状などを説明し、伺う旨をメールしておいた。「どうも、突然メールなどしてしまいまして」と挨拶すると「いえいえ」と対応してくれ、俺が受付で渡した紹介状の中の説明やマルクの結果分析の紙などを見て「資料がなかなか多いのでちょっと大変ですが」と言いつつ、だいたいは読んでいただいた後の様子。
でコンピュータの液晶画面にこれまでの病状などをてきぱきと、時折俺に質問などしつつ入力していき、日大のU先生がつけてくれたCTのフィルムを見せてくれる。2年前の脾臓の断面とつい最近のを比較して、「ほとんど変わってないですね」とのこと。次は縦隔リンパのレントゲン画像、こちらは最近のものがちょっとだけ大きくなっているように見えるが、「うーん、これも角度とかで変わりますからねえ」とのこと。こちらの希望としては変わりないから、用心深く、それでも普通に暮らしながら1ヶ月に一度程度の経過観察を引き継いでもらうことが最大の希望だった。なので、そっち方向へ何とか…と思って臨んだわけだが、別に素人がそういう方向へ向けようと頑張らなくても、医師としても総合的に判断して、結果そういう所見になるという感じではあった。
首廻りのリンパ節を触診したあとに診察台に仰向けになるよう言われ、腹部、脾臓の確認と鼠蹊リンパの触診。それらの所見もパソコンに入力されていく。どうやらカルテは完全電子化されている様子である。俺の仕事や家族に血液疾患がいないかなども聞かれて、「今何かお困りのことなどはありますか」と聞かれる。「いえ、それが全然なくて、普通の人と変わらぬ感じで暮らせておりまして…」と言うと「そうですか」とのこと。で「今はどんな感覚で診察を受けてられましたか?」というので「一ヶ月から一ヶ月ちょっとくらいおきだったと思います」というと、「じゃあ今日これから採血をしていってもらって、次回は3週間後にして、診察前に採血とレントゲンを撮ってください」ということになる。フィルムは日大に俺の方から返却しておくことにして返してもらい、今後よろしくお願いしますと挨拶をして出た。
採血の依頼用紙に書かれた病名は「T-CLL」であった。T細胞性・慢性リンパ性白血病、のことか。1時すぎに診察室から出て、すぐそばの採血受付へ行く。受付では検査項目が多いので試験管を2本追加され、持ってくように言われ、検査室へ入るとすぐに採血開始。採血のカウンタがAとBに分かれて合計10箇所くらいあり、まあ時間が時間なのだろうが、全く待たされなかった。採血は試験管で6、7本分あったか、1時15分採血終了。10時に病院へ来てから3時間余、いやはや大変だったがこれだけの巨大病院に新患で来たんだから、仕方がない。
下の会計受付へ5分ほど並んで1時25分ころ会計受付終了。さらに6、7分待つと例のPHS端末が振動し、会計が出来た旨表示。金額も1万ちょいと表示されている。ハイテクだなあ。すぐに自動精算機へ行き、お金を入れて領収証と予約票を受け取って、これにて終了というわけ。ううむドッと疲れた。病院を出て、熊野神社前のバス停からバスで帰ろうと思ったが、日が出てきたのとくたびれたのでタクシー乗り場からタクシーに乗り込む。

それにしても、「病状に進行なし」という確認は癌宣告から何年経っても緊張する。自分で体調に大きな変化はないのは解る、しかし2年前と比べたらどうだろう、ゆっくりとだが、確実に悪くなってるんじゃないか。しかしではどうするのかと言われても、確実な治療方法などない。最先端の抗癌剤治療、骨髄移植などのニュースは入ってくるが、それらはだいたいが「急性」「骨髄性」の白血病のものがほとんどだ。俺のようなじわじわとゆっくりかかってくる相手にはまだ、有効な治療法はない。それでも病気がグッと動いたら、ゆっくりとした下降線がデッドラインを下回ったら、どうなるのか。どういう治療に入るのか、それが有効なのか、予後は、何もかもが解らない。解らない、ということが一番不安を招く。
だが「いつかは判然としないが、お前は確実に死ぬ」という状態は、健康な人も同じ。そう考えることにしよう。


まだ部屋はこんな有様
連れ合いに腹減ったから俺だけ外で食うよとメールし、近くの喫茶店へ行き、カレーとアイスコーヒー。家に戻り、連れが洗濯物を畳んでる間に居間に敷いていたカーペットをはがし、今日届いた大き目のラグに敷き換える。これまでのカーペットは毛足は長いが薄くて、座ってると足や尻が痛かったのだ。新しいラグは大きさは一回り小さくなったが、厚みがあって座り心地は快適。
その後俺は仕事を片付けたりしているともう5時。外は晴れて青空に白い雲という気持ちのいい陽気だ。その後は夕飯はご飯炊いてもらい、「キッチンとまと畑」の惣菜(麻婆豆腐、エビのフリッター)、漬物などで食べた。食後はテレビにDVDレコーダーを接続する作業で、ケーブル探したりAVボードの裏に配線這わせたりなどなどで汗だく。ただDVDレコーダは無事つながり、録画も出来るようになった。夜は二人で2階のベランダに出て中秋の名月をチラと見た。半袖半ズボンだと夜風が寒いほどで、昼の暑さから想像もつかない気温の下がり方にビックリ。冬が恐ろしい。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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