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2007-10-11(Thu)

三十三間堂

10月11日(木)

二人とも寝坊、俺は10時ころ、連れは11時ころ起きた。朝のパンの買い置きがないのでご飯はどうしようかねえと話していたが、とにかく出かけてどっかで食おう、ということにする。どっか、といってもアテもないまま12時過ぎに出た。まず義姉が先月来た時に忘れて行った上着と叡山で撮った写真などの宅急便をセブンイレブンで出して、その他の郵便物を出しに左京局へ行く。左京郵便局前のバス停で連れが「ここに来るバスでどっか行こうよ」と言うので、京都駅行きが途中知恩院とか三十三間堂とか通るよ、というと「じゃあ三十三間堂行こう」と言うので、来たバスに乗る。「ふらりと」三十三間堂だの銀閣だの知恩院だの金閣だのに出かけられるところが、京都市民となった特権か。
バスが東山七条まで行ったところで「三十三間堂ってそういやどこにあるんだ、もう七条だけど」と不安になるが、七条通りを右折してすぐが国立博物館と三十三間堂前だった。降りて東大路方面へちょっと戻ってから下がったところが入口。1時ころに一人600円を払って入る。
お堂前の庭
まず庭を見てから、さっそく千手観音増がおわします三十三間堂に靴を脱いで上がるが、入ってすぐに金色の観音立像が左右500体、中心に千手観音が配置された120mの奥行きがある迫力に圧倒された(写真撮影不可なので蓮華王院 三十三間堂をどうぞ)。
ここは正式には蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)といい、久寿2年(1155)建立(80年後に焼失・後嵯峨上皇が再建)された天台宗の寺院。このお堂にはズラリと千体の観音立像が並んでおり、それらの前には風神や雷神、毘沙門、阿修羅、帝釈天などの木像も並んでおり、それぞれの説明も見つつ、一つ一つゆっくりと拝観する。途中、浄財を寄進し線香をあげ、さらに進んで太い蝋燭に當病平癒の祈願を書き込んで奉納した。
何度か修学旅行の中学生や小学生がウザくてキレそうになったが我慢。だいたいつまらなそうにしているんだし、説明文を見ても読解する知識も教養もなく、そもそも全く信仰心など持たぬガキにこうした神社仏閣を見せる必要ってあるのか? 中には幼いながらもその偉大さ、荘厳さに打たれて感動し、その後の人生に生きる経験となる子供も居るのかも知らんが…ってたぶん絶対いないと思うが、ほとんどのガキ共はただひたすらに「こなし仕事」であり、退屈で辛気臭くかび臭い空間なだけなのであり、見に行った、見てきましたという「アリバイ」のためだけなのである。
さらに言えば、最近のクソガキどもは教師が引率するのではなく、生意気にも小グループでタクシーに分乗して周ったりしくさるので、付いているのは案内を兼ねた運転手だ。従ってクソガキが仏像を前に「何コイツ、怖え〜!」とかバタバタ走り回ろうが、大人が静かに見ている視界の前に割り込んで来ようが、全く注意できないし、マナーだの作法だの常識だのを教育するなんて金輪際不可能だ。すなわち「お客様」だからである。何人か本当にどつき倒したろかと思ったがホンの寸前で我慢。ここは御仏の御前である。

長い、長い…
裏側の展示もゆっくり見ながら入口に戻り、お守りを一つ買って、おみくじを引いた。おみくじは中吉だったので結んできた。連れ合いは曼荼羅のクリアファイルと、あと小さな金の七福神が入っているという100円のおみくじを引くが、出てきたのは福禄寿。人に福徳を「施す」神様である。連れは結局人に与える方なのだと、彼女の人生を思うにつけ妙に感心した。
2時過ぎ、出口を出たところに止まっていたタクシーに乗り、四条河原町へ出る。腹が減ったので四条大橋の西詰にある、先斗町入口の鴨川に面した料理屋に入り、2階で川と橋を見つつご飯を食べた。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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