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2007-10-16(Tue)

「変化なし」に安堵、「脾臓破裂」に戦慄

10月16日(火)

朝起きて居間のカーテンを開けて、南向きのベランダから外を見る。気持ちのいい青空が広がり、白い雲がぽっかりと浮かんでおり、明るい日差しが一杯に入る。こんな気持ちのいい空間に移って来られて、本当に良かったとつくづく感謝。実はうちは夜遅い分朝は遅いのだけど、周辺というかご近所はごく普通に早起きをされる一般家庭。なのでいつも朝7時とか8時には外の廊下の生活音で起こされるのだが、そんな朝のほんの一時の喧騒に文句を言っていてはバチがあたるというものだ。だいたいここへ来てから朝はそうして7時〜8時には起こされ、朦朧としつつ9時前後には起きるという体制なので、夜は必然的に12時〜遅くても1時前には寝る。別段寝不足というほどではないし、むしろ東京にいた時のように2時3時まで起きていて翌日は昼近くまで寝ている…という自堕落な生活よりはよっぽどマシなのだ。自堕落、というか朝早く起きたところで窓を開けられるわけじゃなし、気持ちのいい陽射しが当たるわけじゃなし、入ってくるのは異臭騒音煤煙とくれば、なるべく静かな夜へ夜へと生活がシフトするのは当然だったが。

この日は俺は病院、連れは大学へ出勤。俺の診察予約時間は1時半だったが、その前に採血とレントゲンがあるので12時半ころ着くように行けばいいかという算段をする。朝はコンビニの生クリーム&ジャムサンドを食べて、連れ合いは昼前に出かけて行った。俺はしばらくやりかけていた仕事を片付けてしまおうと続け、気付くと12時過ぎ。ヤバいと慌てて支度をし、自転車置き場から自転車を出してまたがると12時15分。半までに着けるかなあと思いつつ漕ぎ出し、北大路を渡って叡電の線路沿いに元田中までいっきに下がる。北大路高野の交差点から東大路を下がるのより、若干だが三角形の斜辺になるので近いはずだ。元田中からは東大路をまっすぐ近衛交差点過ぎまで下がり、京大病院の正門へ着くと12時25分。たった10分で到着した。思わず時計を見て「そんな近さだったっけ?」と自分でもビックリ。
受付フロアで再来自動受付機に診察券を通すと呼び出し用PHS受信機がゴトンと出てきて、それを持ってまずは2階の中央採血室へ向かう。受付を済ませ、バーコードと番号の印刷された紙を貰って採血室へ入る。受付で俺の前に済ませたオッサンが終わるとすぐに呼ばれ、今回は試験管2本分の血を取られた。
ここの病院は採血カウンタも多く、コンピュータシステム化も進んでおり、新来はともかく再来では何事も待ち時間がグンと短縮される印象だ。それからレントゲンがあったっけと思って場所を調べると地下だった。じゃあこっちを先にすれば良かったなと思いつつエレベータで地下へ降り、受付に用紙を出し、待合室へ行くよう指示を受ける。レントゲンもたった数分で呼ばれ、胸部正面と横、腹部はベッドに仰向けに寝かされて撮影される。これらが終わって1時55分頃。
また2階の血液・腫瘍内科の待合へ行き、椅子に座ってあとは待つだけ。座ってぼんやりしていると眠くなってきて、数回うとうと〜ハッ! を繰り返した。予約時間の1時半きっかりになると、傍らのPHS端末がブブブと振動し、同時に電子音が鳴る。見ると「診察室へお入り下さい」の文字。前回同様、I先生の診察室へ入る。
先生はレントゲンのフィルムを見て「やはり大きな変化はありませんね」という所見。また前回、今回の採血の結果も変化はないようだとのこと。WBCは画面で見ると前回が1200、今回は1500だった。これらも誤差範囲だろうか。カルテは完全電子化されており、俺に問診をしてその結果を分析したものをその場でコメントや所見として入力していかれるのだが、驚いたことに日大のU先生からの紹介状、レントゲン画像なども全てスキャンされて電子化され、カルテから呼び出していつでも参照でき、必要な画像はカルテに直接コピー&ペーストで貼り付けたり出来るのだ。へえ〜と感心しつつ見る。
首廻り、腹部を触診される。これらも変化なしという確認。思い切って「どうなんでしょうか、何年かこのまま…という感じでしょうか」と聞いて見ると、I先生は「うーん…」と首をかしげたまましばらく考え、はっきりしたことは言えない様子。「こう、じわじわーっとゆっくりした進行であることは確かなんですけどね」、「ですから(日大病院・U先生の)今の段階では治療をせずに経過を観察するという所見には賛成です」とのこと。「病気がクッ、と動くようなことがあると治療に入るという目安にはなるんですが、これだけ病気が安定といいますか落ち着いていると、ダイナミックな治療に入るタイミングが難しいんですね」という。で「しかしあまり時間が経つと、今度はダイナミックな治療が出来なくなるということもあるので…」ということ。俺が「あまり時間が経つと(骨髄)移植が出来なくなるんでしょうか、だいたい50歳を過ぎると難しくなるといいますけど」と言うと「今はそういう年齢的なことはあまり考えなくてもよくなってます」とのことであった。
とにかく俺の場合は脾臓が巨大なのがもっとも問題な症状なわけだが、「普通脾臓や肝臓というのは肋骨の下にあって、いわば守られた状態にあるわけです。ですがあなたの場合はこれだけ脾臓が(骨盤近くまで)全面に広がってますから、もし何かのショックなどで破裂した場合は『即死』ですから、じゅうぶん気をつけてください」と言われる。そ、そうだった。脾臓破裂は普通の人でも出血多量になる危険のある事態だが、俺の場合はそれは即、死を意味するのだ。チャリンコ飛ばしてる場合じゃねえ! 脾臓破裂=大量出血=即死と想像すると思わず戦慄が走った。
それはともかく、病気には変化がなくて良かった。先生は「次回は6週間後でいいでしょう」ということで、11月の末になった。お礼を言って診察室を出ると、1時50分くらいだった。1階の吹き抜けホールへ降り、会計受付の行列へ並ぶ。ここだけは再来だろうが必ず待たされるんだよなあ…と思いつつ7〜8分で順番が来たが、保険証を忘れたことに気付く。板橋区の場合は世帯主だけでなく全員にカード式の保険証が付与されるのだが、京都市は昔ながら(?)の紙製で、四六判の半分くらいの大きさのやつだ。なので連れが病院の時もあるし、常に携帯しているわけには行かず、家の引き出しに入れたままだった。カウンタでそう言うとあっさり「次回は必ずお持ちくださいね」と言われて、あとは会計待ち。
自動会計機の前の椅子に座って待っていると、10分ほどでPHS端末がまたお知らせ。会計の金額まで表示されるので便利である。今回は3840円。支払いを終えて、病院内のレストランかドトールで昼飯食おうかと考えたが、意外と混んでるのでそのまま出る。自転車にまたがって、今度はゆっくり東大路を上がる。歩道は京大の学生も多く、自転車と歩行者でけっこう危ない場面も多いから、自分の場合は転倒や接触などで脾臓に何かあったらオシマイだ。帰りは注意深くゆっくり進んだ。それでも相手の自転車はけっこうなスピードですれ違ったり、いきなり左や右から出てきたりするので、途中東大路を逸れて川端通り側の住宅地の中へ入って、ゆっくりと北上する。叡電の踏み切りにぶつかったので、線路沿いにまた東大路へ出て、そのままカナートの裏へ出る。
カナートの駐輪場へ自転車を停めて、そういや地下にフードコーナーがあったな、と思い降りてみる。ラーメン、カレー、うどん、ハンバーガーなどなど、フードコーナーは充実していて、食べるスペースも広くてテーブルと椅子もたっぷりある。昼の時間はとうに過ぎているが、それでも客はけっこういるから、お昼どきはきっと混むんだろうな。何を食おうか考えたが、そういえばジャンクフードなんかしばらく食ってないな〜と思うと無性に食べたくなり、結局マクドナルドにする。久々にダブルチーズバーガーを食うが、うまかった。これを「うまい」と感ずる自分が情けないような気もするが、しょうがない。あとはポテトとコーラもゆっくり食いつつ、そこら辺の人らをマンウオッチング。食べ終わってそのまま駐輪場から自転車に乗ってイズミヤへ買い物に行く。
病院へ行く道のりは快適に飛ばせた自転車であるが、帰りは体のこともあるのでゆっくり行ったとはいえ、どうも進み具合がおかしい。よく考えたら、洛中から洛北にかけてはゆるやか〜な勾配になっているのだった。つまり目に見えないほどの角度とはいえ、行きは下り、帰りは登りなのだ。それでどうもペダルが重いと感じた次第。でも今後は自転車で飛ばすのは注意しよう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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