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2007-11-04(Sun)

千本釈迦堂・北野天満宮

11月4日(日)






















連れ合いが先日、「クロワッサン premium」(マガジンハウス)の京都特集号の取材で、好きな仏像の紹介を依頼された。実は奈良の秋篠寺のご本尊(薬師如来)が一番好きだというが、「京都特集」なのでNG。では、というので千本釈迦堂(大報恩寺)観音様にしようか、ということで取材前に行くことにした。千本釈迦堂というのは通称で、千本はお寺のある千本通り(昔の朱雀大路にあたる)から、釈迦堂は文字通り本尊である釈迦如来像にちなんでそう呼ばれている。
この大報恩寺は鎌倉中期にあたる貞応二年(1223)〜安貞元年(1227年)に義空によって創建された古刹だ(ちなみに義空は藤原秀衡の孫)。そしてこのお寺は応仁の乱(1467年・応仁元年〜1477年・文明9年、ほれ、京都人が「前の戦争」というアレです)の戦火でも焼けなかったといい、本堂自体が国宝に指定されている。そして宝物殿のような建物が敷地内に建造されていて、そこには貴重なお寺の宝物が小さな体育館くらいのスペースにダーン! と惜しげもなく展示されているのだ。その中でも何といっても、定慶作と言われる仏教の六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)の観音様の像が全て揃っているのは大変珍しいと言われている。
西側の入口はちょっと雑然。
さて天気はうす曇、時折青空も見える穏やかな陽気のなか、2時前に家を出た。自宅からタクシーで1500円くらいの距離に千本釈迦堂があるって凄いなあ、と変な感心をしつつ、千本通から一本入ったところの本堂横につけてもらった。
拝観料2人分1000円を支払い、まず宝物殿へ順路通りに向かうことにする。まだ紅葉の観光シーズン前のせいか境内に観光客はほとんどおらず、宝物殿の中の先客はタクシーの運ちゃんに説明されている大人が2、3人と、一人で来たらしい20代前半くらいと思しき若い女の子が一人だけだった。広い広間はシーンとしており、ぐるり周囲には貴重な仏像や文化財が陳列されている。六道の観音像、聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音が揃っているのを間近で拝見するというのは、まあ何と厳かな気持ちになることだろう。思わず近くから一体一体、あるいは引いて六体と、じっくり見させていただく。
宝物殿
しかし連れ合いが推薦するのは、こちらの仏様ではない。ここには実は六道の中のとは別にもう一体、木像千手観音立像がある。こちらは菅原道真公が自刻したという言い伝えのあるもので、そのお顔は微笑みを湛えたお優しいものだ。連れ合いはこのお顔を見ると「よく来たね」と言われ微笑まれているようで好きだという。
実はこちらのお寺には、本堂にあるご本尊の行快(快慶の弟子)の作と言われる釈迦如来坐像があるのだが、俺としてはこちらのお顔がたいそういいお顔をされていると思い好きなのだが、年に数回行事のある時しか開帳されず、普段は厨子の中に鎮座しておられる。今回も見ることが出来なかったのが残念。ていうか俺の好きな仏像は頼まれてもいないのでどうでもいいことであるが。
さて次は宝物殿を出て本堂脇で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて本堂へ入る。先に述べたように「本堂そのものが国宝」というお寺だが、なるほどお堂の中の太い柱には応仁の乱の際についたといわれる刀傷や槍の痕が残っていて、戦いの痕も生々しい。ご本尊の収まっている厨子はしっかり閉ざされてたので、合掌だけして右手のおかめ像の方へ廻る。おかめさんにも手を合わせて本堂を出て、また靴に履き替えて、庭をゆっくり見ることにする。
お亀さんの像ここのおかめさんは、もちろん全国に広がっているあの有名なオカメ顔の大元になった本人のこと。
このおかめの逸話というのは、大報恩寺の本堂造営を命ぜられた大工の棟梁・高次が、なんと柱の寸法を誤って短く切ってしまった。この大柱の代替はもちろんない。これを見た高次の妻・おかめが一生懸命夫の不始末を何とか解決したいと祈った結果、「枡組を用いよ」と啓示を受ける。これを夫に助言、高次は無事に全ての柱の寸法を整え枡組をし、完成させることができたという。おかめは上棟式を待たずに自害したのだが、これは神にそう約束した(命に換えて解決を祈念した)からとも、「女の提案で大任を果たしたことが知れては夫の恥」であるから、とも諸説ある。
とにかくおかめさんはあのふくよかで優しい微笑みとは対照的な、悲劇の人であった。
ぼけ封じ観音境内には他に「ぼけ封じ観音」というのがあったので手を合わせ、俺と連れの母親用に2つ、六つの瓢箪のついた根付を買う。六(むっつ)の瓢箪でむひょうたん=むひょう=無病…という…わけです(笑)。おかめ塚や、境内にある有名なしだれ桜・「お亀桜」も見て、帰りは正門から出る。
北野天満宮それから、そういえばここから近かったな…と思い右手に折れて、北野天満宮方面へ歩くことにする。北野天満宮も日曜ながらさほど賑わってる感じでもなく、観光客はパラパラという感じで、地元の人が多い印象だった。なるほど七五三のお祝いに晴れ着を着た子ども連れがチラホラ見受けられる。あとはこれまた修学旅行の中学生がぞろぞろ。
本殿でお賽銭をあげて鐘を二人でじゃらんじゃらんと鳴らし、健康をお祈りした。ここは道真公をまつった神社だから、どちらかというと学業成就の祈願に来るところなのだが。本殿のある敷地内から出るとすぐ南へ向かう長い参道があり、そこに一つだけたこ焼きの屋台が出ていた。小腹が空いてたので思わずたこ焼きを12個も買ってしまい、連れ合いに買いすぎだと呆れられる。最初の数個はうまいと思ったが、4つほど食べるともういいかな、という感じ。それにこれで腹一杯になってしまうのも何となく切ないので、3つくらい残してしまった。食べ物を残すということが今だに出来ない食い意地っぱりの自分だが、最近は健康のことも考えて無理はしないことにしている。
参道の牛さんの像。これは小さくて可愛いかった。そのまま参道をそぞろ歩いて、左右あちこちに並ぶ臥牛(伏せた牛)の像を見つつ今出川の方へ向かう。これらの牛の像は、菅原道真公が亡くなったのが丑の年の丑の日の丑の刻というところから奉納されているそうで、学業成就の祈願や子どもの健康などを願うよだれかけや服が着せてあったりして、可愛い。そんなこんなで今出川通りの鳥居まで出るとタクシーが数台客待ちをしていたので、結局四条麩屋町のあたりへ行ってもらい、散歩がてら買い物などして帰宅。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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