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2007-12-10(Mon)

漫画家になりたい人へ ( 番外3)

勝又進さんの訃報を知って

俺たち夫婦とある方と楽しく会食をした。病人なのにちょっと飲みすぎて、朝方のどが渇いて目が覚めた。連れも同じで、トイレから出て台所へ行くと氷水をゴクンゴクンと飲んでいた。それから連れはちょっとして再び床に就いたが、俺はちょっと目が冴えてしまったのでメールチェックや業務連絡をしようとノートPCを開いたわけだが。そうして勝又さんの訃報を知った。

勝又進さんが亡くなったのは「3日午後1時43分、悪性黒色腫のため」とのことだった。「東京都大田区の病院で死去、63歳。」だったそうである。悪性黒色腫というのは別名皮膚がんのことだと思うが、臓器に出来る癌に比べ危険度が低いような誤解を持つ人も多いらしい。癌というのは細胞が悪性の腫瘍化することだから、皮膚にも出来れば内臓にも出来るし、俺のように血液(を造る細胞や血液を構成している部分)にも発生する。その危険度はどこに出来たから軽いとか重い、という判断が出来るものではないだろう。
それにしても、勝又さんが63歳で亡くなったというのはショックだった。

若い人たちは勝又さん、と聞いてもあまり知らない人の方が多いかと思う。勝又さんは1966年「ガロ」6月号『勝又進作品集?』でデビューしているが、当初は4コマ漫画が主で、独特の柔らかい線で描かれるナンセンスな世界が印象的だった。
だった、といっても俺はもちろん後付けで知っただけで、自分が「ガロ」の編集に関わるようになった頃は、勝又さんは短編〜中編漫画を描かれるようになっていた。80年代はじめの頃のことだ。確か、当時は川越に住んでいらしたのか…記憶が定かではないが、ともかく、埼玉県のまだ「田舎」の風景が残るあたりの、自然とそこに生きる小さな命を愛する佳作をぽつりぽつりと発表していただいた。
誤解を恐れずに言えば、勝又さんは漫画家としては決して恵まれていたとは言えない。そう、「ガロ」系の人に多い、「メジャーな漫画ばっかり読んでる一般の人」にはほとんど知名度はないにも関わらず、知っている人からは強烈に支持され尊敬を受ける、「あのパターン」だと言えば解る人はお解かりか。

以前、永島慎二さんの訃報を聞いた時にも書いたように思うけれども、俺が知るこうした素敵な作家さんたちはどの方も皆、人格的にも素敵な人たちばかりであった。決して偉ぶらず、誰に対しても礼を失わず、自分の作品に謙虚である。作品も魅力的ながら、その人も非常に魅力的な人たちばかりだった。
何より、作品を描く姿勢にブレがない。世間の流行に媚びたり、商業的な成功を第一義において作品を描いているわけではないから、決して一般読者への認知度は高くない。しかしその作品を知り、その作品の凄さをただしく理解できた者からは熱烈な支持と尊敬を受ける。残念ながらその数は多くはないことが多いのだが。
「商業的に売れたこと・一般読者への認知度が高いこと」

「作品・作家として優れていること」
と必ずしも一致しない

ことなど、改めて言う必要もないことだ。
しかしマスのコミック界、「メジャー」と言い換えてもいいが、そいういった世界では「どれだけ売れたか」がその作品の評価になることが多い。数字は絶対的なもので、多い・少ないというはっきりと優劣がわかるものではある。だが作品の良し悪しはそんな絶対的なものではないことぐらい、当り前のことでもある。だから、編集という職人が必要になるんじゃないのか。
でもある有名雑誌の元編集長が「売れない作品は存在しなかったと同じ」とまで言い切っていたことを知っている。当時の俺は「それはあんたらが属している、作品を商品と同意義でしか見られない世界でしか通用しない論理だろ」と俺は思った。若かったから、である。そうしてその後、世間というものは「作品を商品と同意義で見るところ」であることを思い知らされた。

でも、ほんとうにいい作品は、たとえその時代に商業的には評価されずとも、いやはっきり言えば売れなくとも、一般人が誰も知らずとも、それでも必ず後世に残る。勝又進という作家もそうであるように。
十万部、百万部で売れた作品でも、何年か、何十年か後に漫画史で顧みられることなく消え去っていくものがある。一方で、数千部しか売れなかった作品でも、何十年経ってもその作品に触れた読者が必ず心うたれ、衝撃を受けるものがある。俺がいた「ガロ」の世界はもちろん、後者が圧倒的に多い世界であった。

勝又さんの場合、漫画だけで生計を立てるということは難しかったと聞いた。長井さんから当時、「勝又さんは先生のアルバイトをやってる」ということを聞いたことがある。真偽というか詳細は不明だが、その際よく「勝又さんは(東京)教育大で物理やって、大学院まで行った原子物理学の専門家なんだよな」ということで「だから本当ならその辺の塾の先生なんかやってる人じゃないんだよ、でも彼の漫画はたくさん売れるってもんじゃないからなあ」という嘆きをセットで聞かされたものだ。

漫画家を目指そうという若い人たちと触れ合う機会があると、俺は必ず
「他の誰でもない、自分であるという作品を描ける人になれ」
と伝えることにしている。俺ごときが偉そうに言うことじゃないだろうと思われるだろうが、これは俺の言葉ではない。「ガロ」が俺に教えてくれたことだ。俺が「ガロ」で、長井さんから、水木さんや白土さんやつげさんや勝又さんたちから教わったことである。

【この項つづく】
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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