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2005-03-04(Fri)

「出版不況」--細く長〜く…ではダメか? その4

 作り手側である、編集者からよく自省を込めて「書店さんにも目を通してもらって、棚に並べてもらえるような魅力ある本創りをしなければいけない」という意見もよく聞く。
 ただ、「新刊委託・パターン配本の弊害」と敢えて言うが、書店の現場ではいちいち配本されてきた新刊全てに目を通すような余裕は、物理的にない。自分が編集をしながら営業にも出かけていた頃、仲良くなった書店の担当さんと喫茶店で世間話をしたりすることもあった。業界に入る前からの友人で書店員になった奴もいた。さらに今では教え子がなぜか編集者ではなく書店に就職したりもしている。
 実際に見聞したことから言わせてもらうと、中規模くらいの書店で一日に送られてくる新刊の点数は数十点、時期や書店の規模によってはもっと多いこともあったそうだ。それらを熟読し、「これはいい本だ、いい場所へ置こう!」「これはマニア向けかな、一冊棚挿しして残りは返品かな」なんてより分けをしていたら、それだけで業務は終了。というか業務時間内に読み切ることはほぼ不可能。物凄い速さで速読する読書法があったけど、アレ書店さんにはいいかも。良くないか。どうなのか。って誰に聞いてる俺。

 …よって、書店さんではあらかじめ予定していた能動的な注文品を黙々と仕分けしてそれぞれの棚や平台に並べ、在庫は棚の下の引き出しへ収納したり、保管庫へ台車で持ってったり。聞いたことのない本、だいたい委託で入ってくる本だけど、そういうのはこれまた粛々と返品の箱へ詰め替える。ついでに店頭でダブついている商品(もちろん本)も詰める。これらの作業を手早くこなさないと、開店に間に合わないし、売り場の掃除もあるし、フェアなんかやってたらその設定もあるし、POPも書く場合もあるだろうし、電球が切れたところを替えないとならないし、売れ筋の商品の補充の電話などもある。…って最後のがメインか。
 編集のことしか知らない、いややらせてもらえない(?)大手の編集さんは、こうした営業の最先端であるところの「書店の現場」をもっと見るべきだと思う。そこには出版人の理想なんて通用せぬ、市場の論理があるだけだ。俺とて、ここでは「いい本を長く売れ」と言いたいがためにこういう現状を敢えて包み隠さず業界外に伝えている。けれど、よく言われるように作家性と商業性みたいなものの間で常に編集者はグラグラと揺れているものだ。「ガロ」にいた自分でさえ、そうだった。そういうことまで考えて本を作っている人がほとんどだと思うし思いたいわけだけど、有無を言わせぬ市場原理主義の現場を知る・知らないでは、大きく考え方も違ってくるのじゃないか。
 だいたい取次さんにもよるが、「返品率」というのは書籍4割雑誌3割だ。つまり平均とはいえ、作った本のうちこれだけが売れずに版元へ戻されるということになる。そこから先は廃棄されるか改装されてまた市場へ行くか、それまで保管されるか。それらが版元の事情、市場の動静と複雑に絡み合って、本の末路は決まるのだ。

 自分は出版社に入って間もない頃、当時の青林堂社長であり、俺の師でもあった故・長井勝一翁に「本の墓場」に連れていかれた。といってもある日突然、「明日の朝断裁立会いに行くから、志村三丁目の駅に来てくれよ」と言われただけであるが。長井さんという人はだいたいが唐突な人ではあったが(俺が「ガロ」でアルバイトをすることになった時も、「明日から来てくれよ」だった)、「断裁の立会い」の詳しい説明は無かった。「明日来ればわかるよ」とだけ言われた。
 当時の俺は都営三田線の西台というところにある高層団地に、連れ合いであるやまだ紫と、小学生の子ども二人と同居していた。志村三丁目はその西台から上りで二つ目のところにある駅である。従って朝は久しぶりにゆっくり出られるので、嬉しかったのを憶えている。

 9時半より少し前に改札を出ると、駅の高架下にある改札を出たところに小柄な長井さんがポツンと立っていた。俺が階段を下りて行くと「おう、ご苦労さん」と声をかけられて、俺が「おはようございます」と応えるとすぐに、長井さんは歩き始めた。「ダンサイの立会いとは何か」を聞くまでもなく、長井さんは歩きながら説明をしてくれた。
 これから我々が向うのは、取次である東販(当時。現トーハン)さんの雑誌の返品が集積されるところであること。「断裁」とは返品を廃棄処分にする行為のこと。自分たちはその返品の数を確認し、断裁処理される場に立会って確認をすること。その立会いは毎月一度行われることなので、今後は近いところに住む俺にやって貰う、ということ。
 長井さんは独特のしゃがれ声と江戸弁で(といっても出身は実は塩竈市であるが)、駅から10分足らずのところにある東販の板橋雑誌集積所までの道すがら、これらの説明をしてくれた。
 この雑誌の「断裁」であるが、この場はあくまでも断裁処理をするところであって、雑誌をその場で廃棄するところではない。トーハンが扱う版元の雑誌の返品は、全国の書店から回収されて(管轄の支店から集積された分)いったんここへ集められる。体育館ほどの大きさの倉庫のような天井の高いスペースに、ところ狭しと雑誌の結束が積み上げられたパレットがあちこちにおかれている。結束は「ジャンプ」のような厚い雑誌は15とか20冊、「ガロ」のような薄めなら20〜25冊。たまにイレギュラーもあったが、まあそんな束のことを結束=けっそくと呼ぶ。
 戻ってきた雑誌の版元の人間は、決められた日(取次から「何日、立会いお願いします」と電話がかかってくる)に赴き、伝票と返品数を確認し、その後の処理は版元の判断に任せられる。だから契約したトラックに全ての返品を積み込んで会社や自社の倉庫に運んでもいいのだが、もちろん雑誌のバックナンバーをそんなに大量に保管しても、コストに見合う需要はないことが多い。だから、多くはその場で「断裁」処理をして、契約している古紙回収業者のトラックに載せるまで立ち会って終わり…ということになるわけだ。
 さてその「断裁」処理であるが、これは文字通り「雑誌の一部を切り取って流通できなくすること」だ。
 ここではまず大量の返品雑誌=「ガロ」だったら大体20部程度の結束がパレットの上に積んである場所へ行く。しかし雑誌の束は前に本シリーズで説明したような特殊な積み方をしてあるし、両側に別な会社の雑誌の山があったりするので、数えやすいようにトーハンの職員にフォークリフトで通路まで運んでもらう。余談だがこのフォークリフトは電動の小型のもので、実に素早い動きをするし、彼らのハンドルさばきは見事なものだった。電動ゆえに「フィーン」とか軽い音しかしないから、狭い通路をけっこうなスピードで何台ものフォークがあちこちを移動していたのでよく「ピッピッ」とかクラクションを鳴らされたりしたものだ。
 さてそうしてフォークで雑誌の山が載ったパレットを、全体が見えるような位置に移動してもらったら、あらかじめ手渡された返品伝票を手に、時には何段も積んである結束を下ろしたりしながら、数をあたっていく。何月号が何冊、何月号が何冊…、と素早くあたらないと、職員がイライラしてくるのが目に見える。だからといっていい加減にやると「こいつはいい加減だな」とバレてナメられる、というプレッシャーもある。その中で数を合わせ確認し終え、こちらの「じゃ、お願いします」で、運送屋の職員が結束をベルトコンベアにどんどん放り込んでいくことになる。
 このベルトコンベアは通常のものと違って、V字型になっている。したがってそこへ結束を乗せると、その結束はどこかの角が必ず下=V字の底にあたるように運ばれるわけだ。そしてその先には円盤型のノコギリが高速回転しており、結束が到達すると「チュイーン!」という音と共に、雑誌の角がイッキに削られていく。角が見事に削られた結束は、別の職員によってトラックの荷台に放られる。
 荷台にいる職員は結束を受け取ると、隙間なくギッシリと荷台に詰め込んでいく。もう本当に見事としか言いようのないくらい、トラックの荷台はギッチギチに雑誌の束で埋められていくのだが、当然足でガンガンと踏んで慣らしたりもするから、もはやそれは「本」ではないのだな、という光景である。そしてそれら荷台にギッシリと詰まれた雑誌いや元雑誌の束は、古紙に再利用される旅に出る…という流れだ。
 つまりここは雑誌の墓場、であるわけなのだ。

 ところでなぜいちいち雑誌結束の角を削り取らないとならないかというと、信用していないわけではないが、引き取った業者がゾッキ本に流したり、古書店へ勝手に売り払ったりできないためである。版元側は運送料と処理代を払って引き取ってもらっているわけで、さらにそれらを安くとはいえ転売されたのでは踏んだり蹴ったりだ。なので、二度と商品として流通できぬよう、本の角を切り取るわけだ。
 よく街にあるゾッキ本店(昔は神保町界隈にもたくさんあった)や古書店なんかへ行くと、エロ本に多いがよく本の底や上部に赤いマジックの線がついたものが、安く売られていることがあるのをご存知だろうか。(って知ってる人はス・ケ・ベ♥)あれは別に違法なものではなく、版元側が「廃棄処分にした」という「しるし」を、「ガロ」のように切り取る断裁処理ではなく、赤いマジックによって、言ってみれば「簡易断裁」をしたものだ。つまりいったん返品や売れ残りを確信犯的に簡単な断裁処理を行って、ゾッキや古書店に安く卸したものである。ま、捨てるより多少なりとも利益になれば、ということだ。
 この赤マジック簡易断裁、我々もよくやった。といっても、ゾッキに出すのではなく、赤いスプレーを買ってきて、会社の下の路上に返品を並べてガーッと一気に線を引いてしまうのだ。つまりややこしいが返品はトーハンのように集積場へ集められるものばかりではない、からである。会社に来た返品は、V字ベルトコンベア&丸型高速回転ノコギリなんかないから、自分らで断裁処理をするよりないわけだから。

 話が逸れたがふつう、こうした立会いには、新人や使いぱしりが行かされるのかも知れない。でも俺は長井さんに初めて連れられてこの作業を覚えてから、以後ほぼ退職するまでずっと立会いに行っていた。確か毎月の立会いは、あの『室内』と同じ日だった。何回目かになるとこちらにも余裕が出てきて、周囲を見渡すようになる。すると、どの雑誌が毎月どれくらい返ってきているかが大体解る。もちろん週刊誌などは月一回じゃないし、発行部数の多い雑誌も複数回の場合があるそうだけど、自分たちと同じような規模の雑誌のパレットを見つけては「今月は多いな」とか、何気なく観察するのもけっこう面白かった。ルーティンワークもボーッとしているか、意識的にこなすかだと思う。
 バックナンバーの需要が比較的多い雑誌だったとはいえ、せいぜい結束の綺麗なのを一、二本取って「これは会社の方へお願いします」と分けたもの以外、毎号数百部という単位で雑誌が「死んでいく」のを見るは憂鬱だった。もともと「ガロ」は搬入部数もさほど多くなかったのでその数で済んではいたけれど。
 しかし、この立会いは編集者にとっては精神的にあまり気持ちのいいものではなかったのは事実。自分らが毎号四苦八苦して作り、天塩にかけて送り出した雑誌が、毎号返品されてくる。それを目の前で、他ならぬ編集者である自分が最後を見届ける。再利用で資源がどうとか感傷的になるとかいうより、何か殺伐とした気分にさせられた。

 もうこの場所も変わったようで、版元にいない自分は今どうなっているかは知らない。けれど、編集者はこの現場を一度は見ておくべきだと思う。
(この項つづく)
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コメント

ゾッキ本

といっても今の若い人にはピンとこない言葉ですかね。「バッタ屋」つうのももう使えないんだろうし。いわゆるコート紙系のA5版のエロ写真集なんて、普通に1600円とか2000円とかしたんで、貧乏人には買えなかったわけです。それが赤線一本で2割3割以上安くなるんで、もう全然OK! ってな感じでしたね(笑)。いいのかこんなことカミングアウトして俺。
いいか、ガロ時代に「神保町エロMAP」つう神保町のエロ本屋のマップを掲載して男性読者から喝采を浴びたことだし。

知っています・・・

エッチな本の下の方に、赤いマジックのようなもので線が一本引かれてるやつって・・・そういう意味だったんですか。確かに安売りしてました。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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