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2008-01-23(Wed)

鴨沢祐仁さんが亡くなる

鴨沢祐仁さんが亡くなったと、YellowTearDropsのローリングクレイドルさんから教えてもらって驚いた。自宅で転倒して亡くなったのが1月12日、発見されたのが18日だったそうだ。56歳とまだまだ若かったというのに…。
デリバリー待ち 雑誌未発表作品---鴨沢祐仁公式ホームページ『クシーズクラブ』掲載より

また「ガロ」の作家さんの訃報である。また、というか最近自分もトシになってきたってことだ。64年創刊の「ガロ」、当時働き盛りの漫画家さんが20代半ばとしても今は60代後半になる。俺が入社した80年代にちょっと上の世代だった人たちも、もう50代半ば〜後半になろうとしているわけだ。
俺が「ガロ」で働くようになった頃は、もう鴨沢さんの最初の作品集、傑作「クシー君の発明」が出て数年経ったころだ。鴨沢さんのデビューは70年代前半で、「ガロ」入選は1975年4月号の『クシー君の発明』である。ご存知のように、のちの洗練された素晴らしい均一の筆致で描き出される独自の「鴨沢タッチ」はまだなく、ざらついた線の多い、クシー君もちょっとブキミな感じの絵柄だった。しかし「ガロ」の表紙イラストを担当し、単行本が出るころにはすっかりタッチが変わって、本当にオシャレでカッコいいクシー君になっていたっけ。ちょうどイラストレータとしても漫画家としても絶頂期にさしかかろうとしていた頃だったと思う。
青林堂から出された鴨沢さんの初の単行本、デビュー作と同名の「クシー君の発明」は、今でも大切に持っている宝物のような本だ。当時の青林堂は上製本にはよく布クロスを貼って箔押し…というのが当り前だった。けっこう採算度外視的な豪華な造りをあえてやっていたんだけど、今改めて手にとってみても、本当にいい本がたくさんあった。作品そのものの質も素晴らしいけれど、その作品をまとめた「本」そのものも素晴らしい造りにして残したい。そういう気概が版元としての青林堂にも、造る側の編集者にも、もちろん作家さんにもあった「いい時代」だ。
ちなみに「クロス」というのは、上製本=ハードカバーの本の一番外側にある固い紙をさらに保護するために包み貼る布のことを言う。布なので本来は「クロス」と単に言えばで通じたんだが、最近は布貼りが高いってんで紙ばっかりになってしまっている。なので、あえてクロスといえば布なのに、紙クロが当り前になった昨今はわざわざ「布クロス」、と言わねばならない本末転倒を生んでいますな。余談でした。
いい造本といえば「クシー君」もやまだ紫「性悪猫」の初版も、ついでに言わせてもらえば自分が担当した津野裕子さんの「デリシャス」も、みんなみんないい造本でしたねえ(笑)。青林堂の先輩が作った本が実にいい本で、それを見てまた自分も担当作家さんに喜んでもらえる本を造ろうと、何とか原価計算を四苦八苦して業者さんに頭を下げたりいろいろ走り回って、一冊の作品集を作った。大手の「なんとかコミックス」みたいなフォーマットに流し込むだけの「雑誌扱い」の安くて粗雑な本を「へへん」と小バカにしてました。すいません(笑)。…まあいい時代だったと言えばまあそれまでだけど。
ところで。そうして80年代は鴨沢さんにとって本当に絶頂期となったと言える。あちこちで鴨沢さんのイラストを見たし、漫画や「ガロ」を知らない知人は「日本人だとは思わなかった」と言うのがいたくらいだ。極めつけは89年、富士急ハイランドのテレビCMのイメージキャラクターに、何とクシー君とレプス君が起用されたことだった。あれは我々はビックリしたものだ。鴨沢さんのイラストが中吊りになったり広告になったりしたのはいいとして、CMでは外人の女の子(?)がクシー君の衣装を着て、着ぐるみのレプス君と出ている「実写版クシー君」のCFは鮮烈に覚えている。
…そんなふうに業界風に言えば「偉くなっちゃった」んだけど、鴨沢さんは僕らにとってはイベントがあると気さくに顔を出してくれたり、一緒にお酒を飲んだりする「鴨さん」で、人柄は全然変わらなかった。本当に人あたりがよくていい人で、十歳以上年下だった俺にも「白取さん」と接してくれていた。「ガロ」って思えばそういう謙虚で人の出来た苦労人が多かったといえばそれまでなんだけど、何だか鴨沢さんのちょっとはにかむような笑顔が懐かしいなあ、と思う。
本当に、いい人だった。ただ、お酒にどっぷりと深入りしてさえ行かなければ。
鴨沢さんは、実を言うと俺がまだ「ガロ」に居た十数年前の段階で「酒をやめなきゃ、長くないだろうな」「こんな生活してたらダメいなっちゃうのにな」と思っていたほどの酒好きだった。拙ブログで、過去に匿名ながら、同じく酒で一度身を滅ぼしたY先輩の話を書いたことがある。そのYさんはずっと鴨沢さんの担当編集者であったのだけど、Yさんでさえ、一時期「鴨さんは酒から立ち直るのは無理だろうなあ」と言ってたほどだった。断酒日記というか手帖を見せてもらうと、飲んだ日には「×」が、飲まなかった日には「○」がつけられている。しばらく何とか○が続いたと思ったら×がつき、以降はダーッと×が続く…。酒への依存を断ち切ることの難しさを知った。
「ガロ」に限らないが、非メジャー系…それを単にマイナーとか言いたくはないのだが…商業マンガ畑の作家さんたちに比べて非メジャー系の作家さんたちは酒で作家生命を縮めたり失ったり、命さえ落とす人の話がけっこう多い。自分の思うところを作品に昇華し、それがキチンと世間に評価される機会はもちろん、少ない。当然経済的に恵まれる機会も、少ない。いつもいつも繰り返しになるのだが、ある意味「魂を売る」行為として作品を金に換えることに鈍感になれれば、いやそこを器用に立ち回って楽しむくらいの豪胆な神経を持っていれば、そうか、酒なんかに逃げなくてもいいのだなあ。
今日は鴨沢さんの冥福を祈って、晩酌をしよう。もう思い切り何の心配もなく飲みましょう。合掌、鴨さん。
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コメント

今更なコメントでスミマセン

鴨沢祐仁氏が亡くなっていたなんて昨日まで知りませんでした。フランス映画祭のために買った京阪神の雑誌「L magazine」で「鴨沢祐仁メモリアルブック」の紹介記事を読むまでは。氏のイラストが表紙になっている「ビックリハウス」最終号は今でも私の永久保存版です。漫画の他に商品パッケージデザインもされていたようなので、何となく安心していたのですが。今更ですが、氏のご冥福をお祈りすると共に、詳しいブログを書いてくださったことに感謝します。

なるほど!

コメントありがとうございます。
お返事遅れてすみませんでした。
いやー、富士急のクシー君実写版CMは日本人の女の子でしたか。金髪のウィッグね…。そういえば、記憶を手繰り寄せると、日本人の女の子…だったような気も。
しかしあのCMがきっかけでバイトとは、人生わかりませんなあ。鴨沢さんのキャラクタ、クシー君やレプス君はあれがきっかけでメジャーになっていくんだ…そう思っていましたし、その力もあったと思いましたが。

クシー君とレプス君

はじめまして。
富士急ハイランドCMのことが書いてあって飛んでまいりました。
あれよかったですよね?クシー君の方は外人ではありませんでしたよ。女の子でした。ただ金髪のショートヘアのウィッグをつけていたので外人と思われたのかもしれませんね。沢弥かなちゃんといって当時はモデルで「羽生莉香」って名前でした。その後テレ朝プレステージの司会やらVシネやら出たのですが、パッとしなくてそのまま引退。結婚してしまいました。動画サイトでも見かけなくて残念なCMです。
わたしはあれがきっかけでしばらく遊園地でバイトしたほどでした。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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