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2008-02-20(Wed)

胆嚢切除決定

2月20日(水)
夕べは寝る前に胆嚢がちょっとうずいたので、念のためバファリンをいつもの倍の4錠飲み、びわの葉を胆嚢のあたりに貼って1時ころ寝る。もちろんバファリンの増量は気休めである。こういった鎮痛解熱剤というものは、効かない痛みには無意味。しかも量を多くすればそれだけ鎮痛効果が大きくなるかというとそんなことはないし、逆に量を増やしたことによってその薬が従来持つ副作用のリスクは増す一方だから、実はこういう服用の仕方はやってはいけないのだ。解っちゃいるが、胆石発作というものは理性を吹き飛ばすほど激烈で、猛烈に痛いものなのだ。
悪い予感が当たったというか、夜中に軽い腹痛で目が覚めた。暗闇でも見えるLEDのデジタル時計の数字を見ると2時ちょっと過ぎだった。これはやばいなあ…と思い、一旦そっと起きてしばらく居間の暗がりの中、じっと様子をみる。しばらくソファに転がっていたが、痛みがそれ以上強くならず、これならどうやら寝られそうだ…と思い再びベッドへ移動する。
しかしうとうとしたのも束の間、それから1時間も経たないうちに今度はかなり強い痛みで目が覚めた。胸や肩まで放散痛がひどい。こうなるとじっとしてられないので、連れを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、居間へ移動する。エアコンをつけてソファに崩れるようにして転がるが、例によってどんな体制を取っても激痛で、息苦しいほどだ。「ううー」とか「ああー」「いてえー」など自然に苦しい声が絞り出される。
3時ころが猛烈な痛みのピークで、これまでの発作でもっとも痛い。あまりの痛みで取る体制がなく、右や左や仰向けやら座ったり立ったり、いろいろ体制を試す。最後は_| ̄|○(ガックシ)ポーズまで取ってみるが、結局どうやっても痛みは全く薄れず、疲れただけ。ぐったり仰向けになってひたすら痛みが通り過ぎるのを待つ。今回は痛みの度合いも最強だったが、発作の持続時間もかなり長引いて、ようやく薄れてきたかな、という感じになったら何と明け方、5時半になっていた。
痛みが薄れていくのと共に猛烈な眠気が被さってきて、うとうとする。だがソファなので軽い眠りですぐ目が覚める。うとうと〜朦朧、という感じを繰り返して9時過ぎに連れ合いが起きて来るまでソファで転がっていた。その頃にはもう発作はすっかり治っていたが、とにかく眠れなかったし、発作に苦しんだ時間が長くてホトホト参った。これは何の罰ゲームだ、俺はいったいどういう大罪を犯したのだ、という答えの見つからない問いをずっと考えたりして、精神的にも疲弊してしまった。
今日の外科初診は12時予約。一晩中発作で苦しんだので猛烈に眠かったのだが、何とか支度をして11時15分ころ出た。外は昨日よりさらに暖かいし、晴れているせいか春のような感じだ。また連れと二人なので、タクシーで病院玄関まで行く。千円以内で病院まで着ける距離というのは、病身には有難い。自動受付機で受付をしPHS端末を受け取るとすぐ「ぶー」と鳴ってメッセージが液晶画面に「中待合へ行け」と表示された。まだ20分ほどあったので売店でも行こうかと思ったが、結局そのまま4Fの外科中待合(廊下)のソファで待つ。
待っているとまた眠くなってきたが、目を閉じただけでひたすら待つ。予約時間の12時ちょうどに「ブー」とPHSが鳴ったので、二人で診察室へ入る。外科のM先生は「血液内科のI先生から聞いてますよ」ということで、白血病で血液の状態が良くないことや脾臓が巨大化していることなども把握しており、CTの画像も見させてもらいました、とのこと。先生のモニタにはI先生が記入していた電子カルテがそのまま表示されており、俺のCT画像なども簡単にそこから呼び出して拡大表示など自由自在だ。その胆嚢部分の画像を見せてもらい、説明を受ける。
それによると、俺の場合は「石」というよりも泥のような状態のものの外側に石灰化した殻のようなものが形成されているようだ、という。モニタで見ると胆嚢の袋の中に落花生みたいな形の塊が見え、その輪郭部が白く見える。白く写っているところが石灰化しているところ、つまり固い殻のような状態の部分だそうだ。
その後診察室のベッドで触診をされた後、その場で胆嚢にエコーをあててもらう。エコー検査は前の病院だと別の検査室へ移動させられ、検査は検査で別扱いだったから、診察室で医師がそのままエコー診断が出来るというのはちょっと感動。その場で画像を何枚かプリントして、胆嚢の機能の説明と共に切除術の説明を受けた。M先生はソフトで大変丁寧な説明をされ、こちらもかなり安心した。
通常はもちろん負担の軽い腹腔鏡で行うのだが、俺の場合は確かに脾臓がかぶさっているので難しいけれども、出来ないことはなさそうだという。腹腔鏡を入れる穴をずらして脾臓を避けるようにして入れられれば、手術そのものは行えるということらしい。仮にそれがダメでも開腹は10cm弱なので、いずれにしても一週間程度で退院できるというので、これまたかなり安心。
ただ、胆石の手術患者はかなり待ちが多く、急性胆嚢炎などの重篤な状態じゃない患者の場合は何ヶ月か(!)待たされるという。俺の場合はそれでは困るので、何とか3月一杯で空きがあったら入れて貰えませんか、とお願いする。
俺は実は4月の新学期から京都精華大学で教えることになったので、新学期にいきなり手術で休講というのは避けたいのだ。M先生はもちろんそれは希望として聞いておき、空きが出たらすぐ入れるように書いておきましょう、ということにしていただいた。いやはや何だかエラいことになったなあ…と思うが、胆嚢がこれじゃあ普通の生活にさえ支障が出る。取れるんなら取ってもらった方がいいだろう。
で、胆嚢や胆道などを精査するため「MRCP」という造影剤を使ったMRIによる画像診断をやります、ということになる。検査はあさっての昼が空いているというのですぐ入れてもらい、あとは入院・オペ待ちということで待機することになった。お礼を言って診察室を出て、少し廊下で待つと看護婦さんに呼ばれたので、空いている診察室でMRCP検査の説明を受ける。その後1Fの入院受付へ行き、入院の説明を受け、入院の手引きや保証人の書類など一式を受け取って会計へ並び、1800円を払って病院を出る。

さてまずお昼を食べようというので東大路を渡ったところにある中華料理店へ入り、俺は塩ラーメンと餃子、連れは五目そば。塩ラーメンは俺好みのちょっとしょっぱ目の味。餃子はパリパリの羽根がついたやつでこれも美味。とびきりうまいというわけではないが、平均以上でナイス。連れの方は五目そばは期待した広東麺の甘い味ではまたしてもなく、ちょっと残念そう。東京では普通のラーメン店などでも普通に食べられた、あの甘いあんの乗った広東麺はこちらでは食べられない、解っているのだがどうも追いかけてしまうのだ。
腹いっぱいになって、ぽかぽかと暖かい東大路を熊野神社方面へ歩く。腹腔鏡が使えるかも知れないと解り、ちょっと気持ちも楽になった。結局タクシーで河原町蛸薬師へ出てぶらぶら、夕方帰宅。その後二人とも仕事したりした後、7時前にパンで夕飯にした。ヘキサゴンの3時間京都スペシャルを見ている間連れはソファでうとうとしていたが、その間に俺の方はじわじわと胆嚢が痛くなってきた。痛みそのものはたいして強くはなく、10でいうと4〜5といったレベル。だがこの痛みと不快感が長くずっと続き、往生した。枇杷の葉を9時ころ胆嚢のあたりに貼り、残っていた最後のボルタレン2錠とバファリン2錠をいっぺんに飲むと、10時半ころようやく痛みが薄皮をはぐように弱まり、10時過ぎにはほぼ消失。薬のせいか枇杷のせいか、あるいは両方か、はたまた単に時間が来て治ったのかは一切不明。とにかく爆弾を抱えているようなものなので、早いところ手術で取ってもらいたい。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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