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2008-02-22(Fri)

MRCP検査〜村上知彦さんと飲む

2月22日(金)
9時ころ起床。今日は午後から京大病院にMRCP検査を受けにいかねばならない。これはMRIで胆嚢や胆管などを専門に造影して撮影する検査なので、朝はヨーグルトドリンクだけにして、その後は風呂へ入る。検査前数時間は水分も一切禁止なので我慢。昼頃になるとさすがに腹が減ってきたが、しょうがない。
連れの親友である、詩人の井坂洋子さんから小包が届き、開けて見ると立派な枇杷の葉の束が2つと、手延べそうめん。連れ合いがこないだ電話で長く話してたときに、俺が胆石発作で痛かったときは枇杷の葉湿布をしたり、負担のないようにゅうめんを食べていると言ったので、送ってくれたらしい。本当にありがとうございます。
…その後1時ころ着替えて一人で出る。外はぽかぽかと暖かい…とまではいかないが、このところ春という感じで、実際今日は3月下旬の陽気だという。しかしこれも今日まで、また寒さがぶり返すということだが。バスで病院へ向かうが、時間には余裕があると思っていたら、前のバスとの時間調整なのか知らんが、運転手がなぜか超スロー運転(歩いてる人と同じスピードの時もあった)で、病院までいつもなら7、8分のところ倍の15分もかかったので検査予約時間ギリギリになってしまい、焦った。
1Fで受付機を通し、急いで地下の放射線受付へ。すぐに14番待合へ行けと言われ、着いたのは予約時間の1時半ちょうどだった。男性技師が待合のおばちゃんに「順番ですからね、もうちょっと待っててくださいね」と説明をしていたところに俺が入り、ソファに座ろうとすると用紙を見て「白取さん、1時半の方ですね、どうぞ」とすぐ入るように言われる。どうやら遅いので待ってた様子で、もうちょっと遅いと飛ばされて先ほどのおばちゃんになっていたところだった。
着替えて金属のものは全部外すように言われ、パンツ一丁に術衣のようなものを羽織り、時計やメガネも全部外して衣服と一緒にロッカーへ入れる。椅子に座らされ、まず造影剤を飲んでくださいと言われ、紙コップに入った薄い黄色というかジンジャーエールのようなものを渡される。造影剤は静脈注射だとばかり思ってたが、「甘い味のついた炭酸飲料みたいなものです」と言われて飲む。確かにうす甘くてまずいが、朝のドリンクヨーグルト以降何も口にしてなかったので、何となくうまく感じてしまった。飲み終えると「バリウムとかではないのでゲップも我慢しなくていいですからね」と言われて、安心してゲフッとやる。髪の毛もシャワーキャップのような紙製の帽子のようなカバーを被せて、撮影室へ。
鍵を撮影する部屋の入口にかけて、MRIの機械に仰向けに寝る。MRIは機械の音がうるさいので、耳栓を渡されてするように言われる。バンザイの格好をすると「はいそうですね、手をバンザイのようにしてください」と言われる。前に何度かやってるので慣れたものである。「では撮影しますが、途中息を吸って止めていただいて、その間に撮影をします。それを何回か繰り返す形になりまして、全体でだいたい20分程度で終わりますので」とのこと。
MRIはCTと違って、この息止めが長くて繰り返しがあるのが辛い。筒の中に入った後も、「ビーッビーッ」とか作動の際のブザーみたいな音もかなり強烈。息止めは一回20秒から30秒くらいかと思うが、思い切り息を吸ってこれだけの時間耐えるのってけっこうキツいから、年寄りなんか大丈夫なんだろうかと心配してしまうほどだ。「はい、ではまた撮影の準備をしまーす」「息を大きく吸ってください」「では息を止めて動かないで下さい」ビーッビーッ…で30秒後「はい楽にしてくださーい」、でこれが1セット。
数分おきにこれを10回くらいやっただろうか。最後は「では息を止めて動かないで下さい」で撮影の後、「楽にしてください」のアナウンスがなぜか来ない。律儀に我慢していたが、息が続かず目を白黒させた挙句、しょうがなくフハーッと吐いてしまい、ゼエゼエしていると技師が傍に入ってきて「はいご苦労さまでしたー、これで終了です」とのこと。ちゃんと「楽にして」を言って欲しい。いや、ぜひ言っていただきたいものだと強く熱望する次第です。
「造影剤は排泄されると便が黒くなったりしますが、それは何でもありませんから驚かないようにしてください」と言われる。今日は、実は夕方から評論家の村上知彦さんと会う日なので、「アルコールとか注意するものはありますか」というと、特に何を食べるなとかいうのはないというので安心。「経口造影MRI検査をうけられた皆さんへ」という用紙を渡されたので見ると、飲んだのは「経口造影剤・フェリセルツ」(クエン酸鉄アンモニウム)というものらしい。金属類をはずして、金属を飲んで造影するってことか。よくわからんが。
外に出てロッカーから衣服などを取り出して着替えて、待合室へ出ると2時数分前。30分ほどかかったわけだ。放射線受付に終わった書類を渡し、1Fで会計6900円だかを支払い、腹ペコだったので病院入口のドトールでレタスドッグとカフェオレ。レタスドッグが実にうまくて感動。俺って食欲に弱いなあ…と思いつつ完食して病院を出る。
晴れて陽気もいい、散歩日和。病院の入院患者がひなたぼっこしてたり、弁当を食ってる人もちらほら。熊野神社前のバス停へ行き、206番のバスを待つ。待ってると歩いてきた実直そうなオッサンが俺の脇に並び、さらに後から来た革ジャンのおっさんが、さらにその前へ、平然と最前列へ割り込んだ。まさかこいつら、と思ったがバスが来るとやはりそのまま何事もなく1番2番で乗り込んだ。やはり京都ではバスに乗る際、「順番を守ってはいけない」という決まりがあるらしい。おっさんが自分の前に立ったら、無言でさらにその前へ立たねば順番は守れないのだろう。…ていうかそれ繰り返したら最後ケンカにならんか?
連れ合いからは「村上さんから電話があって現地集合で、ということだった」とメール。帰宅してすぐ、下痢でトイレへ駆け込むと、もう若干黒い便が出たのでちょっとびっくりした。聞いてなかったらきっと「おおお俺もうダメかも」と思ったかも。その後村上さんから携帯に少し遅れると電話があり、待ち合わせの店には6時ということにする。バスで白川通りにある割烹へ5時45分くらいに入った。
掘り炬燵の簡単な個室へ入らせてもらい、ビールと酒と刺し盛りだけ頼んで一杯やりつつ待つと、6時ちょっと過ぎに村上さんが来る。村上さんとは十年以上お会いしていなかったが、あちらは昔のまんまで、髪や髭に白髪が多くなっただけという風情。開口一番俺に「何か若返った?」というので「え? そうですか」と返すと「何か昔の方がくたびれてた印象があるから」という。そういや「ガロ」の頃は「毎日毎日薄給でこき使われてましたから」というと「そやねえ」と笑われる。
ビールで乾杯の後、料理を一通りオーダーして、今度俺が精華で教える「作家研究」についていろいろとご意見を伺う。村上さんは04年まで精華で「作品批評」を担当されていたが、こちらはその後任的な扱いの講座になる。いろいろとカリキュラムについて当時のシラバスをプリントアウトしてきていただいたので、それを見ながら大学の講義の話などを中心に。
その後は「ガロ」のことや、昔の「漫金超」のこと、共通の漫画家や知り合いの話や関西人気質の話などなど、気がつくと11時の閉店くらいまでずっと飲んで話していた。
最初は10時ころには明日の予定があるから帰ると言っていたのだが、11時になってしまって村上さん「もう帰れません」。ということで、うちへ泊まってもらうことにした。タクシー呼んでもらってうちの前のセブンイレブン前で降り、俺は先に帰って二階片付けて布団敷いたりしてるから、と一足先にマンションへ戻る。戻って二階の和室のエアコンをつけて暖め、本の入った段ボール箱を十数箱ヒイコラ脇へ積み直して、マットレスを敷いて敷き布団を載せ、汗取りマットを被せ、掛け布団と羽根布団をかけ、枕も用意。終わって降りてくると二人がちょうど戻ってきたが、村上さん用の焼酎の小さなボトルと、俺の缶ビール2本なども買ってきた。なのでリビングでまた飲み直しになる。結局朝方4時くらいまで飲んで、お開き。いやーこんなに飲んだのも、我が家にお客さんが泊まるのも京都に来て初めてであった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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