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2008-03-11(Tue)

入院初日・手術は大変かも?

3月11日(火)
病室から更新中。
今朝は7時過ぎに目が覚め、あとは8時ころまでうとうと。起きてしばらくしてから入院荷物の仕上げに、仕事部屋のノートPCと最小限必要な周辺機器をバッグに入れた。夕べのうちに買ったパジャマやタオルその他の日用品などは用意しておいたので、これで支度は完了。
10時ころには着替えて連れと外に出る。荷物はボストンバッグとキャリーバッグ1つずつ、入院支度ももう慣れたもんだ。外は天気も良く暖かい。予報では18度まで上がるそうだが、こっちは入院だ。タクシーを拾って病院まで行くが、病院の中へ入ってからハッと気付いた。保険証と入院時に出す書類などは、すぐに出すからと思いベッドの上に置いていたのをコロっと忘れてきた。連れが取ってきてくれるというので、俺はロビーのソファで荷物と一緒に待つ。何が慣れたもんだ、だよと自己嫌悪。
10分ちょっと待ったか、割とすぐに戻ってきてくれたので、それを持って入院受付へ行く。書類を渡して、南病棟4Fのナースステーションへ行くように言われ、病棟へ向かう。病棟の方へ入ると建物がとたんに古くなるのに気付く。外来の方はかなり新しくて綺麗なのでよけいに落差が激しく感じてしまう。あちこち汚れも目立ち、大丈夫かねと連れと顔を見合わせつつエレベータに乗って4Fへ。
降りてすぐのところにNSがあり、声をかけると看護婦さんと婦長さんがすぐに対応してくれた。病室は相部屋だが、個室が空いたら移れますから、とのこと。病室は413という部屋へ入ることになると、看護婦さんが案内してくれる。413、日本と西洋の不吉な数字が合わさったナイスな部屋番号だぜ。
部屋は6人部屋のつくりだが、窓際の2つ以外は「スーパーフレックス」と張り紙がしてあって、誰もいない。フレックスということは、テンポラリとか足りない場合に使ってるという意味だろうか。ベッドは南向きの窓際、日あたりのいい部屋で良かったが、眺めは今ひとつ。向かいの建物の壁面がなければかなり見晴らしが良かったのになあ、とちょっと残念だが贅沢は言ってられない。それより病室もかなり古く汚れが目立ち、そっちの方が気になった。
ロッカーや冷蔵庫などの確認して看護婦さんが去ったあと、パジャマに着替えたところで、担当の看護婦さんが来て、病棟を案内してくれる。病棟は工事中で、ひっきりなしに工事の騒音が響いており、かなり騒々しい。安静の人とか大変だろうに、と思う。しかもこちら側のトイレは何と工事中で、トイレのたびにいちいちNSを挟んで廊下の反対側にあるトイレまで行かねばならないのがかなり不便。
簡単な問診とバイタル(体温、血圧)のあといったん出て行ったので、じゃあ下の売店でお茶とかMのお昼を買ってこようかと廊下に出ると看護婦さんと鉢合わせ。これから採血というので病室に戻り、試験管5本採血されてから、再びエレベータで地下へ。その前に、向かいの空いていたもう一つの窓際のベッドに別の患者さんが入ってきたので軽く挨拶をした。
売店で連れのお昼をと思ったがたいした弁当もなく、入口のドトールでテイクアウトすることにして、俺の茶、コーヒー牛乳などを買っただけで1Fへ。ドトールは12時ころで混雑が始まったあたり。連れのレタスドッグとアイスココア、俺のカフェラテをテイクアウトし、病棟に戻る。
部屋に入るとお昼が届いていたが、常食はいいのだがおかずが今ひとつ。ご飯と鞠麩の入ったすまし汁に、豚肉と野菜の煮物、いんげんと油揚げの煮物。味も薄い。売店で連れが鯛味噌を見つけて「これはおいしいよ」というのでチューブに小分けされたのを買ったが、甘くて俺好みではなかった。それでもモリモリと完食し、それからしばらくテレビを見て二人ともごろごろ。
連れには「もういいよ」というと何度か「まだいる」「もういいから」を繰り返したあと、1時半ころ一緒に下へ降りて、正面玄関を出たところで別れる。
それにしても午後になるといっそう気温が上がり、パジャマの上下で病院の外に出ても全く寒くなかった。それどころか病棟はご飯を食べた後は暑いくらいで、汗ばんだほど。その後は3時半まえに看護婦さんが呼びに来たので、1FのX線検査へいく。受付を済ませた後待合の椅子に座ると、4,5分で呼ばれて第三検査室へ。立って胸部一枚腹部二枚、寝て腹部一枚の撮影。撮影自体はすぐ終わり、階段で2Fへ上がり、心電図検査。番号札を取ると104番。すぐに検査室からはおばはんが出てきて、その直後に番号で呼ばれる。ベッドに寝かされて両手両足、心臓周辺に電極?をつけられ、検査そのものは1分ほどで終了。病棟へ帰っていいですよ、と言われてそのまま病棟へ上がる。
夕飯はおでんそれからは夕飯まで暇なので、ネットでニュースを見たり、スパイダソリティアをやったり。5時過ぎからは相撲を見て、6時ちょうどに夕飯。おでん、なんか野菜とツナの煮物、おひたし、ご飯、柴漬け。おでんはアツアツで、意外といい味でうまかった。買っておいた「ごはんですよ」も開けて食べた。食欲、依然衰えず。
完食してコーヒー牛乳飲んでると6時半ころ、白髪・メガネの50代くらいの先生が来る。こちらの腹を触って、「これは腹腔鏡無理かもわかりませんねえ」とのこと。もし器具が脾臓にさわって傷つけると、脾臓を全摘しなければいけなくなり、大手術になるという。なので、開腹なら脾臓には全く触らないので、ちょっと相談してみます、と言って去っていった。うーむ、やはり腹腔鏡は無理だったか。そりゃそうだよな、穴を4箇所あけて腹にカメラや器具をつっこむわけだが、通常あける位置には脾臓がかぶさってるし…。
その後、7時前には若い医師2人を連れたO先生という医師が来るが、どうやらこのグループが執刀をするらしい。O先生は柔らかな物腰で、丁寧に説明をしてくださる。まずは俺の腹を触診して、やはりこれは腹腔鏡だと無理でしょう、という判断。腹腔鏡というのはもちろんカメラや器具を小さな傷口から入れて操作するものだが、脾臓が大きく張り出しているので、まずそれをよけて入れられるかというのが一つ、仮に入ったとしても操作が極めて不自由になるため、リスクも増すということもある。それでは腹腔鏡でやる意味がないわけだ。
やはり開腹でやった方がいいと思うが、開腹にしても、大きな脾臓をよけ、さらに脾臓で圧迫された胃が胆嚢にかぶさった状態なので、それらをうまく傷つけないように手術をするとなると、通常より大きめに切らざるを得ないでしょう、とのこと。昔はあまり傷を大きく開けずに切るという方針で行われた手術だが、最近では、逆に安全のために作業場所を確保する意味もあって、けっこう大きく切るらしい。腹腔鏡も昔はブスリと器具を突っ込む感じだったのが、最近では器具も良くなって、うまく臓器を掻き分けて拡げたりしつつ進むことが出来るようになったというが、仮に脾臓を傷つけると、血が止まらなくなり、全摘しかなくなる。そうするともう切腹のように左右に腹部を大きく切開しなければならなくなり、その上で胆嚢もとなると、ほぼ横真っ二つに腹を切る大変な手術になってしまうというのだ。とにかくこちらは安全な方向で、とお願いするしかない。
さらに俺の場合はもう一つ問題、元の病気つまり白血病によって血球が減少しているというリスクがある。血小板数は今日の採血だと64000しかなく、まあそれは手術できないという数字ではないのでいいにしても、ひょっとすると術中に血小板輸血が必要かも知れないとのこと。また恐ろしいのは白血球数がたった900しかなく、好中球数は350ほどしかなかったという。これには俺もビックリした。つい先日、外来で受けた採血結果では1200で、そのうち半分が好中球数としても500は切ってないだろう、と思っていたのに…。この数字はもちろん感染などに重大な懸念が出てくる数値なので、事前に白血球を増やす薬を注射する必要があるかも知れないとのこと。ただ、脾臓がここまで大きいと、思った通りの結果が出るかは不明だという。しかし胆石発作が起きている以上、薬ではもうどうしようもないので、胆嚢は取った方がいいでしょう、とのことだ。
どうやら「胆嚢切除手術はそれほど危険度は高くない」なんてもんじゃなく、俺の場合はけっこう大変な手術になるらしいことがわかった。とにかくもうジタバタしても仕方がない。何とかうまくやっていただくしかない…。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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