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2008-03-12(Wed)

手術の説明を受けた

3月12日(水)
夕べは「たけしの本当は怖い…」を見て、「オリラジ経済白書」でチロ(ビッグスモールン)が見事一ヶ月バイト生活で100万円を突破したのを見て、10時消灯。耳栓をして寝に入るが、なかなか寝付かれずにごろごろ。というのも、ベッドが固くて身動きすると腹にひびくのだ。それでも夜中少しは、2時過ぎにはっきり目が覚めるまで3時間ちょっとは寝られたようだ。それからまた寝られず、3時過ぎにトイレに起きて蓄尿、冷蔵庫のお茶をコップ半分飲み干す。病院はやはり乾燥しており、喉が渇く。
その後朝までまたうとうとと浅い眠りと目覚めを繰り返す。ほとんどがレム睡眠だったので、熟睡は出来ず、7時前にナースが起こしに来る時にはもう起きていた。昨日は何と20度になったそうで、道理で暖かかった…というか暑いくらいだったわけだ。俺がもともと暑がりということもあって自分がおかしいのかと思ったが、外が20度あったら暖房つける方がおかしい。今日の予報は18度ながら、朝からうす曇で日中は晴れそうだから、また気温が上がるだろう。
7時半ころ、昨日執刀医であるO先生と一緒に来たK先生が突然来て、ちょっと腹部エコーを見たいのでいいですか、というので一緒に出る。同じフロアのエコー室で見てもらうと、脾臓がやはりかなり大きく右側まで張り出しているのが、エコーの画面で素人でも解るほど。ヘッドをスライドさせていくと小さくなり、小さくなったところがエッヂになるのだが、先生は「ちょっと待っててください」といってマジックを取りに行き、脾臓のエッヂを腹にマーキングする。胆石もかなり大きく、慢性的に胆嚢炎も起こしてる形跡があり、石も小さいのがポロポロ落ちたりして、発作が頻発してるのだろうということ。
その後病室に戻って少しテレビを見てから、8時過ぎに地下の売店へ行き、コーヒーなどと、マウスウォッシュと手鏡を買って戻る。売店では有線でジェロの「海雪」が流れていた。今年の紅白は当確か、ともはや言われている噂の黒人演歌歌手。部屋に戻ると、向かいのオジサンのところへ主治医とナースが来ており、俺が戻るのと入れ違いに手術室へ連れ立って行った。
その後すぐこちらの医師団3人がきて、「お変わりありませんね」と言って、「今日ご家族の方は大丈夫ですか」というので「大丈夫です」と言うと了解してすぐ出て行った。9時排便。水分が足りないせいか固い。
その後テレビ見てるとナースが「麻酔の先生から説明がありますから、行ってください」と言われ、指示された廊下の突き当たりの階段を上がった部屋で待つよう言われる。手術日はあさってで、普通前日に麻酔科の説明を受けるはずだが、早いなと思って待合へ入って椅子に座る。太った車椅子のオバサンがナースに連れられてきて、ドアをあけて奥の人に声をかけていったので、俺も同じく声をかけて名前を言う。出てくるとまた別のおばあさんが増えていた。その後車椅子のオバサンが呼ばれ、説明を受けている声が丸聞こえなのを聞きつつ、目を閉じて待っていると、先ほどのナースが来て済まなそうに、「すみません、連絡ミスで今日ではなくって…」というので「明日ですよね」と言うと「そうなんです、すみませんでした」と恐縮される。結局また来た道を廊下を歩いて部屋へ戻る。
戻ると担当ナースのNさんがおり、「間違ったみたいですね、すいません」と言われて、検温と血圧測定。
こちらの大部屋は向かいのオジサンが手術へ出かけたら俺一人で、どうせ手術後は数日個室に入れられるから、このままでいいかな、と思っていた。で戻ってきたら入口近くのベッドにはお爺さんが入ってきたようで、かみさんのお婆さんとかなり大きな声で話している。こちらがベッドへ戻るとお爺さんがパジャマに着替えて挨拶に来た。ニコニコと良さそうな感じの人だったが、お年寄りはお年寄り。耳が遠く声や動作音が大きく、夜中も何度も目を覚まして出入りをしたり騒音を立てるのは、もう嫌というほど体験済みである。こりゃあ夜はたまらんな…と思いナースNさんに「さっき婦長さんが来て『個室空いたけどどうしますか』と聞かれたんですが、連れと相談したので、お願いできますか」と言う。本当は婦長さんが「個室空きましたけどどうしますか」と来た時、このままでも…と思って保留していたのだ。お爺さんが入ってきたのは予想外なので、やはり予定通り移ることにしたわけ。
待ってると「じゃあ移動準備しておいて下さい」ということになり、さっそくパソコンその他身の回りのものを全部バッグとキャリーバッグにしまい、冷蔵庫のものも出し、あとはロッカーの服だけという状態にスタンバイ。すると11時ころお向かいさんが手術が終わって戻ってきて、「ぜんぜん痛みはないですよ」などと軽口をたたいている。残念ですが、今は痛み止めが効いてるんですなあ。
そんな中、看護助手のおばさんたちが来てくれ、移動をするというので、こちらもばたばた。使っていたベッドをそのまま持っていくそうで、後についてキャリーバッグを押していく。個室は456号室、入ったら何か変な臭いがする。前の人の臭いなのか、元々部屋の臭気なのかは不明だが、ウッと来るほど強い。またすぐ元の部屋へ戻ると、バッグなどは持ってくれたので、俺はロッカーから服を出して持って行き、移動完了。しかし臭いが…。
今度の部屋は窓が北向きになり、外は前に連れ合いと外から見上げて「凄いね、あの建物」と話した、ツタの絡まった使っていない古い建物。幽霊屋敷のようにも見える。病室の窓の外には回廊状にベランダがあるが、出てはいけないようになっている。そこに鳩が二羽来て憩っていた。写真を撮ろうと構えるとバサバサと逃げて向かいのツタの建物へ渡ってってしまった。その中の一羽は割れた窓ガラスから建物の中へ入って行ったが、あの中はどんな状態かと想像すると恐ろしい。
その後連れ合いに「部屋移った、臭いがひどい」とかメールしたりしてテレビを見ていると、12時で昼食が来る。カレーとご飯、サラダ、らっきょうとヨーグルト。完食。もう意地で完食である。その後は2時前に手術時に使う腹帯とT字帯を買っておかねばならないので、売店までまた降りる。それぞれ指定通り2枚ずつ買い、今日と明日の風呂に使うナイロンのボディタオル、お茶とコーヒーなどを買って戻る。
2時過ぎ、テレビを見つつトロトロしたくなり、その前にメールチェックすると仕事のデータが届いていた。さっそくDLして作業してftpしたり。e-mobileだと速度的には非力だよなあ…と思ったが、意外と速い。もちろん家の光ほどではないが、じゅうぶん実用レベルで驚いた。2005年に日大病院に入ってた時はAir Edgeで、物凄く遅かったのに比べれば格段のスピードアップだ。3時には全作業終了。
その頃、ナースのNさんが白血球を増やす小さな注射を打ちに来る。採血の針に比べれば注射の針はめっちゃ細く、右肩に注射されるが、ほとんど無痛。その際「白血球数が900しかなくて、好中球数も360だかしかなかったと言われた」と言うと「ええー?」とビックリされる。これはもう感染に厳重注意という数字ですよねえ、と言うと「そうですね、トイレとか、院内も結構菌があるので、マスクをつけて出られた方がいいと思います」と言われる。そりゃそうだ、忘れてた。
その後、4時半から風呂を予約しておいたので、もうそろそろいいかなと4時過ぎに風呂場を見に行くと「使用中」の札。しょうがなく用意だけして部屋で待ち、4時半になってもまだ「使用中」、5分くらいオーバーしてようやく空いた。着替えや風呂道具を持って浴室へ。脱衣場も風呂場も思ったより広い。ステンレスのベッドほどの大きさの浴槽に、真ん中に腰掛のような段差がついたものが左手にあって、右側には洗い場が二つ。浴槽には湯が張ってあり、軽く体を流してから入ろうとしてよくよく見ると毛やゴミが浮いてるので寸前でやめる。栓を抜いて強烈な水流が出るシャワーで浴槽を洗い、それから湯を張ろう…と思って体をシャワーで洗いはじめるが、どう考えても入浴時間中に湯は張れそうになく、結局シャワーだけで諦めた。
それでも気持ちよく病室へ戻り、髪をとかしてると連れ合いが部屋へ入ってくる。唐揚げや惣菜類、「部屋が臭い」とメールしておいたので、芳香剤と消臭剤も買ってきてくれたので、さっそく部屋じゅうにすっきり消臭リセッシュ。芳香剤も封を切って置くと、しばらくしてようやく嫌な臭いが軽減されて気にならなくなった。やれやれ。
その後朝のK先生とは別の若いKドクターが来て、朝K先生がエコーを見たが自分も見たいのでいいですか、というので一緒にエコー室へ行く。エコーをあてながら、胆嚢の様子を見て、部屋に戻る。6時になって飯になり、食べ始めるとKドクターが来て、「今時間が空いたので手術の説明いいですか…」と言いかけ、こちらがご飯食べてるのを見て「…後にしましょうね、じゃあ20分ほど後でいいですか」というのでそうしてもらう。しかし5分ほどで戻ってきて、「すいません、緊急で先生に用事が入ったので、予定の7時より遅くなると思います…」とのこと。
連れ合いに夕飯買ってくればというと、家で惣菜の残りとおにぎりを食べるからいい、と我慢していた。こちらの夕飯はさば塩にゆでオクラ、おひたしなどに、持ってきてもらった唐揚げ。遠慮なくもりもりと完食。すると連れの携帯に土曜日に上洛する教え子のNさんから電話。土曜日京都へ来たら、俺がこんな塩梅なので連れが夕飯をご馳走することになっており、その挨拶と連絡。最後に俺も電話を替わり、久々にちょっとだけ話した。それにしても手術の翌日は恐らく面会は受けられないだろうから、みんなの顔が見られず残念だ。まあ、紅葉の季節もいいことだし、また…。
その後は二人でテレビを見ていると、7時過ぎにKドクターが来て面談室に呼ばれた。執刀するO先生がすでにおり、奥のPCにK先生がついて説明の要旨を打ち込む役。O先生は今回の胆石発作と胆嚢炎の説明から、腹腔鏡が使えず開腹すること、どういう手術内容かなどを順を追って丁寧に説明してくださる。
俺の場合はやはり通常の胆嚢切除術とは違い、脾臓が巨大なことや白血病の汎血球減少があることなど、リスクがかなり多い。また開腹手術というのは、事前でCTやMRIである程度様子はわかってるとはいえ、基本的に「開けてみないと何がどうなっているかが解らない」ということ。なので、開けたところで様々な事態に対処していかねばならない。
例えばそうならないように注意はするものの、脾臓を傷つけた場合。これはちょっと表面を触っただけでじわじわと出血が起こることがあるが、それをじゃあ止めようとすると、縫うとか、抑えたりするとかしても、結局そのことが余計に出血を加速させることが多いという。結局、大きく腹を開けて巨大な脾臓を全摘する…ということにもなりかねないという。
通常、脾臓の大きさがそれほど大きくなっていなければ、そうなった場合脾臓を取ることも難しい手術にはならないものの、やはり大きさが違う。さらに、肝硬変などで脾臓が大きくなることもあるが、俺の場合は白血病つまり血液腫瘍によって脾臓が巨大化している。こういった場合、将来的に脾臓を全摘することがあり得るのか、あるいは違うのか、取った場合は病気にどういう影響が出るのか…といったことは、元の病気つまり血液腫瘍の専門家である、血液・腫瘍内科のI先生と相談しなければ解らないとのこと。
それは相談して下さるということだが、さらに俺の場合は胆石発作を何度も起こしているから、胆嚢そのものが炎症を繰り返して、肝臓に癒着している場合もあるという。そういう場合は引き剥がして胆嚢だけを取ることが困難になり、切開して中の粘膜を焼いたりすることもあるそうだ。また術中に石のかけらなどが総胆管にこぼれることもあり、それがないか確認しつつやっていって、あった場合はその場で取ることもあるが、解らない場合は後日内視鏡を入れて取る場合もあるという。
こちらとしてはとにかく安全な方法でお願いします、とお任せするしかない。「何か心配な点や不安なことなどあれば」というので、連れが実は右腎臓全摘手術を受け、右下腹部をかなり大きく横に切られ、その後一年ほど七転八倒の痛みに苦しみ、神経と筋肉を切断したので腸を支えきれず、右の腹が醜く歪んでしまった。さらに腹膜も切られたので、常に腹帯をして腸が飛び出ないように支えていなければならず、急な腹圧がかかる動作=くしゃみや咳などは手を腹にあてて抑えつつやらなければならない。こういった状態になるようなことはないですか、と聞くと、O先生は「もちろんそうならないように注意して切りますが、絶対無いということはないです」とのこと。
ただ俺の手術はいくつか切開方向があるうち、右の肋骨の指二本分ほどの下を、肋骨に沿った形で12〜15cmほど切開するという。なので、連れ合いの場合のような下腹部と違って、圧のかかり方が違う場所ゆえ、可能性としては若干低いだろうということ。通常切った腹膜を縫い、筋肉を溶ける太い糸で縛り、さらに皮膚を縫合する。この筋肉の太い糸が消えるまで約半年、その間糸で腹筋を支える力は衰えていくが、反比例して自分の筋肉の力が戻って自力で支えていくことになる。なので、半年間は重いものをかがんで持ち上げるなど、急な腹圧がかかる作業や、ゴルフなどの運動は厳禁という。ゴルフはやらないが、荷物を床から持ち上げたり…などはついうっかりやってしまいそうで怖い。だが、歩いたりという軽度の運動はむしろ術後すぐに積極的にやった方がいいという。
胆嚢は肋骨の下で保護されている肝臓にぶら下がっている臓器だが、肝臓の上にはすぐ肺がある。なので手術の場合免疫力が下がって、お年寄りなんかだと肺炎になったりするリスクもあるそうだ。俺の場合の免疫力は「白血病のためにお年寄り並ですよね」と言うと、先生はちょっと笑って「まあでも白血球を増やす薬を打ってどれだけ反応があるかと、あとは通常より多めの抗生物質を長く投与するということも考えなければいけないかも知れませんね」とのこと。
このように肺炎のリスクもあるが、手術の時は全身麻酔で動けないので、血栓が出来ないように脚をマッサージする機械がつける。術後それが取れた後、傷が痛いので動けない。動かないと血栓が出来やすくなり、それが肺に飛ぶと「肺塞栓」つまりエコノミークラス症候群になったりして、突然死んだりすることさえある。なので、早期離床、術後当日はともかく翌日から歩くように勧めるのはそういうことだそうだ。
他には血小板が足りないのは成分輸血などで対応する場合があることや、取った組織のサンプルが研究に使われる可能性があることなどなど、これらの話をほぼ1時間かけて、CTの画像やホワイトボードも使ってじっくりと説明をしていただいた。最後に手術や輸血の同意書や、術後せん妄といって暴れ出す場合には拘束するということへの同意書なども含めて書類をいくつか貰って、辞す。
部屋に戻って俺がサインし押印、連れのサインが必要なものにはサインしてもらい、書類を調えてしまい、8時半ころ一緒に下に降りて、正面玄関を出るのを見送って病室へ戻った。戻るとすぐ夜間担当のナースが来て、バイタル。明日は早朝に採血、10時半から麻酔の説明を受け、3時ころから下剤を飲んで腹を空にすることになるようだ。
長い一日がそろそろ終わる。明日もまた、長い一日になるだろう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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