--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2008-03-28(Fri)

津野裕子さんの新刊『一角散』が届く

3月28日(金)

朝起きたらどうも目眩がする。首を横に振ってもたいしたことはないが、朝のうがいの時に頭を後ろに上げて前へ戻した時、激しく「ガクン」と落ちるような目眩がした。前後の動きに呼応しているようだが、原因不明。なので一日様子を見つつ、出かけずにごろごろしていた。連れ合いは途中仕事で出て、その後夕飯どうすると電話があった。どうすると言われてもなあ、目眩がするから本当は出たくなかったのだが、何もないし仕事終わりでご飯作ってもらうのも何だし、というので一乗寺清水町にある焼肉屋「喜田膳」へ、いったん帰ってきた連れとバスで向かう。
「喜田膳」はお洒落で落ち着いた内装で、値段はやや張るものの、かなりレベルの高い肉を食わせてくれる。たまの贅沢だからいいだろう。ここは人気があって時間が遅いと一杯になってしまうので予約をして行った。予約をすると席に「○○様 心をこめておもてなしをさせていただきます」というようなカードが立ててあったりする。こういう細かい心配りはいい。しかし今回我々はカウンタに通されたが、俺たちのすぐ後に予約ではなくフリで入ってきたカップルが、前からいた予約客(カードがあるので判る)のカップルと俺たちとの間に通されたのにはちょっと減点。数珠つなぎである。
カウンタは8席。まずは右端に予約カップル。次に俺たちをどこへ通すか。左端にしてもらうと我々は有難い。いやまあ、店側にしたら、右と左の端にカップルを通すと、次に来たカップルは真ん中に通さざるを得ず、ということはカップル3組の間に1席ずつ空きが出来る。それではムダ・非効率…と考えた場合、確かに端に1組、次は2席空けて1組、次はその間、最後は反対の端…というのも「アリ」かも知らん。しかしそれは所詮は「店側の論理」。客からすれば、我々は2組目なので逆の端に通して欲しかったし、次に来た客を真ん中へ入れるのか、あるいはどちらかへくっつけるか、その場合になって初めて他の席も見て考えればよろしい。実際カウンタ以外のボックス席はずいぶん空いていたわけだし。
しかしもっともいけないのは、おしぼりもオーダーも後に来たフリのカップル客が先であったところ。我々は一応予約客であり、先に入店しているのだから、これはかなりのマイナスポイントである。せっかく味もいいし店構えもそれなり、値段もそれなりの「高級店」なんだから、そういうところはちゃんとしようよ。しかしまあやはり味はよく、すぐ機嫌も直ったけど。

★    ★    ★

コンビニで買い物をして帰宅すると、郵便受けに封筒が届いていた。差出人を見ると、津野裕子さんからだった。
まだ俺が癌宣告を受ける前、ちょうど3年ほど前に拙ブログで「津野裕子さんの近況」という記事を書いた。
その中で述べた通り、津野さんは「ガロ」でのデビューからずっと担当をさせていただいた「天才」だと思う漫画家さんの一人である。そうして毎号素晴らしい作品の「第一番目の読者」になることが出来たし、処女作品集「デリシャス」、「雨宮雪氷」という「ガロ」連載作品を中心にした単行本を2冊編集させていただいた。
もう臆面もなく言うけれども、原価計算を繰り返し、やりくりをして、あえて「四六判上製」というスタイル、「布クロス+箔押し」という造本で送り出させていただいた「デリシャス」は、当時から「津野さんの作品にぴったり」「可愛くて、一生手放せない一冊」という嬉しい評判をいただいたものだった。
もちろん作品がいいから、その単行本も名作となる。誰が担当になって編集したって、いい作品はいい本になる…はずである。よほどのボンクラが編集しない限りは、だが。

津野さんがデビュー当時「ガロ」の投稿サイズを間違っていた、という逸話は有名だ。(というより、津野さんにそういう話をしたら、「デリシャス」のあとがきにご本人が描いてしまったので)
もう20年以上も前のこと、神保町は材木屋の二階にあった青林堂の「ガロ」編集部で、俺はいつものように届いた投稿作品の封筒を切って下読みをしていた。午前中から午後早い時間くらいまで、当時は返品の整理やら取次への品出しやら何やらで、編集作業はその「合間」に行っていた。

その日も返本整理のあと、郵便受け(普通の家庭についていたような、赤色で錆びたようなやつ)からはみ出してささっていた郵便物の束を取り出して、あの狭くて急な階段を上って二階の編集部に戻った。郵便物の中から投稿作品を仕分けてから、長井さんに見せる前にそれらを読むことを俺は許されていた。なぜかというと、長井さんは俺が当時まだ漫画家になる希望を捨てていなかったのを知っていて、
「白取君、送ってきた漫画さあ、時間ある時に読んでいいぞ。勉強になるからなあ」と言ってくれたからだった。
送られてくる封筒の大きさは、だいたいB4くらいが普通であった。B5判雑誌である「ガロ」の場合、原稿原寸(つまり掲載前の原画の大きさ)はだいたいその1.2倍程度となる。「ガロ」には投稿規定として、だいたいの用紙寸法と、正確な版面(=はんづら:漫画が描かれるワク線の内側のことね)の寸法が記載されていた。なので原稿はいつも83%に製版で縮小して印刷されていた。
俺は投稿作の封筒に、妙に小さい封筒が混じっているのに気付いた。「これは寸法間違いだな」と思い、封を開けて原稿を取り出した。

それが、津野さんの「冷蔵庫」という作品だった。
一目見て、その繊細な線と不思議な世界、愛らしい登場人物に魅了された。
しかしその原稿は、一回り、いやふた回りほど小さかった。原稿の大きさを雑誌と同じ=B5原寸と勘違いしたのだと思う。俺は思わずそれを引き出しにそっとしまった。いやなぜって、もっとゆっくり見たかったというのもあったけれど、長井さんはサイズを間違う投稿作家に対して、いつも「原稿の寸法書いてあるじゃねえかよ、そういうのを読んでない奴はロクなもん書いてこねえんだよな」と言っていた。
実際、寸法違いで返信用封筒の無い投稿作品(返信用封筒が無い場合、非掲載作品は破棄される)を、チラチラと読んだだけでその場でひねり潰してゴミ箱へ直行させたのを見たこともある。「これは、マズい…」と思った。
もちろん、俺が見て素晴らしい作品だったし、長井さんが見ても即入選というレベルであったという確信はあった。そんなことは解っている。でも、ひょっとして長井さんの機嫌が悪い時に、サイズ違いというだけで万が一、落とされたらどうしよう…。本気で当時の俺は心配したのだった(この感覚は、編集部で長井さんと長く一緒にいた人間しか解らないかも知れない)。
で、長井さんの機嫌の良さそうな時に頃合いを見て、何気なく「あ、これ今日届いたやつなんすけど、サイズ原寸なんですが凄くいいと思いますよ」と言って渡した。長井さんは「あっ、そう」と言って受け取って読んでから、黒電話の前に積んである「入選候補」原稿の上にそれを置いた。
そうしてしばらくしてから、これも絶妙な頃合いをみて「あ、これ、入選作品な」と言って津野さんの「冷蔵庫」をこちらへ戻した。

これらの経緯は、今となってはもうどうでもいい瑣末な話である。
津野さんの作品は誰がどう見たって、そりゃあ一発採用だ。俺がたまたま、偶然、その最初の発見者になっただけだ。そうしてラッキーなことに、その後ずっと担当でいることができた。それだけのことである。それだけのこと、なのに津野さんは単行本のあとがきに、いつも俺のことを書いてくれた。そういうことを大切にしてくれる人なのだ。
津野さんは「ガロ」への投稿・入選前後、某有名メジャー誌へも投稿しデビューの誘いを受けていた…という逸話も有名な話である。ただし、それは「東京へ来てみっちり編集に揉まれること」が条件だったそうだ。津野さんの作品にメジャーの編集ごときがヤイのヤイの言う、それを想像しただけで頭に血が登った(笑)が、幸い(?)、津野さんはそれを丁重にお断りし、故郷の富山でずっと暮らすことを選んだという。
そして、好きな漫画を好きなように、「ガロ」へずっと発表してくれたのだった…。

今回津野さんが俺に送って下さったのは、津野さんの8年ぶりとなる出たばかりの新刊、『一角散』であった。
津野さんが幸か不幸か富山で漫画を描くことを選択されて、そのことが彼女を「寡作の人」と呼ばせることになった。クーデター事件で青林堂・「ガロ」が崩壊した後に出た『鱗粉薬』から、もう8年になる。しかし津野さんは3年前に
「高校生の時のあの紙と鉛筆があれば何もいらないやってかんじが何故かこの年になってやってきてしまいました」
と、創作意欲が衰えるどころか、楽しいとさえ語ってくれた。その時、彼女は「青林工藝舎さんが単行本を出さないか、って言ってくれているんです。でも白取さんのことを考えると、申し訳ない気もして」と言っていた。
もちろん、俺は何をさておいても、優れた作家の作品が、どんな形であっても、どんな版元からであっても、世の中に存在し続けることが大事だと思っている。なのでもちろん、「そんなこと全然気にしないで下さいよ、津野さんの本が出ることそれ自体が大切なことなんですから」と答えた。

――その時津野さんが話してくれた本が、ようやく出たのだった。個々の作品に関しては言及しない。いいに決まってるだろう。そして津野裕子の作品がこうして本になった、それでじゅうぶんだろう。あとがきにはまた「原稿サイズを間違った」と書いてあった。やっぱり津野さんらしいや、と笑った。
そして、やっぱり津野さんの本は誰が担当してもいいのだ、いい造本デザイナ・あるいは装幀者がいれば、「編集者」なんか必要ないのだな、と判った。

一角散
津野 裕子
青林工藝舎

このアイテムの詳細を見る

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

あいやー

津野さん、ここへコメントをいただくとは。こちらこそすいません。
手ぬぐいは四条にあるちょっと有名な店のもので、何かいつ覗いても観光客や外人さんで賑わってます。和柄なハンカチがあって、よく見ると舞妓はんがスキーとかレガッタやったりしてたりして、面白いのもありましたよ(笑)。鯉のやつは飾ったら綺麗だろうなあ、と思ったんで、気にいっていただけたら嬉しいです。

とにかく津野さんの作品が絶えずに読み継がれること、が大事だとおもってます。いや、津野さんの作品だけじゃなく、そういうのはたくさんあるんですが、とかく市場原理主義だけで動く出版界、マンガの世界も良書を次代へ伝える、という考えが必要ですよね…。
京都はいいところです。山々の緑が本当に素晴らしいです。でも富山も素晴らしいところでしょう、特に海産物が…酒の肴が…なんて。生活満足度っていうんでしたっけ、富山県は「住んでて良かった」といえるいいところだと思います。
ぜひ遊びに行きたいなあ、とやまだとも話してますが、そのセツはぜひよろしくです!

…頑張ってそれまで生きますよ。

すいません

手ぬぐいをとてもありがとうございました。
こちらでは私がしのぎの会社で作ったデパートのチラシの
京都展で扱ってるものよりずっとすてきなものです。(鯉)
早速飾らせてもらいました。

原稿寸法の違いの話にまつわる長井さんのお話面白かったです。
背中に氷を入れられたような感じです。
「原稿の寸法書いてあるじゃねえかよ」に。
その寸法を見て描いたつもりだったんです。
カルメ焼みたいな自分の脳みそよ(カルメ焼ごめん)あぁ・・・・
最近、長井さんが言ってた自分の評価について知る機会が
ひょんな事からありました。
以前から・・・その時から思ってたんですけど
うわぁ!!新鮮だな!って感じです。
長井さんがたとえ私の事なんか忘れてても「居る」って感じです。
どう言えばいいのかわかりません。が全ては
個々の記憶なんですね。

単なる力不足の輩なのに、
カッコいい風に書いていただいてすいません。
寡作とか、なんかカッコいいですね~。
ここで言わせていただくのもなんですが、私なんぞ
メジャーの荒波でやっていけるわけカケラもありませんし!!
逃走の末どこに行けるかわかりません。
のたれ死にが適当であろうと思いますが、ずうずうしいので
行けるとこまで行く覚悟です。
白取さん、お体何よりも大事にして下さい。
新緑が目に染みる季節です。
京都の春ってきっと素晴らしいのでしょうね。
それでは又。津野

何べんも言ってるけど…

>そういう事を超えた凄い技とか性根の座った流儀みたいなの
確かに、「売れる・売れない」ということだけでやるんなら、出版なんて他のショーバイと何ら変わらないことになる。でも事あるごとに、出版は文化だとか、単なる営利事業じゃない、とか言うじゃない? 何言ってんだ、と思うよね。
最近、何かで宮崎哲弥氏が言ってたように、文芸作品に関しては採算的に「いいの?」というような名著復活がけっこう相次いでる、と。でも漫画に関して言えば、どうなんだろう。
一時の復刻ブームみたいなものは結局ニッチ探しの結果と言えなくもないし、嶋中書店のような気骨ある復刊をしていた版元は結局潰れるしかなかった。
むしろこれまで売れ売れで漫画で儲けてきた大手こそが、ある意味役割として、後世の残すべき名作をキチンと残していくべきなんじゃないかな、と。
たとえば「ビッグコミック賞」主宰の小学館なんかが、初版の版元なんか関係なく、横断してメジャーやマイナーもなく「本当に残したい名著」を出して行ってもらえたら…。
無理か。きっと結局、ナンだカンだ言っても頓珍漢なモンになってくんだろうな。ま、そのあたり俺は日本の漫画「文化」ってやつにそろそろ絶望してますけどね。

じゃあオリンピックの年は津野さんの新刊、くらいの間隔で。

そうなんですよね。
津野さんの新刊で、内容以外に思ったのは「結局、工藝舎か。」ということ。
工藝舎の過去のことはともかく、結局それ以外の出版社がこの八年間に現れなかったというのが、なんとも残念です。

まぁ自分もサラリーマンで日頃はコストだとかいろいろ考えての毎日なので、安易な言葉で見知らぬ人の批判もできないのですが、そういう事を超えた凄い技とか性根の座った流儀みたいなのを、どこか1、2社くらい見せてくれてもいいんじゃないかなーと思ったりしましたー。

次は8年後

ってBOSTONのアルバムじゃないんだから(笑)。
でも津野さんの「マイペース」がそうなら、それでも全然構いませんけどね。
今度の新刊を見るにつけ、本当、こういう作家・作品が世に出ること、残ることがどれだけ重要かをつくづく痛感させられます。
「売れる・売れない」は重要だが、「売れるべきだ」あるいは「売ってやる」も重要だと思う。そういう姿勢が見られない版元が多すぎる…。

津野さんの新刊。

お久しぶりです。ツボイです。
ご無沙汰ですが、いつもブログは拝見しております。

津野さんの新刊!!
もう新刊とか新作とか出ないんじゃないかと不安だっただけに、すごくうれしいです。
透き通るような絵と不安定な夢のようなストーリー。
次はまた8年後でも全然かまいませんので、これからもがんばっていただきたいと思います。
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。