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2008-04-01(Tue)

普通の暮らし

4月1日(火)
ゆうべ8時に携帯の目覚しをセットして寝たが、そういえば診察時間は10時半からだったから早すぎるな…と思いベッド上で目覚しを8時半に変更した。今朝その8時半に目覚しの鳴る前に起きて、いつものように洗顔など済ませて仕事部屋へ行く。メールチェックすると仕事先の更新データが入っている。今日はこれからずっと病院だしと思い、その前に済ませてしまおうと、作業開始。結局9時10分くらいまでかかってしまい、慌てて出た。
タクシーで病院へ着いて受付機でピッチを受け取り、予約時間を確認したら何と10時からだった。どういう思い違いかと思いつつあせって2階の採血受付へ向かう。あせっても走れる体ではまだないので、ハタから見たら単なる早歩きだけど。採血室へ入ると、アトピーなのか顔を真っ赤にした男の子が採血カウンタで「嫌だ、痛い、死ぬ」と泣き喚いている。それも大概の泣き方ではない、悲鳴と嬌声と怒声と罵声と何かようわからんもんがごちゃ混ぜになった、要するに騒音で、係のおばちゃんを手こずらせている。針なので動かれると下手すると怪我をするから、体をくねらせ拒否されると、もうどうしようもないのだ。横には母親だろう、大柄な女が子どもを説得するでも抑えつけて言い聞かすでもなく、ただボーッと、ヘラヘラとそれを見ている。
結局採血のおばちゃんは「はいはい、わかったわかった。あっち行こう、あっちで寝て採ろうね」と言って、ベッドのある採血台の方へ誘導していった。それにしてもこっちの採血の順番がいっこうに廻ってこない。俺の後に来た人たちが次々に呼ばれて採血されていく。ひょっとして…と思ったら、背後でまたギャーギャーわめいてさんざん迷惑をかけたガキの採血をしていたおばちゃんが俺の担当だったようだ。どうやら番号順に空いた採血窓口に呼ばれるわけではなく、何人分かの試験管をまとめて窓口に振り分けていくようなので、俺の採血をするおばちゃんのところがクソガキのせいで遅れたわけなのだ。こういう急いでる時にかぎってこうなんだよな、と思いつつ、おばちゃんがゆっくりと戻ってきて手袋を取替え、それを洗い、消毒をし、拭き拭きして…という動作を「はよせいや!」という思いで見ていると、ようやく俺の番号が呼ばれた。ガキのせいで10分以上浪費したわい。
そんなこんなで採血が終わるともう9時40分過ぎ。同じフロアの血液内科の外待合に座るが、10時の診察予約時間までにはどう考えても採血の結果が出るはずもない。元はといえば自分が勘違いで時間間違ってたのと、出る直前に仕事で時間を取られたのが悪かっただけなのだ。クソガキに責任転嫁しちゃってごみんね、てへへっ。でもクソガキはクソガキだし、えへっ。…なので10時には呼ばれないだろうと覚悟をして、ソファで目をつむって待つ。
こないだ入院前にWBCが900へ激減し、好中球数も300台というトンデモない数字へ落ち込んだことがあった。入院中は注射などで無理やり増やせたからいいが、それらが今日の採血でまた前のように戻っていればいいのだが。低値であっても変化なく安定していれば、とりあえず病気に進行はないと判る。普通の暮らしが次の診察日まで、許されるのだ。俺にとっては、普通の人が普通にしている「普通の暮らし」が本当に愛しく、かけがえのないものなのだ。
10時ちょい前に中待合へ行けとピッチが鳴ったので、診察室前のソファへ移動。案の定、10時きっかりに診察室から出て行ったおばちゃんの後、すぐに俺が呼ばれることはなく、それから20分ほど待ってから呼ばれた。診察室に入るとI先生は「まだ(採血の)詳しい内容が出てないんですが…白血球数は1400あるので心配なさそうですね」とのことで、ホッと一安心。今日はこちらが遅れて採血が遅くなったと説明する。
先生は「どうですか」というので、腹帯を外して手術の痕を見ていただく。「おかげさまで、だいぶ痛みも薄くなってきました」と言うと「それは良かったですね」と笑顔。「凄く慎重にやっていただいたようで、本当にありがとうございました」というと、I先生も「脾臓というのは繊細な臓器ですからね、ちょっと傷つけただけでも出血が止まらなくなる危険も充分にあったわけですから、本当によくやっていただいたというか…」と、外科は専門外だと思うが感心しきりといった様子であった。通常1時間ちょっとという手術も3時間半以上かかったわけで、本当に細心の注意を払ってやっていただいたんだな、と改めて感激した。
I先生は「まあでも、脾臓がそういう状態のままでずっといていいのかということもありますから、手術で取るとか薬を使うなどしないといけませんね」という。ただ取るといってもここまで巨大化してしまうと、ごっそりと血の塊を取ることにもなるし、腹も真っ二つに大きく開かねばならないから、体が持つかどうかが不安だ。実際I先生も手術で取るというのはあまり考えていないご様子ではある。
それから診察台に寝て腹を触ってもらうが、その際ポケットに入れてあった小銭がチャリンチャリンと落ちてしまい、先生が「ああ、落ちましたよ」と苦笑しながら拾ってくださる。赤っ恥。すいませんすいませんと恐縮。脾臓の位置を確認し、「大きさは変わっていないようですね」ということで、「まあ昔と違って最近は慢性のリンパ性白血病にも薬が出てきそうな気配がありますしね、ゆくゆくは薬を使っていくことも考えることになるでしょうが、今のところはこのまま様子を見るということでいいでしょう」と言ってくださる。良かった、と思いつつ診察ベッドの上で身を起こすと、ズボンのポケットからは他にも連れ合いの研究室の鍵やら残りの小銭やら焼肉屋(喜田膳)でこないだ出ぎわにもらったガムなどがバラバラとこぼれ落ちており、慌ててそれらをかき集めてポケットに戻す。
体を起こすとI先生が「実際新薬も開発されましたからね、キャンパスというんですが…」というので俺が「アレムツズマブ、ですか」と言うとちょっと感心したような表情で「そうです」と言われる。
「もちろんそれ(キャンパス)だけで効くというものではないので、他の薬剤と併用するような感じになると思いますが」とのこと。I先生は「次は2ヶ月後でもいいでしょうね」というのでエッと一瞬驚くと、「以前はどうでした?」というので、「こちらへ転院する前は一ヶ月おきでした、こちらへ来てからは6週間おきになっていたと思います」と言うとカレンダーを見て「じゃあ連休もあるので連休明け混みますからね…次回は5月20日、7週間後にしましょう」ということになった。またしばらく「普通の暮らし」が送れると思うと、安堵と同時に有難いという感謝の気持ちで一杯である。
お礼を言って診察室を出て、会計に並ぶ。今日も会計待ちは長蛇の列だ。もっとも会計受付の進行自体は早いので、10分ほどで会計受付の窓口へたどり着き、後は会計可能になるまで待つだけ。なのですぐ病院内の郵便局へ移動し、ATMで大金を下ろして封筒に入れ、会計待ちのソファへ戻る。そこから10分ほど待ってようやくピッチが鳴り、今日の分が2000円ちょいと出たので、いつもの自動精算機ではなく支払いカウンタへ行く。入院費も一緒に払いたいと言い、今日の分に入院費用275467円を合わせて支払い、領収書をと予約票を貰ってカウンタを離れた。
やれやれ、と思いつつ病院の外へ出たところでフと気付き、4階の肝胆膵移植外科の受付へ電話にかけてみる。先週診断書を依頼した者だが、まだ依頼してから一週間経ってないが、今日たまたま別の科の診察で病院に来た、出来てたら取りに行きたいので確認してもらえないか、と聞くと調べてくれ、出来てるというので病院内へ戻り、4Fへエレベータで上がる。窓口で書類2通を受け取り、会計はというとまた会計へ行けというので礼を言ってまた1Fへ。診断書は保険会社の送ってきたものに記入するのではなく、京大病院所定の書式でしか出せないということで、パソコンで入力し出力されたものに、執刀してくださったO先生が押印したものが2通と、渡してあった保険会社の所定用紙2通がそのまま一緒に入っていた。
さっき入院費を払った窓口へ行き、診断書の料金を払いたいというと、もう一回会計受付をしろと言われる。なのでまた長蛇の列へ戻り、会計受付をし、もう呼び出しピッチは返してしまったので、15分くらいしたら頃合を見て支払いをしてと言われた。しょうがないので反対側に備え付けてある大型スクリーンを見ると、春の選抜、平安高校が相手に先制を許したところであった。15分ほど待って11時半になったので、今度は自動精算機に診察カードを入れて見ると、料金がちゃんと「文書料」いくら、と表示された。それを支払い、ようやく今日の病院これにて終了。あとは診断書を領収書のコピーを添えて保険会社へ送れば、保険金が下りる。入院保険入ってて良かった。
…それにしても今回ははじめてI先生から「いい薬もあるから」という話を聞いた。わずかながら希望があるというのはいいことだ。むろん治る保証もないし、抗癌剤の治療というのは癌が死ぬかこっちが死ぬか、というくらいの強い薬を使って癌細胞を叩く。文字通り「命がけ」の過酷なものだ。それに耐えれば助かるかというと、これまたその後も長く苦しい戦いが待っており、それを乗り越えた後ですら、今度は再発の恐怖に怯えながら生きなければならない。固形の初期癌なら手術で取ってしまえば治るのに…と思ったこともあったが、もうここまで来たらしょうがない。なるようになる、死ぬときは死ぬ、それまでは生きている。
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コメント

伊藤君おめでとう!

いやあ懐かしいね。卒制誌「はまち倶楽部」。企画会議と編集会議の明け暮れ、入稿…。何かついこないだのようです。
その後編集の道に進まなかった、福祉の方へ行ったということ、驚きつつも感心していますよ。どこへ行っても立派な社会人として頑張って欲しい。何より元気そうで良かった。
編集のこと、出版のこと、より以前に人間として社会人として…ということは口を酸っぱくして言ってきたと自負してますが、それがちょっとでも役に立っていたら嬉しいね。
それにしても…。安部さんと結婚とは、おめでとう! 本当なら教え子二人の結婚となると仲人をせねばならないところだけど、京都だし病気なんで申し訳ないです。
福祉の仕事は大変だし、従事されている方々には本当に頭が下がる。現場で苦労されている人たちは報われないことも多いし、上で搾取している人間がいるなんてニュースを聞くと心底腹が立ちますな。
とにかく人間体が資本、健康第一。月並みだけど、俺が言うと説得力あるよね。
二人とも、元気で仲良く、いい家庭を築いてください。

ご無沙汰しております

覚えておいででしょうか白取先生

ジャナ専、編集科(2002年入学2004年卒業)で教えて頂いた伊藤誠でございます。

はまち倶楽部を発行した学年です。


今までブログは拝見させて頂いておりましたが、この度初めてのコメントになります。

先生の病状は過去のブログにて知り、衝撃と心配をしておりました。
回復とまではいかないまでも、こうして無事に生活をされているようで、安心しております。

思えばジャナ専で先生から学ばさせて頂いた日々、今の自分にとって貴重な時間であったと思います。

編集のことだけではなく、人生の勉強をさせて頂いたことは、一生忘れずに役立てて行きたいと思っております。ありがとうございました。


私は、卒業後、2年間編集プロダクションで働いておりましたが、その後、人生の進路を変更しようと思い、別の専門学校に再び入学し、介護福祉士の資格を取得、この4月から老人ホームにて介護士として働いております。

まだまだ半人前ですが、人生の先輩達の生活を支えるべく、日夜努力している次第です。

また、今年の10月には、ジャナ専門でクラスメイトだった、安部幸枝との結婚が決まりました。

長文、私文で恐縮ですが、くれぐれもお身体にお気をつけて下さい。

白取先生の日々の生活が安堵であることをお祈りしています。

こちらこそ…

長谷先生、ありがとうございます。
人生においても漫画に関わるなにごとにしても、漫画を専門学校や大学で教えるということに関しても、もう全てにおいて偉大なる大先輩である長谷先生にコメントをいただくことだけでも、自分にとっては物凄く大きな励みになります。ありがとうございます。
71になられてもいまだ学校を飛び回って講義をされ、新しい漫画や表現に敏感なご様子、こちらも学ばねばいけないことが多々あり、こちらこそ大変なことをなさっておられると襟を正す日々です。
「ガロ」系に関してはまだまだ当事者として総括・講義できる環境が難しいままなので、何とかしたいものですね。微力ながら頑張っていきたいと思います。先生もくれぐれもご自愛ください!

励まされています!

良い方向へ推移されておられるようで、ほっとしました。
いずれにしても、大変な日常ですね。
ぼくだったら、できっこないことに、見事に挑戦し勝利されて
おられます!
ほんとに、ぼくが励まされます。
4月7日、71歳になりました。
レベルを落とさずやっていこうと思います。

ありがとうございます

雪姫様、コメントありがとうございます。
95年ころ、ようやくインターネットが普及し始めたころ、まだ掲示板形式のBBSが中心で、「ブログ」という言葉さえ無かった当時でしたね。でも自分にははっきり言うと、こんにちのインターネット隆盛時代の到来は当然、という確信がありました。
いやこれは自分がそうだったということではなく、普通の頭を持ち普通にネットをやっていた人間なら当然のことだったはずです。(あの当時は「ガロ」もインターネットやデジタルメディアの世界に積極的に進出すべきだ、むしろ「ガロ」こそそういう先駆的な役割を担うべきだと主張し、ま、あざ笑われ、裏切られたわけですけどね(笑)。)
そんな中、読者の方からのメールにお答えするのは当時の編集部でネット・PCの先駆者であった自分だった、というわけでした。
色んなメールがありました(笑)。「ガロ」への感想はもちろん、批判や要望、人生相談までいろいろ。それを読むのが凄くたのしかったし、返信することも当然と考えておりました。4コマGAROもそうだったんですが、読者の方々とのふれあいが基本的に自分の場合は好きだったんですよね。
本ブログもほんとうはコメントを前みたいにオープンにして、皆さんとどんどんコミュニケーションをとって行きたいのですが、まあ世の中にはバカが多いもので。ちょっと面倒な手続きがいるのですが、荒らし対策にはしょうがないのです…。

自分は礼儀知らずや本物のキチガイ以外のちゃんとした(?)メールには誠心誠意お応えしていたと思います。それがお役に立ったということであれば、こんなに嬉しいことはありませんよ。
だいじょうぶ、余命1年と宣告を受けてからもうすぐ3年です。命続く限り、生きますよ!

白取様へ

10数年前。ガロ読者時代に一度、白取様からEメールをいただいた事があります。
投げかけたのはしょうもない質問でした。にも関わらず副編集長が直々にお返事を!
その一文は当時学生だった私に大きな影響を与え、後に自身がDTPの職に就く一番のキッカケとなりました。今でも印刷し大事に保管しております。
どうしようも無く無能人間に希望を与えてくださいました。本当に、ありがとうございます。
余命宣言なんて酷い冗談です。こんなに才能豊かで格好良い人が、私の人生を動かしてしまった人が、はよ死んでエエはずがない!生きるべきなんです。
おかれた状況も知らず失礼とは承知ですが、届くかも分からないコメントをさせていただきました。
いつもブログ拝見しております。あなたの淡々と吐く毒が大好きです。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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