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2008-04-12(Sat)

二年坂〜清水寺〜府立植物園

4月12日(土)
朝は10時ころ起きる。連れやYちゃん、M、Sはすでに起きており、Yちゃんの旦那だけ俺の少し後に起きて来た。朝っぱらから二人の幼児はWiiをやらせろとうるさいので、ちょっとだけやらせる。Yちゃんの家庭ではテレビゲームはやらせない、という教育方針(?)なので、我が家へ来ると時間を惜しむように思い切り楽しんでいる。
お昼は近くに美味しいちゃんぽんを食べさせる店があるので行こうと、北白川までそぞろ歩く。この店「平戸(ひらど)」は長崎から直送の麺を使い、激ウマのつゆで食べるちゃんぽんが人気の店だ。いつもお昼に行ってもすでに満席で待たねばならないという状態なのだが、この日は到着が11時半過ぎだったので、まだ6人掛けが空いていてラッキー。俺らが座った後続々と客が来て、アッという間に満席、さらに待ちまで出てしまったから危なかった。
俺は肉ちゃんぽん、連れは皿うどん、旦那は海鮮ちゃんぽん、Yちゃんは野菜たっぷりちゃんぽん。子どもらは大人のをちょっとずつ分けてやった。この店はもちろん味もいいが、とにかく量も多い。みんなおいしいと言いつつ腹いっぱい、という感じで完食したのは俺一人だった。体格が良くいつもは大食いのYちゃんの旦那も、さすがにスープは残していた。
二年坂の大混雑その後タクシーを2台に分乗して、二年坂入口、高台寺山門へ向かう。この日はうす曇で時折青空も出るいい天気になって、散歩がてら歩くのにはちょうど良かった。平安神宮南の疎水両岸の桜並木、先週は満開で見事だったがもう半分葉桜になっていたり、途中女の人がいきなりタクシーの前に飛び出してきて轢き殺しそうになったのを運ちゃんが怒ったりしつつ、高台寺山門へ到着。
間もなく2台目も無事同じところへ着いて、二年坂へ向かう。桜のピークは終わったのだが、この日は土曜だったせいか二年坂は物凄い人通り。その中を子どもらが沿道の出店を覗くのに付き合ったりしながらゆっくり歩く。それにしても人が多すぎて、すたすた進むことが出来ない。こういう場合たいてい男たちはそれでも無理やり先へ進むので、女子どもを先で待つようになることが多い。この時も時折旦那と二人で先行し、石垣に腰掛けて休んでは合流、なんてやりつつ三年坂方面へ。
清水道へ入ってから、冷たい抹茶のペットボトルを売っていた店へ入り、子どもらにはソフトクリーム、大人は抹茶を飲んで一服。途中外人さんのカップルが同じ店に入ってきたが、金髪の若い外人がきちんと和服を着ていたのが面白かった。照れつつも嬉しそうで、ガイド役らしいやはり着物姿の老年の婦人から、何やらいろいろ説明を聞いていた光景が微笑ましい。入口近くの椅子には声のデカい中年女性の団体がワイワイいたが、やけに行儀が悪くうるさい。帰りがけに脇を通ると、聞こえてきたのは中国語だった。
別に中国の人全てがそうなんじゃないだろうが、先日もタクシーの運転手さんが「中国からの観光客もここ数年増えましたよ、でもみんなこう言っちゃ何やけど、行儀悪くて参りますわ」と言っていたのを思い出す。声がデカい、痰やツバを吐くなど、とにかくマナーが悪いのだそうだ。さらにタクシーの料金も必ず値切るというから、運転手さんも「まあアレやけど、普通はチップやてメーターにいくらか乗せて、というのが世界では常識やないですか、それを平気で値切るんやからねえ」と苦笑ぎみであった。急激な経済成長で金が溢れ、マナー意識の身についていない人たちも海外へ出られるようになったのだろう。こういうことはかつて高度経済成長時代のニッポンにもあったことなので、あまりお隣の国を笑ってもいられないが。
俺の母親が若い頃だが、日本人が団体旅行で外国へぞろぞろ出かけ、各国で無作法を繰り返して世界的に顰蹙を買っていたというのは有名な話。「ノーキョー(農協)」といやあ悪の代名詞みたいな時があったのだ、本当の話。そういえばそのあたりを痛烈に戯画化した筒井康隆の「農協月へ行く」は抱腹絶倒だったっけ。あの頃の筒井さんのドタバタSF、ショートショートはもう他の追随を許さない面白さで、小学生〜中学生時代、星新一からSFに入って一気に筒井作品を全て揃えたっけ…なんてことを思い出した。
清水寺まで上がったところで、みんなは舞台へ行くというが、俺は腫れた腹と、水の溜まりやすい膝にキツいので待っているということにして一旦別れる。みんなが急な階段を上っていくのを見送っていたら、さっきの茶屋にいた着物の金髪女性カップルもその後を上がっていくのが見えた。
俺は踵を返して坂を下り、三年坂方面へ別れる二股にある休憩所のベンチに座り、ぼーっと道行く人や車を見て休んでいた。そこは観光バスの駐車場の上にある、ベンチなどが置かれたちょっとした休憩所なのだが、清水道側に向かって座り、道を見ていると、車が通行止めになる手前、つまり車で上がって来られるギリギリのところに駐車場があり、それを目指して一般車がガンガン上がって来る。そしてその手前にはタクシーの乗り場もあるので、それらが混在して常に渋滞になっているところだ。
一般車は配送などの地元の車を除けばほとんどが他府県のナンバーで、東海・北陸・近畿あたりの、ほとんど全てのナンバーを見たかというくらい、あちこちから来ているのが解った。滋賀、大阪、なにわ、兵庫、姫路、福井、名古屋、豊橋、三河、尾張小牧…とキリがない。生涯で一度も見たことのなかった「飛騨」なんて珍しいナンバーも見た。
小1時間ほどそこへ居ただろうか、目の前を先ほど見送った金髪和服女性が横切っていったので、ということはそろそろみんなも降りてくる頃かな、と思ったころ、連れとYちゃん一家がこちらへ降りてくるのが見えた。居場所はメールしておいたので、向こうもこちらを探しているようだったがすぐに合流。
タクシー乗り場から、今度は府立植物園へ向かってもらう。行きに俺たちとは別の、2台目の方の運転手さんが「植物園は今チューリップが色とりどりで綺麗ですよ」と言ってたそうなので、見に行くということになった。1台目にまた同じYちゃんとSと俺、2台目に旦那とMと連れ合いが乗って向かう。
府立植物園のチューリップ園清水道では暑いくらいだったが、植物園へ着くと気温が明らかに下がっていた。間もなく二台目もすぐ到着し、入場券を買って入るとチューリップ園はすぐみつかり、なるほど素晴らしく綺麗で、見たことのない色のものまで咲き誇っている。物凄い機材を持ち込んで、高級カメラを構えたアマチュアカメラマンたちがマクロレンズや望遠レンズの砲列を並べて撮影している中、こちらは小さなデジカメで写真を撮ったりしつつ、花を楽しんだ。
その後植物園内の休憩所で焼きたてアツアツ・柔らかのみたらし団子を食べて一服。座っていたらビョォーと冷たい風が吹き抜けてみんなビックリ。こちらは確かに市中からけっこう北へは来てるし、休憩所は日陰になっているとはいえ、標高でいうと清水あたりとの差はそれほどないはず。緑の中にいるせいか、冷気の通り抜け場所にたまたま座っていたせいなのか、驚くほどの寒さだった。


奇跡的に残っていた満開の桜その後芝生の広場へ出ると、向こうの方に満開の桜があるのに気付いて近づく。思いがけず時間差で京都の桜が満開なのが見られ、Yちゃんたちも嬉しそうで、皆で写真を撮り合ったりした。
その後、MやSに絵本を買ってあげる約束をしていたので、ショッピングセンター・カナート洛北へ向かうことにした。この時は植物園出口のタクシー乗り場にはタクシーがなく、おばさん2人がかなり待っている風情だったので、俺たちは北大路まで出て拾ったのだが、俺、M、Sという面子で乗った。すぐ後が続くだろうと、待ち合わせ場所にしたホリディイン京都の入口で待っているが、全然来ない。そのうちS(幼稚園年長)が「オシッコ」というので困ったが、電話してもメールしても残りの一行からは応答がないので、しょうがなくホテル内のトイレへ行かせる。お姉ちゃんのM(小2)が連れてってくれたので、俺もそのすきに小用を足し、入口へ戻ると電話がある。何とあの後タクシーが拾えず、結局バスで高野へ向かっているところで、電話に出られなかったらしい。もう着くというので、直接カナート2階の本屋へ行ってるということにして、MとSを連れて本屋へ。二人は「ばあばに絵本を買ってもらうんだ」というのでテンションが上がっている。
そこで絵本を選ばせていると残りの大人衆が到着、無事合流。二人に絵本を買ってやり、いったん家へ戻り、夕飯はどうしようか、何が食べたいと聞くと、子どもたちが「焼肉が食べたい!」というので、近所の焼肉店へ行く。座敷で焼肉を食うが、この日は日曜だったせいか店内は満席で、肉がなかなか来ず、手際も悪くちょっと不快。それでも飲んで食って、腹いっぱいになって帰宅。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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