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2008-04-13(Sun)

しばしの別れ

4月13日(日)
夕べもしこたま飲んだせいか、朝は11時近くまで寝ていた。朝、じゃなくて昼である。他のみんなはとっくに起きていて、特に子供たちはWiiがやりたくて仕方がなかったらしい。しかしテレビをつけても外部入力切替でWii画面を表示させるのが俺じゃないとわからないから、と言って俺が起きるまで我慢させていたという。ところが帰りの新幹線は2時過ぎだというから、そんなにゆっくりもしてられないし、というので11時過ぎに「やりたい」とWiiのコントローラを持ってきたSに「もうすぐ出かけちゃうからね」と諭してメールチェックだけ済ませ、出かけることにする。
布団は上から旦那にベッド脇に下ろしてもらって、Yちゃん一家の洗濯物や荷物は段ボール箱に入れて送ってやることにし、出かける。電話でタクシーをマンション下に2台呼んで来てもらい、いったん四条寺町へ向かってもらう。いったん寺町京極をぶらぶらしかけるが、連れ合いが「子どもといってもこの年だとまだ面白くないかもね」というので途中で錦(市場)へ折れ、店みせを眺めながらぶらぶら歩く。俺はあちこちからいい匂いがするもんだから腹が減ってしまい、昼は「もちつき屋」で食べることにして、入る。お昼どきのため席が6つ続いて空いてなかったので、俺たち夫婦は店の奥の2人掛けへ、Yちゃん一家は入口近くの4人掛けに別れた。俺はうどんセットにおこわ、連れは力うどん。途中餅つきのパフォーマンス時間が重なって、入口近くの一家は間近で餅をつく様子を見られた。
その後地下鉄で四条駅から京都駅まで。京都駅東側のエスカレータをぐんぐん上がって、「天空の道」まで行く。Mは面白がってエスカレータ脇の階段をホイホイ駆け上ってったりと、体力自慢。こちらは実を言うともうかなり疲れていたので、子どもの体力恐るべし。天空の道から京都タワー方面を眺めたりしたあと、伊勢丹側へ抜けて外へ出る。今度は駅の南側を展望して、さらに上にある庭園で一休み…と思ったらもう1時半近かった。これじゃあもう降りないと、というので今度は駅の西側のエスカレータを延々と降りて、改札口でYちゃん一家を見送った。子どもたちはこちらが見えなくなるまで手を振ってくる。その姿が見えなくなった後、連れと顔を見合わせて苦笑。子どもの体力恐るべし。
この2日ほど子どもらのパワーに振り回されていたので、正直言うとけっこう疲れた。疲れたが、久々の再会でもあり、あちこち連れて行けたのは良かったなあ、と話す。また夏休みになったらおいで、と言うと子どもたちは「ウン!」と元気良くこたえていた。しばしの別れ、である。
夜は明青さんへ行き、夫婦二人でしっぽり飲んだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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