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2008-06-16(Mon)

90年代「ガロ」について講義

6月16日(月)
精華大講義日(マンガ学部三回生・作家研究)。この日は「ガロ」の沿革の最終回、90年代〜休刊までの話をする予定だった。なので、出かける前に家の二階の本棚から1993年のやまだ紫特集の「ガロ」、94年の創刊30周年記念第2号、それから98年の復刊後・福井&長戸の新「ガロ」、2000年の大和堂社長・蟹江氏による新々「ガロ」などをどっさり持って出る。本当は叡電で行くのが一番安上がりなのだが、(正確には歩いて白川通りまで出て、国際会館行きのバスに乗り、無料のスクールバスで…というのが220円で最安ながらヘトヘトになる)かなり重い荷物があったので、タクシーで精華大まで行ってもらうことにした。何せ暑いし。片道1500円ほどかかるので痛いがしょうがない。
教務へまっすぐ行くと学部担当のMさんが前期の成績判定をテストでやるか・レポートを徴収するか、というので、レポートにすると言う。すると学生たちに連絡するので、課題内容を書いて提出してくれと言われる。その後は対峰館で2限からびっちり講義。
1997年、「ガロ」休刊の原因になったクーデター事件については当ブログにも何度も書いているように、俺しか知らぬ事実などを交えて詳細に説明する。学生たちは皆、もはやリアルタイムで長井「ガロ」を知る子らは皆無といっていい世代だ。クーデターによる休刊時で10歳前後だから、バリバリに「ガロ」を自分の意志で読んでいる子などおるはずがない。しかしこれまでの「ガロ」の沿革を聞かされて、さまざまな自分らの知らなかった作家さんたちの作品を読まされたことが良かったのか、興味深そうに聞いてくれていた。
この「90年代のガロ」については現在ほとんど評価もされず、いい加減な総括しかなされていない。内部事情を知らぬくせに想像と下卑た推測だけでモノを書く「ライター」と称する輩が多いのにも本当に辟易とさせられる。また直接に事件の詳細、いや事件前からの経緯、そして事件後の後始末その他の顛末までを含めて全容を知る人間は、クーデター事件の犯人グループ以外にはもう俺しか業界にはいない。
「ガロ」の当時の作家さんや、大株主であった大先輩の作家さんたちは皆、用意周到なクーデター組のデマや一方的な言い訳・嘘に完全にオルグされており、それを今さら修正するために要する大変な困難と時間を思うと、まあ一方的な「犯行声明」と「犯人による事件の総括・つまり自己弁護」以外の証言を残しておく意義があると思う。それが出来るのは俺しかおらぬ、とも思う。
評論家やマンガ関係の研究者たちも、この辺りの事情をちゃんと検証しようとした人は皆無だ。なぜなら、ほとんど俺からも話を聞こうといってくれる動きがなかったからだ。個人的な知り合いとして話を聞いてくれたり理解してくれた人たちもいることはいるが、別段世間に向けて「犯人による一方的な総括」つまり「間違った歴史」を修正しようという動きには誰もつなげてくれない。なので、結局90年代の山中「ガロ」の正当な評価は今もってなされず、休刊の真相も「長井さん死去後の編集部内の混乱と対立」などという頓珍漢な結論付けとなって今に至っている。
事件後、複数のマスコミも含めた取材をけっこう受けたものだが、ほとんどがお蔵入りとなった。特に大新聞は、俺の取材を進めて話を聞き事実確認をしていくと、結局はクーデター組の垂れ流した「虚偽の情報」を「事実として報道した」ため、結果的には威力業務妨害や背任、詐欺などの「犯罪」を「幇助した」ということを認めねばならなくなる。無謬性を大前提としている大新聞社たちは、この事件の真相をまっとうに報道することは、金輪際出来ないということになるわけ。
実は俺はこれまで、事件そのものをあまり深くは知らないと見られる大新聞社の記者さんたち数人に何度か取材を受けた。しかし途中まで何度かインタビューなり取材に応えていったものの、その全てが途中で突然お蔵入りとなっている。ま、大新聞だもの。しょうがないさ。そういうことも含めて、学生たちには「大人の事情」として伝えておいた。
帰りがけ、クーデターの被害者つまり青林堂が犯人グループを告訴するために、俺が法廷で証言をする予定だった当時の弁護士さんが作成した「陳述書」があるというと、N君が読みたいというので貸してやった。彼は聴覚に障害があるので、バイトで女の子二人が両側にノートテイカーとしてついているのだが、彼女らの一人は2000年代の「ガロ」2冊を、もう一人は「ガロ曼荼羅」(TBSブリタニカ刊)を借りていった。二人とも最初は単なるアルバイトとして聞いていただけだったのが、話を聞いているうちに興味を持った、面白くなった、と言ってくれたので嬉しかった。
帰りは教務へ寄ってそのままスクールバスで国際会館、そこから何番だっけか、一乗寺清水町から右折して東大路から高野へ抜けて四条烏丸へ行く…という一時間に一本のバスが数分で来るとあったので、ちょっと待ってそれに乗る。高野の手前で降り、腹が減ったし暑かったので、そのまま近くの喫茶店へ入った。しかしキンキンに冷房がかかった店内を期待したら、ぬるーい感じの弱い冷房でガックシ。それでも腹が減ってたので、シーフードプラフセットにアイスコーヒーを注文。
すると出て来たピラフはセットにすると唐揚げとコロッケ付きになるという殺人的なボリュームでビックリ。俺の感覚だとセットというのはピラフと飲み物、あとは簡単なサラダかスープ程度という感覚だったのに驚きだ。しかもそのピラフはほとんど味がなく、塩を何度も振って食べた。やはり途中でゲンナリしてきて、3分の1ほどを残して下げてもらい、セットのコーヒーをくれというと、何とホットの、それもアッツアツのを持ってきたので愕然。コントか? と一瞬思ったが、そのカップを目の前にしただけで滝のように汗が出てきて、もう最初から最後まで最悪である。
コーヒーはとても飲む気になれず一口も、いや触れることさえ出来ずにレジで勘定をし、おばちゃんに「アイスって言ったんだけど…」と言うと「あら! ごめんなさい」と謝られるが、「いやもういいっす」とそのまま店を出る。バイトのねーちゃんが間違ったらしいのだが、この時期汗ダラダラの男がホットは頼まないと思うよ。そのまま滝のような汗をぬぐいつつ、家へ帰ってすぐにクーラーをつけて服を脱ぎ、しばらくクーラーの下で脱力しつつ涼んだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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