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2008-06-24(Tue)

「つげ義春の世界」「現代漫画論集」

6月24日(火)
来週は精華大の講義で、いよいよ作家研究の第一、つげ義春を取り上げる。これまでは戦後漫画史の概要から貸本漫画〜劇画〜「ガロ」の創刊、カムイ伝について、「COM」の時代、そして「ガロ」については第一期(カムイ伝終了まで)、第二期(南・渡辺の面白主義)、第三期(部数低迷とサブカル・情報誌化による復活〜クーデターによる休刊)と分けて詳細に講義をしてきた。
学生は三回生で、マンガ学部のストーリー学科とプロデュース学科両方から選択で受講可能ということもあり、両方から半々くらい。ただし出席率は悪く、10名来れば多いな、という感じ。だがこの人数がお互いに集中できてちょうどいいという感じでもある。
資料を作るので、久しぶりにかっての青林堂の評論集の双璧「現代漫画論集」と「つげ義春の世界」を引っ張り出した。「つげ義春の世界」の方は講義に必要なので熟読したのだが、勢いで「現代漫画論集」まで続けてしまう。
「現代漫画論集」はもちろん、あの「漫画主義」の同人による漫画史に輝く名著である。漫画主義の同人とは石子順造(ほんっとーに今でも勘違いが多いが石子順とは別人!)、梶井純、菊地浅次郎、権藤晋。物凄い顔ぶれだ。そして当時、石子さんはともかく、残りの三名は二十代の後半であったということが何よりも驚愕に値することだろう。
石子さんは俺が「ガロ」に入る頃にはもうとうに鬼籍に入られていた伝説の人であったが、長井(勝一)さんも、周囲の誰もが「石子さんは凄かった」と心からその夭折(と敢えて言う)を惜しんだ才能でもあった。
「つげ義春の世界」には石子さんのつげ論「存在論的反マンガ」が収録されている。これが巻頭の赤瀬川(原平)さんによる「李さん一家」論の後なので、かなりとっつきにくく感じられるのがちょっと今となると懐かしい。赤瀬川さんは例によってあの飄々としたスッとぼけた文体で本質を突く、みたいな芸風(?)なのだが、石子さんの文章は昔もかなり難解な印象を受けたものだ。
だが今読み返してみると、「現代漫画論集」収録の「つげ義春論」をはじめ、素晴らしいその才能に感服しきりである。いや、石子さんの評論を知れば、昨今の若い漫画評論家いや漫画感想文書きたちはその足元にも及ばぬことが解る。
いまだに、石子さんを超える評論人は出ていない…とさえ思った。
俺の場合前にも書いたことがあるけれど、「ガロ」編集部時代にかなりたくさんの物凄い作家さんたちにお会いする幸運を得たわけだったが、一度もサインをねだったりしたことはなかった。職権濫用だし、公私混同だと意地になってそうしていた。水木しげるさんにも、つげ義春さんにも、本当に大変な作家さんたちにお会いする至福の時間を何度も得たにも関わらず、残っているのは取材に使った「俺が撮った写真」が数枚と、前に披露したことのある水木さんとのツーショット写真くらいなものだ。今思い返すと本当に残念至極である。
白土三平先生のご自宅にお伺いし、白土さんが採ってきたトコブシを奥さんの春子さんが煮付けたのを肴に、ビールをご馳走になって長い話を伺った夢のような時間。今思い返しても、本当に夢だったのではないかと思えるような体験だ。
つげ義春さん(先生と呼ばれるのを皆さん、そういえば嫌った)のご自宅でカメラ談義や、喫茶店でインタビューや世間話をさせていただいたことも何度もあった。これも今となっては本当に貴重で、ありがたい時間である。
石子順造という巨大な才能には、直接触れる機会が無かったことは、今あらためて本当に心から残念だった、と文章を読みながら思う。そしてこれらの珠玉の評論集が今読めぬことも、残念である。
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お邪魔します。

国鉄鶴見線の記事を書いていてこちらにたどり着きました。鶴見線国道駅や他の駅が昭和初期のまま残されているのを見て「つげ的世界観」だなと勝手に感じ、記事内に挿入してみました。ちょっとずれているでしょうか?。

では。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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