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2009-02-03(Tue)

下鴨神社の節分

夫婦(と猫二匹)とで、東京から京都に転居してもう1年半が経った。今日は二度目の節分である。
「節分」というと「鬼はぁ〜外ぉ〜」の豆まきだけど、大人になってからはやらなくなった。毎年よくテレビに映る有名な神社仏閣の境内から、年男・年女、厄年の人、芸NO人や力士などが豆や餅を配る映像を見るだけの日だった。
ところが京都へ来て、懇意にさせていただいている下鴨高木町の名割烹・「楽味 明青」(ここの料理はほんま、すんばらしいの一言です)の渡辺さんご夫妻から、いろいろと市中あちこちで儀式があると聞いた。
例えばそれなりに意識して節分というものを調べてみれば、元々は宮中の行事であり、巷でも「季節を分ける」という意味で各季節ごとにその最初の日がそれにあたる…というようなことが解る。宮中の行事なので一般で厳格に執り行うことはまあ無くなっていく=廃れていくわけだが、この立春の節分だけが、邪気=鬼を豆持て払うという儀式によって定着した…ということらしい。
となれば、歴史と伝統と神社仏閣だらけの京都である。調べてみたら、ほんとんどの神社やお寺で、何らかの行事が行われていることが解った。昨年は、東一条の吉田山にある吉田神社の参道に、千軒近い露天がずらりと並ぶのは壮観ですよ、と教えられて二人で吉田神社へ出かけた。その後明青さんに福豆をお裾分けに寄ったら、「来年はぜひ下鴨神社へ」と勧められた。そして「今度は下鴨神社へ参れますように」と願ってはや一年、である。光陰矢のごとし。今年は邪気払いの矢が下顔神社の朱塗りの山門を高く超えるのをぜひ見たい、と思って二人で出かけることにした。

前もって渡辺さんご夫妻に教えていただいていたのは、11時頃からは境内で「古神札焼納式」つまり古いお札や前の年の干支の置物などを納め、焼いてもらう儀式が始まり、平安期の装束で行われる件の「追灘弓神事」は12時半から、ということである。その後、京都タワーのマスコットである、ゆるキャラ「たわわちゃん」も来て、福豆・餅捲きが行われるそうだ。

けっこう人が来るだろうなと予想して早めに家を出て、叡電茶山の駅から出町柳へ出る。そこから御蔭通りを超えて参道を上がって行く…というつもりだったが、これがけっこうな距離で誤算。とはいえ、あとはバスに乗ってぐるりと反対側(西側)の糺の森バス停から入るか、カナート側から川端を下がってどこか途中を東側から入れるところがあるのか、思い浮かばなかった。まあでも世界遺産・下鴨神社境内には何らテキ屋の屋台や露店など一軒もなく、いつも通り森に囲まれた細かい参道は静謐である。足下の細かい見事な玉砂利はいつもの白いものの上に、新たにちょっと茶色のものが全体に敷かれていた。それをジャリジャリと踏みながら、木々の放つ気持ちのいい空気を吸いつつ境内へ向かう。
燃えるお札や干支の置物。鳥居の向こうにはすでにお札などに火がつけられ、囂々と燃えている。近くを通ると暖かい、いや顔が熱いほどだ。この日は気温も7度くらいと低かった上、森の中はかなりひんやりしているから、この炎はありがたかった。

これが楼門。この奥に舞殿がある。
さて金色に光る矢が見事な弧を描き、何とも言えぬいい音と共に高くその上を越えていく…と聞いていた朱塗りの楼門をくぐって境内に到着したのは11時半過ぎだったか。「舞殿(まいどの)」という豆まきが後で行われる建物を中心に、左手には神服殿、北側奥にある門をくぐると、十二支のそれぞれ二支ずつを祀った社が並び、本殿へ通じる建物が見える。もっとも無料で一般客が入れるのはここまでで、我々は本殿に向かって参拝をし、自分の干支の社にお参りをし、護摩木に「當病平癒」の祈願と住所氏名生年月日などを書き入れて納めてきた。

改めて舞殿周辺をうろうろするのだが、12時前くらいになってもそれほど客は訪れず、初めての我々はどこに位置を取れば一番いいのかが解らず、少し遠巻きにして様子を伺うことにした。そのうちポツリポツリだった雨がちょっと小降りになったりまたポツポツになったりと、傘を忘れた我々には少し辛い状況になる。それでも、舞殿から楼門を矢が越すのなら、やはりそのすぐ近くが良かろうと、楼門を入ってすぐの左手、つまり舞殿の南西の方角に立って待つことにする。

そのうち気がつくとあたりはけっこう人が増えてきて、いつの間にか俺たちより後に来た大阪弁でのべつ幕無し(いや冗談じゃなく、本当に、十秒も黙っていられないらしい)しゃべくりまくっているオバハンとその母親らしきババアが、じりじりと一番前にいたはずの俺たちの左手から前へと被さってくる。だいたいここが最前列なのかも解らないままで、そのうち氏子の子弟だろうか、ブレザーを着た若い高校生くらいの男女がロープを持って、観客のラインを整え始めた。
果たして俺たちは一番前…のはずだったのが、よりによって俺たち二人のところでロープはゆるい弧を描いて舞殿を囲むような形になったため、俺たちの真ん前に若い整理の男の子が「すいません、ここ整理に立ちますんで」と言ってロープを持って立ちはだかった。そうして例のやかましい大阪弁の親子はまんまと、うまいこと俺たちと90度の形で左手に被さり、最前列をキープ。したり顔で俺らを見てニヤリと笑いやがった。こいつら確信犯だな、と思ったのは明かにこちら側の前に出よう前に出ようと、チラチラと横目で立ち位置を巧みに割り込み方向へズラして来ていたからだが、ううむここは神前であるぞ、おまいらには天罰が下るわい、と思ってひたすら寒さと足の疲労に耐え続けたのであった。

舞殿の南側=楼門側で控える学生たち。しかし雨はこのあたりでけっこうさーさーと降ってきて、帽子のあった俺はまだしも連れは直接頭が塗れるので、最初は革手袋を頭に載せていたのだが、後ろから頭を誰かがグイと抑えているような状態で手袋が乗っかっているのがどうにも間抜けである。12時半からだというのに、「追灘弓神事」はなかなか始まらない。かれこれこの場所に立ち続けて40分ほどになる。大阪親子は勝ち誇った顔でこちらが目の前の整理の子の頭越しに斜めに首を傾げているのを時折ヘラヘラと見ている。雨は止まず気温は下がり、足、特に足首と膝の感覚が無くなってきた。これはまずいと思い、連れに「すまん、もう限界」と言ってせっかくキープした場所を離れることにした。気持ちが折れたわけだが、離れるにせよ、足が曲がらなくなっていることに驚いた。まるで壊れたロボットがさび付いた関節を曲げられずにノタノタ歩くかのように、ゆっくりと痛みを堪えながら、楼門側の屋根のある方へと下がった。

そこは屋根の下で木製の長椅子があったので、そこへヤレヤレと座る。よく考えたら俺の免疫力も体力も、おそらく老人並なのだろう、これは苦行である。そうして一息ついて遠巻きに眺めていると、観客の数は意外と少ないことが解った。一番いい位置つまり舞殿の南側周辺だけは三重〜四重の人垣だが、それもゆるゆるで、全体では200〜300人いたかどうか。そこで10分ほど座って休んでいたら、ようやくざわざわとし始めたので、せっかく来たんだしと気持ちを立て直して舞殿へ向かう。
 その2 につづく>
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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