--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-02-03(Tue)

下鴨神社で節分 その2

<つづき>
舞殿は俺が立っていた場所へはもうさすがに割って入れる状態ではなかったので、西側の方から南側を右手に見るような場所へ行き、2〜3列目に立った。幸い目の前はおばちゃんやお年寄りが多く、俺の視界は比較的良好だったので、儀式の次第が良く見えた。まずは神職によるご祈祷から始まり、南東に腰掛けていた烏帽子に帯刀の射手がおごそかに右手に弓懸け(ゆがけ=ガード)をはめる。いよいよかあ、と思って見ていると、四方へ向かって弓を弾く真似だけをして、「やぁーっ」というかけ声。
これからかな、と思っているとツンツンと左袖を引っ張られた。連れ合いかな、と思って振り返ると「こんにちは〜」と明青の渡辺さんの奥さんで、ビックリ。ご主人ももちろんおられ、3人で見物することにした。
さてその射手は四方へ弓を射る真似をしたあと、弓をうやうやしく北側の元あったところへ納めてしまったので、3人で「あれあれもう終わり?」と顔を見合わせる。ご主人によれば、去年までは失礼ながらほんまに大丈夫か、と思えるほど小柄で高齢のご老人が弓を射たそうで、ひょっとしたら後継が途絶えたのかいな、とまで心配する。この頃連れ合いが我々に気づいてこちらへ来て、手袋があんまりだったので俺が持っていたハンカチを頭に被せてやる。

この弓矢が高く楼門を超えるまさか今年はやらないのか、いやこうした伝統儀式は途絶えさせるはずがない、と思いつつ見ていると、もう一人、舞殿の南西側に鎮座していた別の射手が、ゆがけをし始めた。そうして今度は和弓と、先ががまの穂のような形に丸くなって金色に塗られた矢をとり、立ち上がった。明青さんの奥さんは「去年までは本当にこう言っちゃアレだけどヨボヨボのおじいさんだったのよ、でもあんな若い人で逆に大丈夫かしらねえ」と言っていたが、ご主人は腕組みをしながら「ヤツはやる」と一言。「顔が違う!」と男らしくキッパリ言われるのでよく見ると、若そうに見えただけで、40代くらいの人で、顔にも気合いがみなぎっている。
そうしてゆっくりと舞殿の南の階段を降り、キリキリと矢を楼門の上めがけて狙いを定め、弦を引き絞る。楼門はかなり高い、しかしあまり角度をつけすぎると、今自分のいる舞殿の屋根の内側を射貫きはしないかというくらいの角度だ。うわあ高い、と思ったその瞬間、矢が放たれた。するとその矢は
「ぽぉーーーーーーーーーーー!」
という、これまで聞いたことのないような何とも気持ちの良い、清々しく神々しい音をたてて、見事に朱塗りの楼門を飛び越えて行った。思わず観客から「うおおお!」とざわめきと拍手が巻き上がった。あの「音」が邪気を払い、厄を吹き飛ばしてくれるのだというのが良く解った。いやもうこれで俺も一年大丈夫だなあ、とありがたい気持ちになるほど「いい音」だった。去年の節分の日、明青さんご夫妻が「あの何とも言えない音は聞いたモンじゃないと解らない」と言っていたのがよぉぉぉく、解りました。

その後「いやー良かったあ!」と余韻を味わいつつ進行を見ていると、今度は舞殿の南側砂利の上に置かれた椅子に控えていた若い学生たちが6名ほど、舞殿へ上がって行った。当たり前だがこの儀式を行う人は全て、平安装束だ。どこかの大学の弓道部の学生たちが、今度は3人ずつ東西に別れ、それぞれに6枚ずつ掲げられた朱塗りに墨で●が描かれた的を射抜く。これら合計12枚がそれぞれ12ヶ月、すなわち全て射貫かれ、見事に一年間の厄除けをするというらしい。俺たちは舞殿の左側つまり西側の最前列で見ることが出来た。こちら側のは朱に●が三角形に三つの的で、反対側つまり東側の的は●が一つのもの。こっちは年の後半という意味だろうか、関係ないのか。

大学の弓道部の学生たち。なかなかの腕前。さて準備が整い、若い学生が順番に舞殿の上から和弓を引き絞り、「やぁああーーっ!!」という勇ましいかけ声と共に矢を放った。予想より早いスピードでシューッと矢が的へ向かい、一つ目の的は見事に真っ二つに割れて落ちた。観客から「おおーっ!」と歓声と拍手が起こる。二番手は惜しくも外し、三番手は見事に射貫いた。順番に数本ずつ放つが、射貫かれても割れた板が残っていれば、それを弓で落とさねばならないらしく、かけらが残っていたのも最後まで見事に全て打ち抜かれた。
命中した的の板は割れて落ちる。次の瞬間、「わーっ」と最前列に居た人たちが的の方へ向かったのだが、何のことかと思っていたら、明青さんの奥さんがニコニコ笑いながら射貫かれて割れた半分より大きな的を持って戻ってきた。「これあげようと思って」と言って取りに行ってくれたのだ。この射貫かれた板は縁起物だそうで、一年祀っておくと厄除けになるという。旦那さんは板を「パキッ」と割ると4枚ほどに別れたので、近くにいてちょっと話したおばちゃんにも分けてあげていた。もちろん、我々もそれを有り難くいただきました。いやほんま、ありがとうございました。ちなみにうちの連れは周囲につられて慌ててヨタヨタと走って行ったが、何も取れずに苦笑いしつつ引き返してきた。さらに、射貫いた矢の方を持って来た人もいたのだが、残念ながら縁起物は「射貫かれた的」の方であり、矢は巫女さんや係の人が回収して廻っていたのであった。
うーん可愛そうに…と思っていたら、俺が手にした的の板をうらやましそうに見る目が。何とそれはあの割り込み大阪弁おばはんであった。やはり神はいたもうたのだろうか、へっへっへ、残念でしたなあ。
そうして明青の渡辺さんご夫妻は「じゃあ私たちはこれから吉田神社行ってきますんで」とさっそうと去っていかれたのであった。格好いいなあ。そもそもこの行事のすばらしさを教えていただいたわけだし、割れた的まで取って貰い、もう本当に有り難かったです。
右手奥がたわわちゃん。次はいよいよ舞殿からの豆まきとなるのだが、まずは二十人ほどの捲き手、つまり年男や年女や還暦の人、厄年の人らが裃姿でぞろぞろと舞殿に入って正座していく。儀式の前には必ずお祓いを受けねばならないので、京都タワーのマスコット・たわわちゃんも裃で正座しているのがおかしかった。
ちなみに下鴨神社の厄払いの色は黄色なので、年男や厄年の人は黄色い着物だそうで、赤い着物は還暦の人だそうだ。気がつけばブルゾンも帽子もマフラーもけっこう濡れてきていて、背中がゾクゾクする。風邪ひいたらヤバいなあ…と思いつつここまで来たんだから豆貰うぞ! という意気込みでひたすら待った。

お祓いが終わり、いよいよ豆まきという段になって、これまでゆるく舞殿を取り巻いていた輪が急速にタイトになり、神職さんの「それでは、福はぁ〜ウチ〜!」のかけ声と共に始まると、「きゃー」「うわー」「こっちこっち!」とかもう右往左往。
俺はしばらく遠目に呆然と見ていたが、いかんいかんと思い輪に入ろうと思いつつ、腫れた脾臓を庇うのでどうしても右手しか挙げられず、なかなか飛んでくる餅や豆の袋をキャッチできない。それでもバラで飛んできた豆を一つナイスキャッチ、そうして前のおばちゃんのフードにポロリと入ったもう一粒を拾って二粒。これで夫婦一つずつは縁起物が食べられるな、と思ってると、今度は餅の袋がぽとりと目の前に落ちた。「オッ」と思って我ながら凄い反射神経で思わず拾うと、隣のおばちゃんが「ああっ…」とタッチの差で悲しそうな声。すんません。でもそのおばちゃんも後で拾えていたので問題なし。
さらにもう一つ餅の袋を拾えたので、やれやれ豆は一粒ずつだが餅はニコ入り一袋ゲットしたわいと思って輪を離れると、しばらくして連れ合いが両手に豆と餅の袋をいくつも抱えてニコニコしながら戻ってきた。聞くとけっこう前の方で、貰ってはポケットに入れてまた手を挙げて、とやっていたそうだ。連れの周辺ではおじいさんが「うわあ」と尻餅をついたのを連れや周りのみんなが助けてあげて、さらに連れは拾った餅をそのおじいさんに分けてあげたり…というほのぼのした光景があったそう。
いやー疲れた疲れたと、豆まきも終わって楼門を出ると、今度は甘酒売り場の脇で梅の枝を無料で配るというのに行列が出来ている。来る時もあったのだが、こちらは初めてだったので場所取りが必要かとあせっていて貰いそこねた。明青さんご夫妻が来た時はもう梅は無くなっており残念そうだったので、じゃあ代わりに貰っておこうと、連れが並ぶ。俺はそのまま来る時に囂々と燃やされていたお札などの前に行き、冷えた体を温めた。

積まれた護摩木に火が入れられる。数分で連れが梅の枝を貰って戻ってくるのが見えたが、その手前に自分も書いて供えた護摩木の護摩焚きが行われるとかで、ロープが張られていく。俺も連れと合流し、祝詞が書かれた紙を貰い、神主さんらと一緒に詠んだ。
燃え上がる紅蓮の炎。
護摩木を燃やす炎を写すと、なるほどよく言われるようにいろいろな形に見える。人によっては心霊写真だとか騒ぎそうな複雑な形をした炎だ。それをしばらく見て、それからまた「古神札焼納」の火にしばらくあったまってから、参道を出た。何だかんだで飲まず食わずで気がついたら2時を軽くまわっている。雨で体は冷えたし腹も減った。出町の駅までとても持たんな、と途中で東側に逸れて、喫茶店へ避難した。そこでようやく遅い昼食、カレーとコーヒーで一息ついた。
それにしても、明青さんのお陰であの有り難い「追灘弓神事」も見られて素晴らしい音も聞けたし、思いがけず射貫かれた的の板もいただいた。さらに福豆も福餅も貰えたし、良かったねえと話す。
節分は京都市内あちこちでいろいろと行事がある。北野天満宮では神楽殿での狂言の後で上七軒の芸姑はんたちが豆まきをするというし、千本釈迦堂ではおかめさんが赤鬼と青鬼4匹を改心させる行事、聖護院や壬生寺では山伏が出て八坂神社では二日連続で祇園や宮川町先斗町の芸姑はんたちが舞踊を奉納したり松尾大社でも弓神事があるし…ともうあらゆるところで豆まきだけではない、さまざまな神事や催しがある。
そうしてこれは「節分」というイベントに限らなくで、京都にいると季節ごとに時代祭、鞍馬火祭、葵祭、祇園祭、五山送り火などなど、あるいは小さな節句や行事も非常に大事にされていることがわかる。今回の節分も、下鴨神社と吉田神社をはしご…というのはいいコースだと思うし、来年はどこへ行こうか、という思案もまた楽しみだ。
こういうことが生きることのモチベーションにつながるというのは、「京都へ来て本当に良かった」と思うことの一つなのだ。



これがゲットした的である!
左が明青さんの奥さんが取ってきてくれた、的の板。30センチ四方くらいあって、けっこう大きい。裏側には墨で漢字が書いてあり、「男」と書いてあるようにも見えるが、割れていたので不明なり。
今は「節分限定」の下鴨神社のお札と一緒に、お奉りしてあります。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。