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2009-04-26(Sun)

連れ合いが倒れた 詳報

4月26日(日)
前の晩は11時過ぎに布団に入り、いつものようにテレビを寝ながら二人で12時近くまで見てから寝る。
夜中、2時過ぎくらいに隣で寝ていた連れ合いのMがもぞもぞ動いて何か言ってるので起こされる。
「頭が痛い」というので「大丈夫?」というと「下へ行って頭痛薬飲んでくる」と言うのだが、どうも動きがおかしい。力が入らず起き上がれないようで、「起こして起こして」と言うので腰に手をあてて起こすが、ぐにゃりとベッドに寝てしまう。しきりにその間も「頭痛薬飲みたい」というので、「俺取ってきてやるよ」と下へいったんバファリンを取りに行き、二錠出したところで「ハッ」と気付いた。

何かがおかしい。

薬をテーブルに放り出し、二階に戻ると、Mがベッドの上でもがいている。「トイレも行きたいから起きたいんだけど、起きられない」といって体を起こそうとしてはもがき、右手が宙をかいている。こちらがまた半身を起こそうとしてやるが、起こすと力が入らず崩れてベッドに転がる。そのうち「ク、ス、リ…」「ト、イ、レ…」とロレツもおかしい。何度か起こしてやろうとしたが全く力が入らない。「どこが痛い」と聞くと右手で右こめかみを指して「頭…が、痛、い」と言う。
これはまずい、脳だ! と思いすぐに下に降りて119番をする。状況を説明し救急車を呼ぶと、電話から6,7分ですぐに到着した。救急隊が到着後、すぐに2階の寝室に上がると、Mはベッド上でもがきながら嘔吐しており、夕飯のハンバーグのドミグラスソースか、あるいは夕飯後に食べたチョコクッキーか、茶色いものをゲボゲボと吐いている。さらに意識はもう混濁状態で、話も出来なくなっており、隊員3人がベッドから持ち上げると、失禁もしていた。

エレベータに同乗し、マンションの下に降りて待機していた救急車内で状況説明をし、京大にかかっていると告げ、5分くらい連絡のやりとりがあった後、京大病院の受け入れ手配がついた。病院到着は3時過ぎ。

この状態でMはもうすでに意識がなく、救急治療室までついて行くが、外で待つように言われて、暗い廊下のソファで待つ。同じように救急で運ばれた人の家族か、中年の夫婦がソファに座り、沈痛な顔をしている。
その後3時半くらいになり、当直の医師に呼ばれ、中に入る。
どうやら持病の高血圧による脳出血のようだと説明を聞いた。断層写真を見ると、脳の真ん中に大きな出血がはっきりと見られる。

「ここまで出血がひどいと…はっきり言いまして助からない確率が高いです」と残酷な告知をされた。

「もし仮に命が助かっても、重度の障害が残るか…もしくは植物状態になると思います」とのこと。

「手術は出来ないんですか」と聞くと、

「開頭手術で血腫を取り除くにしても、命が助かる確率がちょっと上がるだけで、寝たきりになるのはおそらく避けられないと思います」とはっきり言われた。

「このまま放置すれば、死ぬということでしょうか」と聞くと

「このままだと、すぐに亡くなられるということはありませんが、それでも元の状態に戻る、立って歩いたり話が出来るようになることはほぼ、ありません」という。

医師は「どうされますか、延命的に開頭手術をご希望される方も多いんですが、結局その後ずっと植物状態という24時間介護状態になりますから、こういうのも何ですが、最初はどんな形でも生かして欲しいと言われたご家族も、時間が経つと後悔される場合もあるんです」とのこと。

俺の腹はもう、ホンの少しでも可能性があるのなら、いや例え重度の障害が残っても、生きていさえくれれば奇跡が起こるかも知れない、だから手術して欲しい。そう決まっていた。
しかしお母さんやお姉さん、子供たちにも説明しなければいけない。病院に着いて待てと言われた間に何度か、次女のYちゃんとお姉さんに電話したが出なかったが、折り返しYちゃんからメールが来て、留守電を聞いた、お姉さんの携帯にも電話したら、「今日はT(次男)の結婚式でばーちゃん(Mの母)と箱根にいる」と言われたという。
とにかく俺はYちゃんに「可能性が低くても、手術してもらおう」と話し、救急治療室へ戻る。
先生に「やはり少しでも確率があれば手術をお願いします」と言うと
「開頭して無事血腫を取っても、人工呼吸の管や下の管も付けるために切開をしたりするし、その後は恐らく意識が戻ることはほとんどないと思いますが」と言われたが、「一生介護になっても構いません、お願いします」と告げると、「解りました」とのことでしばらく待たされ、4時半くらいに手術同意書の記入を求めれてサインするた。だが、もう呼吸も止まりかけだと言われて驚いた。あとは手術の用意が出来るまで待てと言われて、また外の廊下のソファでひたすら待つ。

5時が過ぎ、外は白み始めたがまだ手術には入らない…と気をもんでいたら、5時5分、手術室へ行きますと呼ばれた。ストレッチャーに載せられたMの口からは肺へ管が挿管されており、医師が手動ポンプで肺に酸素を送りながらエレベーターで移動した。Mの目は半開きのままで、こちらの呼びかけにも全く反応せず、辛かった。
手術室のフロアにある家族の待合室へ通され、外へ出る時は施錠しナースに連絡してから出てください、あとは仮眠とかされるんでしたらそちらで、と畳敷きの小上がりとロッカーに布団や枕があるのを教えられる。
こちらは枕を出してソファに横になるが、もちろん寝られるわけもない。Mの魂が生死の境でふわふわしていたら、体に戻ってくれ、そしていっしょにまた暮らそう、と呼び掛ける。神や仏やご先祖様でも、とにかく助けてやってください、こんな体だけど俺が一生介護しますから、とにかく生かしておいてください、と何度も祈る。

そうして一睡も出来ずにいると、7時頃看護婦さんが様子を見に来てくれるが、まだ手術中だとのことだった。救急車に乗る時に外しておいたMのメガネを握りしめ、Mの魂に呼びかける。
「まだ逝っちゃダメだよ、俺たち一緒に逝こうって言ったじゃないか、一度俺が死ぬと言われた時に、俺はもう一度あなたと猫たちとの何でもない、普通の日常へ戻りたいと祈った。あなたも祈ってくれた、そうして奇跡を起こしてくれたじゃないか。今度は俺が奇跡を起こしてやる、もう一度、家へ帰って俺と猫たちと一緒に暮らそう!」

時折立ち歩いたり、寝ようとしては挫折し、祈り、声に出してMに呼びかけ…を繰り返す。
そうしていると8時半過ぎ、看護婦さんがビニール袋に入れたMのパジャマや下着、腹巻きを持って来てくれた。「失禁したので汚れてますが」ということと、手術の前に外してくれた腕時計とネックレスもカップに入れてきてくれた。俺は再び胸にMのメガネを抱き、ネックレスと腕時計を握りしめてひたすら祈った。長い手術になっている。何とか、命だけでも…。祈り続けて4時間。

9時5分、インターホンで看護婦さんから「手術が終わってICUへ移動したので、とりあえず先生の説明を受けてください」と言われ、ICUへ向かう。
入り口は足下のフットスイッチでドアが開き、中で一度手を洗い、もう一つのフットスイッチのドアを開け、中に入ってからそれをまた閉めて、説明の場所へ向かう。
執刀していただいた、救急対応をして下さった先生と、もう一人の若い医師の2名に断層写真を見せてもらい、状況の説明を受けた。

ダメだそうだ。

「もって3日、長くても一週間は無理でしょう」と。

手術前、搬送した直後の写真では、脳の中央部に素人が見てもわかる大出血があり、とにかくこれでは放置すれば90%死亡、手術でうまく血腫を取り除ければ死亡率が80%に下がるかもしれない…ということで手術をお願いしたのだけど、結局、開けてみたら思ったより出血がひどかったという。しかも通常の高血圧性脳出血だと出血は一度でだいたい止まり、そこで出来た血腫をうまく取り除けば、障害は残っても何とか命はとりとめるということが多いそうで、実際そういう手術を何度もやってきたそうだ。
しかしMの場合は、そういう出血ではなく、何度も何度も大量の出血を繰り返すのと、血小板数が足りないので成分輸血をしても足りず、そのままだと心臓が止まってしまうということで、やむなく止血処理をして頭をふさぎ、眠らせてあるということだった。

これはもう元々脳内の血管に何らかの異常か病変があったはずで、時限爆弾のようなものだったらしい。ただ、そういうことは「ピンポイントで精密検査を受けてみないと解らないことだし、運命ということもありますから…」と言われる。
だから「やるだけのことはやりましたが、あとはご家族の方と最後のお別れをしていただくことが目的の延命です」という残酷な告知をされてしまった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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