--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-04-26(Sun)

連れ合いが倒れた 詳報2

足が震えた。

Mが死ぬ。

こんなに急に、こんなにあっさり。

数時間前まで一緒にテレビを見て笑っていたじゃないか。
夕飯は二人で傘をさして洋食店へ行き、おいしいね、とぱくぱく食べた。
その前にお昼は二人で分担してマフィンを焼いて目玉焼きとハムを焼いて挟んで食べた。俺が黄身を真っ先にかじってしまい、ベトベトになったのを見て笑っていたよね。
朝はいつものように俺がイチゴのヘタを取り、牛乳とレモン汁と蜂蜜をミキサーにかけてジュースを作った。あなたが朝は食欲がないというから、このところずっとそうしてきたじゃない。
あなたは食前に血糖値の測定とインスリン自己注射が欠かせない。外食をしようがウチだろうが、本当に辛く煩わしかったと思う。だから朝はあなたが注射している間に俺が台所でジュースを作るのが日課だったよね。
そういう普通の、本当に当たり前の日常を、つい数時間前まで一緒に送ってきたじゃないか。
何より二人と二匹の京都生活を、お互い本当に楽しんでいたよね。
それもたった一年半で終わりだって言うのか。
俺は最愛の妻を失って、これから一人でどうやって生きて行けばいいのか。

頭の中がぐるぐると様々な思いが駆け巡ったが、ともかくこの場は医師にお礼を言って、「顔を見られますか」というと「今麻酔処置中ですから中待合で待っててください」と言われる。なので入ってきた方とは反対側の出口を出て、そこにあったソファに腰をおろした。
再び頭の中がぐるぐるいろいろなことが駆け回る。
M。何でだ。俺を残してこんな急に。一緒に死のうって言ったじゃないか。
とか、そうかと思えば
大学に連絡しないと、ついこないだ同じ学科を受け持っているH先生が交通事故に遭ったばかりだ。
とか事務的なことも交錯する。

9時半ころになって、執刀した先生は出張があるとかで挨拶をして去って行き、一緒にいた学生さんのような若い医師が、ICUのベッドに通してくれた。
Mは鼻や口から管を出し、人工呼吸器でただ呼吸だけさせられている。前頭部の髪の毛を剃られ目をつむって寝ているMは、まるで高貴な尼僧のような穏やかな表情だった。
その顔を見るとやはり涙が止まらなかった。顔をなでてやり、「ごめんな。よく頑張ったな。ありがとうな。」と小さな声でつぶやいた。手もさすってやった。当たり前だが、生きている人の手なので暖かく、力の抜けた二の腕がぷるぷるしていた。
このままここにいたら抱きついて泣きそうになったので、「夕方身内が東京から来ますので、顔を見せてやってください」と挨拶をして、ICUをいったん出た。若い医師は「私は夕方もおりますので、出来るだけの対応はさせていただきますので」と言ってくれた。それから元の待合へ戻り、Mのパジャマ類が入ったビニール袋二つと自分のバッグを持ち、再びICUへ戻って待合室の鍵を返してから、1階へ降りた。

外へ出ると、薄曇りで雨がぽつぽつ振っている、陰気な天気だった。
タクシーの運転手は「今日は降らへん、ちゅうてたんですがねえ」と言っている。「そうですね」と力なく返しながら、涙雨だと思った。

Mが泣いている。

そう思うと自分も泣きそうになるのを堪えるのに必死だった。

うちへ着くと10時近くになっていた。電気は全てついたままで、数時間前に救急隊と一緒に出たままだった。自分でも憔悴しているのが解り、ふらふらしながら部屋着に着替えて二階へ上がると、ベッドの上にシマとユキが毛布の上でくっついて寝ていた。二匹に「ママ死んじゃうんだよ」と言ってなでているうちに、また泣けてきた。


Yちゃんからは俺が家に戻って少し休むとメールすると、「休んで」と返信。ずっと心配していたが、Mちゃんと待ち合わせてこちらへ向かっている。その後お姉さんからは「T(次男)の結婚式なのでどうしようもありません」、「何かあったらメールください」と入る。
とりあえずお袋と精華大学の専任メールには次第をメールしておき、ソファで寝ようと試みる。
シマが降りてきたので、「マミィ死んじゃうんだよぉ」と抱きしめると少しまた涙が出た。
寝ようとしても寝られるはずもなく、二階のテレビの脇にMの描いた猫の絵を並べたり。どうしてもMが死ぬということが受け入れられない。
10時半ころ、Mの好きな静岡の純米酒「花の舞」が一本残っていたので、M愛用のぐいのみを冷凍庫から出し、俺は仏様用の杯を洗って栓を開け、「いつものように二人で一杯やろう」と話す。
Mがかけていたメガネを置いたが、二階から本棚に飾ってあった少し若い頃のMの写真を持って来て額に入れ、差し向かいで一杯だけ飲んだ。いつものように「おいしいね」と言いながら。Mは今と違ってふっくらした顔に理知的な笑顔でほほえんでいる。

あまりに悲しすぎて、涙も時折ぶわっと湧いてくるがワンワンと泣くことすらできない。
俺は若い頃から優しくもなく甲斐性もなく、Mに苦労と心配ばかりかけてきた亭主だ。俺は癌を得たものの、ようやく京都で安寧な暮らしが出来るようになった…と思ったらまさか俺より先に、こんなに急に逝くというなんて。とうてい受け入れられるわけがない。


気がつくともう1時前だ。じっとしていると寂しさと悲しみがこみ上げてくるので、何かしら立ち歩いたり、メールを見たり、そうしてはソファに転がって溜息をつくの繰り返し。
Mがいつも座ったり横になったりしていたソファの定位置をなでさすり、ここのところ旅行へ持って行って思い出の写真がいっぱい詰まったデジカメの画像を見ては涙ぐむ。
そんな感じで過ごしていたら、YちゃんからMちゃんと二人で京都に着いたとメールが入る。すぐ折り返し電話で、まずとにかく病院へ行って、「ICUに入っている白取の娘です」と言えば入れてくれるから、顔を見てやってくれ、と話す。俺は「頭開けたから前の方剃られて坊主みたいになってる。安らかな顔で寝ているから、俺はなでてきたよ」と言ってるうちにこみ上げてきてしまった。何とか電話を切った後、思わず顔を覆って号泣してしまう。大の男がしょうがないとは思う、しかし、だってこれ以上に辛いことはない。
子供たちは京大へ向かったが、ICUの面会時間は2時からだと、15分ほど待たされると言っていた。

今日の京都は13℃と、平年に比べるとぐっと冷え込んで寒いほどだ。その寒さと曇天がまた、寂しさを増長させる。最愛のひとを失うという寂しさに、気持ちが凍えるようなのだ。
あの人はいつも早足で歩く俺の後をついてきた。俺が歩調を合わせて、腕を組んであげるのは二人でお酒を飲んだ後だけだった。普段は男女が、それもいい年の夫婦がベタベタするのは恥ずかしい…なんてつまらぬ体裁を気にしていた馬鹿な俺は、いつも数歩先を行き振り返ってはMが追いつくのを待ってまた歩を進めていた。
そんなちっぽけな羞恥心が、お酒を飲んだ後はちょっと足下の危ないMを「支えてあげる」という名目で、腕を出すと嬉しそうにすがって、ニコニコしながら上機嫌で二人で帰り道を歩いたものだ。

「今日はお月さんがまん丸だよ」と指さして、二人で見上げてはフラフラしたり、鴨川沿いの夜桜を眺めながら帰ったり、二条城への近道にタクシーが紫明通りを通ってくれた時は、グリーンベルトの文字通り新緑の緑に二人で目を奪われ感動した。もっともっと、本当にたくさん思い出がありすぎて、洪水のように押し寄せてくる。自分の半身が奪われたようなもので、心が痛い。

ブログを見た親友から「奇跡が起こるように」とメールが来たが、もう無理なのは解っている。それでも励ましてくれるのは有り難いことだ。その後は2時過ぎ、函館のお袋から電話がある。メールがマナーモードで気がつかなかった、いつものように教会へ出かけて帰って来てメールを見て、驚いてかけてきた。
「どうしたらいい、何をしたら?」と聞くので、「もういいよ、祈っても奇跡は起きなかった。俺も毎日毎晩、二人の安寧な暮らしが続くように祈ってたけど、ダメだったから。あとは数日で魂が抜ける、それから安らかに天国へ行けるように、せめて祈ろうよ」と話すうち、二人とも涙声になった。
俺も思わず「あの人はね、いつだって自分よりも他の人のことばっかり考えてた。自分のご飯より猫たちの、自分の幸せよりも俺や子供たちや身内のを。そんな人がね、何で先に逝かなきゃならないのよ」そう言いながら泣けてしょうがなかった。

お袋は飛んで行きたいけどしょうがないね、と言うので「まだ死んだわけじゃないし、今日・明日っていうことはないと先生も言ってたから、また何かあったら電話する」と言って切るが、「何かあったら」の「何か」とは何のことかを考えると、何もする気が起きない。

座して最愛の人間が亡くなるのを待つという残酷な時間。気がつけば真っ黒な液晶テレビの画面をただ見つめては時計を見る。もう夕方かと思えば30分しか経っていない。Mは今、息を「させられて」おり、かろうじて自力で心臓が「動いているだけ」の状態だ。その鼓動が止まれば、死が訪れる。

生前俺たちはよく自分が先に死んだら、という話をしたものだった。お袋はそのことを言うと「そんな縁起でもないことを前から言ってたのかい」と言うが、「だって俺たちは二人とも、生死のギリギリのところでお互いに手を取り合って支え合って来たんだよ」と言うと「そうだねえ…」と、お互い出るのは涙と溜息ばかり。
俺は「俺が先に死んでも、君を絶対に守ってやる、そうして君に意地悪をする人間を呪い殺してやるよ」と笑って言っていた。Mは「そんなこと言っても、もしあなたが先に死んだら、私が生きていても意味がないから」と言っていた。俺も同じ思いを今、噛みしめている。
けれどあの人の、「やまだ紫」という素晴らしい才能を、作品を、生きているうちに正当に評価しなかったボンクラどもの言説に任せておくわけにはいかない。後世に伝えて遺して逝かねば、俺は死ねない。

Mは「私がもし先に死んだら、あなたのところに逢いに行くからね、絶対に」と言っていた。
まだ、Mの魂は肉体にある。
ひょっとしたら浮遊しかかっているかもしれないが、まだ俺の側に来ている感じはしない。二人で松谷みよ子の不思議な話を読んで、よくいろいろと話し合ったものだ。虫の知らせ、死後の世界、「トンデモ話」と嗤う不遜な人間はそれはそれでいい。それでも、俺たちは人智を超越した存在があることを「知っている」。

Mは必ず、俺の側に来る。
残念ながら、その時彼女の肉体は滅びるはずだ。だけどそれと引き替えに、Mは俺と本当に一心同体となるのだと思う。嗤いたい人は勝手に嗤うがいい。



3時前、二人の娘たち・MちゃんとYちゃんの二人は「病院でママ見て来た、これからそっち寄るから」と言ってタクシーでマンションに来る。二人には母親がどういう状態で普段暮らし、そうして運ばれて行ったのか見てもらうために、Mが運ばれていったそのまんまにしておいた。
「ここへいつも横になったりしていたんだよ」とあの人がいつも座っていたソファの周りを示す。あの人はいつも身の回りのものをいつの間にか手近なところへ積んでおくクセがあり、いつも飲む薬、化粧品や注射などが周辺に雑然と置いてある。それを見て「昔っからこうだったよね」とちょっとだけ笑い合った。

それから座って「ママの顔見たかい」と言うと、二人は「少しだけ片目が開いていて、可愛そうだった」と言う。俺が手術直後に見た時は両目を閉じており、挿管はされていたものの、本当に尼僧のような穏やかな表情だったのだが、不思議だね…と話す。
夕べからの状況を説明し、これまでのたくさんの思い出を語るうち、俺も涙が出て仕方がなく、皆で鼻をすすり涙をぬぐいながら話した。運ばれて行ったままにしてあった二階のベッドも見てもらい、ベランダも「これからここに猫を出そうと思って、二人でネットと煉瓦を買ってきて、これから一緒にやろうと思ってたんだけど」とそれらを見せる。何もかもが悲しさを誘う。

二匹の猫だが、耳の聞こえるシマの方はなぜかMが座っていた足下のスリッパにあごを載せて寝ていたが、二人が来たら二階のベッドの下へ隠れてしまった。入れ替わりに耳が聞こえないユキが降りてきて、すりすりくねくねと愛想を振りまく。それを構ったり、思い出話をしたあと、二人は子供たちをそれぞれ置いてきているし、一旦帰るという。4時過ぎに玄関で「しっかりね」「ご飯食べてね」と言って帰って行った。

俺は「大丈夫」と手を振ったが、二人がいなくなると軽く目眩がする。今日はまだ何も食べていないのだが、目眩止めだけは飲んだのが、効き目が無くなってきたか。一人になると寂しさが募る。これから、猫たちはいるものの、この切ない寂しさに俺は耐えられるのか、自分でも今は解らない。

腹が減っているという感覚はあるのだが、とても食欲が出ない。そもそもテレビすら見る気になれず、横になっても眠れない。このままだと俺の体は確実におかしくなる、もっとももうおかしい=癌なのではあるが。
以前、確かこんなことを書いた覚えがある。

「癌は人に移る」と。
どういう意味かというと、癌そのものが他人に転移するのではもちろんなく、長年連れ添った夫婦の片方が癌にかかり、患った挙げ句亡くなる。遺された人は大変な精神的苦痛=ストレスに苛まれる。長年の愛情が深ければ深いほど、その苦痛は体を、精神を引き裂かんばかりに大きなものになる。そうしてそのストレスから、遺された者が癌になってしまう…。よく、そうして「後を追うように」遺された者が数年で亡くなる、という話を耳にするのは、そういうこともあるのではないか、という話。

自分がそういう立場になるとは思わなかった、しかし俺はすでに血液の癌を患っている。幸い進行が遅いタイプなのでこうして生きていられるが、Mを失うとすれば、いったいどういう影響が自分の体に出るのか想像がつかない。

よく夫婦で見ていた何てことはない番組も、二人で批評し合い笑い合ったお笑い番組も、二人とも好きで借りてダビングしてある映画も、二人で聞いた音楽も、二人で食べたものも飲んだものも皆全て、「二人だからこそ楽しめたもの」であることを、文字通り痛いほど、痛感している。一人で何をしても、俺の半身が楽しくないのだから、心の底から楽しめない。
これではまずいな、と思うが今はどうしようもないというのが本音だ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

驚いてしまいました

しかし白取さん、当事者のお気持ちは私のそれとは比べ物にならないものでしょう。
すいません、言葉も何か変です。
いまは休める時に休んでください。

奇跡を、願います。

お気持ちを強く!

以前はよくコメント欄を汚しておりました者です。迷惑書き込みや宣伝書き込み対策でしょうか、コメントを承認制にされてからは、お返事をいただくということで白取様のお手を煩わせるかとも思いまして書き込みを控えさせていただいておりました。

しかしながら私ども夫婦も、拝見していてお二人の絆と深い愛情、そして何よりも好きだった世の中への視点であるとか時代で変化せぬ作品や言説に、常々敬服していた次第です。

私どもにとっては「やまだ紫」というもっとも敬愛する素敵な作家を喪失することは、もちろん苦痛ではございます。ですが、白取様にとってはその上に大切な大切な最愛の奥様を失うという、想像もつかない悲しみが重なるのですね。
どうか今はお気持ちを強くお持ちになり、やまだ先生をいや奥様を送ってあげて下さるよう願います。
そしてもし奇跡が起こるのであれば、神に再び奥様を白取様の隣に戻して下さるよう、お祈りさせて戴きます。
失礼しました。

なんと申し上げてよいものか

初めてコメントさし上げます.

白取様が癌にかかる少し前より,このブログはずっと読んでおりました.
「やまだ紫」は私に「しんきらり」等で衝撃的な影響を下さった方で,最も尊敬している漫画家の一人です.
持病のあるお二人の暮らしをブログでずっと読ませていただいておりましたが,まさかこんなことになるとは夢にも思っていませんでした.
私は白取さんと同年代で,妻も12歳年上という似たような境遇なので他人事とは思えません.

何も出来ることはありませんが,白取さんの健康が心配です.
どうか,お体を休めて下さい.

そして,奥様には奇跡を祈ります.

ありがとう

龍さん、ありがとう。
今7時ちょっと前ですが、さすがにちょっと疲れが出てきたのか、だるいです。眠いような気もするんですが、横になって目を閉じても眠れるはずもなく…という状態です。

メールでのお見舞いや励ましもたくさんいただいています。
この場を借りて、御礼申し上げます。

ちょっと休もうか…さっきからそう思っていますが…

そんな!

驚いています。
やまだ先生が、そんな・・・・・!
お二人の仲むつまじい京都ライフを邪魔してはと
思ってコメントも少し控えていたのですが・・・言葉
がありません!
以前「ガロ」やその他の雑誌でやまだ先生の素敵
な笑顔を拝見して、作品の通り凛とされたお綺麗
な方だな、と思っていました。
涙が止まりません。

白取さん、どうかお体だけは気をつけてください!
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。