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2009-04-27(Mon)

連れ合いが倒れた 7

ソファに座って、プリントして額装したMの写真に向かっていろいろ語りかけた。

そういえば、今まであなたのことを本名の「M」と呼んだことって、あんまり無かったね。
出逢った時、すでにあなたは遥か彼方にいる、凄い作家だった。
当然ファンでもあった。
だから「やまださん、やまださん」と呼んでた。当然丁寧語で接してたね。
今にして思うとおかしいね。
仲良くなるきっかけは青林堂、「ガロ」の飲み会とか、ソフトボールだったっけ。
ふたりとも猫好きで、何だか最初からとても波長が合ったんだよね。
帰る方向が同じだったんで、いっつも帰りは途中までタクシーで送ってもらったんだ。
あなたは絶対タクシー代を受け取ってくれなかった。
「青林堂は安月給なんだから!」と言って笑ってたっけ。
そうしているうちに、すぐにお互い惹かれ合うようになったけど、告白してくれたのはあなたの方からだったね。

住んでいた団地があった駅前の、今はないバーで二人で飲んで、そのあと「飲み直そうよ」って言われて、のこのこ団地まで行ったんだよなあ。
そうしてあなたは「私ね、ちかおのこと好き」と照れながら言ってくれたっけ。
その時は「僕も大好きですよ」と答えた。
あなたは「そうじゃなくて…」と真っ赤になった。
俺もその時同じ気持ちだった。
一生忘れない。はっきりと鮮明に覚えている。

次の朝、玄関であなたは目を合わさずに、
「御免ね、こんなことでわたしを嫌いにならないでね」と言ったよね。
俺は「何を言ってるんですか、これからもずっと好きです」と言って、思わず恥ずかしくてドアを閉めた。
帰りの都営三田線の戸袋で、俺は当時いつも聞いていたレベッカを聴きながら、
「あの人が好きだ」
と心から思った。
今でもその時のことを思い出すと、感情が揺さぶられる。涙が出る。
当時の俺も、なぜだかあなたのことを考えただけで、涙が出たよ。
これが恋か、愛か、解らなかったけど、あなたのことを思うと胸が苦しくなったんだよ。
そうして俺たちは一緒に暮らすようになったね。

子供たちは「ママの恋人」といって受け入れてくれた、とあなたは嬉しそうに言ってくれたけど、子供たちが大人になってからそういう話をしたら、「全然覚えてないよ」と言われたね。二人で苦笑いしたもんだった。
一緒に暮らしてずいぶん経ってから、お互いの母親…だって俺たちは二人とも、幼い頃に父を亡くしていたから…に、二人のことを打ち明けたね。
俺の母親は「自分の気持ちがそうならいいんじゃないの」と言ってくれた。
あなたの方は年齢差を考えて反対されたんだっけ。呆れられたのかな。
当時あなたたちは、あんまり母娘関係が良くなかったから…。
俺が勤めてた「ガロ」の長井さんに言った時は、
「お前さあ、やまださんといくつ違うんだよ」と呆れられた。
後で聞いたら別な人に「どうせすぐ別れるんだろ」と言ってたんだよね。
安月給でコキ使っといて、何言ってんだよな。
そう言って笑い合った。

でも、俺たちはあれからずーーーーっと、一緒だった。

俺のことを、一緒に暮らすちょっと前から今までずっと、「ちかお」って呼んでくれていたけど、それは親兄弟以外ではあなただけだった。
「ガロ」の先輩で俺を「千夏雄」と呼ぶ人もいたが、あなたは「私のちかおを他人が呼び捨てにするな」と言ってたの、覚えてるかい?
俺も、あなたのことを「M」って呼んであげたら良かったかな。
それともいつも身内が呼ぶように、愛称の方が良かったかな。
どっちにしても、俺は「やまだ先生」から「M」と呼び捨てには突然出来ず、いつも「あなた」とか「君」とか「ねえ」とか、最近はもう「あんた」なんて言ってた。
本当に、男って、いや、俺はバカだね。ちっぽけな羞恥心、自尊心、何だか解らないけど、若い頃から人前で手をつないだり腕を組んだり、あんまりしなかったね。
健康なうちに、もっともっと抱きしめてあげられたら良かったね。
いや、二人だけになった最近こそ、誰も知る人のいない京都へ来てからこそ、もっともっとベタベタしても良かったのにね。
ごめんな。

そういえば俺はあなたとちょっと言い争いやケンカになっても、「ごめんね」となかなか言えなかった。
いつも謝ってくるのはあなただったね。
本当は心の中でいつも謝ってた。それなのに「いや、俺の方こそ悪かったよ」なんて上から目線で返したりして。君から謝ってくれていつもホッとしていたよ。
今はいっぱい謝りたいことがある。

M、ごめんなさい。

いろいろ、本当に何もしてあげられなくて、バカで甲斐性無しで格好つけて外ヅラが良くて頑固で短気で、その上こんな病気になってあなたにいっつも心配ばっかりかけて。

本当にごめんなさい。

もうばーちゃんとねーちゃんがこっちへ向かってるよ。
もうちょっとだけ、頑張って。
そうしたら、もう体から抜け出して、俺のところへ来てよ。
そうして、今度こそ、ずっと一緒にいよう。
いろいろやり残したこともある、俺がやらなきゃならないこともたくさんある、そういうことを片付けたら、あなたが居るところへいずれ俺も行く。
腕を組んで、手をつないで虹の橋を一緒に渡ろう。
今まで一緒に暮らした猫たちと一緒に。
だからもうちょっとだけ、辛抱してよM。

何を呼びかけても写真の中のMは、微笑んでいるだけだ。
去年の初夏に親友の井坂さん夫妻と一緒に銀閣寺や哲学の道を歩いた時の、心から楽しそうなとびきりの笑顔。
あの時は楽しかったなあ。もっともっと、いろんなところへ一緒に行きたかったなあ。
こないだ奈良へ旅行した時、方角が違うというので秋篠寺へ行って、あなたがもう一つ行きたがっていた「石舞台」はこの次にしよう、ということにしたね。
京都に住んでるから、ヒョイッといつでも行けるしね、なんて話してたのに。
そういやついこの間、以前からテレビで見ていた、京大の霊長類研の研究成果として、チンパンジーの学習の様子が京都市立動物園で公開されたよね。あれ絶対見に行こう、って言ってたのに…。


その写真に語りかけていると、1時半過ぎに電話が鳴った。着信番号を見ると東京からだ、思わず病院からじゃないと解ってホッとしながら取ると、Mの親友で詩人の井坂洋子さんからだった。
俺が入れた留守電を、今帰って来て聞いたとのこと。
いろいろ話しているうちに鼻がグスグスしてくる。井坂さんも鼻をすすっている。
「29日に山口で仕事があって、その帰り、30日に紫さんに会うことは出来ますか」と言われるが、
「もうICUなので、話もできませんし、あんな状態ですから…。それに、30日まで持つかどうかも…」と告げる。井坂さんは「そうですか…」と声を落としていた。
「でも苦しんだのは一瞬だったんですよね」と言われたので、
「はい、すぐに意識が飛んで…恐らく長く苦しまなかったと思います。それだけは良かったですが、あまりに急で…」というと
「でも、それが紫さんらしいというか…」と言われる。
つまりあの人が一番好きだった、桜のように、本当にあっという間の引き際であったと。本当に、あっさりと散ってしまった。長患いしない分本人は苦しみが短かったろう、しかしその分、遺された方は心の準備も何も出来たものではない。
「でもね、紫さん、白取さんのことをすごく思ってたから。きっと帰ってくるわよ。」
俺たちはお互い先に死んだ方が相手を守ろうと約束し合ってたから、そうだと思う。
それに、もし俺が先だったら、あの人はどうなってしまったのだろう、そう考えると、順番はこれで良かったのかも知れない。
人はこうして、自分が最愛の人間を失おうという悲しみ、怒り、混乱、さまざまな感情を共有することによって、何とか折り合いをつけようとしていくのだろうか。不思議に、一人だとついついめそめそするが、こうして話をしていると、思い出話で涙は出るものの、気持ちが落ち着いてくる。
「あの…、もし『その時』が来たら、夜中でも何でも、絶対教えてくださいね」と言われて、もちろんですと約束して電話を終えた。
そろそろ東京からMの「ばーちゃんとねーちゃん」が到着する時間だ。俺もしっかりせねば、ヒゲも剃っていないし寝癖もそのまんまだし、もちろん風呂にも入っていない。かろうじて一日に明青さんにいただいたおにぎりを一つ二つ食べただけだ。
こんなことじゃダメだ、Mだって怒る。
そう思って、支度をすることにする。

2時17分。お姉さんから到着を知らせる電話が鳴った。
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コメント

お見舞い申し上げます

突然のことで大変驚いております。
きびしい御容態であるとのことですが、少しでも良い方へ向っていただきたく、お祈り申し上げます。

奇跡よ起これ

御無沙汰しております…
ブログを拝見していて、時折はっとすることはあっても何とか安定されてるんだな、と思っていたのにまさかやまだ先生が…
白取さんと、「Blue Sky」の桜の木をくるくる廻る一郎さんの姿が重なって涙が止まりません。
何か白取さんを励ます言葉を書こうと思っても、何も思い浮かびませんが、奇跡が起こることだけを祈っています!
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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