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2009-04-28(Tue)

連れ合いが倒れた 8

27日、月曜の夕方5時をまわった。

あれから2時過ぎにお姉さんから電話を貰い、頃合いを見てタクシーでこちらも京大病院へ向かった。今日は穏やかに薄日が射す天気ながら、やはり肌寒い。病院へは10分足らずで到着し、入口のホールにある椅子に座って待つことにする。
ざわざわという喧噪の中15分ほど待っただろうか、エントランスへ向かってくる知った顔が見えたので、立ち上がって外へ迎えに出る。お母さんとお姉さん、それに叔母さんも一緒だった。お姉さんは無言のまま深々と頭を下げられ、挨拶もそこそこに、病院の中へ案内する。
Mが「ばーちゃん」と普段呼んでいたお母さんと、その妹である叔母さんがトイレに行きたいというので、いったん廊下のソファでMのお姉さんと座って待つ。その間、俺は思わず「急なことで…」と説明するうちに、思わず泣いてしまった。めそめそするところを見せてはいけないのだが、堪えきれなかった。お姉さんも泣いた。Mが俺や子供たちを除けば、恐らく一番好きだったのは、この実のお姉さんだったと思う。
やがて二人がトイレから出て来たので、気を取り直して直接ICUのある階へ向かう。インターホンで「A先生に呼ばれました、白取の家族です」と告げると、確認の後、中へ入るよう言われる。フットスイッチでドアを開け、全員手を洗い、マスクをして、もう一度中のドアをフットスイッチで開けて入ったところがICUだ。

ここはMが手術を受けた直後に入って以来だが、その時通されたベッドのあった場所も変わっていた。緊急な患者さんばかりの場所だから、容態によってしょっちゅうベッドの位置が変わる。
俺がICUの中にある受付で面会者の名前を書けと言われて4人分書いている間に、3人はMのベッドの両脇へ行っており、すでに泣きながら顔をなでたりさすったりしていた。
口々に「M〜、もう頑張らなくていいんだよ」とか「可愛そうに」と言っては涙しているのを見るのは、やはりこちらも涙せずにはいられなかった。
Mの顔は手術直後に俺が見た、あの悟りを得た尼僧のような穏やかな表情ではなくなっていた。むくみが出たそうで、詳しくは書きたくはない。俺は黙って脇に立っていたが、それでも堪えきれずに顔を撫でてるうちにまた泣けた。

ナースに4枚ほど必要書類にサインをさせられたあと、もう少しで先生来ますから、と言われて十数分だったか、ベッド脇で皆Mに話しかけて待つ。ばーちゃんは何度もMの顔を撫で、毛布の下の体を触ったりしていた。
Mはもう自力呼吸が出来ないので、機械で肺に酸素を送っているが、その
「すううううう、はあああぁ…」
という規則正しい胸の上下は、明らかにそれが「寝ている」のではなく「呼吸をさせられている」ものだと解る。
しばらくして執刀医のA先生が来て、挨拶のあと、「それではあちらでご説明をしますので」と言われてカンファレンスルームに通される。脳の断層写真のモノクロコピーを皆に示して、
「ご主人には到着時からご説明はしておりますが…」と、今回の成り行きを改めて皆で聞くことになった。

まず、最初に頭痛。それから左半身の麻痺が起こる。この段階で脳内の血管から出血があり、それが脳を圧迫して、障害が起きる。この段階でももう重篤な段階ではあるが、それでも通常の脳内出血、俗に言う脳卒中であれば、すぐに救急搬送して開頭手術で血腫を取り除けば、その部分の麻痺は残るが、いわゆる「寝たきり」の状態で延命だけは出来た可能性は高い。
しかし、Mの場合は救急隊が到着した時にはすでに意識が無く、さらに病院に到着し脳内のCTを撮影した時点で、もう呼吸が弱く、片方の瞳孔に拡散傾向が見られたという。そこで、通常ならもう助かる可能性は低いですよと説明し、そのままにするか、手術をするか、家族の希望を聞いたのだ、と。

俺はもちろん、例え数パーセントでも、障害が残っても生きられる可能性があるのなら、と手術をお願いした。
そこで緊急手術となったわけだが、やるからには先生も絶対救おうと思って臨んだものの、開けてみたら、単純な脳内の静脈が破裂したというものではなく、以前から血管に何らかの奇形があったのか、その部分の血液を取ろうとすると、大量に出血を繰り返したという。なので、もうその部分の治療を諦め、その他の血をなるべく取り除いた…という術後の断層写真を見せられる。
なるほど、噴射されたみたいな血はだいぶ取り除かれてはいたが、肝心の部分はそのままだった。それが脳幹と言われる重要な部分を圧迫しているのだという。こうなるともう、予後は非常に悪い、ということだ。
あとは心臓がいつ停まるのか、ということになる…。
俺が「脳内にもう、以前から時限爆弾があって、それが炸裂したということでしょうか」と聞くと、
「その通りですね」
「もし、もし万が一事前に検査なりでわかっていれば…」と言うと
「そうですね、例えば糖尿なり高血圧の検査入院をされて、担当医がたまたま『ここも調べて』と言えば発見できたかも知れません。その場合は患部に行く血液をいったん全て停めて、準備を整えて万全の体制で手術が出来、そうしたら重度の麻痺くらいで延命は可能だったかも知れません。」
俺が頭を抱え、「実はこちらへ転院してから一度も精密検査をしてなかったので、早くした方がいいよ、と言ってたんです。でも大学の講義に穴を開けられないので、夏休みに予約を入れたばかりなんですよ…」と思わず声を震わせると、
「でも、それはやはり運命というものですよ。本当に、ほんの少しの別れ道で、その運命も変わるわけですし、こればかりは仕方のないことですから…」と諫められる。


それからはしばらく、身内による今後の「治療」方針への希望などを話す場になった。


終わりに先生は「では今後は患者さんの状態に任せるということで、何か兆候があれば、すぐご主人にご連絡するようにしますので」と言われて、退席された。
俺らは一緒にいた二人のナースのうちの片方に、
「では、今おられるところからちょっと離れたところへ移動していただいて、そこではご家族にも来ていただけるようにしますし、面会時間内でしたらいつでも来ていただいて結構ですから」とのこと。
一通り説明を聞き、最後にもう一度Mのベッドへ行き、皆で頭をなでたりさすったりして、ICUを出た。


彼女の魂はいまどこにいるのか。肉体から離脱し、あちこちを飛び回っているのか。肉体にまだとどまっているのか。ベッドの上から、嘆き悲しむ皆を見下ろして、自分も泣いているのだろうか…。

病院を出てタクシーを拾い、いったんわが家へ皆を通す。
一通り、Mと俺たちが暮らしていた場所を見てもらい、ソファで皆であれこれ話した。はっきり言うと、俺は辛かった。

Mはあともって数日。ならばいったん帰るのではなく、出来るだけ近くにいてすぐに飛んで行けるようにしていよう、ということで、何とか今晩だけでもどこか宿泊先をと言われ、ネットで検索し電話してみると、何とGW中だというのに、割と便利なところにあるビジネスホテルが2人と1人で2部屋取れてしまった。
Mはやっぱり、居て欲しいと願っているのだろうか。
その後は、もう2泊くらい取っておかないと、というのでばーちゃんが懇意の東京の旅行会社へ電話をしたり、バタバタとしたが、
「それでね、あなたがしっかりしなくちゃダメよ、夕飯一緒に食べに行こう」と言ってくれる。
しかし俺は「実はずっと目眩がしていて、薬を飲んでるんですが…」と説明し、今日は休みますということにした。
立ちくらみに似た目眩がICUからずっとしていたのは本当ながら、実際は一人になりたかっただけだったのかも知れない。そうして夕方5時ころ、お姉さんが「じゃあ白取さんも休んでよ」と言い、3人は去っていった。本当に、壁を伝うようにして歩くくらい、目眩がひどい。すぐに薬を飲み、横になった。

みんなが帰った後、ICUで今日ナースから返された、Mが常にしていた二つの指輪をジージャンのポケットから取り出してみた。先生だったかナースだったか覚えていないが、確か「指輪は取れなかったので切りました」と言われていたはずだ。
それなのに、二つの指輪はちゃんと元のままだった。
切ってなかったんだ!
心底嬉しかった。
すぐに俺が今しているネックレス…若い頃にMがプレゼントしてくれた、金のプレートつきのチェーンに、Mの結婚指輪を通してかけ直した。
もう一つの指輪は、Mが珍しく俺に「欲しい」とねだった安物だ。それはリボン型に細かなダイヤがついたもので、こんな2万円程度の安物でも、Mは「綺麗ね」といって凄く喜んでくれた。そしていつでも身につけていてくれた。時折「誰それに素敵な指輪ですね、お高いんでしょう、って言われたよ」と言ってにこにこ笑ってたっけ。
これは、写真の手前に置こう。

Mは一緒になってから、ほとんど俺にはモノをねだったことはない。もちろん、若い頃は俺が安月給にあえいでいたのを十分知ってくれていたし、その後もお互い不安定な収入は変わらなかったから、「贅沢は敵よ!」が二人の合い言葉だった。
それでもごくたまに、こういう本当に安くても自分が気に入ったものがあると、ずいぶん遠慮がちに、そっと欲しいと言うだけだった。
ここ数年だ、ようやく俺もMに指輪やバッグを買ってあげられるようになった、そんな高いものじゃないけれど、それらは、M自身が選び、気に入ったものばかりだ。それがMの体から離れるのは悲しいが、子供たちに持ってもらおう。Mもそれでいいだろう。そんなことをとりとめもなく、Mの写真に語りかけた。返事は無いが、いろいろ、話した。


そうしているうちに、5時をまわっていた。
気を取り直して、今度は溜まっていた仕事をパソコンに向かって片付ける。こんな時に仕事とは辛いのだけど、仕方がない。しかしパソコン画面を見るとめまいのせいかクラクラしてきて、休み休みの作業だ。

仕事がひと段落するともう8時、外は真っ暗になっていた。
Mが倒れてから、もう一度もテレビをつけていない。二人の時は朝起きてから二階で一緒に寝るまでついていたのだが。
それにしても、なぜこんなに寒いんだろう。Mがいつも羽織っていた俺のカーディガンを着ていても、足下から冷えがくる。仕事部屋から床暖房のあるリビングへ移動しても、床そのものは暖かいのだけど、なぜだか寒い気がする。あんなに暑がりだった自分が、なぜだろう。京都はそれほど冷えているんだろうか。それともMがいないからだろうか。

仕事を終えたあと、Mが倒れた時に着ていたパジャマやスパッツを入れたビニール袋が廊下に置いたままだったのを、ようやくゴミ袋に入れる決心がついた。パジャマの上は吐瀉物で汚れ、スパッツは失禁した尿でぐっしょりだ。もう、置いておけないよ、ごめんな。
Mのものはホンの小さなものでも、髪の毛一本でも捨てるのが辛い。あの人の息吹が感じられるからだ。汚れ物は汚れ物と頭で理解していても、その服はついこないだまでMが着て、そこに座っていたものなのだからだ。
それで何とか勢いをつけ、冷蔵庫に入っている生ものも捨てる。Mが好きだった梅干しのタッパーは…捨てられない。一緒に食べようと買った納豆も…いちごジュース用の牛乳はまだ大丈夫。一つ一つ、捨てなければいけないものを選別しても、どうしても食品でさえあの人の顔が浮かんで、捨てる手がためらわれる。
俺はこれから大丈夫なんだろうか。

ソファに転がって、ミニノートで自分のブログを読み返す。そうしては自分の記録でまた泣く、Mの魂が浮遊して見ていたら、何と情けないことかと嘆かれそうだ。Yちゃんからメールが来て、ちょっとやりとりもした。猫たちは寂しそうだ。何より俺が一番寂しい。
何かしていないとやるせないので、8時ころに発作的にパソコンまわりのごちゃごちゃしたHDD類を、純粋な仕事のもの以外全部外してしまう。俺が仕事のために蓄積していたマンガやアニメのデータや資料類、あるいは二人で好んだ映画や音楽のデータ。
大切な二人の写真や日記などのデータはパソコン内にある、それと今自分がやっている仕事のデータはポータブルHDDに入っている。それ以外のものは、もはや全部不要なものだ。
それらはもちろん自分個人や二人の楽しみのために集めたものがほとんどだ。でも連れ合いのMがいない生活の中で、とてもそんなものを一人で楽しむことなんて考えられないし、想像もつかない。だから、いらない。
そう見渡せば、俺の周りの仕事の資料や書籍、段ボール箱にたくさん入った不要なもの、東京から捨てきれずにそのまま持って来たものなど、いらないモノがありすぎる。これらもちょっとずつ捨てて行こう。
それでいて、Mのもの、二人の共有のものを捨てる踏ん切りがまだつかない。いずれは、思い切ってその辛い取捨選択を「作業」として行わねばならないことも解っている。だけどまだ、それは出来ない。だけど俺だけのためのものは、もういらない。

そうしてソファへ戻り、テーブルにMの写真を立てて、「さあ、仕事も終わったから一杯飲もう」と語りかけて、置いてあったぐい飲みの酒を捨てて、新しい酒を一杯入れた。俺はそれにホンの少し口だけをつけて「俺はコーヒー牛乳にするから、御免ね」と言って横になった。
ブログはありがたいことに、時折旧友や知り合いからコメントが入っている。それらを公開手続きだけをして、改めてまた読み返す。もっともっともっと、二人のことを書き残しておきたい。でもまだ、これから一人で過ごす時間はたくさんあるのだろう。その長く辛い時間を何かの作業で埋めなければいけない。そのためには寝ること、食べることをやめてはいけない。

10時前に導眠剤を飲んで、ネックレスに通してあるMの結婚指輪にキスをした。そうして「M、先に上へ行くよ」と声をかける。いつも俺が先に二階の寝室へ上がっていた時のように。そういう時Mは「ん」と言って、彼女は歯磨きはだいたい頃合いを見て済ませていたので、自分も起き上がってトイレだけ行き、「しまー、ゆきー、寝ますよー」と猫たちを呼びつつ、後から階段を上がってきた。
Mが逆に「眠いからもう寝ようか」と先に上へ行った場合は、こちらが逆の行動をして、後に続いた。毎日繰り返された何気ない日常だった。でももう何をするにも俺一人だ。それでも声に出して、Mに語りかけずにいられない。
寝室に上がると、真っ暗なベッドの上にすでにシマがいた。俺の隣、Mが寝ていた場所に畳んだ毛布の上だ。俺が横に寝て「M、消すよ」といつものように言って電気を消すと、しばらくしてシマがごろごろ言いながら俺の脇に来た。寂しいに決まってるよな、猫だって。シマを腕枕するような形で、天井を向いた。
「M、今どこにいる? もう頑張らなくてもいいんだよ、早くうちに帰っておいで」と真っ暗な天井に向かって目を凝らす。しかし何も見えない。やがて目が慣れてきても、いつもの部屋の様子がうっすらと見えるだけだ。隣を見ても、枕は空いたままだ。それでも「Mおやすみ」と声をかける。たぶん俺は死ぬまでこうして生活していくのだろう。
しばらく下にいたユキは、「ママ」がいないから上かと思って、俺のベッドに来た。しばらくしてまた下へ行き、それからしばらくして結局俺のベッドの脇にある段ボール箱の上へ上がって、おとなしくなった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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