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2009-04-29(Wed)

連れ合いが倒れた 10

4/28の続き。

その後11時ころ、マンション裏のゴミ置き場にゴミ袋を捨てようと、エレベータで降りて、途中で鍵を持ってこないことに気付いた。ここのマンションは築年数は古いもののセキュリティがかなり厳しく、表の入口はオートロック、裏も階段などから一切進入出来ないように柵で囲われている上、防犯カメラも要所要所に配備されている。
建物の裏側にあるエレベータを降りて外へ出るところのドアも、開くと必ず閉まって施錠されるようになっている。つまり自室へ戻るには、鍵を忘れてもオートロックは部屋に誰かがいて開けてくれるか、他人の出入りに乗じて入るのを待つしかなく、裏のドアは閉まったら鍵じゃないと開かないので、これまたどなたかがゴミ捨てに来るとか、自転車置き場に行くなんて機会がないと戻れない。。
そのために、もちろんいつもはゴミは二人で外出する時に俺が持って出ていた。俺は両手にゴミがある場合、「ガシャン!」と大きな音をたてて乱暴に閉まるドアを、Mは俺の後でそっと手を添えて静かに閉める役目が多かった。二人のそうした習慣は、特に「あなた後ろで閉めてよ」とか「私がドアを閉めるから」とか打ち合わせがあるわけではもちろんなく、それこそ「あ・うん」の呼吸であった。
そう、俺たちは他人にいつも気を使い過ぎていたかも知れない。「すいません」が二人とも口癖だった。自分たちのエレベータが閉まる寸前に人が駆け込んで来るのでドアを手で抑えてあげても、「すいません」となぜか俺たちが先に声を出したものだ。
常連にさせてもらっている少ないお店でも、俺たちは他のお客さんが来れば、店主と話すのをなるべく遠慮した。オーダーは店の人が他の客の相手をしている間を遮らないように、向こうが気付くようにしたり、そういう場合も「すいません」が口癖だった。常連がデカい顔をして一番奥に陣取り、大声で店主を呼びつける。命令口調でオーダーする、客なんだからと高みに立つ、そんなことが俺たちに出来るわけがない。

ところでこういう環境なので、一人で建物の外に出る時はたいがい鍵を持って出る習慣がついていたのに、どうかしてたんだろうか。うかつだった。外出する時の服には必ずチェーンに鍵をつけたものを持っていたし、ゴミを捨てるのはそういう時が多かったから、部屋にいる時に一人で部屋着のまま降りるという場合は、つまり、これまで必ず部屋にはMが居たからだったかも知れない。

エレベータ前の出口のドアが閉まるところに、下に置いてある足ふきマットを挟んでおけば大丈夫だろうと、マットをドアの下に置いて外へ垂らして、両手にゴミ袋を持って外へ出ると、背後で「ガチャーン!」と音がした。これが、俺たち夫婦がいつも気を遣っていた「嫌な騒音」である。つまりマットが薄すぎて、下の隙間からぺろんと垂れているだけでドアのつっかえにはならず、完全にロックされてしまった。
こうなったらもう、この場は鍵がないとどうしようもない。仕方なく表玄関へ回り、オートロックの前に向かうが、いつもならここで部屋番号を押せば、Mが開けてくれた。だけど、もう彼女は開けてくれることはない。
しばらく郵便受けから取り出した新聞を眺めて時間を潰す。そういあえば新聞もテレビも、Mが倒れてから全く見ていない。新聞も今はただ「眺めているだけ」だ。その間にどなたか、住人なり顔見知りの人が出入りをしてくれれば、それに便乗して入ることが出来る。ところがしばらく待っていても一向に誰も来ない。
そういや鍵を(に限らず)忘れがちなMは、だいたいは俺にインターホンで「あけて。」と言ってきたな。彼女はバッグを気分で取り替えるのが常だったけど、その度にモノを移動し忘れることが多く、よく「鍵がない」と言っていた。なので俺はこれなら絶対無くさないだろうと、鍵を取り付けた金具部分が巻きチェーンにつながって伸びる、丸い部品がついたゴツいものを買ってきた。
Mは黙ってそれを使ってくれていたけれど、それは今考えれば、いやちょっと女の人には無骨すぎるな、と思える実用第一なゴツいものだった。それでも、彼女はそれをバッグにつければ無くさないものを、ジャンパーやオーバーオールのポケットや、入れる場所を決めなかったので、よく「あれえ〜?」と探していただものだ。

玄関ホールでどなたか別な部屋番号を押して開けてもらおうか、それとも待とうか、何度も逡巡していた。だが15分くらい経っても埒があかないので、仕方なく再び裏へ回り、マンション一階に入っているIクリニックの裏口のドアフォンを押した。まもなく出て来られた看護婦さんに事情を説明すると、「今偶然なんですけどKさん(マンションの大家さん)来ておられますよ、呼びましょか」と言ってくれる。Kさんは当然いつも鍵を持っておられる。
「申し訳ありません、よろしくお願いします」とお願いするとすぐ、表側から駐車場を廻ってこちらへ、大家のKさんと、続いてI先生も来られた。I先生は、もうMの状態は電話でお知らせしてあるが、大家さんのご自宅は少し離れているので、いずれ…と思っていた。。
「本当にすみませんです」と頭を下げ、「いえいえ」とすぐに鍵を開けてくれようとしたKさんに「あの、実は…」と声をかけた。振り向いたKさんに、
「実は、先日、連れ合いが倒れまして…」と事情を説明する。
それを、すでに状況を知っておられるI先生も傍らに立って静かに聞いていて下さる。
俺は「しっかりしなきゃ」と思ったばかりなのに、Kさんに「いつですか」と聞かれて説明しているうち、涙声になってしまった。
「兆候は無かったんですか」と聞かれるので、「はい…本当に急で」と答えると、I先生が「ブログ拝見してます、相当大きい静脈瘤が元々あったようですね。時限爆弾ですね」と言われる。気付いてあげられなかった、助けられたかも知れないという俺の自責の念を、慰めて下さったのかも知れない。
「I先生にもお世話になって、いい先生に巡り会ったと喜んでましたし、こちらのお部屋も素晴らしい部屋で、もう一生ここに住まわせていただこう、と話してたんですが…残念です」と声が震えた。ほんの少しだけ3人で立ち話をさせてもらい、「また改めて…」と言って頭を下げて、鍵を開けてもらった。
ようやく無事に部屋へ戻ると、廊下でユキが待っていた。しっぽがびちょびちょだ。俺が急に居なくなったので、狂ったように泣きながらしっぽをくわえて廻っていたのだと解る。やれやれ、ぼーっとしてちゃあかんな。これから、お互いいつも助け合い気遣い合ってきた「連れ合い」のいない生活が続くのだから…。

それからはずっと、パソコンに保存してあるデジカメの写真データをひたすら眺め続けていた。わが家の場合、96年頃に最初にデジカメを導入したが、それは高価なオモチャ感覚で、飲み会で変顔を撮ってはその場で見て笑う、みたいな使い方が多かった。銀塩カメラと併用になったのは2000年頃からで、俺が病気になってからは愛用の一眼レフはYちゃんに譲り、その後はデジカメだけだ。
だからほぼ10年分の写真データがノートには詰まっている。フィルムカメラと違い、デジカメはつまらん瞬間もけっこう残していることが多い。色んなことがあったなあ。いいことも、楽しかったことも、た〜くさん。だいたい写真はいいことを撮影する場合が多いけど、辛いこともたくさんあった。猫たちの死、自分たちの入院や闘病の様子…。それでも俺たち夫婦はいつも一緒だったなあ。これからもずっと一緒だな。ダメかな。

二人はお互い「生まれ変わっても一緒になろう」と言っていたよね。
生まれ変わってからのことなんか、どうでもいい。今、一緒に居てくれないと、困る。

しょうもないジャリタレが軽々しく口にするのは論外として、若く発情したカップルが高揚のあまりに口にする「愛」とか「ずっと一緒に」というものも、微笑ましいものがあろう。けれど俺たちの場合は、時間の長さは関係ないが、この四半世紀、本当にいろいろな山坂を必死で一つ一つ一緒に乗り越え、共に歩み、性愛を超越したところにたどり着いた。そこで二人で手を取り合って、本当に心の底から口に出している。悪いが、重みが違うと思う。俺が病を得て、それが死病だと解ったとき、あの人は
「私は例え別の場所に生まれ変わっても、必ずあなたを探すよ。」と言ってくれた。
「俺はダライ・ラマか」などと軽口を叩いて二人で笑ったが、もちろん照れ隠しで、同じ気持ちだった。

…病院のICUに入っているMのために、ナースに持って来てと言われていたものを、昨日のうちに用意しておいた。手術で剃った頭を隠してあげる帽子。歯を磨いてあげるための歯ブラシ。唇が乾いて荒れてくるのを防ぐためのリップスティックなど。それぞれ揃えたのだが、どうしてもリップだけが見つからない。
二人で外出していた時に、時々バッグから取り出してスッと塗っていたやつがあったはずなのに、いくつもあるバッグ…そのほとんどに小銭やティッシュ、インスリンの針などが必ず入っていた…を探してみたが、どうしても見つからなかった。
1時をまわって、2時の面会時間が近づいてきて、再びバッグを順番に探していく。やっぱり見つからず、思わず「M、リップないよ。どこにあるか教えて?」と言いながらバッグのポケットに手を入れると、指の先にコツンと何かが当たった。それはあの、いつも使っていたリップだった。信三郎帆布に行った時に買った、オレンジのトートバッグのポケットから、あっさり。そこは何度も見たはずなんだけど…。
そうか、教えてくれたんだね、ありがとう。そう言いながら、俺のバッグに入れた荷物の中へ加えた。そういや君、「Lipstick on your color」って曲大好きだったな。変なこと思い出したよ。あんな陽気な曲。カラオケへよく行ってた頃は、定番だったよね。英語の発音は完璧で、可愛い声だったな。また聞きたかったな…。テーブルの上の写真にまた語りかける。

2時近くに、お姉さんに今日はどうしますかとメールで聞くと、折り返し電話があり、東京からもうMの義兄が向かっているそうなので、面会は5時からにしたいという。ではこちらもそれに合わせる、ということにしたのはいいが、それとは別に今度は「Yちゃん一家が全員で来るのは知ってますか」とのこと。全然知らなかったので驚く。
長女のMちゃんと次女のYちゃんたちはもうママの顔を見たし、腫れた顔はもう他に誰にも見せたくない、と言ったら、Yちゃんの旦那のお父さんが「何で一人でYちゃんを行かせたんだ、親子全員ですぐ行ってあげろ!」と強く旦那を叱ったそうだ。状況を聞いていれば、そこへ小学生の女の子2名を加え一家全員がICUに押しかけたらどうなのか、察して欲しいとは思うが、悪意のあることではない。
何だか大変なことになったな、M。ごめんなあ、と写真に話す。
Yちゃんに「もうこれ以上あの顔を見せる人を増やしたくない」とメールしてみると、Yちゃんはちゃんと解っていて、やはり「向こうのお父さんが強く言うから」とのことで、子供たちは入れないと言うことなので安心した。「じゃあ、子供らには『ばぁば』の写真持ってくから、って言っといて」と伝えた。

Mの写真をプリントして、今テーブルにある額装をもう一つ作って病室に持って行こうと、パソコンに向かう。去年銀閣の出口で、通りすがりの人にお願いして撮っていただいた井坂さんご夫妻と4人で並んだショット。その写真のMの笑顔が、俺は一番好きだ。なのでごちゃごちゃして俺たちの袖なんかも写り混んでいる背景を、あの人が大好きだった桜の写真と合成した。それをプリンタで印刷しようとしたら、ライトマゼンタのインク切れだという。「印刷可能限界値を超えました」だと。よりによって、桜や肌の色を再現するのに欠かせないインクじゃないか。おいおいM、そういうイタズラしないでくれよ、それとも嫌なのかな…。
そんなことをしていたら、もう4時を過ぎている。お姉さんからメールで、東京からお兄さんが着いたから、5時に病院で待ち合わせということになった。
それでも病室に、Mの優しい笑顔の写真を持って行きたかったので、データをSDメモリに入れて、向かいのセブンイレブンでL判プリントをし、タクシーを拾って車中で何とか額に収めた。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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