--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-04-29(Wed)

連れ合いが倒れた 13

4月29日(水)
目が覚めたら、朝の4時半だった。Mが倒れてから丸三日以上が経ったことになる。
すぐに、ああ、今日は「あの時間」、Mの脳内にある時限爆弾が破裂した「悪魔の時間」に目が覚めなかったな、と思った。俺はこれから、夜中の2時3時になると一生目が覚め、そして彼女を救えなかったことを後悔するのだろうと思っていた。Mが「自分を責めないで」と言ってくれているのだろうか。それとも、中華料理屋で飲んだたった一杯のビールと導眠剤のせいだったのだろうか。

カーテンの隙間からもう白々と明けた街の景色、その背後の山に送り火の「法」の字が見える。いつもの素晴らしい光景だ。今日は薄曇りだろうか。シマが脇の下で丸くなっており、そのまままだとろとろしていると、足元にいたユキがいったん下に降りてから、俺の枕元に手をかけてのぞき込んでいる。布団を上げてやると、飛び乗って中で丸くなった。
しばらく両脇に猫を置いて、まどろむ。
これで隣にMが寝息をたてていれば、いつもの何の変哲もない、本当に幸福な時間だ。ついこの間まで普通に繰り返されていた、日常だったのに…。

5時半には猫たちをそっとそのままにして、ベッドから出て階下に降りた。写真のMに「おはよう」と声をかけ、ぐいのみの酒を片付けて、「ほうじ茶飲む?」と言って二人分のお茶を淹れた。座って、写真と差し向かいでお茶を飲んだ。それからまたこの記録をつけ、アップする。
精華大のT先生からのメールで、
「毎日のご様子をブログで拝見しております。私達にとってはこれだけがご様子を知る手だてとなっております。」とのこと。そうなのだ、そういう人たちが全国からMを心配して、アクセスをしてくれているのが解る。
だから、俺は書き続けるし、それが今は唯一のモチベーションとなっている。

メールによると、やまだゼミの学生さんたちが、奇跡を祈って千羽鶴を折ってくれているそうだ。その受け渡しなどは、やはり今俺が「身内以外の人とはなるべく会いたくない」というわがままを聞いていただき、送っていただけないかとお願いした。ずいぶん失礼な話だとは思うけれど、本当に今は、実を言えば外へ出ることさえ、辛い。

その後、Mという個人のことだけではなく、作家「やまだ紫」のことについても、ふだん思っていたことを書き始めた。(『やまだ紫と「M」。』

あの人は常々、俺が他人に真顔で「本当に作家として凄い人で、尊敬しています」と言うと、
「やめてよ、誰も知らないマイナー作家なんだから」と諫めるか、逆に照れ隠しにふざけて「そうか!よし!」といって腰に手をあててふんぞり返ってみせたりしていた。
他人の前でそうやって持ち上げられるのを良しとしない人だった。
そもそもが、「先生」と呼ばれるのを嫌うひとで、編集や後輩作家には「やまださん、でいいから」と言っていた。もっとも、今ではそれが教職を得て本当に「先生」になってしまったので、ようやくすんなりと「先生」という呼称を受け入れているのだけど。
本人は自分のことをいつも謙遜しており、人前で自分のことを自ら作家であると名乗ることすら、よほど親しくならない限り、しなかった。一緒にいた俺が「ここなら理解して貰えるかな」というところでは、俺が紹介するかたちで無理矢理に明かす程度だった。
なぜなら、相手を選ばずに漫画家という立場を明かせば、次の瞬間から「やまだ紫」という「漫画家」が、「どういう作家」であり「どういう作品」を創っているのか、「何を描いたのか」という質問が連発されることが普通だからだ。
それらを簡単に、さして漫画に深い興味も造詣もない人に平易に説明することは難しい。
コマーシャルな作家ならば、代表作を一つ言えば「ああ、あの!」と言われるだろう。しかしやまだ紫と言われてすぐに『性悪猫』や『しんきらり』を思い浮かべるような人は少ない。

だから、俺はやまだ紫という作家が、作品がいかに素晴らしいかを、こうして記録して残すことで、それを少しでも認識する人を増やしたいのだ。
そうして、その作品と出会える「場」を増やしたい。純粋にそんな気持ちからだ。もう俺の希望はそれだけで、それさえ叶えられれば、あとはもうMに連れてって貰うことだけが望みといってもいい。


テキストを打ち続けてアップし、気がついたら、もう2時近くになっていた。
今日は2時から次女のYちゃん一家と病院で待ち合わせる予定だったので、慌てて「ちょい遅れる」とメールして、支度をする。Mが最後まで身に付けていてくれた、指輪とネックレスをYちゃんに渡そうと、持って行くことにする。
長女であるMちゃん側は、男の子が二人。次女のYちゃんには女の子が二人。
アクセサリは、女の子がいる方へあげた方が、より長く使って貰えると思ったからだ。
カバンに入れたところで、腹がぐうと鳴った。全く食欲を意識しなかったが、そういえば朝にほうじ茶一杯飲んだだけだった。
食欲がないとはいえ、では無理にでもと何かを入れると、ほとんどが未消化のまま下痢状態で出て来てしまう。こればかりは元々の体質もあるとはいえ、「食べなきゃ!」と言われても体がなかなか受け付けてくれないのだ。
体全体が、あまりの慟哭に耐えきれず萎縮しているのだろう。

外へ出ると、まぶしいくらいの日差しと、半袖一枚でいいほどの暑さが待っていた。
何だこれは。Mが倒れた日は真冬のように寒く、時雨れていたじゃないか…。
その中を、切れたので持ってくるように言われていた交換用の紙おむつを買いに薬局へ向かって歩いていると、携帯が鳴った。「明青」のおかあさんからだった。
「大丈夫? ご飯作ったからこれから持ってくし!」と言ってくれたので、これから病院の旨と、そんなに気を遣わないで下さい、とお伝えする。身内や親戚のいないこの地で、俺たち夫婦に常に親身になっていただいて、ありがたい。

いつも行っていた交差点にある薬局へ入り、一番奥の成人用紙おむつのコーナーの前へ行く。この店はもう何度も何度もMと入って色んなものを買ったけれど、このコーナーでまさか自分が買い物を、しかもMのものを買うことになろうとは、本当に微塵も思わなかった。どれがいいのか解らなかったが、とりあえず無難なものを一つ買い、道路を渡ってタクシーを拾った。

病院に到着したのは2時10分ころで、エントランスホールへ入ると脇のテーブルを囲んで、Yちゃん一家とお母さんはじめ昨日のメンバーが全員お待ちかねだった。いくら何でもICUにこの人数は非常識と言われかねないので、「2班に分けましょう」ということにする。
二人のMの孫たちは、お姉さんがレストランで面倒を見ると言ってくれ、Yちゃん夫婦以外はいったんレストランで待機していただくことにした。3人でICUまで向かうエレベータの中で、持って来たMのリボンの指輪と、紙袋型の可愛い金のネックレスをYちゃんに託した。

ナース呼び出し、手洗い、マスク、入室者氏名メモなど所定の手続きを経て、Mがいる個室へ入る。
ちょうどナースが体の位置を整えたり、バイタルを確認したりしていたので、紙おむつを持って来た旨報告する。容態は「昨日とあまり変化がないようですね」と言われた。ナースは程なく作業が終わると出て行った。
モニタの数値を見ると、昨日までより若干脈拍が落ちているような気がするが、気のせいだろうか。

それより驚いたのは、なぜかMの大好きだったカーペンターズの曲が適度な音量で流れていたことだ。

Yちゃんとすぐ顔を見合わせて「何で? 有線?」と驚く。

Mはもちろん、近年のリバイバルブーム世代ではなく、バリバリのカーペンターズ「現役世代」である。
それに、このカーペンターズは俺たち夫婦の思い出ともたくさんシンクロしている。実は俺も、洋楽好きな母親の影響で、カーペンターズやビートルズを小学生の頃から聞いていた。ビートルズはともかく、俺もカーペンターズは早熟な「現役」世代なのだ。俺たち夫婦が知り合ってすぐに、「猫好き」と並んで仲が接近するきっかけの一つがこの「カーペンターズ現役世代」だった。
年齢が17歳も違うのに、あの曲いいよね、自分はあれも好きだな、曲の話題がツーカーで通じた楽しい記憶がある。

でもそれがなぜ、今ここ(ICU)で?
やはり病院内の有線とか環境音楽の一つで、偶然かかっているのだろうか。

不思議なこともあるなと、とりあえず今日は丸椅子が3つあったので、俺は枕元に座り、染み出している涙(…というか水分だろう…)をタオルで拭いてやる。
Yちゃんは「マミー、来たよ」と声をかけ、手を握ったり顔をさすったりして、やっぱり涙ぐんでいる。Yちゃんの旦那、「マリオちゃん」は終始少し離れて遠慮がちに神妙な顔をして立っている。「手、握ってやって」と促し、俺はベッドの反対側の脇へ廻った。

すると枕元にラジカセがあって、何とそこでカーペンターズのCDがかかっていたのだった。
俺はYちゃんの前ではMのことを「ママ」とか「マミー」と呼んでるので、Yちゃんに「ほら、これでかかってるんだよ、マミー、やったな!」と言って笑い合った。M、CDかけさせたんでしょ、そう言って顔を眺めたら、すぐに笑顔が涙になってしまった。


Yちゃん夫婦の面会は15分くらいで終えて、「じゃあ交替で呼んできて」と言って、二人をいったん送り出した。その時に、枕元に立てておいた、桜を背景に合成したMの笑顔の写真を、Yちゃんに渡した。Yちゃん一家にあるMの写真はどれもふざけていたり、爆笑したりしているものばかりで、ちゃんとした写真がないと言っていたからだ。

それからようやく、しばしの間Mと二人きりになれた。
また椅子に座ってMの顔に手をあてながら、小さな声でしばらく、話しかけた。

俺たち、カーペンターズ好きだったもんね。
そういえばついこないだ、あなたが「寝る前にテレビ見るのもいいけど、何かジャーニーでも何でもいいから音楽DVDかけて見たいな」と言ったことがあったっけ。
あの時、ジャーニーやクイーンや数枚のDVDを出して、どれがいい? と聞いたの覚えてるかな。
結局あなたは「うん、別に今はいい。」って言ってたけど、その中に、カーペンターズのものもあったんだよ…。
これは本当に本当の話なので、涙が出て仕方がなかった。


気を取り直して、外にいたナースに「あの、この音楽は…」と言ったら、
「あ、こちらでご用意したのをかけてるんですけど」と言うので、
「これ、カーペンターズなんですよ、本人大好きだったんです」と話す。
ナースは驚いたように笑顔になって「ああそうなんですか! 良かったです、たまたま夜勤の人が置いていったCDがあって、かけておいたんですよ」ということだった。
「何か患者さんのお好きな音楽があったら、お持ちいただいてかけても結構ですよ」と言われるので、
俺は「いえ出来ればずっとこのままかけておいてあげて下さい」とお願いした。
不思議なことも、あるものだ…。

そうしてまた枕元に戻り、また顔をなでながら「あなた、やっぱりやったんだね。今どこにいる?」と聞いてみる。何も起こらないし、何も聞こえない。ラジカセからは相変わらず、カーペンターズの曲が心地よく流れている。ICUの中は監視カメラでモニタされているが、構わずに話し続けた。


そのうちにお姉さんたちが4人で入ってきたので、椅子から立ってベッド周辺を開けた。皆めいめいに顔をなでたり手を握ったり。

この面会も10分程度で終わり、Mの母「ばーちゃん」は「また明日来るからね」と言って、俺たちも皆退出することにした。
下に降りて、レストランを見るともう閉まっている。アレと思って進んでいくと、玄関脇のテーブルでYちゃん夫婦がコーヒーを飲んでいた。子供たちも一緒だった。
3時過ぎに病院を出て、タクシー乗り場の手前で「今日はどうするの?」など少し立ち話をして、いったん皆が夕飯までめいめいホテルに戻るなり、観光するということになった。
俺はもちろん、そのまままっすぐ帰宅した。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。