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2009-04-30(Thu)

連れ合いが倒れた 16

4月30日(木)

夕べ(4/29夜)はあれからMの写真に「おにぎり食べるよ」と声をかけ、ほうじ茶を二人分淹れてから食べた。
それからお姉さんに「昨日はすみませんでした、下痢も止まったし朝のおにぎりも食べられましたので」とメール。すぐに「良かったです、無理しないように!」と返信。本当はずっと下痢が止まらないのだけど、みんな、心配してくれている。

そうだな、俺がメソメソしているのをあなたが見たいわけがない。
だから、まだはっきりと俺の前に現れてくれない。
気がつけばずっと風呂にも入っていなかった。すぐに支度をしてシャワーを浴びる。
浴びながら、はっきりと解った。

そうか、俺はいつの間にかあなたと一緒に暮らしていることを「当たり前」と考える無神経な人間になっていなかったか。
余命宣告を受けた「あの夏」にあれほど望んだ「日常」が平穏に過ぎていることに、無頓着ではなかっただろうか。そんなことでは「早く一緒に連れてってくれ」なんて言ったって、同じことの繰り返しになる。
まだまだあなたがやり残したこと、俺がやっておかねばならないことが山ほどある。
俺がそれらをこなし、これまで以上にあなたにふさわしい人間に成長することが出来たら、
その時、笑顔で迎えに来て欲しい。
そうか、そうだった。俺は生きて、今度こそ、こちらから包み込むようにあなたを全身全霊で愛し、あなたの愛に報いられる人格に成長して、迎えに来てもらえるだけの人間にならないといけないんだ。
解った、もうはっきりと解ったよ。

「…ただ、あなたが生きているうちに気付いておくべきだった…」

大丈夫、俺はほんの少しずつではあるけれど、薄皮を剥ぐように「この苦痛」を受け入れつつある。納得など到底出来ない。けれどこれは現実であって悪夢ではないのだ。

空元気を出し、柔らかい日差しがベランダにあたっていたので、植木や苔玉に水をやった。
すぐにユキが飛んできていつものようにベランダをうろうろ。いい、天気だ。
気がつくと、無意識に病室で聞いたカーペンターズの「I Need To Be In Love」を鼻歌で口ずさんでいる。
タイトルの意味は「私は愛の中にありたい」ではちょっとダサいかな、くらいで意味は深く考えたことは無かった。
昨日からMの周辺では、カーペンターズが響いている。
気になったが、つたない英語力では完訳は難しいので、ほんとうに素晴らしい翻訳を紹介された方のサイトを見つけた。
I NEED TO BE IN LOVE  青春の輝き:milk panmilk crown :So-net blog

この翻訳を読んだら、「BlueSky」の愛子、いやMに重なって仕方がない。
もちろん、この詩(うた)は、1976年にカレンの旧友(John Bettis)がカレンのために創ったものだ。
カーペンターズファンだった俺たちはもちろん最近のリバイバルブーム以前から知っていた曲だけど、二人とも歌詞の中身を真剣に考えたことは特になかったと記憶している。
歌詞では別れた相手に対してまだ切ない思いがありそうなところが現実と違い、そこから早く立ち直りたいという悲しい「頑張り」が、カラ元気だというところも違う。しかしそれ以外の部分があまりにダブる。
歌詞の最後に
「でも 私は大丈夫」
とあるのが、俺たちがまだ同居する前の、あの団地で暮らしていた頃のあの人に重なる。
それにしてもカレンの歌は素晴らしい。まさしく「天使の歌声」「神から授かった声」だ。

パソコンにはもちろんデータ化したベストアルバムを入れてあるので、「一緒に聴こう」と思って再生した。
1曲目から「I Need To Be In Love」の美しい旋律が流れた。
Mさんや。病室や、Yちゃん一家の周りでカーペンターズをかけたね、これからはうちでかけるから。

ずっと無音だった家の中にようやく「音」が、音楽が戻った。

今日は上洛していたお母さんたちが、一度東京へ戻る日だ。元気出して心配をかけないようにしなければ。
Mが倒れた日にはあんなに寒かった京都が、今日は20℃を軽く超える陽気で、まだまだ気温は上がりそうだ。

2時近くなったので、昨晩小川先生が自宅まで届けて下さった千羽鶴を持って出た。本当にいい陽気だ。街はTシャツ一枚で自転車を走らせる若者までいる。
2時過ぎにタクシーで病院に着くと、エントランスホールの椅子にはMのお母さんお姉さん叔母さんがすでに座って待っていた。皆、表情が固い。

エレベータ内でも努めて元気を出して振る舞い、いったん千羽鶴を持ち込めるかどうか聞くために、一人で先にICUへ入る。
Mは、昨日と逆の方向に頭を向けられ、昨日と同じように深い眠りのような呼吸を「させられている」。
ちょうどMの点滴を交換していたナースに挨拶をし、「これ、ここに持ち込んでもいいですか?」と千羽鶴を見せた。
ナースは「わあ、すごいですねえ! もちろんいいですよ」とビックリしていた。
「どこか飾れるところはありますか」と聞くと、「あ、今点滴交換なので、あとで準備します」とのこと。
すぐに取って返して、お姉さんたちに「飾ってもいいそうです」と言って中に入ってもらう。

ICU個室に入るとすぐにお母さんがMの顔の横へ行って「Mさん、今日いったん帰っちゃうよ。」と言って顔をなでた。。お姉さんたちも顔を見ながら「もう頑張らなくていいよ〜!」と声をかける。俺はタオルで涙を拭き、乾いた唇にリップを塗ってやる。皆でまたMを囲んで、めいめいが語りかけたり撫でたりした。

ナースが「じゃあこれに吊せますから」と言って、天井のフックに引っかけて点滴などをぶら下げる金具を持って来てくれた。
礼を言って、俺が「学生さんたちが折ってくれたんですよ」というと、「学生さんが?」と聞かれたので、
「そうなんですよ」と言って千羽鶴につけておいた、勲章のような紅白の花飾りを見せる。
去年の11月、Mが「INTER BEE」のパネルディスカッションに招かれた時に胸につけた、
「京都精華大教授 やまだ紫」と書かれたものだ。
「ああ、大学の先生だったんですか!」とナースはまた驚いていた。
すると叔母さんが自分のことのように「そうよ、マンガ家なのよ」。
「やまだ…紫さん?」と花の名札をナースが言うので、俺は
「そうです。もの凄い人なんです」と答えた。
それから、ナースが点滴などで何度か出入りした後、「じゃあ後は外におりますので、ゆっくりなさって下さい」と言われてドアを閉めて出て行った。
丸椅子に腰を下ろしたり、立ってMの顔をなでたり4人さまざまな動きをしていたが、やがて皆ほとんど黙ってMのベッドを向いて丸椅子に座り、なんとなく空気が重くなった。
…手術なんかしない方が良かったんじゃないか。そんな空気だった。

俺は隣に座ってMのお母さんの背中をさすっているお姉さんに、
「寝たきりになるのは避けられないが、命が助かる確率が上がる…と先生に言われましたから、それだったらと思って…わずかな望みでもあればと…踏み切ったんですけど…」
とつぶやく。
お姉さんは「うんうん、そうだよね。みんなそうするよ」と言ってくれたが、お母さんはこわばった顔をしてMを見つめている。
なので、お母さんの前で腰を折り、
「どうもすみませんでした。こうなると最初から解っていればやらなかった方が良かったです。」
と謝罪した。

Mを救急車で運んで行った時、救急外来でA先生に説明を受けた。その時は確かに
「開頭手術で血腫を取り除くにしても、救命(命が助かる)確率がちょっと上がるだけで、寝たきりになるのはおそらく避けられないと思います」
とはっきり言われた。
ところが、頭を開けてみたら、予想外の血管奇形か障害が最初からあった、だから無理だった、という結果が出た。
最初から、「手術しても100%ダメです。」という「術後」の「結論」が解っていれば、頼まなかったと思う。それなら、このまま楽に…と思っただろう。
でも、「救命の可能性」がほんのちょっとでもあったのなら、お願いするのが夫だし家族なのでは…? 何を言っても、事後では言い訳としか聞こえぬだろう。そんなことを思いつつ、無言で座り直した。

寝たきりになったとしても、麻痺が残っても障害が残っても、今後リハビリや介護をしてでも、俺が一生付き添って行く。命さえ助かってくれれば、寝たきりの人が辛抱強い家族の呼びかけやマッサージなどで、意識をホンの少しでも回復した例だっていくらでもある。
それを「奇跡」と呼ぶのではないか…。
「奇跡」を信じて、ほんの数パーセントの「救命確率」の上昇に賭けるのが、愛する妻を思う夫の役目ではないかと思う。
俺は間違っていたのだろうか!?
猛烈な怒りの感情がなぜかわき起こった。誰に対してとか何に対してというより、この今Mと自分たちが置かれている、この現状がどうしても受け入れがたいという強い感情の高まりがわき起こった。
「怒り」は生きるということへの強力なモチベーションとなることもあるのだ。俺はこれまで、何も悪いことなどしていない、いや、それどころか真面目に、誠実に頑張り続けて生きてきたMがこれまで、病気や苦痛に苦しむたびに、そして自分が癌になった時も、
「何で俺たちがこんな目に」という強い怒りを感じ続けてきた。
今回のことも、メソメソしていた自分に強烈な「怒り」というエネルギーをぶっかけてくれたと思えば、少しは気が楽になるというものだ。
他の人は知らない。けれど自分にとって、この悲劇を少しずつ受け入れつつある、そして同時に「涙」が「怒り」に置き換わりつつある。

そんなことを考えながら、20〜30分近く経ったろうか。「下で今後のことを」ということになり、Mに皆口々に別れを告げて、ICUを出た。

下のレストランに入って真ん中奥にテーブルをくっつけて、4人掛けにして座る。
ここは醤油ラーメンをMと何度も食べた場所だ。
俺の希望はもう、あの人の素晴らしさを、やまだ紫の作品を、できるだけ後世に伝えたい、ただそれだけだ。
手続や手配はやるけれど、Mの作品さえ後の世代に伝えられたら、あとは何も望まない。
彼女の息吹、匂いが感じられる小さなものが少し身の回りにあれば、何も必要ない。

絶望の上に重い気分が重なり、目眩が止まらない。朝飲んで来たのに、お冷やでまた目眩止めを飲む。
20分ほどいたか、つらく苦しい「話し合い」は終わり、玄関を出てタクシー乗り場へ向かう。
タクシーに3人が乗り込み「じゃああとは、よろしく…」と皆さんに言われて、お辞儀をして見送った。
続いたタクシーでまっすぐ自宅の近くまで戻り、コンビニでゴミ袋やお茶、コーヒー牛乳を買ってマンションの入口へ戻ると3時半近かった。

ポストを見ると、俺とM宛の健康診断の申込書が2通入っていた。
まるで笑えないジョークのようだった。

部屋に戻ってMに「ただいま」と言って着替えていると携帯が鳴った。日中何度かお電話をいただいたが、出てもなぜかすぐ切れるなどタイミングが合わないうち、こちらは出かけてしまったり病院内だったり。
電話はMの親友、詩人の井坂洋子さんからで、5分ほどお話をする。井坂さんはMを気にかけいたわって下さり、最後に
「白取さんも、お体気をつけてね。紫さん、いつでも『ちかお、ちかお』って言ってたから」
と優しい言葉もかけていただいた。
昨日までは口ではそうですね、と言っても「もう俺の体なんかどうなっても…」と正直思っていたが、もう大丈夫です…いや、大丈夫になります。ありがとうございます。
それでもやはり、どうにもやりきれない気持ちを、すぐにこうしてテキストにぶつける。それで多少楽になる。これを、これから何度繰り返せばいいのだろう。


夕方4時半。
相変わらず目眩は弱いまま止まらないが、洗濯機で乾燥をかけておいた下着類を取り出して畳んだ。最初から入っていたもの以外、Mのパジャマなどは敢えて上の籠にそのままにしてある。
洗ってしまえば、「Mの匂い」が消えてしまうからだ。
俺の下着や靴下などを畳んで、あとはMが脱いで入れておいた靴下が5、6足。これもいつものように畳んで行く。洗濯機は乾燥付きだけど、Mはいつも「お日様の方が気持ちがいいからね!」と言って晴れた日に洗濯をして、よく二人で籠を持って南向きのベランダに干したっけ。畳むのも、二人の間に洗濯物を置いて、一緒にやっていたよね。
洗濯機の上に載せてある籠に入っていたMのパジャマは、抱きしめるとやっぱりMの匂いが残っている。けれど、それはMにとっては「汚れ物」だから、匂いを嗅がれるのは恥ずかしいかも知れないな。そう思ったが、洗濯はせぬまま、畳んだだけで元の籠の中に積んでおいた。

その後5時過ぎになって、そういえば「京都に(長女の)Mちゃんが来るかも知れない」と言ってたな、と思ってYちゃんへ電話する。
聞くとMちゃんは結局、今日お母さんたちがいったん帰るなら、行かないということになったそうだ。じゃああとは…「待つ」だけか…という話で落着。
7時ころ、Mのお茶を取り替えて、古いお酒を新しいのに入れ替えた。そうして写真と差し向かいで、「明青」のおかあさんが持って来て下さったおにぎりとおかずを食べる。
「ほら、手羽中。若竹煮、生麩の焼いたのも入ってる! みんな君の好物ばっかりだよ」と声をかけて「おいしいね」と話しかける。
こうしていると、不思議とモノが食べられる。
食べて気持ちと体力を立て直し、元気を出そう。明日もまた病院へ向かおう。

心配いただいている全国のやまだ紫ファンの皆さんのためにも。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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