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2009-05-01(Fri)

余談

上までの報告をブログにアップしたら、お袋の携帯からPCにメールが来ていた。

凄いタイミングではないか。
「やたらに鶯が鳴いてる。
 鍋が美味しいとのメールの写真に写ったMさんのかほそい白い指みたら泣けて 悔しくて
 あんなに才能あって優しくて可愛い人が
 千夏雄をあんなに愛してくれて この母にまでやさしくしてくれて
 それなのに病人をひとりにしていくなんて
 奇跡はおきないの また鶯が不思議なくらい鳴いてるの
 写真や手紙みたら泣けて 何も手につかないよ
 見てないから別れた時の笑顔しか 浮かばなくて
 信じたくない これからのあなたの事が心配
 どうぞ倒れないで」

三津子の死を、俺が苦しいけれども受け入れつつあるということ、そしてその意味…三津子の死を受け入れず嘆き、悲しみ、引き留めるようなことをせずに送ろうとメールする。

三津子どうかね、これでいいんだろう?
(ちかお偉いわね、そうよ)
偉くなんかないよ。悲しいのは一緒だし。
(私だって本当は悲しいんだよ)
そうだよね…。
生きて一緒に居られたら一番良かった。
(でもこうしていけばきっと、本当にずっと一緒にいられるね)
うん。ありがとう。待たせてごめん。

(皆さん、気は確かかとお笑いでしょう。ええ、確かだからこそ、理性で解ろうとしているのです。)

そういえば。 生まれ変わり、魂、霊、神…三津子はここ数日そんな本ばかり引っ張り出して読んでいた。
今唐突に気付いた。ソファの横に、カバーを外した本がある。無意識に魂がそうさせていたか。

走って確認に行った。
三津子がいつも座っていたソファの周辺を探す。無い、確かにあった。どこだ。絶対見た。周りに積まれた本や薬箱、ソファの横やを探す…。
「どこだったっけ、教えてよ」と聞くとソファの下に本がある。これか!
引きずり出したら『ナニワ金融道』だった。

「ふざけないでよー!」思わず笑ってしまった。
(へへへ、ごめん)三津子の笑顔が浮かぶ。
「もうー」と言いつつソファの背の週刊誌などの山をもう一回確認。あった。カバーだけだ。


『神との対話』
「これか…」
カバーを外した本を見たはずだったが、それは二階へ持って行って読んだのか、とにかくこれもそうだ。
でもカバーを外した本をMが読んでいた記憶が確かにある。それもここ半月以内だ
が…そう思いつつ三津子の仕事机の上を見ると、普通に置いてあった。カバーの外れた本は
『宇宙人ユミットの謎』…これは違うのか。

思わず携帯を取り出して、本の写真を撮ってしまう。
それを笑ってみているテーブルの三津子の写真に「そうかあ〜、そういうことかあ。ありがとう。」と言ったら、本当に心からの笑顔が自分に広がった。

こういう類の本は唯物論者や、霊や魂や生まれ変わりや虫の知らせや何もかもを「トンデモ話」「非科学的」「知能が低い」と嗤う人たちにとってはバカバカしいもの以外の何モノでもないだろう。

実は俺も、「あんまりそういうのばっかり読まない方が…」とか生意気にも話したことがある。
自分とて、神=つまり人智を超えた大いなるものがあることは信じているし、だから神仏に祈る。人間が死んだらハイそれまでよ、とはどうしても思えない。なぜなら、それでは説明できないことが古今東西数千年に渡って余りに多すぎる。実例がある。
「科学的」には全て、ひと言で一笑に付すことが出来るのも知っている。
そして、時折、ひとの信仰心や、神仏などにすがりたい気持ちを利用して、金儲けや詐欺行為が行われていることも、よぉぉく知っている。
読むのは人の自由で、その行為自体を「バカ」と呼ぶのは人間として失礼、そう、まさしく礼を失している。それは理解しているのに、読みもせずに諫めたのは、本当に申し訳なかった。

三津子は
「神とか霊とか言うから、そういう人は信じられないんでしょ。問題は

書かれてあることが 真実かどうか

でしょ。」といつも言っていた。

そうだ。やまだ紫作品も、フィクション=作りごとではあるが、そこに込められた「三津子が言いたかった事」が何であるかを考えろと、俺自身がいつも他者へ伝えようとしてきたではないか。
やまだ紫は「正しい」と。
…こういうことを書けば書くほど嗤う人は嗤うんだろうけど、もう他人は関係ない…

と書いてたら突然に家の電話が鳴った。
ももちゃんからだった。
「明日やっぱりT君(俺たちの前での旦那の呼称)とさあ、車でそっち行くよ」
ということだと。
なので
「さっきはメールでいろいろやりとりしたでしょ、それをブログにアップしたのね。そうしたらその途端、うちのお袋からメールが入ったのよ。」
というと驚いていた。
「三津子がもう助からないという悲しい現実を受け入れなければいけない。悲しいけど。身内ならなおさらだけど。まるで昨日までの俺みたいに、悲しい悔しい何とか奇跡よ起これと、この世に引き留めようとする人が居る間は、ママはなかなか逝くに逝けないよね…」
道中気をつけて、と話して切った。
電話を切って思わず拍手をした。パチパチと乾いた音が響く。
「凄い凄い三津子さん、あなた凄いよ。色々なことが回り始めてる、つながり始めてるねえ」
ニコニコ笑顔になっているのが自分でも解る。
いや、気は確かです、皆さん。

この一連の記述に、ウソや偽りはありません。全てリアルタイムです。今19:50になりました…。
たぶん昔からの知り合いには「まずい、白取が壊れかけている」と思う人も居るだろう。
いや、本当に気は確かです。これから夕飯を食べます。

<6月10日 自分の母親から、ブログに自分のことを書いてくれるなと言われましたので、細かいやりとりをざっくりと割愛しました。なので意味が通らない部分が出ると思いますが、仕方ありません。けれど最愛の妻、三津子が倒れてから、いや今までここに作り話や嘘を記載したことはありません。>
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コメント

お疲れ様です

白取さん、大変なことになりましたね。
私はガロのころから遠くでおふたりを拝見しておりました一般人です。

白取さんご自身もまったくの健康ともいえない状態を押して、
こうして血を絞るようにして書き綴られた記録を、引きずられる
ようにして読ませていただいております。
「愛」というものは、胸の奥にあるそのままではただ小さな種
としてあるだけですが、こうしてひとりの人の努力を通して、
別な何人もの人の心に花を咲かせるものなのだと痛感しています。

やまだ先生もまだ逝ったわけではなく、リンボのような状態に
あるということは、とても不思議なことだと思われます。
「もういないひと」ではない。でも、楽にしてあげたい。
そんな白鳥さんの思いが伝わってきます。

私は数年前に両親を相次いで亡くしました。
どちらも、臨終の場に居合わせることができませんでした。
最近になって、物理的に何をしてあげることが出来るかよりもまず、
どんな気持ちを持ってあげるかが大事なのだと知りました。
たとえ相手がこの世を去った後でも。

だから、やまだ先生の状態がどう変わっても、どうぞこのまま
同じように生きているものと思ってあげてください。

天国というものは、どこかあの世にある場所でも、いつか行くところでも
ないような気がします。
気持ちひとつで、愛する者同士がいつでも出会える「今、ここ」
なんじゃないかと思えます。
最愛のひとは、体があろうと無かろうと、白取さんとともに、
これまでずっと生きてきて、またこれからもずっと生きるでしょう。

もちろん、体も大事ですので、お体をいたわって、ご無理を
なさらないようにお願いします。
リアルな状況も知らないままで、えらそうなことを言ってすみません。
読むだけではなんだか気が落ちつかなくて、書きました。

何の信心もしない頭でっかちな私ですが、白取さんのご多幸を
お祈りいたします。ありがとうございます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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