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2009-05-02(Sat)

「愛の季節」

5/1 20:15
ちょっとした面白い「シンクロニシティ」があったので、「余談」としてアップした後、晩ご飯を食べることにした。
ウーロン茶をコップに注ぎ、コンビニで買ってきたおにぎりをもりもり食べつつ、三津子の写真に話しかけた。
「君のこのとびきりの笑顔にね、こちらも早く同じ笑顔を向けられるようにならないといけない。…そう解ってはいたんだけど、なかなか出来なくてごめん。
 でも、今はほら、こうやって笑顔で向かい合ってる」
(うん。見えるよ。よかった)
「ありがとう」
ウーロン茶を飲みながら、シャケイクラとエビ天のおにぎりを2つ(笑)、もりもり食べた。
ウーロン茶を足そうと冷蔵庫に立つ時、自然と声が出た。
「飲む?」
(ううん、もう、いいの)
「そうだったね」

でも、これからも「生きている人のため」に、君の前に申し訳ないけどお水やお酒を並べたりするよ。だってほら、こちらにも「目標」ってもんがいるじゃない。三津子も笑っている。なぜかそう思える。

22:58
9時半頃から、押し入れの中や仕事机の周りに、読み終わった雑誌だの、使わなくなった機材だのの箱が山積みになっていたのを、全部片付け始める。俺の「溜め込み癖」は、全て自己愛の権化のようなもんだろう。もう全部、要らない。
何だか自分でもおかしくなったと思うようなスピードで、ガンガン片付けていたら、いつの間にかかなりの時間が経っていた。そして、左手の人差し指の爪の付け根から血が出ていた。

(ねえ、体に障るからもうやめてよ)
「解った、やめるやめる。これでやめるよ。」
いつも俺が根を詰めて仕事をしていると、よくこうやって諫められたものだ。
バンドエイドを貼って、何気なく足元の箱を見た。上にごちゃごちゃと積んで合った、使いもしない昔の機材やコードの類の箱の下から露出した段ボール箱。
なぜかフタが内側に折り曲げられていて、中にノートが入っているのを見つけた。三津子の覚え書き、ネタ帖か、雑記帳だろうか。一番上の何てことはないルーズリーフを手にとった。ピンクや黄色などの色違いの紙で構成されている。
パラ、とめくったら、「5/10」というページに目が釘付けになった。

「…そんな時、私は(多分)神を見た。
 神様の方から 来てくれたと思う。」

何年か前、俺が転んで手のひらの皮をベロリと剥がしたことがあった。その頃、二人で買い物へ出た時のことを書いた、日記のような記述だ。彼女も体調が本調子ではなく、しんどいようなことも書いてあった。

「本屋にも寄り、一冊の本を買った」

と書いてある。そして

「神との対話」という 臆面もなく恥かしいタイトル
だった。 けれど本屋で パラパラとめくり、惹かれ
たので 恥をしのんで という態度でレジへ持って行っ
たのだった。」
(原文ママ)


どうだろう? これも「偶然」だろうか。
でも三津子は(もう今日は休んで)と言っているから、これでおしまいにする。
ちょっと一休みして、もう寝る時間だ。

二階へ上がってから、外したカバーの『神との対話』の中身を本棚で探すが、見つかったのは3冊の続編で、肝心のカバーの元は無かった。
そうか、無理に探して読まなくても別にいいのね。必要だと思ったら目の前に来る。
そう思って、寂しがり喉を鳴らしてすり寄ってくるシマを脇に、眠った。

夜中また目が覚め、光っているデジタル時計の文字を見ると2時半ころだった。夕べも見た。これは俺の自責や後悔の念が、起こし見させているのだろうね。



5/2
朝は6時少し前に目が覚めた。体のアチコチが鈍く重い。やはり夕べ張り切りすぎた反動が来ている。でも、昨夜はコレが来ることもちゃんと解ってやっていた。シマが脇で丸くなったのでまた少しまどろんでから、起きる。ベランダからは、少しだけもやった「法」の字が描き出された山の斜面。
「三津子、今日もいい朝だよ」
6時過ぎには下へ降り、写真にも「おはよう」と声をかけ、お酒を捨てて、熱いほうじ茶を淹れる。そうして二人で飲んだ。
メールを見ると、夕べ「余談」としてアップした記述へのコメントをいただいていたので、公開させていただいた。(「余談」のコメント欄参照)
俺も三津子もキリスト者ではないので、「リンボ」とは何かを少しだけ勉強しました。しかし、しょせんは「無神論者」ではないものの、「無宗教者」ではあるので(日本人に多いですね)、カソリックの原罪がもたらす「死」や、死後の5つの世界という考え方や、プロテスタントのやはり原罪によって皆地獄行きが決定していて、キリストを信じある意味契約をした人だけが永遠に天国へ行く…という考え方も、なじめないような気がします。

俺たち夫婦はふだんからよく「死後はこうじゃないか」「死んだらこうしよう」と話していました。まあこういう話も、「死後の世界などあるか」という人たちに取ってはバカな話でしょうけど、他人の嘲笑などもう、どうでもいいのです。
とにかく二人とも、
「どちらかが例え先に死んでも、遺された方の側にいる。守る」
という約束でした。だから、おっしゃられるように

「最愛のひとは、体があろうと無かろうと、白取さんとともに、
これまでずっと生きてきて、またこれからもずっと生きるでしょう。」
ということに尽きるのだと思います。ありがとうございます。6:38


7時前、ソファに座ってほうじ茶を飲みながら、三津子に語りかける。そうだ、朝はいつもテレビをつけていたね。
あれから初めて、テレビのスイッチを入れた。

NHKの朝のニュースを見ながら、おにぎりを2つ、ほうじ茶でゆっくりと食べた。そうか、今世の中では新型インフルエンザが大流行の兆しなのか。俺の免疫力は相当低いようなので気をつけなきゃ。
(そうよ、あなたマスクよ!(笑))
いつもそうだったように、三津子の声が聞こえてくる。
わざとギュッ、とこちらを上目遣いににらむような顔をしていた顔を思い出す。
ニュースを見ながら、いつも傍らに座った三津子と見ていた時のように、普通に感想を言ったりする。ことさら無理に「居るかのように」振る舞っているわけではない。なぜなら「居る」のだから。
それとわかる「声」での反応はなく体もここにはないが、それでも「居る」のはわかる、だから普通にする。
おにぎりを食べていたらユキがベランダ側の窓の端に置いてある猫トイレでウンコをした。
「人がご飯食べてる時に〜!」

ご飯を食べ終わったあとから、長女のももちゃんに渡すママ=三津子の写真をプリントするために出力。次女ゆうちゃんには、もうこの前病室に来た時に渡してある。その他にも飾っておきたい写真を出して、トリミングしたりいろいろ。
その間もリビングからはつけておいたテレビの音声が聞こえてくる。一段落して、写真を彼女が大好きだった小物を収めた小さな飾り棚の前に立てた。

そうして振り返って、ソファの上にあった、三津子の匂いがする赤い室内着をいつものように立ったまま、ぎゅうと抱きしめる。いつの間にか、テレビからは朝ドラの主題歌なのか、アンジェラ・アキの歌声が流れている。

三津子と俺はふだん日本の音楽番組はほとんど見ないが、三津子は最近だと「コブクロとか一青窈とかアンジェラ・アキはいいね」と言って、たまに出ることがわかっていれば、見たりはしていた。けれど今は偶然である。
目を閉じて、立って室内着を抱いたまま聞く。

「二度目の春が始まる 季節を乗り越えてきた
 二人の絆は深まって また新しい花を咲かす
 忘れないで 季節が変わっても 変わっても 愛の花は咲き続ける」


…俺たち二人が京都へ来て二度目の春だ。
 桜の京都をついこないだでちょうど二度、楽しんだことになる。

 絶対に忘れないし、ずっと俺たちの愛の花も、咲き続けるね。久しぶりにテレビを見る気にさせてくれたら、こんないい唄を聞かせてくれたんだ、ありがとう。8:19
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コメント

全てはその通りだと思います。

一連の白鳥さんの記述、ここ数日間、胸を締め付けられるような思いでずっと読ませていただいておりました。

死という誰もが避けられないテーマ。
恐怖と絶望と葛藤。
しかしそれを確かな愛の力で乗り越えつつあるお二人が「新たなステージ」へと進まれる心の過程。
不謹慎と承知しつつもあえて言わせてください。圧巻です。

僕も無宗教ですが「神様かどうかはわからないけど、とてつもなく大きなチカラ」は信じています。
身の回りに起こる不思議なシンクロニシティに対する白鳥さんの解釈は、きっと全て正しいと思います。正しいと解釈することが、正しいと。
その「とてつもなく大きなチカラ」を感じつつ、それを思います。

これからもお二人が歩く新たな道の上に、一つでも多くの幸福が落ちていることを心よりお祈りしております。

P.S.
ご挨拶が遅れました。始めてコメントさせていただきます、漫画家のKと申します。
以前このブログで僕が描いている漫画「週刊イ○ワくん」を取り上げてくださっていて、それが嬉しくて、それ以来漫画に対する愛情のあふれたこのブログを拝読させていただいておりました。
ちなみに根本敬さんが好きだったりするゆえに、「あのガロの元副編集長さんが僕の漫画を読んでくださっている!」と大喜びしたのを覚えています。
(こんなときに空気を読まず自己紹介、すみません…)

新しい春に

私のつたない文章を受け取っていただき、たいへんうれしく思います。
ひとの心は、こんなキャッチボールで互いにすこしずつ引きあげられるのでしょうか。
私も、東京の職場で(ゆうべからの連続勤務です)気持ちの良い朝を迎えられました。
ありがとうございます。

ひとつ気にかかったことを補足させてください。
私は、どこにも居所の定まらない状態、というぐらいの意味で
「リンボ」という言葉を日常で使うことに慣れていました。
病院の待ち合いみたいなものですね。
なので、特定の宗教的な意味合いは含めていません。
よく言葉を吟味せずに用いました。お気を悪くされないことを願います。
すみません。

テレビからの歌、うれしいシンクロが続いていますね。
新しく、より深い「二度目の春」。
おふたりが末永く共に居られることを確信しました。
これからの白取さんの日記も、楽しみにさせていただきます。
ありがとうございました。

P.S.
このコメントは、なんだかくどくなりますし、載せていただかなくて結構ですよ。
こういう話は、なかなか一般に通りの良い言葉では語りきれませんので・・・。


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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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