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2009-05-03(Sun)

「正しくありたい。」

11:25
前の記録をつけたあと、二階へ上がり、病院へ寄贈する本を持って行こうと、大きな本棚の前に立った。『愛のかたち』がもう棚には無くなっていた。仕事部屋には「保存用」の20冊弱の箱があるが、あれは貴重なので保存しておきたい。永久に保存し人々に見てもらえる保障があるのなら、喜んでいろいろなところへ出すつもりだけど。
そう思って、自分のベッドの上に立って、本棚の上の箱が何かを探る。
まず上に乗っていた俺の昔のカセットテープの箱をのける。チラと中を覗くとLPから録音してウォークマンで通勤時に聞いていたレベッカやオフコース。…懐かしい。でももう、要らない。

それから変色した封筒。
中には『FULL-HOUSE』というミニコミみたいな雑誌が入っている。付箋がついていて、見ると「やまだ紫インタビュー」と書いてある。1981年5月号だ。下へ持って行って、後で読もう。
その横の箱が『愛のかたち』だった。保存用は下にあるから、2冊取って一冊本棚へ補充し、一冊は病院へ持って行くためにミニコミと一緒に左手に持つ。その箱と本棚が倒れぬように天井との間に渡したしんばり棒との隙間があって、そこに立ててある大きな封筒は東京の書類入れ。
もう一つは奥に隠すように立ててある。下からだと角度的に見えづらい。A4の茶封筒だ。…三津子の日記らしい。日付が鉛筆で書いてある。今俺の目の前に出て来たということは…。下へ持って行く。

ミニコミ『FULL-HOUSE』のインタビューの方は、のっけから「Oさんちの奥さん」と銘打ち「やまだ紫インタビュー」となっている。81年だから、まだこの頃は籍を抜けておらず、Oという姓はもちろん前の夫のものだ。
インタビュアーの質問は不躾で、人のことは言えぬがあまりうまいとは思えぬものだ。でも当時の「やまだ紫」はサバサバと答えているようには見える。活字ってそういうものだ。時期的には、もうとうに夫から心は離れ、物理的にも離れる準備を整えつつある頃のせいもあるのかも知れない。
実際は暴力や不実で絶望と苦痛の日々だったはずの結婚生活や、あれほど憎み嫌った「ご主人」像などをしつこく聞かれても、相手を気遣い「忙しくて」家を空ける事が多い、とか「ロマンチストだから」と庇うようなことを話している。

でも、そうか、そうだったね。

あなたはさほど親しくもない他人に、誰かのことを悪し様に言うようなことは、しなかった。
それに、よく言っていたのは
「私にはメディアという発信の場がある」から、そういう
「一方的な力を使って、相手に反論する場を与えずに批判したりすることは、卑怯だ」とも。

そう。常にあの人は「正しくあろう」としていた。

俺に、それを解って欲しいと思って読ませたのだ。

それに、いくら暴力や不実に泣かされた結婚生活だったとはいえ、一度は愛し合い共に暮らしたのだという、そのことも、だ。
俺は前の夫との生活を聞くたびに怒髪天をつく思いで怒り狂った。そのことで彼女を癒せると勘違いしていた。若かったからだ。

「一度呼んできてよ。俺があなたがされた分を、全部まとめて返してやる」と言ったこともある。三津子は困ったような笑顔で「やめてよ、タイホされちゃうよ、あなたにやられたら死んじゃうような奴だから」と言っていた。
一度だけ、団地に一緒に暮らしていた頃、電話で怒鳴ったこともある。
俺たちが留守だと思って子供を連れ出そうとかけてきた、そして俺は
「てめえ、女殴ってんじゃねえぞ卑怯者。
サシで勝負してやるから顔出せこの野郎!」と怒鳴った。
相手は意外と細い声で、何か言っていたと思う。丁寧語だったのは記憶している。

(怒らないで。怒りや憎しみは自分に返ってくるよ。体に悪い。
自分が正しいと思って信じていれば、他人が何をしても、何を言ってもいいの。)
三津子が今、そう言っている。

ミニコミをしまい、もう一つの包み…日記らしい紙の束が入っている封筒を開けてみた。
ルーズリーフ用の26穴の白い横罫の紙の束で、なぜか穴の側つまり本来閉じる方の側を外にして、書き綴って行ったようになっている。ということは、ルーズリーフ形式の状態で記録していたのではなくて、一枚一枚、紙を取り出しては書いて行ったものを重ねて行ったらしい。

読んで行くにつれ、気持ちが重くなった。

これは1995年から、1998年5月あたりまでの飛び飛びのもので、全て三津子の手書きだった。
この当時、三津子はそれ以前の膵炎の影響で腎臓が悪く、原因不明の下血を繰り返していた。俺たちは同居し十年以上が経っていた。
もう、これ以上は書きたくない。今発表すべきことでもない。
色々な意味で、読んでいて心が痛くなる記述ばかりだった。
だから、あの人は読まれまいとして、本棚の上に隠したのだろう。

だって今二人は、こうして京都で幸せなのだから、と。

それを、今彼女は「読んで」と言って俺の前に突きつけたのだ。
(わたしがあの頃どんな思いでいたか。
 わたしが、あなたや母の 何を許し
 何を許していないのか
 そしてあなたがこれからどうすべきか
 読んで、理解して)

そう言っている。

するとタイミング良く電話が鳴った。ゆうちゃんからだった。
こないだ外して送った「wiiが届いた」、さっそく子供たちが遊んでいるという。MTとSNにも代わった。
二人には「ばぁば(三津子)と一緒にまた遊べたら良かったね」と言うと「…うん」と、MTの声が沈んだ。
SNには「また一緒に遊ぼうね」と伝えると、「ウン!」と元気のいい返事が返ってきた。
再びゆうちゃんに代わった後、日記の話をチラとして、俺はもう何に対しても怒らないし、ママ(やまだ紫)の作品を遺していくこと以外には何にも執着はない、と改めて伝えた。
『怒りが俺の生きるモチベーションだ』と、誤解していることを、
三津子がそれは違うと言ってくれた。

俺は俺で、自分のステージを高めて、少しでもあの人の近くへ行けるように生きないといけない。
彼女の別の記述にもあった。
「人を裁こうとすれば、自分が裁かれる」と。
これはリーディングで著名なエドガー・ケイシーの言葉で、これまた「トンデモ話かよ」と嗤う人は嗤えばよろしい。
問題は「それが正しいのかどうか」の話だ。

常に正しくありたい。

このことを、若い人はしばしば「自分に対して正しい」「自分に正直」などとすり替えて「自己の欲望に忠実である」ことを肯定する言い訳に使ったりする。「自分が正しい」と確信的に思うことは時に傲慢さにもつながる。個人主義、利己主義的な物言いにも聞こえる。
三津子の考え方、生き方はそうではなかったし、彼女はいつも悩んでいた。「これでいいのだろうか」「わたしが間違っているのだろうか」と。そういう思いも、日記には綴ってある。

それでも、私は間違ったことはしていないし、したくない。
恥ずかしいことは、したくない。

そういうひとだった。敢えて言えば「お天道様」でも「お日様」でもいいし、「神」「仏」「ご先祖様」でもいい。とにかく、そういう目に見えない戒めを持ち、自分を常に「正しくあろう」と、無宗教でもここまでの境地に達し、そうしてそれを実践して生きていた。

俺は、恥ずかしい。
今はただそれだけしかない。12:30
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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