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2009-05-03(Sun)

連れ合いが倒れた 20

■ミニコミを読んで改めて思い出したのだけれど、三津子は子供たちの名前をちゃんとメディアに公表してきた。二人が生まれた70年代前半、「ひらがな2文字だけの名前は珍しかった、でも本当にいい名前だと思う」と常々自慢していたものだ。その自慢の名前を匿名にすることはない。二人とももう姓も変わり、立派な家庭を築き、母になっている。
だから、これまでの三津子の長女「Mちゃん」は「ももちゃん」、「Yちゃん」は「ゆうちゃん」といつもの通り、記すことにする。本人たちからクレームが来たらまた戻す。
二人とも三津子が名付けて立派な大人に育てたんだし、二人ともその母をちゃんと敬愛している。


15:46帰宅。
1時過ぎ、家にいても落ち着かなく、着替えてしまった。看護婦さんに昨日持って来るように言われていたタオルを3枚ほど袋に入れて外に出た。薄曇りでちょっとだけ風がある。
近くのドラッグトアで言われたものを買い、タクシーで病院に着くと1時半にもなっていない。お姉さんたちとの待ち合わせは2時だ。
ちょっと暑かったので、コーヒーショップでアイスラテで休憩をした。それから反対側のテーブルや椅子が並んでいるスペースへ移った。
今日も連休中なので人は少ないし、工事の騒音もない。相変わらず躾のなっていない子供がワーキャー走り回っているが、俺はもう怒らない。
手のひらに載る小さな額に入れた三津子の写真を取り出して、両手で包むようにして見ながら、時間の過ぎるのを待った。

写真は去年の春にゆうちゃん一家が上洛した時に、タクシーの運転手に
「今は府立植物園のチューリップが綺麗ですよ」と言われて皆で見に行った時の写真だ。
色とりどりのチューリップをバックに、なぜかほんのちょっとだけ困ったような、でも口元と目は微笑んでいる。もちろん俺が写したものだ。
チューリップと三津子。2008年4月12日
今年に入ってからの三津子の写真は、旅行の時のこれまで見たことのない輝くような笑顔の他は、なぜかあまり冴えない顔のものが多い気がする。
あの人が『愛のかたち』で綴った「かげろう」のように、はかなく見えて仕方がない。
むろんそれは今の俺の心情が「そのように見せている」ことも知っているが、このチューリップ畑での三津子の顔が、一番普段一緒に居るときに近いような気がする。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ「困り眉」になって(…ねえ?)とでも言っているような、微笑み。これをいつも持ち歩く。俺は三津子の魂と一緒に居させて貰えるような人間ではない、でもせめて写真とだけは許して欲しい。

お姉さんに1時ころにメールをした時は、しばらくして返信が来て「道が混んでるので遅くなるようならメールします」と入っていた。座って、目を閉じて待つことにする。そうして
「三津子さん。今日ばーちゃんとねーちゃんが来るよ。そうしたら、もう本当にお別れだから。
あとはもう誰も他には来ない。だから、肉体から抜け出して、本当に自由になっていいよ」
と心で話しかけた。そして
「どうか三津子の魂が、今日をもって肉体から無事離れられますように」と祈る。
テーブルに組んだ写真を持つ両手を額につけ、目を閉じて、ずっと繰り返していた。
なぜだか、左足の中指がビクビク痙攣を起こすように震える。三津子は夜ソファやベッドでよく「いたた! つった!」と言って足や足の指を抱えていたのを思い出す。単なる偶然だろうか。
何度か目を閉じて祈り、病院の入口を確認して、脇のタオルを入れた袋の上の携帯を見る。
それを繰り返しているうちにうとうとしそうになった。

「白取さん」
と声をかけられたのは2時20分頃だったか。お姉さんだった。お母さんも目の前に来ていて、慌ててハネ起きた。「すみません〜」とお姉さんに言われて「いえいえ」と目をこすると「何、目眩する?」と心配顔をされたので「大丈夫です」と言って時計を見るフリをして、三津子の写真をバッグにしまった。
お母さんに「遠いところを大変だったと思います、本当にありがとうございます」と挨拶をした。
荷物を持ってすぐ病棟へ移動する途中、お姉さんから
「すみません、あんまり新幹線が混んでて疲れちゃって、いったんホテルに荷物置いて、ほいでサンドイッチ食べちゃって。時計見たら『もうこんな時間!』なんて言って遅くなっちゃった」と謝られる。こちらは全然大丈夫です、と言うが俺の額が手の痕で赤くなっていたらしく笑われる。

それから脳外科病棟の扉を開けてナースステーションに声をかけ、病室へ入った。昨日の担当看護婦さんがいたので挨拶をし、タオルやパットを渡し、3人分の椅子を並べた。
看護婦さんに三津子の本『愛のかたち』も「皆さんで読んで下さいね」とお渡しし、それから「昨日お伝えしておけば良かったんですが…」とメモを取り出され、足りないものを持ってくるように言われる。
シャンプー、もう少し小さい歯ブラシ、マウスウォッシュ、お尻を拭くのに使う赤ちゃん用のオイルスプレー、ティッシュ、ボディソープ…。

お二人はその間に三津子のベッドの脇で、顔をのぞき込んで「ミッコ、来たよ〜」と声をかけて、なでさすっている。「こないだよりちょっとむくんでない?」と言われるが、俺は昨日よりむくみというか腫れは引いている感じに見えた。ただ、まぶたがちょっと赤くなっていたのが心配だ、と話し合う。

早く肉体から魂が離れて、顔の腫れが引いて元通り綺麗になってくれたらいいのに。あとはもう、ただそれだけを願うのみだ。

それから少し、看護婦さんとベッドを囲んで話をした。
三津子のお母さんは、看護婦さんも幼い頃父を亡くしたと聞き、
「ああ、じゃあうちと一緒だわねえ。この子と一緒」と言って三津子の顔を見た。
そういえば、お母さん以外にこの部屋にいる人間は全員、幼くして父を亡くしていることになる。
男って弱いもんだな…と思って天井を見上げた。
「お母さん、お一人で頑張って来られたのね。大事にしてあげてね」と言っていた。

看護婦さんが「では、あとはごゆっくり…」と言って出て行かれたので、3人で三津子の枕元に立って「もういいからね」と口々に話しかけた。
俺が「お父さんに迎えに来てもらいな」と言うと、お母さんが
「でもこの子の父親はだいぶん若いからねえ、解るかねえ」

解りますよ絶対に、魂で。俺たちが出逢えたように。

俺は病室の天井あたりを見回して「見てるんでしょ、もういいからね」と言う。
そして、昨日のももちゃん夫婦が来た時のT君(旦那)の「ワイシャツ事件」をお姉さんにしたら
「知ってる、ブログで見ました」と言われた。
ビックリした、見られていたとは思わなかった。そういえば今は携帯でWEBでも何でも見られるので不思議ではない。
三津子の携帯もWEBが見られるものだけど、たまたま調べたいことがあったりして「これでも見られる?」と言うのを操作してあげたりだった。あの人が自発的に携帯でネット接続をしたところを見たことがない。三津子の「ねーちゃん」は凄いなあ、と思った。

いったん椅子に座ってちょっとだけ落ち着いたが、お母さんが
「あんまりこういう事言っちゃ何だけどさ…この子は幸せだったのかねえ…」と言うと、
お姉さんがすかさず「幸せだったのよ、うん」と引き取った。
俺は黙っていた。
それから「お母さんが一番お辛いでしょうに、先日から取り乱していて申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
お姉さんが「いいのよ、みんな動転していたんだから。しょうがないわよ」と言ってくれる。
それからすぐ、ばーちゃんが「さ、あんまり引き留めても何だからさ」と言って立ち上がった。
「じゃあね、ミッコさん。また来るよ…って言っちゃいけないのよね」
俺も一人でここに居ても、三津子が離れがたいかと思い、一緒に引き上げることにする。

ナースステーションに挨拶をして病院出口まで歩きながら話すと、お姉さんは「ばーちゃんが疲れてるから、ホテル帰って休ませます」とのこと。

帰り際、病院の玄関脇の椅子に座って、お姉さんが「あのね…」と切り出し、今後のことを話す。
俺は三津子がいつも「ばーちゃんのやりたいようにさせてあげて」が口癖のようだったので、それを伝え
「全てお母さんの思い通りで結構です。
こちらはこんな体ですし、肉体的にも経済的にも限度がありますが、やれる範囲でのことは最大限やらせていただきますし、手続きなどでも動きます。
申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。」と、お二人に頭を下げた。
不甲斐ない、情けない、しょうもない…と思われるだろうが、出来ることと出来ないことがあり、そこで衝突もしたくない。

そうしてタクシーを見送ったあと、次のタクシーの運ちゃんたちがおしゃべりをしていて下がって来ないので、そのままゆっくり戻った。そして病院の玄関と反対側へ歩いた。この南へ延びる長いスロープを、三津子と一緒に何度歩いたことだろう。
俺の通院や入院。三津子の通院や検査。薬を貰うために、スロープを通って真向かいの薬局へ。お昼を食べるのに、薬局の横の小路を入ったり。熊野神社の裏へ抜けて四条へ出るためにタクシー拾ったり。いつも一緒だったな…。
東山の新緑が綺麗だ。ちょっとスロープの中ほどで立ち止まって、山を眺めていた。
子連れの若夫婦が歩いてきて、年長組くらいの男の子が走ってきて「ママー! こっち入ってもいい?」と笑顔で芝の方を指さしたり。それを後ろに聞きつつ、ゆっくり病院の敷地を南に抜け、聖護院方面へ左折する。三津子の診察待ちが長引くとメールが来て、時間つぶしに聖護院の裏通りをぶらぶらして戻ったりしたこともあったっけ…。また、いい季節になったね。

東大路に抜けて、通りがかったタクシーを拾い、自宅近くのスーパーへ入り、看護婦さんに買ってくるよう言われたものを、4階でメモを見ながら買い物籠へ入れていく。ここも、三津子と何十回一緒に来たか知れない。買い物を済ませ、マンションへ帰った。
誰もいない部屋に「ただいま」と声をかけて、着替えてから三津子の服を抱く。それから16時ちょっと前に、メールでももちゃんゆうちゃんに今日のママとみんなの様子を伝えた。
記録をつけ終えると、もう17時過ぎだった。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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