--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-05-03(Sun)

「わたしも遍在である」

19:48
イズミヤの帰りに通りすがりなので何の気なしに買った持ち帰りの寿司(機械握りのやつ)を開けて、三津子のほうじ茶を台所へ移し、三津子には酒をぐいのみに軽く注いで写真の前に置いた。
そうして自分のウーロン茶をコップに注ごうともう一度台所に戻って冷蔵庫からペットボトルを出す。コップに注ごう…としたところで、二階からシマが「どどどど!」と降りてきた。
そうか、猫も寂しいだろう。俺がこんなだし、三津子は帰って来ない。猫たちは寝てばかりいる。ゴメンな、と言いつつソフトえさをあげるために、皿を洗って、パウチのご飯を2つの皿に分けた。
シマはすぐにペチャペチャと舐め始めた。ユキも二階に居たらしく、気配を感じて降りてきたかと思うと、まっしぐらに皿に向かっている。毎朝水とカリカリ=固形粒のごはんは変えているけれど、本当はパウチのソフトごはんの方が二匹とも好きなのは解っている。

自分の寿司を食うお茶を後回しにして猫にソフト餌をあげるなんて、俺も三津子のところにちょっとずつ近付いて行けているのかな、とこんな小さなことで考える。いい人で、ありたいな。

三津子のぐいのみとウーロン茶のコップを乾杯し、酒の方にちょっとだけ唇をつけた。
「おいしいね。」と写真に笑顔を向ける。そうして安い持ち帰り寿司を食う。猫たちはソフトごはんを舌を鳴らして舐めている。夫婦差し向かいで晩酌の、いい時間だ…。

テレビの娯楽番組はまだ見る気になれないので、食べながら朝刊をゆっくり読んだ。番組欄の方から開くとあるコラム(読売新聞5/2朝刊)に目がいった。
『物言わぬペットの気持ち』と書いてあり、近隣の犬への虐待を目撃した読者の投書を紹介している。
何だかタイミングいいな。まるで三津子が「ほれ」と読ませてくれているみたいだ。

投書の主は「隣家で飼われている犬への虐待を見かねて隣人にやんわり意見をしたら、『だったら保健所に連れて行く』と逆ギレされた」というものだ。そういう逸話と自分の目撃例を重ねて、さらに池波正太郎の言葉を引いている。

このコラム書き手の人は、投書を読んで自分もかって隣家の留守がちな家に、いつも鎖でつながれたままぐったりしていた犬のことを気にかけていた…と投書に共感しているものの、それではどうしたのかと思ったら、結局3年経過したそうで「今どうしていることだろう」と言っている。

もし三津子が居たら俺と顔を見合わせて、
「何だよ、助けてやんなかったのかい!」と突っ込んだだろう。
ご近所のことだ、余計なお世話と取られたり逆ギレされたり「じゃあお前が飼えよ」と言われたりでも自分の家では飼えなかったり…とか、まあ色々な「言い訳」は考えられる。
この投書を引いたコラムを書く時に、この記者(?)氏というかコラム子は何を言おうとされたのだろう?
「助けよう」としなかった自分を恥じていないし、先の投書に目頭を熱くした、と綴っておられる…。
池波正太郎は
「ことばの通じない小さな生きものが一緒に暮らしていると、相手の気持ちを読み取ろうと神経を研ぎ澄ませるようになる、そういう心配りが男には大切だ」
というようなことを言っていたらしい。それは正しいと思う。でもこのコラム子はその言葉を紹介して
「男を飼い主と置き換えると作法、心得が読み取れる」と書いている。うーん何となく言いたいことは解るけれど、置き換えなくとも池波正太郎は最初から「飼い主」のことを話しているわけだし、それを池波自身が発言の中で「男」に置き換えているんだから、ええと…と思ったら笑いがこみ上げてきた。
「犬が言葉を理解できなくて幸いでした」とも書いている。だんだんおかしさがこみ上げてくる。
犬や猫に限らず「家族」として共に暮らすいきものは、言葉は理解できなくても、こころで解ることもある。それは誰でも知っていることだ。
「解らないねえ」と笑いながら三津子の写真に記事を広げるように見せた。いや、あなたが見せてくれたんだっけ。
何だか二人でテレビを見ながら、片方が新聞を読んでいて面白い記事を見つけると「ほらほら、これ」と見せていた時のようだ。一緒に居るような気持ちになる。

俺たちがまだ蓮根のマンションに住んでいた頃、隣の一戸建ての家で犬を飼っていた。いや、虐待していた。
常に鎖でつながれたままのその犬は、いつも寂しそうな鳴き声を出していた。俺たちはたまに星を見るために(本当はいけないのだが)マンションの壁面にあるホチキスの針みたいな、はしごというか取っ手というか、それを登って屋上へ抜けたりしていた(「ガロ」1993年2/3合併号やまだ紫特集、知久氏との対談参照…)。
その時に犬の悲しい声を聞いた。そうして心を痛めていた、いや俺は怒っていた。
「散歩連れてってやればいいのに」「庭があるんだから、せめてその中くらいは鎖外してやればいいのにね」と話していた。「今度やったらすぐケーサツに言おうか」「いや区役所?」とか話してもいた。
そんなある夜、隣の駐輪場とを隔てているトタン塀の下の土を掘って首を挟んで悲鳴を上げているのを見たのだ。
犬は虐待に耐えきれず逃げだそうとして、首を挟まれたのだ。

思い出して自分の日記を検索したら、
1998年の5月のことだった。(ふだんの私生活で俺は俺のことを「俺」と呼ぶので、今ではそう書いているが、この頃は格好をつけて自分のことを「僕」と言っている。)

俺…「当時の僕」は高い塀からジャンプして目測を誤り、アスファルトに着地する際に着いた右の手のひらの皮をベロリと剥いたマヌケな「救助隊」だった。もの凄い痛い目に合ったけれど、結果としてご近所有志と飼い主にお灸をすえる形になり、飼い主も反省したようで、その後犬の悲鳴は無くなった。
傷は痛くてその後も大変だったけど、俺たちは「正しいことをした」と思っている。

…そんなことを考えていたら、フと猫トイレが気になった。あ、掃除…。
寿司の途中だったけれど、うんこを取り、下のシートを確認すると尿でべちゃべちゃだったので、綺麗に洗ってシーツを取り替えた。すぐにシマが来てうんこをした。綺麗にしたばかりだけど、綺麗だから、したのだ。猫は綺麗好きと言うけれど、「トイレ掃除してよお」と言えない。
家猫は体臭がほとんど無い、というか何ともいえない「猫くささ」=いい匂いがする。その代わり排泄物は大変な臭いだから、すぐに掃除をしないと家中が臭くなる。そして汚れる。東京に居た頃は二人とも体がしんどいと、3〜4日トイレ掃除が出来ないこともあった。
そんなことはもう、したくない。「ペット」ではなく「家族」だと思っているなら当然だし、だいたい彼らは自分で掃除なんか出来るはずもないのだから。

俺だって人のことを偉そうに言えるような人間ではない。
というより、もう他人を非難したり怒ったりしたくはない。
犬の件で2003年の日記テキストをしばらく見た。ああ、俺はやっぱりいつも怒っている。三津子は頑張りすぎて下血で入院している…と思ったり。日記を読み返すのは自慰行為みたいなものなのは解るのだけど、今はそれで文字通り自分を慰めると思っているから、いい。

21:19
やっぱり何かしていないと駄目だな…と思ってノートPCに向かってしまう。そしてもう一時間が経った。サイダーを飲み排便。下痢だ…。

それから片付けごとを済ませ、疲れてソファに転がったまま、隣にいるかのように三津子に語りかけた。
「…俺はあなたと一緒になって二十余年のうち、寂しい思いをどれくらいさせてたかな。
半分かな。そんなに多くないか。でもケンカもしたり嫌な思いもさせたし、そういう時間を含めると、やっぱり俺って駄目な男だったね…。」すると

(また始まった!)
と言わんばかりに、部屋の壁が「どん!」と軽く鳴った。そっち側のお隣は、引越して行かれたので、誰もいないはずである。
「そうか、ゴメンゴメン。もうやめよう。楽しい思い出ばっかり話そう」と写真に謝る。
そうして、今度は写真に向き直って話しかける。
「…君はよく俺に『そんな怖い顔しないで』とか『口角を上げて笑って』と言ってたよね。
だからほら、今はこうやって笑顔を向けている。今まで嫌な思いをさせたり心配かけたり悲しませたりもしたけど、これからはなるべく笑顔でいられる人間になるよ。
そうしていつか、明青さんや一緒に行ったあちこちのお店や色んな名所を、また二人で巡りたいね。
でも俺はそうやって行ける自信がまだないんだよ。
京都へ来ることで、あなたは俺に命を賭けて色んなことを気付かせてくれたね。そして楽しい思い出いっぱいの場所にしてくれた。だからこそ、笑顔でいなきゃいけないのは解ってるんだ。
…本当にどこへ行っても君との楽しい思い出が一杯だから、やっぱり辛いものは辛いよ…」

(ほら、また悲しい顔する!)
今度は廊下の方で不自然に「ビシッ!」という音が鳴った。
「ごめん、ついつい…」と苦笑する。

(ね、写真撮ってよ)
と三津子が言ってるような気がしたので、デジカメで部屋の中の写真を何枚か撮影した。
廊下を写した二枚目の写真に、冷蔵庫のあたりに薄く丸い球が写っている。心霊ファンが言う「オーブ」というやつだけど、まあ信じない人らは「レンズの前にある空気中を舞っていた埃や塵が写ってるだけ」とか「レンズの汚れ」と言うやつだ。
でも他の写真には写っていない。
俺には何だか解らない、けれども三津子は「信じる」側の人だったし、俺もそうだ。それはいろいろな実体験を経ての話で、まあ今その議論はどうでもいい話だ。

「私は死んだら必ずあなたの側に来る」
お互い、いつもそう言っていた。お互い、相手を守ろうと約束もした。

「お願いします。生まれ変わっても一緒になってください。」
改めて、写真に向き直って、頭を下げた。

つきあい始めのイチャイチャ時代が俺たちにもあって、当時はよくこういう恥ずかしいことを言い合った。「来世も一緒になろうね」とか「ずっと一緒にいよう」とか、誰でもそうだろうけど、もちろん恥ずかしかったから誰にもそんなことは言ったことはない。
そうして二十年以上が経過して、お互い病も得た。人生の山坂を二人で乗り越えて京都に来た。
そしてこの二年近く、真顔でしみじみとお互い、心からそう言い合っていた。
もう恥ずかしくない。

「これから頑張って、あなたと同じステージに立てる人間になります。
だから今生では出来なかったけど、きっときっと来世では100%「幸福な時間」になるように、幸せにします。
だから、次は最初から、一緒になって欲しい。
結婚して下さい、お願いします。」と誰もいない部屋で写真に向かってお辞儀をしている。
写真の三津子はただ笑っている。
でも何だか
(本当だな、よし!)
と笑いながら体をのけぞらせている映像が浮かぶ。
都合のいい男だな、と思うだろうか。バカなこと言ってらあ、とか調子に乗るな、で済ませてくれればそれでもいい。

…俺も三津子も、繰り返すが特定の宗教を持たない。けれども「神や仏と呼ばれる存在」があることは信じている。

…怒りや憎しみは体に悪いよ。
…人を裁けば自分が裁かれる。
…魂はほんとうのことを知っている。
…「神」は「遍在」だから。
…恥ずかしいことは、したくない。
…正しくありたいと思う。

今、彼女の口癖はどれも、輝く「ことば」となって俺の周りを舞っている。
いつも自分に言い聞かせよう。そして、正しくあろう。ありがとう…。

なんて殊勝になっている俺はちょっとおかしいぞ、と三津子が思っているらしい。
デジカメで思い出して、そういやもう一つのデジカメにも写真があったと思って、発作的にテレビ台の引き出しを開ける。そこに入っているデジカメは、俺が下らないシーンを撮りたい時にサッと取り出せるよう、引き出しに入れておいたもの。メモリに入っている写真データを確認してみた。
猫とかの下らない写真が20〜30枚ほど。
その中に三津子の写真が一枚だけあった。
それが、顔に保湿剤というか化粧水?が染みた紙を貼り付け、アイスホッケーのゴールキーパー状態のトボけた顔でこっちを向いているやつだった。一ヶ月ほど前のものだ。今見ても思わず吹き出してしまう。

それを見て「アッ!!」と気付いた。

すっかり忘れていたが、昼間病院から戻って看護婦さんに言われた買い物をしている時に、買わなかったものが一つだけあった。

「あと奥さんが使っていた化粧水とか、保湿用のものがあったら…」

家に使ってたやつがあるはずだからと、買わずに帰ってきて、すっかり失念したままだた。すぐに化粧道具箱を探して、2種類のボトルが見つかって、明日の荷物に加えることが出来た。
…なるほど、教えてくれたのか。
(あなた完全に忘れてたでしょ)
…うん、ごめん。
それにしても、笑わせてくれたんだね、ありがとう! 元気になった。23:12
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

ねこのにおい

はじめまして。
我が家にも猫の兄妹?姉弟?が2匹います。

ねこのにおいは、お日さまのにおいだと思ってます。

フカフカのお腹や背中に顔を埋めると、いいお天気の日に干した、
フカフカのお布団と同じにおい。
お日さまのにおい。

…ただし、お尻を顔の前にくっ付けられた時は、除く(笑)

この記事の前後も読ませて頂きました。
私はやまだ紫さんも白取さんも初めて知りました。
ですので、この記事の前後にある出来事について、語る言葉がありません。
また、人間の生き死にについても、人に語る言葉を持ちません。

ただ、ねこのにおい、この話題についてのみ、コメントしたくて仕方なくなり、
いきなりコメントさせて頂きました。
場違いなようでしたら、消してください。

ねこのにおいをおなかいっぱいに嗅ぐと、ちょっと幸せな気分になります。
ちょっと毛だらけにもなりますが…
そうして、あの気まぐれな小さいいきものは、私を癒してくれます。
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。