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2009-05-04(Mon)

連れ合いが倒れた 21

今日の様子
やまだ紫の容態にあまり変化はありませんでした。
血圧がやや降下していましたが、看護婦さんによると「著しい変化」と呼べるものではないようです。
今日も彼女の母と姉が来てくれました。 以上です…。
何か変化があってもなくても、ここで必ずご報告します。

以下は個人的な日記ですので、読まずに飛ばしていただいて結構です。
たくさん、励ましのメールをいただいて、ありがとうございます。全てに御礼をキチンと出来ないのがもどかしいです。御礼申し上げます。
「あなたは書き続けるべきです。書いて下さい。」「もっともっとお二人のことを知りたいです」
自分を癒し、この最大の悲しみと苦痛を乗り越えるために始めたことですが、そう言って下さる方が多くて、有り難いです。



夕べは二階の寝室へ行って電気を消し、目を閉じて三津子に語りかけながら寝ようと横になった。暗い中、これまでのことを色々思い出して、謝ったり礼を言ったりの繰り返しだ。
そして、最近よく思い出す話をした。

数年前にまだ東京のマンションに居た頃、病気のことや色々あって三津子の気持ちが不安定だった頃だ。毎日すぐ側に居ながら、気持ちの浮き沈みに俺は注意深く対応をしていたつもりだった。彼女は自分を責めていた。
その日も俺は居間のソファの横にある仕事机でパソコンと向き合いながら、チラチラとソファに座っている三津子の様子を気にしていた。常にパソコンのモニタの視界の端には、三津子が居るようにしていた。
彼女はテレビがついているのを「ただ眺めている」だけだった。また仕事をしてチラ、と見ると今度は頭が下を向いていた。目をつむり、口元はギュッと結ばれていた。
とても可哀想で見ていられなくなって、思わず仕事の手を止めて立ち上がった。
三津子の側に立ち「ちょっと立って」と言うと、困ったような驚いたような顔をしてゆっくり彼女が立ち上がった。
俺はその彼女の体をぎゅう、と力一杯抱きしめた。
瞬間三津子は「う、ううううう!」と俺の腕の中で号泣した。

俺は抱きしめながら「ごめんね、もっと早くこうしてあげるべきだった」と言ったらちょっと俺も涙が出た。
溜めて溜めて、俺が「大丈夫?」と聞けば力なく頷くだけで、辛い思いを一人で抱え、そうして気持ちを深く沈めていたのだ。三津子はずっと泣いていた。
この場面を思い出すと、俺はいつも後悔と自責の念で苦しくなる。涙が出る。

…「あれから毎日、あなたのことを抱きしめ、愛してるよ、俺のために元気になって欲しいと言い続けてあげていたら…」と暗闇の中、語りかける。
「俺は本当にあなたに悪いことをし…」まで言ったら、外から突然
「うおーーー!」という男の大声がした。
マンションの裏手の方か、酔っぱらいかも知れない。寝に入ろうとして脇で丸くなっていたシマが、ビクッとして外の方を見る。
そうか、悲しい思い出話や暗い話はやめよう。

そして、今度はこないだの楽しい旅行の話にした。
「楽しかったなあ、あの旅行。あれも500円玉貯金で行ったんだよね、能登の時みたいに。
とにかくケチケチするのはやめて『二人で貯めたんだからドーンとやろうよ』と言って。
 覚えてる? あなたは白浜から奈良へ向かう電車の中で、騒いでいた女子大生グループの騒音に顔をしかめていたね。普段なら俺が顔をしかめて先に怒るところだけど、あなたが先に怒ってくれた。俺の方が気にするなよ、とか逆になだめたりして。俺が怒るのを先回りして、フタをしてくれた。
 そしてせっかくの旅行なんだから…って別な車両に移ることにしたんだよね。
その時振り返ったら、あなたはその5人に
『周りの皆さんの迷惑も考えなさい。静かにしなさい』って注意していた。
あれは立派だった。
あなたは本当に正しいし、それを実践していたよね。
本当に立派だった…」

寝る前に飲んだレンドルミンが効いてきたようで、あくびが出た。ゆっくり切れ切れに、話す。
「奈良公園では…鹿せんべい買ったらあなたに鹿が群がって…ワーキャー逃げ回ったりして。楽しかったねえ。
 あなたがどうしても一回泊まりたい、長年の夢だって言ってた奈良ホテル。
 あのディナーも最高だった。
『また絶対来ようね』って言ったよね。
 それなのに…もう駄目なんだね…」とまた湿っぽくなってしまう。すると、また外で
「いあーおうーー!!!!!」というような、意味不明の男の大声が響き渡った。
さっきの声と同じようだ。
俺の話が湿っぽくなりかかると2度、これで諫められた。
「解った解った、もうしないよ。それにしても凄いな…」そう思ったらちょっと怖くなって、暗いままベランダに出てみた。シマもベッドの上で起き上がってこちらを見ている。
大声がしたのは、うちの裏手を流れる疎水分流のあたり。けれど、何の声もしない。誰も歩いていないし、そもそも人がいない。
最初の声がしてから5分以上は経っていたので、酔っぱらいがずっと居たのなら、その間や前後、そして今誰かがいないと不自然なのになあ…、と思った。それにしてももの凄い大音声だったから、路上ではなくどっかのマンションから叫んだのにしても、周囲の灯りがついたり苦情が出たりしないのだろうか。
そういう「異変」に対して「ざわついた感じ」が全くない。直後だというのに、マンションの裏の家々、路地は静まりかえっている。
いろいろ考えたが、「偶然」で片付けようと思えば片付けられる話だ。でもその「偶然」が、このタイミングで続けて起こることは、きっと「必然」なのだろうね。

(もう悲しい話はやめようよ。楽しい思い出話をして、笑って。)
そう言われていると思って、隣に戻ったシマをなでていたら、いつの間にか眠っていた。


朝、目が覚めたら6時過ぎだった。夕べ寝るときにずいぶん長く三津子に話をしていたので、眠い。
7時半頃までとろとろとしてから、8時前に起きた。三津子に「おはよう」と言う。
しばらくぼーっとした後、夫婦が起きたらすぐそうしていたように、テレビをつけた。トイレと洗顔を済ませて戻り、三津子の赤い室内着を抱いた。その時テレビから流れたきたのはちょうど、アンジェラ・アキの「愛の季節」だ。目を閉じて立ったまま、二人で聞いた。
それからお酒を捨てて熱いお茶を淹れ、しばらくお茶を飲んでから昨日買っておいたおにぎりを食べた。

昼ころまで何をしていたか、あんまり覚えていない。
突然思い立って押し入れの中にあった古いビデオカメラを取り出してコードを電源に差し込んだり。テープが入っていたので巻き戻してみたら、どこかでゆうちゃん一家とお姉さんとご飯を食べた時の映像だった。
今は二人とも小学生になっている孫娘だが、MTはまだ4つか5つくらいでカメラに向かってはしゃいでおり、SNはまだ赤ちゃんだ。
三津子ももちろん、みんな笑っていた。
そうだ、俺たちはいつも集まって笑っていたじゃないか。

それからその頃の写真をデジカメのフォルダで探したりしているうちに、奥湯河原への温泉旅行のフォルダにあたる。そこで三津子のいい笑顔の写真を見つけた。そうだ、この写真…。
三津子は何とも言えない幸福そうな、嬉しそうな心からの柔和な笑顔で写っている。「ばーちゃん」つまり彼女の母と並んで、「娘」の顔になっている。
この写真は俺が向かい側からお母さんのフィルムカメラで撮影したもので、あとで焼き増しして送っていただいたものだ。それをスキャニングして、デジタル画像にしてある。
同じ日にこちらのデジカメで撮影したデータを見て、撮影日を確認すると、奇しくも2003年の9月5日、つまり三津子の55回目の誕生日のものだった。
そうだ、あの日はそうだったんだね。

あの旅行で終始、お母さんは三津子に優しかったね。
行きがけに、秋口でまだまだ暑いのに薄着で来た三津子を見て、「冷房で冷えるから」と言って大丸で真っ白な、カーディガンを買ってくれた。三津子は少女のように喜んでいた、「ばーちゃん、ありがとう!」って。心から嬉しそうな、気持ちのいい笑顔だった。

その旅行の中での、一枚のスナップが、先の9月5日の午後に撮影されたものだ。

途中お昼に寄った蕎麦屋の座敷で、お母さんのカメラを借りて、俺が向けたレンズにお母さんが笑顔を見せて、その隣で三津子が笑っている。母親にちょっと寄り添うような傾き方をして、何とも言いようのない、素晴らしい微笑みを浮かべている。
積極的に腕を取ったり、くっついたりして甘えられるような人ではなかったので、三津子も母に寄り添うのも遠慮がちな印象さえ受ける。何よりも二人とも素晴らしい笑顔のスナップだ。

それを見て改めて、俺は思った。

「…そうか、あなたにとって人生最良の幸福の瞬間は、ここだった…」

俺は京都へ転居し、二人であちこち一緒に歩いたり、おいしいものを食べたり出来た、この2年足らずの間がそうだと思っていた。三津子も確かにそう言ってくれた。だから、そうなのだと思っていた。

けれど、奈良で二人で撮ってもらった三津子の笑顔(「最良の日々」)は、一緒に暮らした三津子の最高の笑顔というよりは、何かはかない仏様のような神々しさを感じる不思議な顔だ。
確かに素晴らしい、最高の瞬間、最高の笑顔ではある。けれど、あんな少女のようで女神のようにも見える顔は、普段一緒に暮らしている三津子ではない気がしてならない…。

それに比べると、あの遠慮がちに寄り添う母子のスナップでの三津子は、そういう「はかなさ」というか、現実世界に存在していないかのような「ゆらぎ」や「疑い」がない。
しっかりとこの世界で生きている人間が最大の幸福に浸っている「確かさ」がある。

そうだ、俺などと出会うずっとずっと前から待ち望んでいた、まさに幸福でいっぱいの瞬間だったのだ。

これが三津子の人生で最大の幸福の瞬間だ。

俺の方こそ独善的で思い上がった人間だった、と思った。
俺と一緒が一番シアワセだったはずだ、などと調子に乗っていた。

…そうだ、この写真をプリントして、改めて彼女の母と姉に渡そう。持っていてもらおう。そう思ってPhotoshopに貼り付けて2枚印刷しようとした。気がついたら、もう1時半になっていた。
ところがこないだライトマゼンタのインクを取り替えたばかりなのに、今度はシアンが切れたと表示が出た。アレと思って取り替えて印刷をかけようとしたら、今度はフォトブラックが切れたサインが出る。

そうか、「今そんなことをしなくていい」と三津子が言っている。

お母さんは「俺という人間」そのものに対して、怒りの感情を持っていて当然だ。
母として「娘を先に失う」というやり場のない「怒り」は、全てが俺に向けられるだろう。
「あんたと一緒になったばかりに」と。
無理もないし、その通りかも知れない。
その「ばーちゃん」に、俺が今あの楽しかった最良の瞬間の写真を見せるのは、傷に塩をすり込むような行為だ。無神経にも程がある。

三津子はそれを察知して、やめさせようとしてくれている。
「わかった、持って行かない。俺が悪かった。」
そのまま着替えをして、病室へ持って行く荷物を持って部屋を出た。

今日は少し曇っており気温は高めだけど、何となく気持ちが沈むような天気だ。
向かいへ渡ってすぐタクシーを拾い、病院へ着くとまだ1時50分だった。面会は2時からだが、まっすぐ脳外科のNSへ行き、持って来た袋を見せて
「白取ですが、昨日言われたものを揃えて来ましたのでいいですか」と言うと
「あ、ありがとうございます、どうぞ」と快く通してくれた。

三津子の顔の腫れはやや引いていたのは嬉しかったが、まぶたが相変わらず赤いのが気になる。
今日の担当は昨日とは違う若いナースで、昨日頼まれたものを持って来たと、確認してもらう。血圧がちょっとだけ下がっているが、こうして徐々に、「その時」に向かっているのだろうか。
ナースが三津子の顔に持って行った保湿液を塗ってくれたりして、少し話をした後、あとは二人きりになった。
手を握って、枕元に顔を近付け、囁くようにずっと話し続けた。

「君はゆうべ、俺の周りに居てくれたね。もう、肉体から完全に離れていいんだよ。
 60年もこの体に居たんだから、離れがたい気持ちはよく解るよ。そんなに簡単に服を脱ぎ捨てるようには行かないってことも。
 でも、いつまでもこうして居られるわけじゃない。ばーちゃんやねーちゃんをいつまでも泣かせないでよ。
 俺だってこうやって手を握ればあったかいし、まるでソファでいつも寝ていたような顔を見ると、切なくてしょうがない。
 君の手をこうして握ったり、細い肩をさすったり、髪をなでたり、何よりもう抱きしめられないことが辛くて仕方がないよ。
 でも、俺がそうやって君の肉体があることに執着をすれば、あなたはますます去りがたくなってしまうんだよね。自由になろう。
 ばーちゃんは『東京へ帰ろう』って言ってる。魂になれば、どこへだって瞬時に行ける。
 誰かがあなたに『今ここに来て』と望めば、いつでもそこへ行けるはずだよ。だから…」
ひたすら、手を握って目を閉じて、囁き続ける。ベッドはカメラでモニタされているが、関係ない。
30分近くそうしていたか。
ナースが入ってきて、「あの、体拭きをさせて戴きたいので…」という。終わったら声をかけてくれるというので「じゃあ出てますね」といったん外へ出ることにした。
脳外科の外のソファなどがあるところへ腰掛け、しばらく休んでいると、お母さんたちが通りかかった。挨拶をし、「今体を拭いてもらってますので…」と言って、ソファで待つ。5分ほど待って「ちょっと見て来ます」と言って病室を覗きに行く。体拭きと着替えは終えてくれていた。
とって返して、お二人に終わっていることを告げて、病棟へ向かう。病室ではナースが点滴交換などの処置をしており、二人はすぐに三津子の枕元に並んで顔をのぞき込んで話しかけている。
昨日と同じ光景が繰り返される。

「ミッコ、来たよ。」「もう頑張らないでいいから」
そう言って頭をなでたり、手を握ったり、肩をさすったり。やはり、辛い。
血圧の話をしたり、保湿剤の話をしたり。ナースにばーちゃんがまたちょっと話しかけたが、その後3人だけになった後、皆が無言になった。
重苦しい沈黙の時間が流れる。もう、3人とも言う言葉もない、というよりもう言い尽くした感があった。
お母さんが椅子に座ってうつむいて、鼻をすすりながら小さな声で何かを言った。
俺は何も答えなかった。よく聞こえなかったが、おそらくこの状態にいることへの呪詛の言葉だろう。でもそれを大きく言えば俺を非難することになるし、それはおそらくお姉さんに止められていることが察せられる。でも言わずにおれず小声で。そういうことは全部、痛いほどよく解る。
だから俺も黙ってずっと下を向いていた。
心の中で、さっきずっと繰り返していた三津子への「説得」を続けるだけだった。お姉さんも黙って三津子の肩をずっとさすっている。何も言葉が出てこない。

「さあ、こんな辛い場面もう見ていられないね」と言ってお母さんが立ち上がった。お姉さんが椅子を畳んでくれ、二人と反対側の枕元に居た俺は「僕はもう少し、説得してみます」と言って二人と一緒に病室を出た。お姉さんがちょっと風邪気味で咳をしているのが心配だ。皆疲弊している。ほとんど会話もなく、皆押し黙ったまま病院の玄関へ向かう。
すると、若い父親に手を引かれて歩いていた女の子が、突然バタ! と手を付いて転んだ。
お母さんが笑顔になって「あらあ、大丈夫?」と腰をかがめた。俺もしゃがんでのぞき込み「大丈夫?」と聞くと、ちょっといわゆる「ヤンチャ」系みたいな父親が「大丈夫っすよ」と笑った。
その子…まだようやく歩けるようになったばかりだろう、女の子は泣きもせず、父親に手を引っ張られて立ち上がると、おぼつかない足取りでまた歩き始めた。
「偉いわねえ」「強い子だなあ」と自然と笑みが浮かんだ。何となく重苦しい気持ちがほどけ、病院の外に出ると、涼しい風が吹いていた。お姉さんが「寒っ!」と言って俺を見たが、俺がTシャツ一枚なのを見て「あら半袖」と言ってちょっと笑った。
それからタクシー乗り場で二人を昨日と同じようにお礼を言って見送った。お姉さんの風邪が心配だ。ばーちゃんの体力も…。俺も健康体ではないが、今踏ん張らないでどうすると思っているから、きっと脳から何かが出て、脾臓の腫れやあちこちのリンパ節の腫れ、きしみを感じないのだと思う。そういえばあの低気圧が去ってから、徐々に目まいも薬で収まってきている。

ゆっくりゆっくり、また病室へ戻った。
三津子の肉体はまだここにある。
今度は立ったまま左手で三津子の左手を握り、頭に手を置いて、目を閉じて話しかける。先ほどの「説得」を繰り返す。
ばーちゃんたちをいつまでも泣かせ続けてはいけない。肉体に執着せず、脱ぎ捨てて自由に、楽になろう。お願いだから…。
それからまた、小さな写真の額を取り出して、じっと見つめて同じことを念じた。チューリップをバックに、三津子はいつもの「困り眉」で微笑んでいる。
最後にまた額に手を置いて、「いいね、もうここから出よう。自由になろう」と声に出した。そうして、俺も病室を後にした。
NSに声をかけ、病院出口までゆっくりと歩く。松葉杖の人、車椅子の人。お見舞いではしゃぐ子供。パジャマ姿のまま見舞い客と話し込む患者。病院は悲喜こもごもの人生の交差点だ。
俺は端から見たらかなり沈んで疲れているように見えるかも知れない。いけないな、と思ってシャンと歩くが、やはり笑顔にはなれない。なれるわけがない。
コーヒーショップで夕飯にパンでも買うかと思ったが、メニューを見ると食欲がない。いったん立ち去ろうとして、いや食べないと…と思い引き返してメニューを見上げ、結局そのまま買わずに外に出た。ゆっくり東大路まで歩いた。
東山の大文字がこちらへ左ほほを見せるように向いている。
あれを見るたびに「今年の送り火はベランダでバーベキューをしながら見よう、ばーちゃんたちを呼ぼう」って言ってたよね…と思い出す。ネットや煉瓦も買った、二人で作業をしようと思っていたがそのまんまだよ…。
いけないと思いつつ、気持ちが沈んでしまう。三津子の暖かい肉体を見た後はどうしても、こうなってしまう。だから病院から帰る車中は、辛い。

まっすぐ自宅へと思ったが、何か食べないと。運転手に左右を間違えて告げたことにして、スーパーの方へ曲がってもらった。生鮮売り場もいつも二人で来てあれこれ言いながら買い物をしていたから、入れなかった。けれど無理にでも食べなければと思い、おにぎりとおかずのセットとお茶を買い、自宅へ戻った。

「ただいま」と無人の部屋に声をかけてリビングへ進むと、ソファの上のタオルケットにユキが丸くなっていた。寂しそうだったので、思わず撫でて声をかける。
「ママはもう居るのかい? お前は耳が聞こえない分目がいいんだろ、教えてよ」と話しかけるが、喉を鳴らすだけだった。17:48
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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