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2009-05-19(Tue)

自分の診察日

5月19日(火)

夕べは缶ビールを1本だけ、三津子と差し向かいで飲んで、レンジでチンするだけのミネストローネを夕飯がわりに食べた。健康にいいからとよくわが家で作っていた「野菜スープ」とよく似た濃いめの味付けで、うまい。それから何となくつけているだけの民放ニュースをはしごして、寝たのは12時過ぎ。
朝方目が醒めて電光掲示の時計を見たら4:44。「三津子…」と思わず声に出して笑ってしまった。その次に目が醒めて時計を見たら5:55だった。結局そのまま眠れず、6時過ぎには起きた。

今日は俺の白血病の容態観察で、京大病院の血液内科を受診する日だ。
京大病院といえば、やはり救急車で三津子を搬入し、その後の辛い状況を思い出す。思い出すというより、生々しいついこないだの記憶だから、気が沈む。

けれどそんなにクヨクヨしていたのでは三津子に叱られる。
余りに早く起きたので朝飯を何か食べていかないと…と思うが、食べて出ると腹が張ってトイレへ行きたくなると困るし、食べないと昼まで持たない。結局小さなカップワンタンだけにした。食べながら一息ついてテレビのNHKニュース画面を見たら、時刻が俺の誕生日の7:17。
こういうぞろ目だの俺の誕生日だの、何気なくフと見るとそういう数字を目にすることがやたらに増えた。三津子さん、君がふざけてるのかな?

9時過ぎに支度をして、マスクもしっかりつけてマンションを出る。
外はTシャツに半袖ワイシャツ一枚でちょうどいいくらい。道路をいつものように向かいへ渡り、タクシーを拾って病院へ向かってもらう。俺は免疫力が著しく低下している体だ。このブログでずっと「連れ合い」と表記してきた三津子も、内臓があちこち弱っていて、採血結果を見るとやはり普通の人より免疫力が落ちていた。そんなところまで「似たもの夫婦」だった。
だからインフルエンザが流行る前からなるべくそうしてきたように、公共のバスや電車などは避けた方がいい。乾燥していない時期、空いているシーズンや時間にならバスや電車にも乗ったりするようにはなった。けれど今はそうはいかない。
タクシーの窓から道々見ていると、やはり関西圏ゆえか、マスクをしている人を多く見かける。が、それでもまだ京都は感染者の報告がないせいか比較的のんびりしているという印象。バス停に座る人たちも、マスク着用率は半々といったところだろう。

ところが病院へ着くと、いつもの正面入口の西側前には特設テントが作られていて、医師か職員が白衣にマスクで、人の出入りを「監視」しているようだった。「発熱や咳、下痢などの症状がある人はこちらで検査を」と立て札が立てられている。厳戒態勢、という感じだ。それを横目に病院の中に入ると、さすがにマスク着用者が8割ほどになった。カウンタの中や、行き交う病院の職員は全員がマスクをしている。

何度かここでも書いてきたように、マスク着用は「防衛」というよりも感染者による「感染拡大防止義務」と捉えた方がいい。ウィルスを遮断するような精度のいいものは普通に長く歩いたりすると息苦しくなるようなものだし、そうでなければ防衛という観点からは余り意味はない。でも「格好悪い」とか「面倒くさい」とか、そういう理由で着用しない潜伏期間中の感染者の中から、「自己防衛」とはき違えられてでも、着用者を増やす意味合いは大きいと思う。

受付機に診察カードを通してPHS端末を受け取り、9時半にはもう採血受付を終えた。何だか今日は空いているな…という印象。「233番」という紙を貰うと、今採血室へ入っている番号の電光表示は220くらいだったか。
10分ほど外待合で待っていると番号が表示されたので、採血室へ移動、そこで数分待つとすぐに呼ばれて終了。9時45分ころにはいったん下の会計に降りる。
今日は三津子の最後の手術と入院費の支払いをするために、会計の14番窓口に直接並んだ。5分ほど待って係の若いマスク姿の男性にその旨告げ、支払いをする。お釣りと領収証を受け取ると、打ち出された領収証の上は次回の通院予定が記される欄が切り取り線でついている。そこに
患者氏名 白取三津子 とあり、
「予約日時」の欄に
「予約はありません」
と書いてあるのが当然ながら、少し悲しかった。

それから2階の血液内科の前を通り過ぎ、1回を見下ろせる吹き抜け添いのソファに腰掛ける。診察予約時間は11時10分、まだ1時間半ほどある。そこでぼーっといろいろと考え事をしたり下の受付前の大型液晶テレビを見たりしていた。お姉さんの携帯に報告を入れた後は、ひたすら待つ。
気のせいか空いているなと思った病院内も、10時をまわるといつものように混雑してきた。11時近くなったので血液内科前の外待合に移動するが、いっこうにPHS端末は動かない。11時10分を過ぎて、さすがにちょっとおかしいなと思った頃に、ようやく端末が「外待合でお待ちください」表示に変わった。いや、もう居るんだけど…と思いつつまたひたすら、待つ。
PHSが「診察室へお入りください」と震えたのは11時40分だった。

I先生に挨拶をするといつものように「お変わりありませんか」と訊かれたので
「はい、自分は変わらないんですが…実は」と言って連れ合いである三津子の死を報告する。
先生は驚いて「そうですか…それは何と言っていいか」と絶句される。電子カルテには「wifeが死去される」と打ち込まれた。少しだけそのことについて会話をし、今日の採血結果を見せていただく。

俺の採血結果は横ばいで、WBC(白血球)がなぜか1800と少し多くなっていた。とはいえ数百の上下は誤差もあるだろうし、1800といったって健康で免疫力が普通に保たれている人に比べればやはり低い。それよりPLT(血小板)が相変わらず6万台と低いが、これも血が止まらなくなるというレベルではないものの、心配な数値だ。

それからベッドに仰向けになり、脾臓の触診とエッヂ確認をしていただく。前回測ってもらった、巨大化した脾臓の大きさも、巨大なままで変化はなしと伺ってホッとする。
ただUA(尿酸値)が高い傾向は(ビールのせいだが)6.6と前回よりは下がってはいたものの「これは薬で下がっているのでしょう」ということで、引き続いてザイロリック錠を一日一錠飲むように言われる。

I先生は「今、インフルエンザが流行ってますからね、じゅうぶん注意してください。いくら弱毒性といっても、白取さんの体には大変な脅威ですから」とはっきり言われた。
俺も「はい、幸いと言いますか、こんな病気なのでうちにはマスクとウェルパスが常備してありまして」と言うと、「そうですね、注意してください」と笑顔で言われる。

そして「次回はこの様子なら、10週間置きでいいでしょう」と言われ、何と次の診察は7月の末になった。
お礼を言って診察室を出た後、会計へ向かいながら、心で語りかけた。

三津子、俺今回から10週おきになったよ。
あの癌宣告から、あれから4年経っても進行がほとんどないんだよ…。
ありがとう、君がいてくれたお陰だし、今も守ってくれているね。
だから俺はまだ大丈夫。
君のために残された仕事を全うするよ。

まさかの健康診断からの白血病発覚、入院、そして抗癌剤投与から骨髄移植へと向かう寸前で「何でもない普通の暮らし」に引き戻された奇跡。あれからもう4年が経とうとしている。
このこと自体、俺が今生かされていることそれ自体が、奇跡だと思う。
そう言っていつも俺を励まし支えてくれたのは、三津子だった。
ありがとう、本当に。心から感謝しています。

1階に降りると、会計や再来・新患受付カウンタのある吹き抜けホールは、病院へ来た時よりずいぶんと混雑していた。採血を終えてすぐに入院費を払った時に5、6人だった会計受付の列は三重に蛇行していた。それでもものの10分足らずで進み、さらに10分ほど待つとPHS端末が会計用意が出来たと震えた。今度は少額なので自動精算機で支払いを終えて病院を出た。

タクシーですぐにうちの近くの交差点まで戻り、いつもの店で夜のおかずとご飯、コンビニでお茶やおにぎりなどを買っていったんマンションへ戻る。荷物を置いて、それから処方箋を持って隣の薬局へ行った。

薬局の人たちは三津子が亡くなったことを下のクリニックのI先生から聞いていたのか、「あの実は…」と切り出すと、「ああ、そうですね…。突然で大変でしたね」と言われる。その後は普通に明るく対応していただき、処方薬を受け取り会計を終え、新聞や郵便物を持って部屋へ帰ったら1時だった。
すぐにマスクを捨てて手を洗い、うがいをする。さらに着ていた服ははたいて、ズボンには除菌スプレーをかけた。気休めなのは承知しているけれども、迂闊なことから何があるか解らない。それに三津子はいつも「マスクは?」「うがいは?」と言ってくれていた。
最後にウェルパス(アルコール消毒液)で両手を入念にもみ洗い、メガネも拭いてから、郵便物に目を通す。
数人の方から、俺にお悔やみと励ましの手紙が来ていた。嬉しく、ありがたく、そしてやっぱり悲しい。思いがけぬ、十数年ぶりの知り合いからの不思議なご縁を知らせるものもあって、驚いたり。俺の負担を考え、皆さんお返事は気にせずと気を遣っていただいている。

元気を出さねば。
三津子…やまだ紫という作家のために、俺にしか出来ない仕事もたくさん残っている。
三津子のことを身内のように昔から「ミッコ」と呼ぶ旧友の方からの手紙の最後に、
「きっと、そばでミッコが見守ってくれていますヨ!」とあった。
皆さん、ありがとうございます。
13:34
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ともあれ

進行がなくて、良かったっす!
名作の伝承大変だと思いますが、体調管理に気をつけて。。。。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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