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2009-05-20(Wed)

やまだ紫作品を伝承する決意新たに

5月20日のつづき

三津子の戒名が決まったと、昨日お姉さんからメールが入った。

「紫雲院妙津信女」だそうだ。

やまだ紫の「紫」と三津子の「津」が入っている。彼女らしい、いい戒名だとおもった。

午後は仕事をして、それから何をしていたか…。気が付いたら4時をまわっていた。このところ第二次大戦時のヨーロッパ映画やSFとか、そんな映画ばかり見ている。今日は『戦場のピアニスト』を見た。今の自分の置かれている状況…つまり三津子がこの世にもう存在しない生活を一人続けて行かねばならないという現実から、ちょっとでも遠いものを選んで見ているような気がする。

映画を見終わって相撲へ切り替えると、切れ目のニュースなどで浮き世のことを知る。
インフルエンザはとうとう滋賀県でも患者が出たそうだ。京都も時間の問題だろう。「弱毒性」だから一般の人はそんなに恐れることはない、だが妊婦や糖尿病患者、腎臓病患者は注意を…と言っている。
白血病やエイズ(後天性「免疫不全」症候群だ)患者にも脅威だとは、全く言及されない。「数の問題」なのだろう。

夕方6時過ぎ、三津子のお茶を氷入りのウーロン茶に差し替え、お酒をぐいのみに注ぎ、温泉タマゴと俺の夕飯のドリアを少しとりわけたのと、それから昨日の残りの鶏肉の甘酢あんかけを暖めて差し向かう。ビールを少し飲み、それから思い立って下のポストへ郵便物を取りに行った。

また、何人かの旧知の人たちからハガキや手紙をいただいた。それを持ち帰って一通一通読んでいるうち、また涙が少し出た。でも、皆さんが三津子、やまだ紫の死を悲しみ、その才能が失われたことを悼んで下さる。

やまだ紫の作品を長年「塩漬け」にし、無礼で非情な扱いをしてきた筑摩書房には、三津子の死を知らせる手紙に
「今後一切の作品の版権を貴社には与えない」と宣言した。
死んでから慌てて再版をかけ、儲けるような姑息で故人を愚弄するような真似など絶対にさせるものか、そんなことだけは我慢ならなかったからだ。
その元凶である「M」という男に直接手紙を出すなど、例え死んでもお断りだ。
俺はもう怒らない、腹を立てない、人を恨むのはやめる。
三津子の死を受け入れる課程でそれを自分に課すことにした。

けれど、筑摩書房のMという男は別だ。

いや、正直を言えば他にも絶対に許せない人間が何人かは居る。しかしもうそういう連中と関わり合うことも嫌だし、もっと言えば同じお天道様の下で息を吸うのさえ憚りたい。だからもう居ないものとしている。

筑摩書房のMは嘘つきで、不誠実で、そして俺たちを裏切った。そんな奴に絶対に、もう二度とやまだ紫の作品を扱うことは、この俺が許さない。目の黒いうちは、ではない。
この先俺が死んだとしても、許さない。

当初このMという男は、やまだ紫の作品集をぜひうちで出したいと言ってきてくれた。
それまで青林堂で長くロングセラーとして版を重ね、青林堂の経営の基盤となって支えていた『性悪猫』『しんきらり』はじめ三津子いや「やまだ紫」の全ての版権を譲って欲しいと、青林堂の長井(勝一社長;故人)さんに言った。
Mは俺などよりも遥かに編集者としては大先輩だし、学生時代から「ガロ」には入り浸っており、長井さんも一目置いていた人間だ。けれど長井さんは当初、三津子に言わせれば
「長井さん、やっぱりちょっと怒ってたみたい」だったと気を遣っていた。
俺はもちろんその頃は三津子と一緒に暮らしており、おまけに青林堂の編集部に勤めていたから、どちらも目撃しているし日記もつけている。

長井さんは、そりゃあ当時は渋ったものだ。

なぜなら「やまだ紫」の作品は年間必ずどれかが再版がかかり、少部数ずつではあったが、累計すれば十万部を超えるものもあったからだ。俺は他ならぬその「貧乏版元」に長くいたのだから、そういう本の有り難さは嫌というほど解る。こうした爆発的ではないけれども売上げが一定数確実に予測できるものが、いかに版元にとって財産であるか。どれだけ日々の生活、出版活動を支えてくれているか。
本当に肌身にしみてよぉぉく、知っている。

Mは結局その後、長井さんに材木屋の二階の青林堂で直接、
「やまださんの作品は長く売れる作品だから、
絶対に絶やしませんし、そのことは約束しますよ」と笑った。
その場面にいたのだから知っている、ちゃんと覚えている。

長井さんはもうその頃には話がまとまっていたのかどうかは知らないが、さばさばした表情で
「やまださんの作品もさあ、ずっと売って貰えるんだったらそっちの方がいいよな。
なんたってさあ、ウチはいつ潰れっかわかんねえからよ」と冗談半分に言って笑っていた。
やまだは長井さんに許して貰ったことでほっとしていた。その後いつものように「ガロ」編集部に「差し入れ」を持って来たとき、笑顔ではあったけれど恐縮して、長井さんに頭を下げていた。それから香田さん(経理を担当していた、長井夫人)にも。

あの、材木屋の二階で。
今でもはっきり覚えている。

その約束を、Mは簡単に反故にした。

そればかりか、「ガロ」のクーデター事件後、三津子が自分の本がずっと「品切れ」になっていることを気に病み、何度も何度もためらった挙げ句、勇気を振り絞って直接「嘆願」の電話をかけたことがある。
俺が電話をして途中で変わったのだったか、とにかく、Mの態度はひどいものだった。
「けんもほろろ」とはこの事かというような、冷たい態度だった。
やまだ紫の作品を評価し後世に伝える…と、商売上の仮に「嘘」だったにしても、一度は作家や恩人の前でそう伝えた人間の態度ではなかった。自ら学生時代から「ガロ」編集部に出入りをし、長井さんの薫陶を受けたと自負していたはずだ、そしてやまだ紫を尊敬する女性作家だと持ち上げていたのは、単なる商売上の方便であったのか。

「売れないものは出せませんね。」

役所の窓口のような声のトーンで、すまないとか、申し訳ないとかいうものは微塵も含まれていなかった。

俺はその時の会話を録音しておいた。
何度聞いても不愉快で、不誠実で、何より人間としての温かみが全く感じられない声に、当時は怒鳴り込もうと本気で考えた。

こういう人間が、出版界に居る。メディアに出て芸人やタレントの本を持ち上げている。最近は何かの拍子でこの男がテレビに出るのを見るたび、そんな人間を一度でも信用したという自分たちの不明を恥じ、チャンネルを換えたものだった。

その後、2006年になって電子出版の「イーブック・イニシアティブ・ジャパン(e-book)」さんから、やまだの代表作数点を電子出版したいという嬉しい申し出があった。
「これからは本という形からこうなって行くのかね」と話したが、若い世代には普及していくだろうけれども、「感触」がない。人生を変えるような本との出会いにおいて、やっぱりあの「感触」というものは大切な気がするのだ。俺でさえもう旧い人間なのだろうか。
全ての本とは言わない、ただいつも側に置いていつでも手にとって読め、読み終わったあとで胸に抱き、「ああ、よかった」と思える「手触り」が欲しい。それはやっぱり「本」というかたちであって欲しい。
やまだ紫作品は、だいたいがそういった作品であると、多くのファンの方たちが言って下さっている。
これからデジタルメディアに慣れた若い人たちへ、それから後世に残るという意味では電子出版ももちろん、平行して残っていけばいいと思う。
けれど、やはり「本」という「かたち」で何とか彼女の素晴らしい作品たちを残せないか。
それだけが今、自分に残された仕事だと思っている。


三津子の死の知らせを受け取った、筑摩書房のAさんから返信が来た。
自分の力不足を詫びる、真摯な文章が社用便箋に綴られていた。
このAさんは、「やまだ紫作品集全5巻」の実際の編集作業を担当して下さった方だ。Aさん自身もやまだ紫のファンだと言って下さっていて、それは今でも変わっていないと思う。

別に、Mという男が言う
「売れない本は出せない」
ということは、事実である。

けれど真理だろうか。
編集、出版、そういうことに関わる、携わる人間として、確かに営業・売上げということは重要なことの一つであることは承知している。ただそのことを「第一」あるいは「唯一絶対」の価値観として標榜するのかどうか。そのことが、編集人、出版人としての生き方に関わる哲学だと思う。
何度も言ってきているように
売れないから、ダメな作品か。
売れないから、後世に伝えて行かずとも良いのか。

ということを何度でも問いたいし、
死んでから作品を慌てて評価するような愚をもう繰り返すなと思う。

市場原理主義なら「売れるものこそいい作品だ」と、そう言って憚らずタレント本や旬の芸人の本をタレ流せばいいと思う。勝手にやればいいと思う。それが求められる世の中、いや求める人たちが居るのだから、そういう人たち相手に売ればいい。そういう世界で勝手に商売をすればいいと思うだけだ。
つまり、そうなんだったら最初から「いい作品を後世に伝える」とか、おためごかしを抜かすなと思う。
「今だったらやまだサンも登り調子だからさあ、青林堂みたいなビンボーな出版社じゃなくてウチみたいなところから出せばいいじゃん? その方がトクじゃん?」
ヘラヘラ笑いながらそう言ってくれば良かったのだ。

そうしたら、その場で断っていたはずだ。

やまだは長井さんに「恩がある」とずっと言ってきた。
自分が多少名が売れてきたからといって、青林堂から作品をよそへ移すということを、そんな軽いことで請け合うわけがなかった。
少なくとも、「ガロ」に関わり自分たちもよく知るMという男を信用したから、長井さんに頭を下げて作品集の刊行を許してもらったのだ。

実際に担当してくださった編集者のAさんご自身に関しては、何の恨みもなければ、同じやまだ紫ファンとしてシンパシーも共有していると、今でも思っている。
彼からの手紙ももちろんそういう内容で、
「自分にもう少し力があれば作品集の扱い方も変わったかも知れない」と言って下さった。
Aさんに今そういう思いをさせてしまったことは、俺にとっても忸怩たる思いだけど、その全ての責任はMにあると思う。
善良な人間を騙したこと。金儲けのために嘘をつき人を傷つけたこと。その事実はもう消えない。
神か仏からかは知らぬが、いずれ必ず裁きにあうことだろう。後悔してももう遅い。

とにかく、やまだ紫の作品は絶対にまた普通に本というかたちで手に取っていただけるようにする。

妨害などがあれば、全てを公開する。

言いたいことがあればいつでも受けて立つし、それらも全て公開する。

それがファンの方々への俺のつとめであり、やまだ紫、三津子という人間に対する俺の「心」だ。

親友だった井坂さんからのハガキ、大阪のわんだ〜らんどの南畑裕子さんからのお手紙、漫画家で最初の作品集の解説をやまだが書いた津野裕子さんからのお手紙とかまぼこなど、本当に色々な人たちから追悼と遺された俺への励ましをいただいた。感謝という月並みな表現しか思い浮かばない自分ももどかしいけれど、本当に、心から感謝申し上げます。
皆さんのおかげで、自分はこれから生きて行けるのだし、やまだの仕事を後世に遺すという使命に向き合えるのだと思います。19:15
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コメント

6月19日

先日、三鷹の禅林寺で開かれました桜桃忌に行って参りました。太宰の全集を出している出版社でありながら、一輪の花も手向けておらず、その酷薄非礼ぶりに憤りをかんじました。
M氏は99年に復活した太宰治賞にも関係深い人だと思われます。厚顔の徒とはまさにこのこと。泉下の太宰も、奥様への非礼をふくめ、けしてこの出版社を許さぬであろう。天罰がかならずくだされる日がくると信じます。
遅れましたが奥様のご冥福をお祈りいたします。桜桃の一皿、
『性悪猫」の傍らに供えつつ。

承認待ちコメント

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不況だから

よけいにいいものを長く売るという気概が欲しいですよね。出版社には。。。
商品の論理優先にしたかったら格好つけるべきじゃないし、まずは人として力不足を詫びるとこからじゃないすかね。
人間としての非礼なところとか機微のわからないところが、他人を傷つけてるってなんでわからないかな。しかも相手は作家なわけですし。そういうところを、白取さんは指摘されてるんですよね。出版人とか以前にひでえ奴だって久々に腹たちましたわ。

Unknown

ひどい。
ひどいね。筑摩書房。
いっぱい本持ってるしいい出版社だと思ってた。
クソだな。人がいかん。そんな出版社はいかん。
何とかいうタレント本だとかパクリ本ばっか出してるところとおんなじじゃん。
呆れたわ。

Mという人

ずっと拝見しております。
そのうち失礼ながら身内のように見守らせて頂いております。そういう方も多いのではと思います。
Mという人のフルネームはよく知っております。有名人ですものね。
この何年かでこんなに軽薄な人だったのかと驚いたおぼえがありました。やっぱりそういうことだったんだと納得しました。
早く、一刻も早くやまだ先生の名作が再び多くの方の手に届きますように。
心からお祈りしております。
どうかご無理はなされませんように。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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