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2009-05-21(Thu)

油彩画を精華大学へ寄贈しました

5/21(木)

夕べはDVD『プライベート・ライアン』を見終わったら10時過ぎだったか。トム・ハンクスの演技はやはり素晴らしいものがあるが、スピルバーグの戦争観というか、映画として先の大戦を描く際の一貫した姿勢は正しいと思う。もちろんユダヤ系ということでナチス・ドイツの残虐性とか蛮行をえぐる形になるのは理解出来るが、それとて別段間違ったことをねつ造しているわけではない。
寝室へ上がったのは11時過ぎで、ニュースZEROを見ていたと思うが、目が醒めたら2時過ぎでテレビがついていた。テレビを消してまた眠り、朝は5時頃に目が醒める。もの凄く眠い。そして暑い。足元の送風機のタイマーを1時間にセットして寝る。次に目が醒めると6時。こんどはタイマーを2時間セットして寝る。次に8時に目が醒めタイマーを1時間にして寝ようとするが、今度はもうすっかり朝で外も朝の音になっているのでうとうとを繰り返し、結局9時半近くになって降りた。ずいぶんと朝寝坊の感じだけど、東京に居た頃よりはマシか。

洗顔や猫ごはん、洗い物などを済ませて三津子にウーロン茶をあげてから携帯を見ると、メールが来ていた。
明青のおかあさんからで、26日の火曜(明青さんが休みの日)焼き肉行きましょう、もし嫌だったら無理にとは言わないし、都合も合わせますから…とのこと。
まだまだ、情けないことに俺は、一人で夜にどこかで飲んだり、三津子と二人で出かけたところへ行くなど到底無理だ。けれどこうしてお誘いをいただいて、数人で飲んだり食べたりするのなら、何となく出来そうな気がする。向こうもきっと、そう思ってくれているから誘ってくれたのだと思う。ありがたくお受けして、時間は「お仕事好き」な旦那様のご都合もあるので、こちらの方が合わせます、と返信。
京都には身内もいないので、本当に有り難いと思う。

その後着替えてポストに郵便物を出して、コンビニで簡単な買い物をして帰宅。
ポストの方へ廻ると郵便局員がちょうど配達に来ていて、いくつかの郵便物を手渡してくれた。矢口高雄先生からの絵はがきには直筆で「しんきらり が好きでした」と書いてあった。ありがとうございます、と心で手を合わせた。その他にも何名かの方からお手紙をいただく。それらをありがたく拝読して三津子の遺影の前に置いて、線香をあげた。
パンとコーヒー牛乳、ゆでタマゴを食べ終えると、書留の配達が来る。何だろうと思ったら「コスモス短歌会」さんからだった。香典はお断りしているが、送られてきたものを返送するのは失礼なので、有り難く受取ってお返しをさせていただくことにする。
「コスモス短歌会」は日本でも有数の、いや最大の短歌会である。やまだ紫の作品を評価し異例の詩画の連載を依頼していただき、京都へ来る前ずっと掲載していただいていた。
大学の先生という「激務」に慣れるまで、「休載」というかたちを取らせていただき、今年じゅうには再開したいと本人が言っていた。だから余計に残念だし、そのことはお伝えしていたので、本当に辛い。
『見上げれば虹』という詩画の連載は、必ずしも本調子で書かれたものではない。そのことは何度もここ数週間記述しているように、彼女の精神状態、肉体の状態と無縁ではない。というよりベストの状態で執筆出来れば本当に良かったのだけれど、それでも彼女は歯を食いしばって頑張った。休載も何度かあって、会の皆さんにもご迷惑をおかけした。
結果的にこうしたことになり、残念だけれど、何より本人が一番無念だったと思う。

13:22
たった今、精華大総務のMさんと竹宮惠子先生が来られ、三津子いや、やまだ紫たの油彩画をお渡しした。

今日1時過ぎに取りに来ていただくというご連絡を受けていたのだけど、インターフォンの接触が悪くよく聞こえず、何かの配達かと思ってドアを開けたら、お二人だった。Tシャツにパジャマの下という恥ずかしい格好で出てしまい、恐縮しました。
綺麗なお花をいただいたのでいったん置きに行き、それから額装した油彩画の箱と、同時に飾っていただく写真と略歴入りのプレートをお渡しした。
箱には提げて持てるように紐をかけて握りをつけておいたが、けっこう重い。総務のMさんが引き取ってくれ、竹宮先生は
「くれぐれも、あの、やまだ先生によろしく」と挨拶をされ、こちらも「今後も片付けや掃除でお世話になると思いますが」と頭を下げる。
これでやまだ紫の油彩『かわいいもの』はずっと、学生たちに見て貰えることになるだろう。
それがいい。絵は人に見てもらうためのものであって、死蔵するものではない。


17:07
それから仕事とデータのバックアップ作業などをして、一息ついて相撲を見る。別に見たいわけでも誰かの対戦を楽しみにしているわけでもない。お笑いやバカ騒ぎが見たくないだけだ。
台所へ立ったついでに、いつものように三津子の赤い室内着をぎゅっと抱く。
リビングのダイニングテーブル…といっても引っ越した後で買った二人掛けの小さなものだが…その椅子の上には三津子がいつもどれかを持って出ていた3つのバッグが置いてある。三津子が居た時そのままにしてある。
そのバッグの上に、かぶせるようにして赤い室内着がかけてあるのだが、だんだんと三津子の匂いがしなくなってきた。
当たり前といえば当たり前だ、毎日俺が抱いているのだから、俺の匂いが移ってきているのだ。
そんなのは嫌だ、駄目だ駄目だと言いながら、バッグと室内着、それともう一つ長袖の室内着をつかみ、クローゼット部屋へ行く。
三津子が着ていた洋服がたくさんかかっていて、それらにはまだ彼女の匂いがいっぱい残っている。持って着たバッグと室内着は段ボール箱に入れてフタをして、さらに洋服掛けには下がっている洋服を覆うようにして、ポリ袋をつなぎあわせて被せた。ホコリがかからないように、それとちょっとでも彼女の匂いが長持ちするように。
彼女の匂いがすると、もうそれだけで涙が溢れそうになる。
今日は泣かないぞと思い、そうしてきたのに…。
気持ちを立て直そう、そうして俺は俺の仕事を全うしなければ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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