--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-05-23(Sat)

ベランダに猫を出す幸福

5月23日(土)
夕べはビールを飲んだあと、DVD『ザ・デイ・アフター・トゥモロウ』を見る。それからニュースを見て二階へ上がると薬を飲んだせいか割合早く寝られた。朝は6時頃から何度も目が醒め、悶々としつつ9時過ぎまで。
今日は曇り空、しかし気温は上がるという。トイレ・洗顔、それから三津子のお酒や箸、皿などを片付け台所で洗い物をして、新しいお茶をあげる。こちらは『ウコンの力』にザイロリック錠。
BSで松坂大輔がDL明けの当番試合(NYM戦)を見ながら文春を拾い読みしていると、役所広司が初メガホンという記事があった。何気なく読んでいると、最後に
「親しい人を亡くした悲しみも、彼らがどこかで僕たちを見守ってくれていると信じ、その人のことを思い出し続けることで、乗り越えていける気がします。」
と発言している。
もちろん映画の中での話…家族との絆を再生していく課程で、ユーモアを忘れないこと、また災害にあっても自分を保持することのできる日本人の美意識を語る…という文脈のインタビュー中の最後の話。
たまたま「ちょっと可愛い」とか「イケメン」とか、あるいは事務所が大きかったとか親がタレントだったとか、何でもいいけれども、ひどい脚本のドラマに出ただけで「役者」を簡単に名乗る者も多い。けれど先日のトム・ハンクスしかり、役所広司しかり、年齢に関係なくこうしたある種の「クレバーさ」とか「敬虔さ」を持っているかどうかが役者の演技の幅や厚みにつながると思うし、つまりは結局「役者」というものもやはり「人間」ということにつながるのだと思う。

「いい編集者とは、いい人間のことです。」

やまだ紫がジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)に来て学生の質問に答えて、こう話してくれたことを思い出す。
その後洗濯をしてシャワーを浴び、ベランダの草木に水をやる。今日は曇りかと思っていたら、おだやかに晴れたいい天気になった。猫たちもベランダの日だまりに出て来てじっと下を見たりしている。

東京に居た頃から、こうしてベランダで自由に猫たちを遊ばせるのが俺たち夫婦の「夢」だった。
一緒になってからずっと暮らしていた団地では、犬猫の飼育は禁止されていた。禁止されているけれども飼っているお宅はたくさんあった。そうして中には面倒見切れずに捨てる、無責任な住人もたくさんいた。
犬猫とはいえ野性の本能を知らずに愛玩飼育しようと思っても無理だ、すぐに発情し大変な騒音をまき散らすことになる。その程度のことも知らずに野放図で乱暴で自分勝手な「飼育」をしようとして、途中で簡単に放棄する。
そういう不幸な野良猫が団地の下にはけっこういて、同じ団地内や近隣のボランティア的な人たち…その多くは「猫おばさん」という中年以上の女性だった…のネットワークのようなものが自然発生的に出来た。「ルール」「規則」を持ち出して保健所を呼べ、つまり「皆殺しにしろ」という声も、実は多かった。深刻な騒音や糞害に悩まされている人の気持ちも解らないことはない。
けれども、元々は大雑把で無慈悲な人間が放り出した犠牲者たる小さな生き物たちを、ただゴミのようにかき集めては殺せばいいというものではないだろう。
ネットワークといっても何の組織もない、近隣の「猫好き」のボランティアたちは、自然にお互いの顔や名前を覚え、行き来するような関係も出来上がった。友達というほど強くもなく、単なる顔見知りというほど弱くもない、しかし「事あらば」ツーカーで動ける間柄だった。
三津子とよく話すようになったMさんという「猫おばさん」は、「また団地に捨て猫がいたのよ」と、報告してくれるようになった。もっとも、見に行けば可哀想で捨ておけないことは解っている。自分の家つまり団地の狭い部屋で3匹もの猫を「こっそりと」飼っていた我が家では、これ以上は無理といって、避妊や去勢手術の費用を寄付したりするにとどめていた。
もちろんその後、猫たちは順番に寿命が尽きていき、その後今我が家にいる二匹のうち耳の聞こえないユキの方は、やはりこのMさんから「貰ってくれないか」と頼まれて引き取った猫だ。(シマの方は団地近くの仕事場にした賃貸マンションの周辺にいた野良を保護した)

猫を家族として長く一緒に暮らそうと思うのなら、早いうちに避妊か去勢手術をして、外には出さないこと。
これは常識だと思っていたが、けっこう「可哀想だから手術はしてないのよ」とか「もともと猫は外を自由に行き来するものだから」という理由で手術をせず、放し飼いにしているご家庭も多いと知って驚いたことがある。
猫は「なわばり」を主張し守る生き物なので、確かに、小さい頃に発情する機会を奪い、家に閉じ込めることは一見可哀想なことに思えるが、最初からそうしていれば「自分の家の中」をなわばりと認識し、むしろ外へは出なくなることは余り知られていない。
うちの猫たちはたまに広い公園や河原へ連れ出すと、怖がって絶対にカバンから出ない。心拍数が尋常じゃなくヒゲが前に出て瞳孔が開いている。明らかにテンパっている。これでは虐待だ。だからすぐ連れ帰った。そういう例もある。

もし、去勢や避妊をしなければ、仔猫は生後3ヶ月ほどで発情期を迎える。交尾がしたくてたまらなくなり、外へ出せと主張し大声で鳴き、叶えられないとひどいストレスになって暴れたりもする。
では避妊や去勢をせずにその本能のままにし、外へ出ることも自由にしていたら、その猫は必ず早死にする。
もしくは、やがて家に戻らなくなるだろう。「なわばり」が広く外へ向かうことで他の猫との争いも起きる。当然発情もするのでオスならメスを争ってそれこそ殺し合いのケンカをしたりする。交通事故のリスクも高い。伝染病(猫エイズなど罹ったらほぼ助からないものも多い)もたくさんの種類があり、世の中には猫嫌い、いや動物嫌い、いやもっと言えば自分以外の他者が嫌いだという人間も多い。そういう人間は小さな生き物を殺すことなど平気だし、ましてや保健所へ連絡することなど「かえって社会貢献だ」くらいに思っている。
そういう実態を四半世紀、何度も何度も見聞してきている。

これらのことと「猫を去勢せずに外へ出すこと」で得られる「猫はそういうものだから、自由にさせている」というささやかな「満足感」を秤にかけて、「じゃあやっぱり外に出そう」という選択をすることは、俺たちには考えられないことだった。
どっちが正しいとかという話ではなく、俺たちにはそれが出来ないだけだ。

我が家の猫たちは団地にいた頃に子供が不注意でドアを開けていたところ、物音に驚いて外へ逃げてしまった「ジロー」がしばらく飲まず食わずで別のお宅に隠れていたことがあり、それが原因かは知らぬが7年ほどで逝った。それを除けば「そう太」も「マイケル」も17年も生きた。元々弱かった「マル」でさえ11年。そして今「シマ」がもう11年、「ユキ」ももう5年目に入っている。野良猫だってみな同じように保護したいが、限界がある。せめて縁あって家族になった猫たちには、少しでも長生きしてもらいたいと思う。そのことが間違っていると言われるのなら、間違っていても全く構わない。

猫たちを自由にと行き来はさせられないが、太陽の光にあたってひなたぼっこをしたり、外の空気をめいっぱい吸わせてやりたい。それはいつも思ってきた。だから、飼ってはいけない団地でも、近隣の迷惑にならないように仕切りの下をふさぎ、念のためベランダの外にまで板を伸ばして超えられないようにして、時折出してやった。
次に夫婦で仕事場にと借りた団地の近くの賃貸マンションでは、大家さんに「一匹だけなら」と特別に許可をいただいて、マルだけをそちらで飼うようにした。だからベランダにも自由に出してやれたのだけど、隣の家が極端な猫嫌いの上に父親がアルコール依存でしょっちゅう大声を出して暴れていた。なので余り出さないようにするしかなかった。
うちの猫の鳴き声がちょっとでもしようものなら、壁を蹴飛ばしたり床を踏みならして威嚇をしてくる。たまに外で顔を会わせると、酒焼けと思しき赤銅色の顔に、首の抜けた肌着のTシャツといういでだちの、50がらみのおっさんだった。話して解るとか、そういう知性のかけらもない人物であることが、こちらを睨む顔で瞬時に解った。
それなら受けて立とうかと思ったこともあったが、こういう人間と暴力で争って、例え勝ったとしても犯罪者になる。負けても向こうには「酩酊状態で心神耗弱」という武器があってお咎めはない。日本とはそういう、酔っぱらいにひどく寛容な国だ。三津子に「だからやめて」と言われて踏みとどまった。
シマはそんな時にマンションの下や周辺を、白い猫といつも走り回っていた仔猫だった。「ニャーン」と鳴けず「ヒャッ、ヒャッ」とか「ホホーゥ」とかいう声しか出せない猫だった。その猫を俺と三津子と、当時一緒に住んでいたももちゃんが手なずけ、3階の玄関まで上がってくるようにしたのだった。ところが隣の親爺が、俺たちがシマにエサをあげてドアを閉めた途端に飛び出してきて、シマをどこかへ連れ去った。俺たちはすぐに気配で外へ出たが姿はなく、それから数日間、シマは俺たちの前に現れなくなった。
どこかへ連れていかれたのか、最悪あのオッサンまさかシマを…そんな悪い想像もした。けれど結局一週間ほどして、聞き慣れた「ヒャッ」というかすかな声が聞こえた。ドアを開けると、ひどく汚れたシマがいた。どうやら遠くに捨てられたのだけれど、必死で戻ってきたらしい。俺たちはもう何も迷わずにそのままシマを家の中へ招き入れた。結局それで猫が二匹になってしまい、またしても俺たちはコソコソと飼うしかなくなった。

次に引っ越したのは、十年前に住んでいた区の外れに出来たばかりの分譲マンションで、俺たち夫婦の念願の「持ち家」だった。部屋の中なら犬や猫の飼育は自由という環境になり、本当に初めてのびのびと堂々と猫と暮らせると思った。
ところがその部屋は平日になると周囲が工場ばかりで、騒音と震動と粉塵と異臭だらけの掃き溜めのようなところだった。休日に見に行くというマヌケに加え、これまでの環境と比べて夢のような「新築」の内装と、不動産業者の「何名様か競合されてますから、出来ればお早く」という「嘘」に騙されたのだった。ベランダは三日も掃除しなければ粉塵で真っ黒に汚れた。これを吸って外を歩いているのかと思うと、背筋が寒くなるような色だ。
猫は当たり前だが裸足で歩く。コロンコロンとお腹を見せて、ひなたでひっくり返ったりする。全身についた粉塵は、結局猫が自分の舌で嘗め落とす…つまり体内に摂取されることになる。やっぱりそこでも猫たちを自由にベランダに出すことは、滅多に出来なかった。

なので猫たちを(家猫として限られた空間とはいえ)外に自由に出すということは、結局京都に引っ越してきて、この今住んでいる賃貸マンションが実質初めてと言ってもいい。ここの大家さんは猫好きな方だし、内装は住人の出入りの際に徹底的にリフォームをするから、室内ならペットを飼ってもいいという条件だった。
この一年半、天気のいい日はよく二人で猫たちを出して、ベランダから山や空や通りを眺めては「いいところに来たね」と話し合った。足元では二匹が日だまりでコロンコロンと転げて喜んでいた。本当に、幸せだった。
俺と「連れ合い」である三津子と猫たちの「なんでもない、普通の暮らし」。
お互い病気を得て必ずしも将来に不安が無いわけではない。ずっと二人が一緒に居られる保証もない。けれどずっとずっと二人で助け合って山坂を超えてきて、京都でようやく得られたしばしの安息は、この上なく幸福な時間だった。
全ては二人の、いや彼女が歯をくいしばって頑張ってくれたこと。それに尽きる。

その彼女が逝ってしまった今、カラ元気を出して「作品を後世に遺す!」と言ってはいるものの、正直を言えば、そのことさえメドがついたら死んでもいいと思っている。

4年前に俺が癌になったことで祝杯をあげ、俺の死を下卑た冗談で心待ちにしている連中がいることは、よく知っている。

人の耳や噂を甘くみない方がいいと思う。

今回、愛する妻である三津子、やまだ紫が逝ってしまったことで、その連中はまた笑っていることだろう。
白取の野郎、ざまあ見ろ。
やまだ紫まで死んじまったら、お前ももう時間の問題だな。

そしてそういう連中がどうやってつながっているかは、こんな世の中だ、必ず漏れ伝わってくるものだ。

けれどもう、自分はそういう連中と争ったり、憎しみを返すようなことはしたくない。
一貫して嘘は嘘だ、間違いは間違いだと言い続けてきただけのことで、それらはもう法で裁かれる期間を超えた。でも、では誰が裁くのかを俺は知っている。

やまだ紫は人として「正しくありたい」と言って生きてきたひとだ。
俺もこれからはただ、そうありたいと思い、生きるだけだ。


下のポストへ郵便物を取りに行くと、蓮根のM歯科のご夫婦からお手紙が届いていた。三津子が大学へ奉職が決まってすぐから、歯の治療にずいぶんと何年にも渡ってお世話になった。
「いつもオーバーオールを着て帽子をかぶって、小走りに歩いていた白取(三津子)さん。主人曰く『まるで妖精みたいな人だったね』」
…そう書かれていた一文を見て涙が溢れてしまう。本当に優しく誠実で誰からも好かれ、いつまでも少女のように可憐で美しいひとだった。

今日もこの手紙以外は誰からも何の連絡はなく、ここ数日はお袋が時折、ぽつりと携帯から数行メールをくれる。ウグイスが例年になくいつまでも庭で鳴いていて、その不思議さから三津子を想うと涙が出る、と。
そうやって引き留めるようなことをしていてはいけない。そう自分の母親を叱咤しておきながら、俺自身がいつまでも三津子の死を乗り越えられずにいる。

相撲の結び前、電話が鳴った。明青のおかあさんからで、火曜日、夕方にうちの近くの交差点で待ち合わせて、焼き肉に行きましょうという連絡。体調とか考えて、無理だったら連絡して下さいね、と言って下さる。
「守ってもらってますから大丈夫ですよ、今日も差し向かいですから」と言うと、「じゃあ楽しみにしてますね」と言って下さった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

判ります。

まだお話の途中ですが、17年間一緒にいた、アメリカンショートヘアーも、悩み抜いて避妊手術させた猫でした。



きっと、もっと長く生きてくれたのだと思いますが、当時住んでいた秋田から(私の仕事場が潰れた為に)実家の長崎に移る事になって、動物嫌いな姉の元に身を寄せるようになり、姉の意見を渋々受諾するしかなく、17歳と言う高齢の猫をベランダに出し、夜間にこっそり部屋に入れてあげる生活していたら、すぐに具合が悪くなり病院に入院させた次の日に亡くなってしまいました。



今でも悔いています。



今年で(亡くなって)6年になりますが、彼女(アメリカンショートヘアーの雌でした)以外の猫を未だに飼う気になれません。


野良猫を構ったり、ペットショップに行ったりして気持ちを押さえていますが。


でも、避妊手術や去勢手術をしない、自称“愛猫家”には腹がたちます。



血統書付きだから、とか言っても、繁殖させないのだったら、当然の処置だと思うので。




なんか意味不明な文章ですいません。



私も猫好きだけど、猫好きなら、その子供達にまで責任持たなきゃいけない、と思うので。

映画

映画って時間を忘れさせてくれますね。以前日本映画の昔の作品をよく見られると書かれておられましたが、家族とか夫婦の描写はまだお辛いですね。
どうか穏やかにお過ごしくださいますように。
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。