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2009-05-25(Mon)

叱られる

20:33
その後仕事をしてネットで調べ物をしたりしていて気が付いたら7時になっていた。慌ててリビングへ戻ってテーブル上の三津子に「ごめんね、待たせちゃって。ごめんごめん」と言いながら、朝のお茶とウコンドリンクを下げて、買っておいた総菜などで晩酌の支度をした。
餃子と肉じゃがをレンジで温め、餃子は油をちょっとだけひいたフライパンにかける。オクラのごま和え、マカロニサラダはそのままテーブルへ。写真に「先にやっててね」と言ってぐいのみを置いて「花の舞」を注ぎ、チェイサーのウーロン茶のコップに氷を入れて隣へ置く。肉じゃがは器に移してテーブルに並べ、取り皿に箸を置く。餃子はジュウといったところで水を少量注いでフタをして、しばらく蒸す。一度焼いてあるやつなので、冷蔵庫から出して暖めただけでもいいのだけど、この方がうまいから…。
その間に自分しか食べないキムチを皿に移して、餃子を器に盛り、ビールとタンブラを持ってテーブルへ。いつもは二人で分担し、絶妙の呼吸でアッという間に「晩酌の支度完了」という格好だが、今は一人だ。
でも二人でそうしていたように、「お疲れ様」とビールのタンブラをぐい飲みに軽く当てて、二口三口飲んでから「おいしいね!」と写真に必ず言う。
こうすることで、夜を何とか乗り越えられている。

NHKハイビジョンで道具を使う猿の話を見る。こういうものは二人とも大好きで、録画したものが我が家には山ほどある。今はそれを見て感想を話す相手もいない。それでも写真に向かって話しているうちに、やっぱり今日の手紙の話になった。
Tさんの旦那さん亡くなってたんだって。辛かっただろうね。「相棒」を失うなんて、経験の無い他の人には解らないんだよな。どれだけ悲しかったか、辛かったか…。
桑原さんの奥さん、立ち上がって歩けるまでになって。年賀状で歩いている写真を見て、二人で本当に涙が出るほど喜んだよね。
…俺も、君が命さえ助かれば。…そう思ったんだ。
でも、駄目だったね。
桑原さんの奥さんが助かったのが運命なら、君の死もまた運命なんだろうか。
何て残酷な運命だろうね…。

そんなことを話しかけながら飲んでいると、泣けてくる。

あなたは俺のことを滅多に泣かない人だとずっと思ってきたでしょう。
でもね、感動的な映画やドキュメンタリでもニュース映像でも、「ああ、いい話だな」「良かったな」と涙が出そうになるのをグッと堪えて、いつも先に泣いているあなたを見て誤魔化していたんだ。
そういう時はいつも、君の顔をちらっと見るとあなたはもう駄目で、「すんすんすん」と言って目頭を抑えてさあ、「こっち見るからでしょう!」ってティッシュぶつけて来たよね。
あなたはひょっとしたら、俺はそういう人間だから自分が死んだ後、まさかこんなにずっとメソメソしてるとは思わなかったでしょう。
だから、先に逝ったんでしょう。
でもさ、メソメソするに決まってるじゃないか!
人生でこれほど、こんなにも辛いことって他にあるかい?
どんなひどい目に逢っても、嘘で傷つけられたり騙されたりしても、それでも我が家に帰ればあなたが居て、ニコニコ笑っていてくれた。
そのことで、俺はどうにか生きて来られたんじゃないか。
どんなに辛くても、君さえ居てくれたら。
…でももう君はいないんだよね。

これ以上あなたに「助けてくれ」だの「守ってくれ」だの、甘ったれたことを言ってちゃいけないと思う。
だってあなたはずっとずっと頑張って頑張って「正しく生きてきた」人じゃないか。こんな世の中で「正しく生きる」ことがどれほど大変なことか、お互い傍に居て本当に痛いほど良く知っているよ。
だからこそ、あなたが俺の傍に居てくれたことで、どれほど勇気づけられ、助けられたことか。
でももう、正直を言うと、これから先あなたが居ない人生を一人で歩く自信がない。
そんなに弱いひとだったの、というあなたの声が聞こえるようだけど。
あなたがどんなに麻痺が残ろうが、意識不明のままだろうが、生きていてさえくれれば。
それだけで俺は生きる力になったんだ。
でも、もう力が出ないんだよ。
いっそ死んでしまう方が、って思った瞬間もあった。だってその方法は知ってるから。
まずあの薬を大量に飲んで、それから…

そう言った瞬間に、「バターン!」と凄い音がして、水を飲んでいたシマが吹っ飛んで逃げて来た。

俺は思わず「ごめんごめん。もう言わない」と写真に謝った。
立って調べに行くと、猫のご飯と水飲み場の右斜め後ろに立てかけてあった、油絵(…ずいぶん前に三津子がある方からいただいたもの…)の額が、バッタリと倒れていた。
角度は壁側に傾けてあったし、たいたいもう十日か二週間以上そうしてあったものだ。誰も触っていないのに、なぜマイナスの角度から、手で引き倒したように倒れたのか。
その額を戻しながら、あり得ない話・勘違いなどではない、今現実にこれが起こったということの「意味」をもちろん俺は理解していた。

三津子が怒って
「何バカなこと言ってるの!」
と知らせてくれたのだ。

もちろん、仮に俺がその方法で安楽に死んだとしても、二度と三津子の傍には行けない。違う道を延々と歩いた挙げ句、三津子と来世で添い遂げるどころか、全くすれ違いも出来ない世界へ行くのだろう。
そのことも、知っている。
「ごめんね、もう言わない。もちろん俺はそんなことはしないよ」
と言って写真に向かって謝った。

三津子の声は聞こえないし姿も俺には見えない。でも、居てくれるんだということが、はっきりと解った。
そのことを知らせてくれたんだと思うと、有り難くてまた涙が出た。
20:52
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生きなきゃ だめです。

紫先生は、いつも いつも

白取さんを守ってらっしゃるのです。

生かされているんです。

太陽が昇り・落ちて・・また昇る。

頑張らなくていいです・無理しなくていいです。

でも、生き抜かなくちゃだめです。

Unknown

駄目ですよ、死んじゃあ! 二人分生きてください!
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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